姉さんと一緒に異世界転移したら、僕の性別が分からなくなりました
宮井くろすた
第一章 水の世界と聖なる秘宝
第1話 プロローグ
「——見つけたよ、姉さん。あそこだ」
急に立ち止まった貴誠から発せられた、この呼び掛け。それに反応して、亜矢が弟の元に駆け寄っていた。その傍で足を止めると、同じ方を見つめる。次いで、目を凝らして遠くに何かを発見すると、感心した様子で呟いていた。
「さっすが隠密系の探知能力。これだけ距離があるのに、よく分かるよねー」
同時に、亜矢は背中へ片手を伸ばす。背負っていた矢筒から一本の矢を取り出すと、携えている弓につがえていた。
場所は二階建ての建造物の屋上。その先端だ。少し距離があるが、そこから見下ろせる場所に、人相の悪い男が複数人たむろしている。そして、中央には怯えた人物が一人。どうやら恐喝か何かの現場のようだが、その場の全員が姉弟の存在に全く気づいていない様子だった。
また、男達は地肌への密着度が異様に高い衣服をそれぞれ着用している。昼間から怪しい光景だったが、この世界では至って普遍的だ。屋上の二人もその例には漏れず、似たような姿をしていた。
貴誠の方はオレンジと白で、亜矢の方は黄色と白のツートン・カラー。身体のラインがはっきりと分かってしまう際どい装いだが、姉の方は特に気にしていない。弟の方は最初、羞恥心を全開にしていたが、時間の経過と共に気にならなくなっていた。
「……慣れって怖いよな……」
「え? 何?」
亜矢がその小さな独白を聞き取れずにキョトンとしている。ただ、貴誠はそれに一切構わず、任務の方を優先していた。
「……なんでもない。それよりも……!」
と、改めて視線を対象の男達に向ける。一方の亜矢も事前に結っておいた後頭部のポニーテールを揺らしながら、そちらに意識を戻していた。
「分かってる。あいつらを無力化するんだよね!」
同時に、弓を構えて弦を引き絞る。そのまま弓道でいう会の状態に入っていると、ここで貴誠が注意事項を告げていた。
「殺さないでよ。そこまで重罪という訳じゃないようだし」
この憂慮に、亜矢は自信満々の表情で答える。
「心配しなさんな! 例え撃つのは初めてでも、あたしにはホーミング能力があるんだから——ね!」
その直後に矢を放っていたのだが——
この瞬間、貴誠は真横から妙な弦の音を聴いていた。
「——ん?」
力を解き放った時の純粋な音色ではなく、何かに引っ掛かったような重い音。明らかに正常ではない。ただ、この時はそれよりも射線の先から目が離せなかった。
次の瞬間——
『——ッ⁉』
目標の男達が混乱状態になる。ただ、それはメンバーの誰かに矢が命中したことに対する動揺ではなく、近くにあった建物の屋根が、急に小さく崩れたことに対する驚きだった。
姉の射撃の結果だ。だが、完全に的を外している。普通の人間ならミスで済ますこともできるが、これはあり得ないことだった。
「………………え……?」
貴誠はポカンと口を開けたまま真横を見やる。
すると——
「……キー君……」
当の亜矢は涙目になりながら、根本的な原因を語っていた。
「……放つ時……戻る弦が、おっぱいに当たって痛いよ……」
これを聞いて——
貴誠は頭を抱えるしかない。
「……胸当てが必要だったか……なんたる能力のミスマッチ……というか、試射ぐらいしてこいよ……」
「お姉ちゃん……胸が大きくて困るのは、これで百八回目だよ……」
なおも亜矢が涙ぐんでいたが、状況は待ってくれなかった。
「どうでもいいから……それよりも……!」
と、貴誠が視線を元に戻す。すると、姉の方もすぐさま現状に気づいていた。
「——!」
先程まで恐喝をしていた男達。彼らがこちらに気づき、一斉に向かってきているのだ。ただ、それを見ても貴誠はその場で悠然としていた。
「……見つかったようだね。こっちに来るよ」
冷静なこの指摘に、一方の亜矢は思わず後退りをしている。
「……えーと……最初は無理するなって言われたよね」
「……そうだね」
「……胸当ての対策はすぐにできないし……じゃ、一旦逃げようか。あたし、接近戦は無理だし、絡まれてた子は無事に逃げれたみたいだから」
亜矢は既に戦意を喪失している様子だったが、一方の弟はその限りではなかった。
「姉さんの方は、それがいいかもね」
「え……キー君は逃げないの?」
亜矢が驚いた様子で尋ねると、貴誠は当初から考えていた案を口にする。
「……僕には隠密能力があるから大丈夫。奴らをかく乱するよ。姉さんが無事に安全圏へと到達したら、奴らは適当に撒く」
「でも……」
と、亜矢が心配そうに見つめるが、弟は自信をもって告げていた。
「大丈夫。自分の能力は、もう充分に把握してるから。今後、撤退する場合は、この形を基本にしよう」
この明言に、姉も問題はないと判断したようだ。
「……分かった。信じるからね」
「ああ」
弟との短いやり取りのあと、亜矢はすぐさまこの場から離脱。その後ろ姿は一気に見えなくなっていた。
それを確認してから、貴誠は振り返る。
「……さて……」
ただ、迫ってくる男達には目もくれず、何故か自身の状態に注目していた。
貴誠の体内では——
つい先程から、全身の感覚を失うほどの熱量が滞留している。
「この現象だけは……まだ慣れないんだよね……」
そんなことを独白していると、ここで急に耳元の近くから声が掛かっていた。
「——我慢するしかないな。運命だと思って諦めろ」
それは貴誠がずっと首に巻いている、桜色のマフラーのようなものから発せられている。あまりにも荒唐無稽な現象だが、貴誠はこれにも既に慣れていた。
「お前が言うか……」
「運命だ」
その短い切り返しに、貴誠は小さな嘆息をする。だが、これ以上の議論は無駄だと感じたようで、すぐに切り替えていた。
「……それよりも……トロが出てきたってことは、もう終わったのか」
同時に、体内にあった熱量が引いていることも確認している。一方の桜色のマフラーはその認識に対して、自身の見解を述べていた。
「間隔が前よりも短くなっているな。この間は無防備にもなるから、いい傾向だろう。身体の麻痺も完全に出なくなったようだし、馴染んできているのだろうな」
この言及に、貴誠は特に反応しない。色々と複雑な感情が内心で渦巻いている様子だったが、すぐに飲み込んでいた。
「……とにかく」
と、改めて目前まで迫った男達に注意を移す。屋上から下を見つめると、彼らは器用に外壁を伝って登攀してきていた。
「奴らをこのまま放置しても面倒だ。自分の能力を確かめるためにも、ちょっとだけ運動しようか」
そう言いながら、桜色のマフラーの間に手を伸ばす。次いで、その狭間で何かを掴むと、すぐにそれを引っ張り出していた。
やや大きめのキャスケット帽だ。しかし、その体積は明らかにマフラーの間に挟めるような大きさではない。そんな事実を貴誠は一切無視し、顔を上下から半分ぐらい隠すように調整しながら被っていた。
ただ、その結果にトロが口を挟む。
「……やはり、変装としては微妙だな。目深に被っていても、誰だか分からないほどではないぞ」
客観的な指摘だったが、貴誠は全く気にしなかった。
「……仮面なんか着けてたら、余計に目立つ……ま、気休めだよ」
そう呟きながらも、しきりに微調整を繰り返している。ただ、そこでこれ以上の準備はできなくなっていた。
「それよりも——来たぞ!」
「!」
トロの警戒の声に、貴誠も意識を変える。男達が屋上にまで上ってきたのだ。しかも、それぞれが鋭利な刃物を所持しており、その悪意を向けてきていた。
「見つけたぞ!」
「一人じゃなかったよな!」
「弓を持った、もう一人はどこに行きやがった!」
それぞれが声を大にする中——
ここで、一人の男がかなり見当違いの発言をしていた。
「答えろよ……
しかし——
「……小娘……か」
貴誠はその誤認について、特に反論する気はない。
客観的に見れば——その指摘は、確かに間違っていないからだ。
ただ、そうはいっても、現状に納得している訳でもない。
それでも——
「……ま、いっか」
その呟きと共に、貴誠の雰囲気が一変。
『!』
男達が急に激しくなった相手の気配に、思わず気後れする中——
「結果的に憂さ晴らしになったとしても、心は痛まないし——!」
貴誠はマフラーの内側にさらに隠していた短刀を抜き放つと、一気に男達の間合いへ飛び込んでいた。
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