第40話 解放


 ワイバーンを標的である少年にけしかけ、巻き込まれないように急いで巣から逃げていた私だったが、数匹のワイバーンに目をつけられてしまい、強襲を受けてしまった。死を覚悟した私だったが、その瞬間、なんと大量のワイバーンの群れに襲わせたはずの少年が助けに来たのだ。


一瞬、幽霊でも見ているのかと思ったが、肩を揺さぶられながら声をかけられ、彼が本物だと理解した。どうしてここにいるのか、何故死んでいないのか、様々な疑問が頭を過るが、それ以上に足の激痛に耐えられなかった。


そんな私に彼は手早くポーションを飲ませてくれ、その上私を背負って馬車へと連れて行ってくれた。しかし、死を覚悟したあの瞬間、緩めてはいけない身体の緊張を解いてしまった為、いい歳をしてお漏らしをしてしまった。自分でも分かる匂いなのだ、私を背負っている彼が気づかない訳はないが、彼は一切言葉や表情に出すことは無かった。ただそれが、余計に私の羞恥心を煽った。


(自分より10歳以上年下の子に、こんな姿を見られるなんて・・・)


彼の背中で揺られながら恥ずかしさで一杯だった私だが、次第に思考は冷静になっていった。


(彼はあのワイバーンの大群を殺して来たの?それとも逃げてきた?でもどうやって?)


再び疑問が頭を過ると同時、彼の身体の異変に気づいた。


(左腕を怪我している?なら何故私にポーションを?)


今回の支給物資にポーションは無かった。ということは、私に飲ませてくれたポーションは彼の私物だ。下級であっても高価なポーションだ、自分の怪我の治療や今後の事を考えれば、奴隷である私なんかの為に使うなんてありえない。


(彼は一体何を考えてるの?何で魔族の私に対してこんなに必死になってるの?)


馬車に戻り、彼は自分のリュックからポーションを取り出し、それを惜しげもなくまた私の為に使ってくれた。その様子を見ながら、私の頭の中は未だに混乱している。


そんな私の様子を気にすることなく、彼は話しかけてきた。


「・・・すみませんファルメリアさん。僕のポーションの効果が弱いのか、思った以上に治癒が進んでいません。傷口を縫わないと、最悪足を切断する必要があります。その・・・我慢できますか?」

「・・・・・・」


つい今しがた自分が殺そうとした人物から、申し訳そうな表情を浮かべて聞いてくる様子に、私は急に罪悪感を覚えた。


「・・・何で、魔族の私なんかを?」


心の中の声が、つい口から溢れてしまった。君を殺そうとした私の事なんて、あのまま放って野垂れ死にさせたら良いのに、なんていう後ろ向きな考えに思考を埋め尽くしてしまっている。今はそんなことを気にしている場合ではないはずなのに、聞かずにはいられなかったのだ。


「???怪我をしている人が居たら助けるの当然ですよ。それが自分の知り合いなら尚更です」

「知り合い?私は人族に囚われた、ただの奴隷よ?あなたの知り合いでもなければ、見捨てたところで誰も悲しまないし、あなたも困ることはないでしょ?」


自暴自棄な私の言葉に、彼は悲しそうな表情を浮かべると、ふと穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「僕は悲しみますよ。それに、ファルメリアさんのご飯は美味しいですから、また作って欲しいんです」

「っ!!」


彼のその言葉に、私の心がギュッと掴まれてしまった気がした。人族に囚われてから今まで、これほど温かい言葉を掛けられた事が無かったせいかもしれないが、彼の今までの言動もあり、そこに私の籠絡を目的とする策略や、その為の嘘なんて感情は一切見えなかった。眩しいまでの純粋な彼の気持ちが、私の心を洗い流してくれているようだった。


ただ、この奴隷の首輪をしている限り、彼が望むような治療の効果は得られないだろう。


「・・・無駄なのよ。この奴隷の首輪は、装着者の身体的な能力を低下させる働きがあるの。つまり、この首輪をしている限り怪我の治りは遅いし、ポーションの効果も低くなるのよ」


おそらくは縫合しても上手く傷口が塞がらず、最終的に左足を失うことになるだろう。そんな少なからず達観した思いを浮かべながら、私は自嘲的に笑みを浮かべて、彼に自分の状態を説明した。


「・・・なるほど、つまりはこの首輪が邪魔なんですね?」

「えっ?まぁ、そうだけど。どうしようもないわよ?下手に壊そうとすれば装着者が死ぬように出来てるし、そもそも首輪の芯には破壊困難とされるアダマンタイトと魔石の合金が使われているの。正規の手段で取り外す以外に方法は無いわ」


軍に所属していた当時、人族の奴隷となった仲間を解放した際、この首輪についても分析されている。そこで出た結論が、今私が話した通りの内容だった。そんな私の言葉に、彼は少し考え込むような仕草を見せると、腰の純白の剣の柄頭に手を添え、魔力?を流しているようだった。


(何をしてるの?魔力?違う、魔法?でも、属性が分からない・・・)


彼の行動の意味が理解できず、ただ呆然と様子を見守っていた次の瞬間、彼は剣を抜刀して私に斬りかかってきた。


「ひっ!」

『ゴトッ!』

 

一閃ーーー


突然の彼の行動に目を瞑った私が耳にしたのは、地面に何かが落ちた音だった。一瞬、自分の頭かと思って目を見開くと、そこにあったのは私を苦しめていた、あの奴隷の首輪だった。


「・・・えっ?嘘っ?」


慌てて自分の首を触ってみると、ここ数年、ずっと忌々しく思っていた首輪が無くなっており、自分の首の感触を久しぶりに感じた。それと同時に、ずっとあった身体の気だるさが嘘のように無くなっており、力が戻った実感があった。


「よし。これで治療に専念出来ますね」


無邪気な声で話し掛けてくる彼からは、私が魔法を使ってここから逃げるだとか、今までの憎しみのあまり暴れだすとか、そういった心配事は一切感じられず、ただただ私の事を想っての行動だった事が感じ取れた。


(あぁ・・・彼は優しすぎる・・・)


蜂蜜の様に甘い彼の考え方には危うさがある。勇者候補になっているという彼の今の状況では、その甘い考えは通用しないだろう。それに、ワイバーンの群れから左腕の怪我だけで生還し、あまつさえあっさりとアダマンタイト合金を斬り裂くその技量。実力は本物なのだろう。


(ただ平民という彼の出自・・・いくら実力はあっても手駒としては使い難いと人族の上層部は判断したのね。でもこれだけの実力なら、いくらでも利用価値はあるはず。何故人族は彼を亡き者にしようと?)


私に下された指示は、彼の殺害だった。最初のプランであるワイバーンを利用したものは失敗だったことから、次のプランとしては色仕掛けで彼を油断させての暗殺だ。


しかしーーー


(彼が助けてくれなければ、どうせ私はあの場でワイバーンの餌食になっていた。なら、彼に貰ったこの命は、彼の為に使っていこう)


私の足の治療を甲斐甲斐しくしてくれている彼の様子を見ながら、私は彼の事を助けようと心に誓った。


(人族の悪意から彼を守ってみせる!)


彼には幸せになって欲しい。気がつけば私は、彼に母親のような母性愛を抱いてしまっていたのだった。

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