琴音の英雄に

 喜びの島。演奏時間は約6分。

 それはつまり、私の演奏が開始されるまでの残り時間でもある。

 時間を無駄にはできない。というか既に一分ほど経過しようとしていた。


「あのさ。琴音。私に耳を貸して欲しい」


 白石梨奈を見ていた琴音の横顔に、私は声を投げる。

 琴音の顔はすぐに私を向き、何も言わずに首を傾げた。


「私。琴音に伝えたいことがあるの」


 なぜ。今、こんなことをするのか。そう問われた時、私はなんと答えるのだろう。

 琴音に白石梨奈の演奏を聴いて欲しくないから?

 他の女を見るくらいなら、私のことを見て欲しいから?

 いや。それ以上に。

 琴音にかっこいいところを見せたいから。なのだと思う。

 私が大人になるためだとか、そういう理由は多分二の次で、一番の理由はそれだった。


 変かもしれない。事実、変である。

 思い返すと、こんな変なことをするのは二回目だった。

 琴音に出会って、一目惚れをして。そして次の日に、こんな大胆な行動をとったんだっけ。

 自分でも分かる程に、余りにも可笑しくて、何年後も笑い話にされそうなことだったけど。

 それでもやっぱり、あの選択は。私にとって最良の選択だったのだと今なら思う。

 あの選択肢が無ければ、きっと今の私はいなかったのだろうから。


 私は琴音の目を見つめて、少しだけはにかむ。

 琴音は「どうしました?」と不思議そうに言ってきた。

 その質問への返答になるのかは分からない。それでも私は駆け出す。

 深く頭を下げて、右手を真っ直ぐと琴音の前に差し出す。

 ピアノの音に負けないくらいの力強い声量で、私は琴音に想いを届けた。


「私と。付き合ってください」


 後悔は無い。

 ここで悪い返事が来ても、私は後悔をしない。

 だって私は、これが最良の選択だと思って、行動に移したのだから。

 だから。ずっと秘めていた琴音への想いを、こんな場所で真っ直ぐと吐露をする。


「もう」


 小さくポツリと聞こえ、


「日菜子は、いつも。いきなりだよね」


 琴音は『やれやれ』と言いたげな声で、嬉しそうに返事をくれた。

 その時点でもう答えが出ていることに気付きながら、私は琴音の声を聞いた。


「出会いから、今日まで。いつもいつも、そうだった。……日菜子に私は翻弄されて、いつも恥ずかしい思いをさせられたり、きゅんってさせられたり。今だってそう。まさか、こんなこと言われるなんて」


 琴音のタメ口は、少しだけぎこちなかった。

 でも。愛おしい。心の底から、愛おしいと思う。

 

「……だけど。それでも、凄く嬉しいよ。日菜子」


 琴音は言葉通り、本当に嬉しそうな声で。

 次の言葉もまた、今まで一番の快活さが含まれていた。


「私もずっと。あなたの恋人になりたかった」


 風が吹いた。

 優しい手の感触が、私の右手を強く握った。

 顔を上げて握られた手を見て、最後には琴音を見た。

 琴音は恥ずかしそうに笑って。つられる様に、私も笑った。


 それと同時に、客席側から拍手が聞こえた。

 私たちを讃える拍手とかでは全く無く、白石梨奈の演奏が終了しただけだ。

 堂々と舞台上を歩く彼女は、舞台裏へと舞い戻り満足気な表情をした。


 告白が成功した余韻すら与えられずに、私の演奏順が回ってくる。

 握られていた手は既に外され、私は床に置かれていたチューバを持つ。


「白石さん。じゃあ、次は私の演奏だね」


 と、白石梨奈の視線は当然私を向いた。

 私は持っていた未だケースに包まれたチューバを、再び床に置いた。

 特にこの行動に意味は無く。ただ、白石梨奈に見せつけてやりたかったのだ。

 私が今からするのはチューバでは無いぞ、と。


 私はチューバでだったら、白石梨奈に敵わない。

 それなら。どうすれば敵うのか? これこそ答えは一つだけだった。


「琴音。客席で聴いてくれる?」

「もちろん」


 琴音が頷き、私はポケットに仕舞っていたネックレスを首に回す。

 一緒に舞台上に現れ、琴音はすぐに客席の方へと降りる。

 私は先の白石梨奈の様に、木の床の音を木霊させながら舞台を歩いた。

 楽器も何も持たずに堂々と舞台上を歩く様はどんな風に映っているだろうか。

 負けを認めたとでも思われているのだろうか。

 楽器を忘れたとでも思われているのだろうか。


 ピアノの前に立った私は、客席を見る。

 生徒や教授は不思議そうな目で見るのみ。

 大方予想通りの表情だった。


 しかし。

 奇異の目で見られている、そんな中で。

 ただ一人。最前列で私のことをキラキラとした目で見つめていた。

 予想を遥かに超えた、とても可愛らしくて無邪気な表情だった。


「音楽科。管弦打・チューバ専攻一年。音海日菜子」


 さぁ始めよう。

 彼女琴音に、かっこいいところを見せるために。

 彼女琴音の『10個目のしたいこと』を叶えるために。


「フレデリック・ショパン作曲──」


 作曲者の名前を告げた時、視界の下の琴音の顔は溢れんばかりの満面の笑みで、同時に今にも泣き出しそうな感極まった表情に変貌した。

 私は琴音の顔に視点を向け。ただ一人、琴音に向けて曲名を言い放つ。


「──『英雄ポロネーズ』」


 私は振り返り、ピアノ椅子にゆっくりと腰を掛けた。

 琴音は、私の演奏を聴いた時。英雄が現れた心地になったと言った。

 私は。今一度、琴音の英雄になれているだろうか。


 準備を整えた私は、今か今かと待ち望んだ目をする琴音にキザに微笑んだ。

 鍵盤に手を置いて。一つ息を吸った。そして溜息一つ。

 天才少女の復活ステージにしては、中々に素晴らしい舞台じゃないか。

 そう思いながら、そんな風に自分に酔いしれながら。鍵盤に指を叩き込む。


 あぁ。今の私、最高にかっこいい。

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