シたいこと4つ目!
温泉の魔力はいささか素晴らしく同時に恐ろしいものだ。
温泉に身体が飲み込まれ、乗っ取られ、私が抱いた違和感はすぐに消えてしまう。
顔を撫でる涼しい風が、火照りすぎた身体を冷やす冷気を伴わなくなった時。
つまりはのぼせてしまった際に、その違和感は膨れ上がった。
違和感というのは勿論、琴音がさっさと風呂から上がってしまったことだ。
「……うへー」
フラフラと湯船から立ち上がり、頭に乗せていたタオルを手に取る。
言っておくと部屋の窓からは露天風呂の全貌が見えており、逆もまた然りだ。
故に今この場所から琴音の姿も見えるわけで、視界をくらませながらも部屋の中を見てみた。
旅館の浴衣に着替えを済ましたらしい琴音が、背中をこちらに向けて微動だにせずに正座をしていた。
やっぱり。どこか様子がおかしい。
私の違和感は正しいんだと思わされる。
湯船になんて、二分か三分か。それくらいしか浸かれていないと思うし。
ここから見る琴音の肩は、どこか強張っている様にも見えなくもない。
私はおぼつかない足取りで脱衣所に向かう。
バスタオルで全身を拭い、浴衣を身に纏い、ドライヤーで髪を乾かす。
頭の頂上が黒みを帯び始めたので、そろそろ染め直しに行くべきかもしれない。
鏡を見てそんなことを思いながら、私は脱衣所を抜け、琴音の元に向かった。
「琴音。上がったよー」
背後から声をかけると、足音を立てていた筈なのに、肩がビクッと震えを見せる。
それも大袈裟に。例えるとするながら、暗闇の中、急に真ん前にお化けが現れたかの様に。
この例えが正解なのかは自分でも分からないけど、ともかくは派手な動きではあった。
「……琴音?」
私は立ち止まって、膠着した琴音の背中を見る。
「どうしたの? 風呂もすぐ上がっちゃったみたいだけど……」
そこまで言った私は、琴音が耳まで真っ赤にしているのが分かった。
私の言葉に返答が無いことを確認して、なぜ真っ赤にしてるのだろうかと理由を探る。
探ったその先に、すぐに一つの答えがあり。恐らくこれだろうなと思いながら、私は彼女の背中に投げた。
「裸を見るのが、恥ずかしかった……とか?」
肩がビクビクっと振動する。
それも超大袈裟に。例えるとするなら、暗闇の中、目の前にお化けがいると思い、勇気を振り絞り懐中電灯で照らしたが何もそこにはおらず。重々しい安堵の溜息を吐きながら踵を返せば、すぐそこにお化けが突っ立っていた時の様に。
この例えは分かり辛い上に不正解なのは丸分かりではあったが、私の問いは少なくとも大正解だったらしい。
「な。なるほど、ね。いや、分かる。分かるよ。うん、凄く分かる」
フォローではあるが、本心でもあった。
というか琴音。風呂に入ってから、裸を見るってことに気が付いたのだろう。
風呂の前は琴音は平然としていたし。むしろ、私と入ることを嬉しがっていたみたいだし。
それでシャワーを浴びながらハッとしたのだと思う。
『日菜子さんの裸を見るのと同時に、私の裸をも見られてしまう』のだと。
「……えっと。それでも、そんなに恥ずかしがらなくても……」
恐る恐ると琴音に手を伸ばすと、彼女は勢いよく振り返った。
目を恥ずかしさでうるうると光らせて。かと思えば、今までで一番くらいの大声を放ってきた。
「そ、そりゃあ恥ずかしいに決まってるじゃ無いですか! だって裸ですよ。人類が神に与えられた最初の衣服ですよ!?」
ちょっと何言ってるのか分からない。羞恥の熱で琴音は暴走していた。
たじろぎつつも、私は両手のひらを彼女に突き出して「どおどお」と宥める。
「と、とりあえず、落ち着こ。ね?」
「私だって、落ち着きたいです。でも、日菜子さんの裸が……!」
「んー。私の裸を見たく無いってこと?」
意地悪する様な口調で聞いてみる。
我ながら、少し自意識過剰だと思う。
「そ。そういうわけじゃ、ないですけど……」
恥ずかしそうに、小さくそう漏らした。
もじもじと身をくねらせて、なんというか──。
「……かわいい」
この一言に尽きた。
頭にその感情が満ち溢れたせいか、つい口から漏れてしまう。
「……もう、日菜子さんは。そういうことを、めっちゃ言いますよね……」
可愛いを正面から受けた琴音は、俯きがちに零す。
琴音は、神様が手違いで可愛い全振りで作った人物としか思えない。(大人の魅力を少々)
そう思わせるほどに、どんな仕草でも可愛く映る。
「そういうところが可愛いの! あー可愛い可愛い。可愛い!」
私も琴音の可愛さに魅了され、熱暴走し出しそうだった。というかしてた。
「在庫処分みたいに可愛い言いまくるのやめてください」
琴音は割と真面目な口調で、訳の分からないことを言ってくる。
確かに言い過ぎたと「ごめんごめん」と溢れ出る感情を口をつぐんで抑え込んだ。
いや、つぐんでる場合じゃない。琴音が可愛すぎて本来の道筋から外れてしまった。
私は手をパンパンと二回叩き「それはそうと」と切り出す。
「琴音は。私と風呂に入るのが、恥ずかしいだけなんだよね! 嫌とかでは全くないんだよね!」
「……はい。まぁ、そうですけど……」
琴音はただ恥ずかしいだけ。そこに嫌悪感は無い。これなら話は早い。
私は一旦琴音と距離を置き、部屋の隅に追いやったバッグの元へと移動する。
そこからノート、もとい『シたいことノート』を取り出しペンで書き込みを入れた。
書き込む内容は、と言えば。自分でも意地悪かと思ったが『シたいこと4つ目! 一緒に温泉に入る!』これだった。
その下に小さく今日の日付を書き『この日以外は認められない』と文字を足す。本当に意地悪である。
琴音の元に戻ると、何かを察したのか、私を見ながらずるずると畳の上を後ずさる。
「……な、何を書いたんですか」
私を軽く睨みながら牽制するその様は猫そのものだった。
私は「ふっふっふっ」と邪悪な笑みを浮かべながら、問答無用でノートを広げた。
それを見た琴音の表情は、まるで血涙でも流れ出そうな表情へと崩れる。
と言ってもそんな大したものでは無く、単に恥ずかしいだけなのだと顔の紅潮具合で伝わる。
「うぅっ……」
「これが私のシたいこと4つ目だけど。どう!?」
「どうって……。……えぇそうですね。そのノートに書かれたら、私は逆らえません……」
シたいことノート、すごい。
「よし! じゃあ、お風呂行こう! いつ入る?」
「それは、えっと」
琴音は言い淀む。
琴音が決められないなら、と私は口を開く。
「じゃあ私が決める! えっと──」
と、ここまで言いかけた時だった。
──ぐーー。
私の腹の虫が、可愛らしい音を上げた。
発言を遮るほどには破壊力のある大音量だった。
私の顔面が痛くなるくらいに熱くなる。あぁ、恥ずかしい。
お互いに恥ずかしくなりっぱなしで、もう嫌だ。(嫌じゃ無いけど嫌だ!)
だけど、まぁ。
「そ、その前に、ご飯にしよっか。一階の奥の方に食堂があるみたいだし……」
食欲には抗えなかった。
「……ふふ」
琴音はくすくすと口元を抑えて、可笑しそうに笑っていた。
「わ、笑うな!」
恥ずかしさに身を震わせながら声を飛ばす。
なのに、琴音は更に大きな声で笑い出した。
でも。その様子を見れば、なぜだか許せてしまうのが悔しい。
やっぱり……琴音の笑顔は、ずるい。
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