第4話 巻物と古き物語・前編
「これ、結界か?」
敷地内に足を踏み入れた瞬間、気配を感じて呟いた。目を凝らせば城を覆うようにして結界が張り巡らせてあるのが分かる。俺以上に感の良いココが夜空を見上げ、更に補足を加えた。
「確かに展開されていますけど、侵入者を阻むものではないみたいですね」
「あぁ、それは太陽の光を遮るためだ。俺達にとっては害悪だからな」
ルーシュが言う。吸血鬼は陽の光が苦手、という話は本当だったのか。
雲で出来た地面はふかふかしていて、夢の世界にでも入り込んだかのようだ。それも幾らか進むと本物の土や砂に変化し、花や木が生えているのが見えた。
「お兄ちゃん、おかえりなさーい!」
ふいに甲高い声が聞こえ、建物の方へ顔を向けると、誰かがぶんぶんと元気良く手を振っていた。「お兄ちゃん」てことは、もしかして?
「おう、イリス。ただいま」
名前からして妹のようだ。近寄ってみれば、煉瓦造りの城の入口には明かりが灯され、小さな女の子と若い男性の姿があった。
女の子は5歳程度と幼く、ウェーブがかった髪の銀と瞳の紅はルーシュそっくりだ。ということは、この子も吸血鬼なんだろうな。素直に可愛いと言ってしまって良いものか、少々悩むところである。
「お兄ちゃん。おきゃくさん?」
「あぁ。お客さんだ」
ルーシュはイリスと呼んだその少女を抱き上げ、傍らに立つ男性に「連れてきたぞ」と伝えた。
20代の中頃くらいの、その男性の服装は白と黒という使用人然としたもので、この家に仕えているのだと一目で分かった。が、視線が吸い寄せられたのは明かりを照り返す金髪の長さだ。
顔の横で軽く縛っただけで、あとは手前に長く長く垂らされ、先は膝小僧に達しそうなほどである。こんなに髪が長い人は初めて見た。
「紹介しておくよ。この可愛いのが妹のイリス。そっちが世話係のフォルトだ」
「こんばんわー。イリスだよ!」
イリスはルーシュと同じ闇に溶けそうな紫のマントを身に纏い、またも元気に手を振った。気圧されながらも挨拶を返すと、にっこりと無垢な笑顔を浮かべる。
ココがハマりそうな子だな。そう思ってちらりと見ると、やはりニコニコと機嫌が良さそうだった。先ほどの恐怖から解放されたなら良しとするか。
次いで、フォルトと呼ばれた青年が微笑んだ。
「イリス様の身の回りのお世話を仰せつかっております、フォルトと申します。皆様、ようこそいらっしゃいました」
使用人というと、俺は真っ先にセクティア姫に仕えるシンが頭に浮かぶ。同じ仕事をしていると雰囲気も似るものなのだろうか。
「準備してくるから、客間でイリスとお茶でも飲んで待っててくれ。フォルト、案内を頼んだぜ」
ルーシュはそう言って、抱えた妹を下ろして頭を愛しげに撫で、どこかに去っていく。命じられたフォルトが「わかりました」と返事をし、幼子の手を握って俺達を奥へと促した。
ん? なんだか今、返事がぎこちなかったような……。気のせいか?
建物の中は予想に反して明るかった。昼のようにとまでは言えないにしろ、明かりは地上と同じように灯されているし、先導するフォルトが持つランプの火も頼もしい。
「こちらで少々お待ちください」
案内に従って辿り着いた先は、落ち着いた赤色を基調とした部屋だった。
四角いテーブルに何脚かの椅子、奥にはガラス棚が見え、ティーセットや皿が展示されている。わざわざ見せるくらいだから、かなりの値打ち物なんだろうな。うっかり割ったりしないように気を付けないと。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
テーブルに全員が着いたところで、フォルトが飲み物を振る舞ってくれた。白い陶器製のカップを軽く持ち上げると、薄い黄色をした水面からは柑橘類を思わせる爽やかな香りが漂う。
なんだろう、今までに味わったことのないお茶だな。目の覚めるその匂いを嗅いで、ココが何度かパチパチと瞬きをしてから問いかける。
「ハーブティーですか?」
「はい。眠気を和らげる他にも、体の疲れを癒したり、リラックス効果などもあるお茶になります。お口に合わないようでしたら、他の飲み物をご用意致しますので、遠慮なく仰って下さい」
「おいしいんだよー」
フォルトに連れられてやってきたイリスが、子ども用の椅子に座り、ふうふう息を吹きかけながら飲んでいる。
火傷に気を付けつつ、試しに一口飲むと、温かみと同時にすうっと冷たい風が鼻に抜けるという不思議な体験をした。味そのものは普段飲み慣れているものとそれ程かけ離れていないので、余計に妙な気分だ。
やがて、お茶を供し終えたフォルトはイリスの後ろに控え、室内には落ち着いた空気が流れた。
「師匠、そろそろ教えて下さいよ」
「む? 何をじゃ」
「ここに来た理由に決まってるじゃないスか」
王城にやってきたルーシュは「城の術のメンテナンス」がどうのと言っていたが、あれは何の話だ?
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