第10話 フロイラインの憤り・後編
「相変わらず無茶をする。飽和したら今度はお主が暴発する番じゃというに。それでは被害が拡大するばかりであろうが」
「んなこと言ったって。あの時は他に方法を思いつかなかったから……。そうだ、ココは?」
「私のベッドに寝かせてあるわ。そのうち目を覚ますはずよ」
それより、と姫は言い、俺が起き上がったことで空いたソファのスペースに腰をおろした。
「率直に言うわ。ココが普通の男性と結婚出来るとは、私にはとても思えない」
え、という声は出てこなかった。続く言葉も、ある程度想像が付く。
「もしまた同じことが起きたらどうするのよ。……全く、仮にも王子の妃を振り回さないで貰いたいものだわ」
姫はちらりと一瞥をくれ、あっさりと言った。
「付き合うだけ馬鹿な話だった。貴方と結婚する以外、最初から選択肢なんてないじゃないの」
「……え、うえぇっ!?」
いやいやいや、このお人は突然、何を言い出すんだ? 俺達はそんな関係じゃない! 慌てて首を横に振ると、姫の眉間には皺が寄った。
「なぁに? 彼女のことが嫌いなの?」
「いやっ、好きとか嫌いとか、そういうことではなくて! そ、そのっ、み、身分が違うし?」
俺はただの商人の息子だ。考える前から、貴族の娘と結婚なんか出来るわけがないと解っている。ココの両親だって絶対に許さないだろう。
冷や汗をかきながら思い付く理由を並べ立てていたら、「待ちなさいよ」と目を逆三角形に吊り上げられてしまった。
「貴方にとって、王族付きの護衛役で、近い将来は正式な騎士で、『魔導師』であるってことは、そんなに低いステータスなの?」
「えぇっと……?」
「馬鹿にしないで。もしその肩書きを嗤う相手がいたなら、言いなさい。私の持てる全ての力で一族郎党、綺麗さっぱり潰してやるから」
うおっ、目が燃えてる! つか、今回の場合、それじゃココの実家が潰されることになるじゃないか!?
ん? でも、ということは、ほ、本当に? そんなまさかな。周りが勝手に言っているだけで、本人が承諾しないことには全くの無意味な話だよな、うん。
「あの……」
その時、私室側の扉が開いてココが姿を見せた。多少、疲れた表情ではあるが、足取りもしっかりしているようだし、顔色も悪くはなさそうだ。彼女はまず姫に歩み寄って深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありません!」
「もう良いわ。私も滅多に出来ないような経験が出来たし。でも、これからは気を付けて頂戴ね?」
「は、はい」
なおも謝罪を重ねようとするココを制して、姫は「それより」と言い、俺をびしりと指さした。
「あちらを片付けて貰えるかしら」
「……分かりました」
彼女は勢いにのまれた様子で俺の前にやってきて、顔より先に血で赤く染まった左肩を凝視した。さっと頭を下げる。
「すっ、すみません! 私、頭がいっぱいになってしまって、その肩は」
「もう痛くもなんともないから気にすんなって」
俺も立ち上がり、ココの細い肩に触れて、ぐいと顔を上げさせる。そもそも、自分があんなことを言ったせいで取り乱してしまったのだ。半分くらいは責任がある。
「でも……」
「もっと良く考えて言えば良かったんだよな。悪かった」
それでも、まだ不安げに瞳を揺らしている。多分、今後のことがまだ何も解決していないからだろう。どうしたものか。こればかりは、なぁ。
「あー、ひとまずはさ、素直な気持ちを手紙に書いて、両親に送ってみたらどうだ? 案外、分かってくれるかもしれないぜ?」
自分に言えるアドバイスなんて、こんな気休めくらいだ。しかし、ココは「そうですね」と頷き、にこりと微笑んだ。
「分かりました。『ヤルンさんと婚約しました』って、ちゃんと書いて送りますね」
……あ? なな、なんですと? こ、婚約……っ!?
「はあぁっ!? 待て待て、今の会話の流れで、なんでそーなるんだよ!?」
「え? でもそうすれば、問題は全て解決ですよね、セクティア様?」
「そうね」
「そうね」じゃない! 途中の諸々が全部、ものの見事に吹き飛んでるぞ! もしかして俺の記憶喪失かっ!?
「あの、私のこと、お嫌いですか?」
小首を傾げて聞いてくる。そ、それは俺だって……いや、だからその、好きとか嫌いとかじゃなくてだな……!!
「じ、じゃあココの方はどうなんだよ。さっき、『好きな人はいない』って言ってたじゃないか。なのに、好きでもない俺と本気で、け、結婚しようってのか?」
言っておくが、偽装だったら付き合うつもりは毛頭ないぞ、と付け加えた。事後処理が物凄く面倒そうだからな。ココは「私ですか?」と言い、やや逡巡してから言った。
「好きですよ?」
「えっ」
突然の告白にどきりと鼓動が跳ねる。だってお前、さっきは……。けれども、そのドキドキがおさまりきる前に、彼女は一層笑みを深める。戸惑うこちらを置き去りにして、さらりと続けた。
「私、好きですよ。ヤルンさんの、魔力」
「うぇっ、そっち!?」
「気配をこうして感じていると、安心するというか……。これってきっと、相性が良いってことだと思うんです。……それじゃ、いけませんか?」
「……」
良いとか悪いとかを超越してるだろ。つか、どうなんだ? あれか、匂いフェチ的なやつか? ココの明後日を行く発言に、俺はどう反応して良いかちっとも分からない。
呆然と突っ立っていると、一部始終を眺めていたキーマがぼそりと言った。
「それって、単なる中毒なんじゃないかなー?」
《終》
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