第10話 フロイラインの憤り・中編

「特には……いませんね」


 うん、だよなー。そうだと思った。嘘をついているようにも聞こえないし、それが今のココにとっての真実なのだろう。


「なら、この王都の騎士や貴族の中から選んだら? 望むなら紹介するわよ?」

「えっ」

「ご両親も、いつまでという期日を決めた上で伝えれば待ってくれるのじゃないかしら」


 悪くはないんじゃないかと思う。王都の人間が相手なら、仕事も辞めずに済む可能性が高くなる。そこまで考えたところで、ふいに本音が零れた。


「でも、そしたら寂しくなるな。もう三人一緒には過ごせなくなるし、師匠の訓練にも連れていけなくなるだろうしさ」


 誰かと婚約すれば、俺達と今まで通り親しくしていては非常に外聞が悪い。それに、ココが夜の訓練に参加出来ていたのは、教官の助手という立場を外れても変わらず俺のフォローをしてくれていたからだ。


 師匠は興味のないことに関しては非常にドライな面がある。俺から離れたら、ココの面倒を見ることはないだろう。……ん、あれ、なんだかやけに静かだな?


「……嫌です」

「うん?」

「そんなの、絶対に嫌です!」


 ココは叫んだかと思えば立ち上がり、肩をふるふると震わせた。一度は止まったはずの涙を目に溜め、それがぽろぽろと頬を流れ落ち始める。うぇっ? 急にどうしたんだよ!?


「ちょっ、落ち着けよ。何がそんなに嫌なんだ?」


 カタカタカタ……何かが音を立てている。それは地面が僅かに振動し、家具を揺らす音だった。お、おい、これって!


「私は一流の魔導師になりたいんです。訓練を受けられなくなるなんて、そんなこと、……そんなこと耐えられません!!」


 がたがたがたっ! 今度こそ床が大きく揺れ、壁にかけられた絵が落ちてガシャンと額が鳴る。テーブルに飾られた赤い大振りの花も、花瓶ごと倒れて水が四方に飛び散った。


「きゃあっ」


 姫が叫んだ。完全にココの魔力の仕業だった。どうやら俺が発した不用意なセリフが、彼女の感情を振り切らせてしまったようだ。あぁもう、またこのパターンか!


 姫に「頭を抱えて伏せて!」と大声で指示を出し、足をもつれさせそうになりながらココに近寄る。この揺れの中で微動だにしない彼女の、その二の腕をぐっと掴んだ。


「おい、落ち着けって! 今居る場所を思い出せ! 護衛役が護衛対象を危険にさらしてどーすんだ!?」


 声を限りに説得するも、ココは涙を流しながら虚ろに立ち尽くし、聞き入れる様子が見られない。頭を振って「嫌っ!」と短く叫び、それに伴って鋭い痛みが俺の左肩に走る。ちっ、この感覚、切れたかもな。

 でも、そんなことに構っている場合じゃない。掴んだ両腕を強く揺すってなおも訴えた。


「ココ! 魔力を抑えろ!!」

「結婚なんてしません! 絶対に、絶対に!!」


 揺れが和らいだかと思ったら、今度はぴしり、と妙な音が聞こえた。室温が急に下がったように感じ、足元を確認して息を呑む。寒いのは気のせいなんかじゃない、ココの足が凍り始めてる!


 嫌な現実は拒絶するってことかよ? 氷はその間にもどんどん床に広まり、足にものぼってきつつあった。いよいよマズい。このまま魔力を放出させ続けたら、部屋ごと全員氷漬けだ!


「……一か八かだ!」


 説得に応じる気がないなら、荒っぽい手段に出るしかない。俺は強く掴んだ部分から、ココの魔力を思い切り引っ張った。

 この興奮ぶりでは眠らせる術は効きそうにないし、まさか攻撃するわけにもいかない。だったら、騒動の原因である魔力を絶つのが一番効果的だ。


「うぅっ!」


 目をきつく瞑り、身をよじって苦しげな声を上げる。キツイだろうよ、無茶なスピードで吸い取ってるからな。けど、我慢して貰うしかない。受け皿になる俺も同じくらいしんどいんだっつの!


「うぐぐぐ……!」


 おいおい、まだあるのか? 早くからになってくれ。じゃないとこっちが先に飽和してしまう。うぅわ、もう駄目かも――と諦めかけた刹那、ガンガン入ってきていた魔力の流れがぶつりと途切れた。


「はぁっ、はぁっ」


 熱を出した時みたいに体が熱く、怠くて重くて、頭がボーッとする。自分の物でない魔力を大量に取り込んだせいだ。彼女の方を見れば、揺れも冷気も止まっており、ふらりと倒れるところだった。


「うぉっと!」


 それをなんとか受け止めるも、支えるだけの力は入らない。一緒になって床にどさりと倒れ込んだ。激しい消化不良感に襲われつつ、そのまま自分も意識を手放した。



「あれ……?」


 目を覚ましてみると、そこはまだ応接間で、俺はソファに寝かされていた。


「あ、起きたみたいですよ」


 その声はキーマか? むくりと上体を起こせば予想通りの顔があり、コップが差し出された。中身は冷たい水だ。有難く口に含んで飲み下すと、冷ややかな感触がノドに気持ち良かった。


「……なんでお前がここに?」

「介抱のためにわしが呼んだのじゃ」


 誰だか確認するまでもない。向かいのソファで師匠がのんびりとお茶を飲んでいた。騒ぎに感付いて駆け付けた、という解釈で合っているだろうか。いや、それよりも。


「セクティア様は?」

「私ならここよ」


 声は私室の方から聞こえ、ちょうど扉から入ってくるところだった。姫はあの場面で最も気にかけなければならない人物だった。怪我などもしていないようでホッとする。


「良かった。無事だったんスね」

「貴方のおかげでね」


 彼女はふぅと息を吐き、「それにしても驚いたわ」と言った。だろうな。本音は驚いたどころじゃないだろう。部屋を見回せば、割れた額縁や花瓶も、濡れひろがった床も元通りに戻っていた。師匠が直したに違いない。


「魔力はコントロールを失うと暴発するって、本で読んで知ってはいたけれど、あそこまで凄いとはね」

「それはココの魔力が多かったからで……あれ?」


 言いかけて、そういえばと思い出す。その大量の魔力を俺は受け入れたはずだ。なのに、今や体内からは綺麗さっぱり消えていた。きつかった諸症状も全くない。


「おお、魔力なら吸い取っておいたぞ」


 師匠が言い、ローブの袖から水晶を出して見せる。うっすら赤く染まっているのは、ココの魔力が詰まっている証だ。なるほど、助かったー。

 鋭い痛みを感じた左肩はやはり負傷していたらしく、見れば服はぱっくりと切れて赤く染まっていた。怪我だけはひとまず師匠が治してくれたらしい。

 はぁ、「魔導師」になっても、まだまだ一人前は遠そうだなぁ。

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