第9話 だいじなものがありません・後編
「ごめん!」
謝り倒すキーマに、俺は食事を再開しつつ首を横に振った。
「昨日まで元気そうだったから、まさか風邪で声が出ないなんて思わなくて……」
だからもう良いって。そう言いたいのに、ノドはひゅーひゅーと空気が出入りするばかりだ。午前中にココと意思疎通しようとして挫折したので、もう努力する気にもなれない。
ちなみにココは、訓練場にやってきた俺の状況に気付くまでキーマとは別の意味で大変だった。身振り手振りで現状を知らせようとしたものの、彼女は何故か勝手に自己嫌悪に陥り、目を潤ませたのだ。
『あの、私、何かお気に障るようなことしました?』
違うと言いたいが、もちろん何も発することは出来ない。
『おい、新入り。来て早々泣かせるなよ』
『うぅう。どうして何も言って下さらないんですか……?』
だから言えないんだってば! 騎士の先輩達には睨まれるし、気持ちが不安定になったココから魔力が漏れ始めるしで散々だった。
どうやって事態を収拾させたかというと、今と一緒で咳が止まらなくなったのだ。ずーっと咳き込んでいれば、誰でも風邪だと気付くだろ?
はぁ。あまりに当たり前過ぎて普段は意識しないが、声や言葉って偉大なものなんだな。
「聞いて下さい。ヤルンさんてば、熱があるのに訓練に来たんですよ」
「えぇ? 休めば良かったのに」
別に熱は大したことはない。風邪と言っても、せいぜいノドが少々痛むのと、声が出ないのと、咳が出るのと、怠さを感じるくらいだ。
「声が出ないのにどうやって訓練するつもりだったんですか?」
「……」
そう、走り込みなどの体力作りならともかく、呪文が唱えられないから魔術が使えない。これが地味に困るんだよな。結局、呆れ顔の先輩に追い返されてしまった。
「あーそっか、だから朝起こしてくれなかったのかぁ」
そもそもは今朝目が覚めて、壁越しに気付け術を使おうとしたところで、声が出ないことに気付いたのだ。一応壁をバシバシ殴ってみたりはしたものの、それでキーマが起きる確率はマイナス200%。
諦めるしかなく、その結果が先ほどの喧嘩だった。弁解も出来ないのだから、甘んじて受けるしかないではないか。
「ヤルンも、何か紙にでも『声が出ません』くらい書いて置いたら良かったのに。そしたらこっちだって誤解せずに済んだのにさ。危うく本当に殴っちゃうところだったよ」
そういやそんな方法があったな。気付かなかったということは、自分で意識するよりもぼーっとしているのかもしれない。
「今日の護衛のお仕事も、シフトを変えて貰えるようにお願いしておきましたから」
こっくりと頷いて口パクで「ありがとう」とだけ伝える。単純な単語ならこれで分かって貰えるだろう。
「それで、もう医者には診て貰ったの?」
「あまり気が進まないみたいで……」
「面倒がってたら治るものも治らないよ」
ふん、食欲はあるのだし、こんなものしっかり食べて寝ておけば治るっての。そう思っているのが表情で伝わったのか、ココが忠告してきた。
「くれぐれも魔力の量には気を付けてくださいね。
魔術が使えなければ、体内の魔力が増える一方だと言いたいのだろう。それは風邪よりもよろしくない。申し出は有難く受け取っておいて、自室に戻ることにする。
夕方には彼女が約束通り水晶と薬を持ってきてくれた。師匠お手製の薬なんて恐ろしかったが、きちんと飲み終えるまでココが見張っていて逃げられなかった。
……ま、まずっ、苦~ッ! 風邪より薬に殺される!!
さて翌日、目を覚ましてみるとノドの痛みは引いていた。熱っぽさや怠さもないし、なにより。
「……あー、あー。おお、声がちゃんと出る!」
きっと薬のおかげだ。この世の終わりかってくらいのマズさだったが、効果は抜群だったらしい。一応礼は言っておかないとな。などと考えつつ、壁に向かって気付け術をかけた。
壁をコンコンと叩く合図が聞こえて、キーマがバッチリ起床したことを確認。うっし、魔術も問題なし! と思ったその時、鼻がむずむずした。
「は、くしゅん!」
がごっ! ……? 不審に思って音がした方を確認し、机の上段の引き出しが開いているのを発見した。あれ、確かに昨日、閉めてから寝たよな?
「っくしゅ!」
がたーん! 今度は壁にかけておいたカレンダーが落ちた。おいおい。
「……これって、もしかして。くしゅん!」
どーん! という何かが落ちる音と、「わー!?」という悲鳴がキーマの部屋から壁越しに聞こえてきた。うわわわ。
「くしゃみのせい……はくしゅん!」
ばたーん! 鍵を閉めたはずの扉までが全開になる。ええぇえ、どーなってんだ、なんで、くしゃみで怪現象が!?
その時の俺はまだ幾つかのことを知らなかった。一つは、自分がかかった病気が、魔力持ちがのみかかる特有の風邪だったこと。症状はご覧の通りで、魔力が勝手に外に漏れ出して迷惑極まりない状態になる。
もう一つはそんな病気を発症した体で歩き回ったせいで、周囲に振り撒いてしまったこと。感染者が断続的に増え、城内は大混乱に陥った。当然の如くココも寝込んでしまった。ひー、ごめんなさい!
そして最後は、事態を察した師匠がやってきて説教された挙句、不味い薬を昨晩の倍量飲まされる羽目になったことだ。その上、その薬を皆のために大量生産させられるという未来が待ち受けていた。
「匂いが苦い! 目に染みるっ! 俺だってまだ病み上がりなのにぃー!」
叫びながら、師匠が俺の部屋に持ち込んだ鍋をかき回していると、脇で材料を計量していたじいさんが「黙ってやらぬか」と睨んできた。
「ただの風邪と侮って医者やわしに診せなんだお主が悪い。安心せい、倒れてもそこに自分のベッドがあるでな」
「絶対、この匂いが染み付くじゃねぇか。そんなベッドで眠れるかよ!」
これなら声が出ない方がまだマシだった! ……はくしゅん!!
《終》
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