第2話 麗しの君・前編

 ココ先生の講義を拝聴したところによると、ファタリア王国の王都は「太陽の街」と呼ばれているらしい。年間通して温暖な気候と、港に集まる物資の豊かさを、国を照らす陽光に例えているそうだ。

 そこで街の呼称にちなみ、王都の柱である王城も「太陽の城」と呼ばれるのだが、理由は他にもあった。


「なるほどなぁ」


 城が近づいてくるにつれて露わになってきた頑丈そうな塀を見上げ、俺は小声で納得した。塀も、門の奥に鎮座する城の壁も、暖かい光を思わせるクリームとレモンの間の色に染め上げられていた。

 まるで城全体が光を放つかのようだ。


「許しがあるまで口を開くでないぞ」


 照り返しできらきらと輝く刺繍が幾恵にも施されたマスターローブをはためかせ、師匠が静かに命令を下す。今は旅に付き添ってくれた馬を宿屋に預けての徒歩の道行きだ。


 横を歩く師範も剣師としての正装に身を包んでいて、いつものシンプルな服に慣れてしまっていた分、震えるほど格好良い。身分は地方領主に仕える兵士であっても、二人は一流なんだと実感する。

 俺もいつか絶対、この二人みたいになってみせる。……出来れば師範の方で!


「ユニラテラ王国の兵士団の方々ですね。知らせは届いています。どうぞ中へ」


 追い返されなくてマジで安心したぜ。

 入口を守る二人の騎士は、くすんだ銀地に金の模様の鎧を着込んでいて、頭をすっぽりと覆う兜を被り、槍を手に立っている。

 きっとファタリアには優れた槍の使い手が多いのだろう。その立ち姿がこれまためちゃくちゃ格好良くて、口元が緩むのを必死で堪えた。


「ヤルン、顔、顔」

「ほっとけ!」


 だから堪えてるんだってば!

 堀を渡す橋も門扉も、兵団が隊列を乱さずに通れるほどの幅があり、俺達は促されるまま登城する。


 聞こえるのはざっざっざという一糸乱れぬ足音と、見張りが敬礼する風を切る音、そして庭園中央に築かれた噴水の水音だけ。

 水は女神をかたどった彫刻が抱えた水壺から潤沢に溢れ出ていて、水がこの国では豊かさの象徴なのだと気が付いた。


「どうぞ、こちらへ」


 案内役の兵士は細見の剣を腰にさし、甲冑も纏わないシンプルな格好でありながら、いつでも有事に対応できそうな物腰の二人だ。

 本来であれば使用人か臣下が任される役目だろうが、そこは俺達が武装解除を強制されていないためだろう。隣国を信頼して最大限譲歩する代わり、何かあれば――というわけだ。


 それでもさすがに謁見の間へは武器の持ち込みを止められ、皆は静かに従った。剣士は剣を、魔導士は魔導書を控えの者に預けると、文字通り丸腰になる。

 まるで魂でも渡したみたいに不安が襲ってきて、俺は大きく息を吸い込んだ。



「おもてを上げよ」


 高い女声が厳粛な場に満ち、俺達は片ひざを折ったままそっと顔を上げた。

 踵が床を打つ音に混じって、しゃらしゃらという海のさざなみを思わせる衣擦れをさせて現れたのは、ウェーブがかった長い金の髪の姫君。


「久しいですわ」


 胸の内では驚きより、やっぱりか、という気持ちが勝った。

 年齢は俺達と同程度のはずなのに、発しているオーラの違いを肌で感じる。前にも何度か触れたことのある、王家に連なる者だけが持ち得る気配だ。


 椅子は段上に設けられており、姫君の腰から大きく広がったドレスの裾を潰さぬよう、従者が器用に支えることでようやく腰かけ、にこりと微笑む。

 綺麗な人だと思う。ココの笑顔を森の奥で密やかに咲く花にたとえるなら、姫のそれはまさしく大輪だ。


「ご無沙汰をいたしておりました。ウィニア様。以前お会いした時は可愛らしい姫様でしたのに。いや、実にお美しくおなりで、一瞬我が目を疑いました」

「ふふ。相変わらず口がお上手なのですから」


 姫は謙遜して見せたが、事実とても美しかった。

 細見のドレスに身を包み、薄く化粧をのせた麗しの君。見る者を釘づけにさせ、もっと近くにと思わせると同時に近付き難い高貴さも持ち合わせている。

 誰もが同じ感想を抱くだろう。あぁ、これが支配者たる人間なのだと。


「お会いするのは、十年ぶりになりますかな」


 貴人を凝視するのは失礼にあたるため、俺達は視線を首のあたりまで落とした。真っ直ぐ見据えて良いのは会話相手を務める師匠だけだが、それでも口元のあたりを見つめているようだった。


「オルティリト、あなたは少しも変わっていませんのね」


 ウィニア姫はやや逡巡を見せてから頷く。十年前といえば彼女はまだ幼かったはずで、覚えているのはかなり親しかったか、印象深かったか。どうせ両方とも当てはまるに違いない。


「どうぞ昔のようにオルトとお呼び下さい。それに、老いぼれは数年経ったところで、多少皺が増えて腰が曲がる程度でございますぞ」


 皺はともかく腰なんて全然曲がってねぇじゃねーか、というツッコミを必死に飲み込んでいる間にも、謁見の間には姫の小鳥のさえずりのような笑い声が鳴る。


「ふふっ、ではオルトと呼ぶことにしましょう。……懐かしいですわ。子どもの頃に戻ったかのよう」

「王都の華やかさは更に増しましたな。港は以前に訪れた時よりも大きくなっておりましたし、船も実に立派なものばかり。ファタリア王国の繁栄をまざまざと見せつけられました」

「そんなに褒めなくても良いのですよ?」

「いやいや、事実を申し上げているばかりで」


 やんごとなき身分の相手との会話が、こんなやりとりで始まるのは「上流階級のお決まり」だ。他の者は耳をそばだてながら、次の話題に流れるのをじっと待つことが仕事になる。


 まぁどれも事実だから、「うんうん」と心の内で頷いていればいい分、今回は楽だ。

 たまに首を素直に縦に振れない場面に出くわすと、イライラしてしょうがないし、そういう相手に限って「お決まり」が長くて困るのである。


「それでは、お連れの方々が、ユニラテラ王国の若き精鋭というわけですのね?」


 姫は冗長とした話を嫌うのか、自ら本題へと移した。途端、緊張が再び襲ってきてどきりとする。見られているという自意識が、抑えても膨らんでくる。


「いずれも私と、同じく指導にあたっているリーゼイの認める使い手揃い。まだ経験不足は補うべくもありませぬが、将来有望間違いなしにございます」


 滑らかな語り口は芝居小屋か旅芸人の座長のようだ。師匠の隣で師範が小さく礼をし、姫の視線が俺達の上をさらっていく。そうして小さく息を吸い込む音がして、言葉を降らせた。


「一時ではありますが、我がファタリア王国はあなた方を仲間として受け入れます。訓練に励み、近い未来に祖国を守護する、素晴らしき盾へと成長することを望みます」

『はッ!』


 客人としでなく、仲間として受け入れる。その一言にファタリアの最大限の信頼と思慮深さを感じた。

 もし外交で問題が生じればたちまち敵同士になり得る相手を、懐に入れようというのだから。

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