第9話 幽霊とクッキング・後編

『え?』


 真っ黒な空間から千切れるようにして現れたのは、くすんだ色の見習い用ローブをまとった小柄な女の子だった。……へ、ココ!?


「お、お前っ、こんな時間にこんなところで何やってるんだ!?」

「噂の幽霊はココのことだったってこと?」


 予想外過ぎて舌がうまく回らない。俺達が口々に質問を投げかけると、魔導書を抱えた彼女は小さく苦笑した。


「とうとう見つかってしまいましたね」


 口ぶりから察するに、噂の夜な夜な聞こえる声の正体はやはりココのことだったようだ。しかし、何故こんな場所でたった一人で佇んでいるのか?


「もしかして、何か秘密の特訓中とか?」


 驚きから立ち直り切れていない様子のキーマが訊ねると、彼女は慌てた様子で「そんな大層なものでは」と手を振った。


「あの、今日の料理……シチューは美味しかったですか?」

「は? シチュー? あぁ、野菜に良く火が通っていて美味かったけど……?」


 突然の質問に面喰いつつも、「なぁ?」とキーマに同意を求める。相棒も怪訝な表情のまま頷いた。すると、ココは心から嬉しそうに喜び、一連の騒ぎの顛末について教えてくれた。


「実は、料理を美味しくする魔術の研究をしてまして。と言っても、今までに教わった術の応用で……」


 彼女によると、兵士見習いとして毎日を過ごすうち、料理に興味を持つようになって勉強したらしい。


「食堂の料理番の方にも教わって、それなりにこなせるようになったんですよ」


 さすが努力の鬼。

 あれだけ魔術の勉強をしておいて、別の分野も学ぼうだなんて、尊敬に値する。俺だって剣の鍛錬はしているが、講義の他にも、頭に知識を詰め込もうとする姿勢が凄いと思う。


「それで、ふと思い付いたんです。魔術を料理に利用出来ないかと。でも、自室では出来ないので、こっそりこちらをお借りしていたんです」


 女性兵士は俺達より上の階に寝泊りしており、見習いのココはもちろん二人部屋だ。作りが男子部屋と同じならば、料理するスペースはないだろう。


「そういや、ココのルームメイトって見たことないな」

「剣士の女の子ですよ。キーマさんはご存知では?」

「どの子だろう。何人かいるし、女子とはあまり接点がないからね」


 確かに、いくら女子は少ないとしても、一人や二人ではないから特定は難しいか。聞けば、剣士は男女で組む機会も少ないらしい。魔術と違って体力差が強く出てしまうせいだろう。

 話が逸れましたね。ココは言って、本筋に戻った。


「料理をすると匂いが発生しますし、お部屋も汚れてしまいますから。それでは迷惑がかかってしまうので、こちらで。でも、やってみると結構楽しいんですよ」


 ほら、と促され、奥に目を凝らすと、そこには寸胴鍋がでんと鎮座していた。またもや魔術による新しい料理の可能性を追及していたようだ。


「お二人とも、私が女の子ってこと、思い出して頂けました?」


 いや、別に忘れたことないし。ただ、料理というと聞こえは良いが、夜な夜な誰もいない部屋でって、女の子らしい……のか?


「で、シチューの件との繋がりは?」


 俺がもんもんと悩んでいる間に、キーマが続きを促した。ココが「そうでした」と両手を合わせ、俺に、「熱を操作する術」について訊ねてきた。


「少し前に習ったあの術、覚えてますか?」

「あぁ、あれだろ? 明かりを灯す術の応用で、野宿の時とかの火付けに役立つっていう」


 思い出そうとして、苦い記憶が一緒に蘇る。あの時は術を教わるまでに、熱の伝わり方やら火の歴史やら、雑学を延々聞かされて、頭がパンクしそうになったのだ。

 本格的な炎の魔術を知る前に、俺の脳みそは要領オーバーになるんじゃないか?


「そうです。あの術をシチューの鍋に使って、野菜に効率よく火が通るようにしてみたんです」

「なるほど、そんな使い道が」


 キーマがひとしきり感心する横で、夕飯の感動を思い浮かべる。通りで野菜の煮込み具合が抜群だったわけだ。あれだけの人数の兵士を食わせる料理にしては、随分と手がかかっていると思ったが、人知れぬ努力があったとは。


「次はもっと野菜がとろけるように、強く術をかけてみようと試行錯誤しているんです」

「もっと?」


 魔術に関しては素人のキーマが鸚鵡おうむ返しに尋ね、俺は食堂に置かれた寸胴鍋について考える。鍋に熱を加えれば、シチューのように料理の旨味が増す。なら、それを更に促進させると、完成度は高まる……?

 料理はちっともやらないので何も口は出せないけれど、何か大事なことを忘れている気がした。


「はい。楽しみにしていて下さいね。……今日はここで失礼します。かなり噂になっているようですし、しばらくは控えないと」

「残念だけど、そうした方が良いと思うよ」

「じゃあな」


 別れの挨拶を済ませ、来た時と同じ要領でこっそり部屋へ戻っても、脳裏に過ぎった引っかかりの正体を突き止めることは出来なかった。


「……まぁ、いっか」



 俺がその「大事なこと」に思い至ったのは数日後、煮込み料理の支度中、鍋に穴が開いたという知らせをキーマが持ってきた時だった。

 バラバラだったパズルのピースがハマるように、脳裏に鍋とココと熱の術が組み合わさる。料理なんて門外漢だと投げていたけれど、講義でヒントはしっかり教わっていたのだ。


 具材を溶かそうと、鍋にどんどん熱を加えたら、最終的にどうなるか。幽霊騒ぎで実験が出来なくなったココが、食堂にある実物で試そうと考えたとしたら……?


「そうだよ、器が溶けるに決まってる!」


 つうか、周りの人間が先に思い付くだろ。誰かツッコめよ!

 その日の夕食が悲惨なものになったのは、言うまでもない。


 《終》


 ◇疑問を放置したせいで食堂は大惨事です。ココは普段は冷静ですが、熱中すると周りが見えなくなる天然ちゃん。料理番は魔術の知識がなかったので、気付くのが遅れたみたいです。残念!

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