第9話 幽霊とクッキング・前編
「ユーレイ?」
その日、訓練を終えて食堂の一角で食事をしていた俺は、向かいに座ったキーマの話に目を丸くした。
今日の献立はパンとクリームシチュー、ソーセージに目玉焼き。夕食というより朝食みたいなメニューだが、シチューのお代わりが3杯までOKなので不満はない。表面張力って偉大だ。
「講義室に出るってウワサ。夜の見回り担当の兵士が見たらしいよ」
「幽霊ねぇ。どこまで本当なのやら」
噂は人を介するほどに尾ひれが付いて、事実から遠ざかっていくものだ。俺に関する噂が、完全に化け物話になっているのが良い証拠だろう。いや、全く良くはないな。
「とにかく、講義室前の廊下を夜中に通り過ぎると、変な声が聞こえるんだって」
恐ろしい話をしているはずなのに、キーマ自身はなんとも思っていないらしい。いたって平気な顔で料理をぱくついている。あまり食べると太るとか人に言っておきながら、自分だってちゃっかりシチュー二杯目なのはどうなんだ。
「変な声ってなんだよ」
「女性の囁きとか、すすり泣きに聞こえたってのもあるよ」
さすがに城に入荷される食材はいいものばかりだ。シチューに溶け込んだ、とろけるほどに柔らかく煮込まれた野菜が美味い。パンはシチューとの相性抜群、ソーセージはパリッと仕上がり、目玉焼きも俺好みの固焼き。あぁ、たまらない。
「ヤルンは幽霊とか信じない派?」
「別にそんなことはないけどな」
決して、お金以外信じないとか、死んだら無になるとか、そんな凝り固まった考えはしていない。魔力や魔術なんて力が存在するのだから、もしかしたら神様もいるかもなーくらいには、柔軟さがあるつもりだ。
「でも、なんでもかんでも死者がどうの、魂がどうのって騒がれるのは好きじゃないな。……んで、噂を確かめた奴はいるのか?」
ガツガツと食糧を胃に溜め込み、一息ついたところで問いかける。まだ食べ続けるキーマは「さぁ」なんて素っ気ない返事をくれた。
「その辺りは情報が錯綜しててね。聞いた限りじゃ、はっきりと断言出来るほど説得力のある噂はないね」
まぁ、だからこそ「噂」なのだ。存在が確実ならもっと大騒ぎになっているはずだし、教官達も黙ってはいまい。放置しておいても利点はない。
「もし本当に魂が
これが全然自分に関係のない場所なら、放って置いた。余計なことに首を突っ込むと、かえって状況を混ぜっ返す結果になることも少なくない。けれど、講義室は見習いが毎日使う部屋なのだ。
「良い気分はしないな」
「同感」
キーマは満足げに頷いた。情報通ではあるが、面倒臭がりでもあるコイツが俺に伝えてきた話だ。どうせ最初から調べるつもりだったに違いない。
「じゃあ、就寝時間のあとで」
夜の城は、暗く冷たい。
最低限の明かりだけが灯され、昼には陽光で暖められていた廊下にも、沈んだ重い空気が忍び寄る。そこを行き交うのは見張りを務める夜勤の兵士だけで、彼らも無用に言葉などは交わさない。
「うっわ、何、この暗さ」
キーマが小さく呟き、俺は慌てて人差し指を唇の前に立てた。
「声上げんな。見つかるだろ」
二人は寝巻きの上から毛布を被り、それぞれ本と剣を抱えて部屋を抜け出した。目指すはもちろん講義室だ。靴はうるさいので履いていない。
とっぷり日は暮れ、辺りはひたひたと鳴る足音さえ耳に煩わしいほどの静けさに満ちていた。本日の勤めを果たし終えた領主や使用人、それに師匠達も、揃って夢の中という時間帯である。
「しっかり付いて来いよ」
「さすが。オルティリト師に毎晩特訓させられているだけあるね」
先を行く俺の歩みに迷いはなかった。半分は、毎日のように師匠の部屋へ呼ばれ、遅い時刻に部屋へ戻る日が続いているせいだが、理由はそれだけじゃない。
「違ェよ。お前より良く見えてんの。お前の間抜け面もバッチリとな」
「見えてる?」
「感覚を鋭く研ぎ澄ます術ってのを、最近習ったんだよ。説明は後でな」
話を切ったのは目的の場所へ着いたからだった。耳を澄ましても、今のところは何の変化も見受けられない。
「静かだね」
講義室は名前の通り堅苦しい雰囲気で俺達を迎えた。暗い分、昼間より一層重苦しく感じられる。分厚い木の引き戸に手をかけると、するりと動いた。不用心ではあるけれど、元から貴重品などない。だから鍵もかけていないのだろう。
「行くぜ」
ここまで来て、悠長に一説ぶっている暇はない。覚悟を決めて突撃あるのみだ。
「おい、ユーレイ! 居るんなら出てきやがれっ!」
がららっ、と残りを一気に引き、俺は中へと雪崩れ込む。いつでも術が発動出来るように書を構えて叫んだ。
「って、喧嘩売ってどうするのさ!?」
「なんだよ、怖いのか?」
「無用に
つまり怖いんだな。俺だって本当に悪霊だったら怖いと思うけどさ。そういや、霊魂に魔術が効くのかはまだ習っていなかったな。
とりあえず光を手の平に生み出し、奥へと向ける。鎮座する机と椅子の向こう側は闇に満ちていて、何が飛び出してきてもおかしくない雰囲気だった。
だから、ふいに聞こえた声に俺達は心底驚かされた。
「……幽霊って、私のことですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます