騎士になりたかった魔法使い

K・t

第1部 見習い編

第1話 将来の夢

 辺りには生臭い匂いが漂っていた。


「一丁上がりぃ!」


 俺が手に携えた大剣を一振りすると、迫り来る敵が紙のように切れ、ばたばたと倒れた。足元には血だまりが広がり、肉塊と化した仲間を踏み越えて新手が襲ってくる。


「なんだ、まだやるのか?」


 口元に笑みを浮かべながら、赤黒い液体を滴らせる相棒に視線を走らせた。刃こぼれ一つない澄み切った刀身が、頼もしげに見返してくる。

 負ける気がしない。俺とお前が揃えば、この世の誰も叶う者などいようはずもない。俺は殊更に楽しげな口調で叫んだ。


「来いよ! 死にたい奴から順番に相手を――」


 ぐきぃ! 強烈な音と共に、言いかけた台詞も息も奪われた。



「痛っテェ~!!」


 強烈なのは音だけではなかった。首筋を、針を差し込んだような痛みが貫き、俺は目を覚ました。


「お~い。ヤルン、生きてる~?」


 聞き慣れた声が聞こえてくるが、その姿は見えない。いや、むしろほぼ何も見えないと言ったほうが正しい気がした。暗くて、ところどころから差し込んでくる程度の光しか確認できないのだ。

 それに、妙な圧迫感を全身で受け止めていた。これは何だ?


「その声はキーマか? なんか俺、体が重いんだよ。何か載っているような感じでさ。訓練のし過ぎで疲れてんのかな」


 ここのところ自分に不似合いなことばかりしているから、肩でも凝ったのかもしれない。そう思っていたら、友人であるキーマの溜め息が聞こえた。


「『ような』じゃなくて、本当に載っているんだよ。道理で返事をしないと思った。気絶してたかぁ……」

「へっ?」


 言われた瞬間、唐突にあることが頭に閃いた。


「あ~っ、思い出した! 師匠に頼まれてたんだよっ。急いで大事な本を持ってきてくれってさ。なのに俺、寝てたのかっ!?」


 そいつはまず過ぎる。俺の師匠は、普段は割と温厚な人だが、厳しい一面もあって怒らせると何時間も説教をくらう羽目になるのだ。影で根に持つタイプだし。……いや、待てよ。


「その前に、ここは何処なんだ? なんで俺はこんなところに……」


 必死に記憶が飛ぶ前の記憶を手繰り寄せようとするが、霧がかかったようになって浮かんではこなかった。


「ちょっと待ってなよ。今人を呼んできて救出してあげるから。それに医者も要りそうだし」

「救出? 医者?」


 この友人は何をそんなに慌てているのだろうか。俺にはさっぱりだ。それよりここから早く出て本を探しに行かなくては。でないと、お説教コースに一直線だ。


 しかし、思考はループするばかりで、手足をジタバタと適当に動かしてみても、全く言うことを聞いてくれなかった。これではまるで全身を拘束された囚人じゃないか。何も悪いことなんてしてないぞ、多分。


「危ないからじっとしてなってば。良い? ここは書棚の部屋で、ヤルンは本を探しに来て手を滑らせて、降ってきた本の下敷きになって気を失ってたんだよ。思い出した?」

「……まさに今、思い出した」


 正確には、本が視界を埋め尽くしたところで意識は途切れてしまっているが、大差ないだろう。


「じゃあ、待っている間に記憶をまとめておきなよ。自分の状況をしっかり把握することも、兵士には大事だってこの間習ったじゃない」

「そうだな。そうしとく」


 キーマに言われたことは数日前、一緒に受けた講義で教わったばかりの内容だった。



 俺の名はヤルン。小さな町のちっぽけな商家に生まれた。両親と兄の四人で暮らしていたが、つい先日12歳になったのを機に軍に入った。

 ちなみに兵役の義務を免除される者の中に「跡取り」があるため、兄は家で商人になるべく勉学の日々を送っている。


「もう一ヶ月かぁ……」


 新人の兵士と言うと聞こえはいいけれど、近隣の村や町から寄せ集められた12歳なんてまだまだ子どもだ。もちろん、何も役にも立たない。では、何をさせるのか。


 まずはここのような地方領主の城に入り、兵士見習いとして訓練されるのだ。そこで一人前の兵士と認められ、優れた腕を見出された者は出世してより大きな街へ、激しい戦へと駆り出されていく……らしい。


「別に兵士になるのはいいんだけどよ」


 俺は溜め息を吐いて、体をきしませるほどの重みに耐えた。零した愚痴に嘘はなく、家の事情にも軍に入った事にも文句はない。むしろ、子どもの頃から誰よりも強くなりたいと思っていたくらいだ。


「どこで間違っちまったんだろうなぁ」


 描いていた夢。大勢の仲間を率い、数多の敵をなぎ倒し、勝ちどきを上げる夢だ。寝ても覚めても憧れるのは、かつて町で見かけた男達のたくましい甲冑姿である。


「そうだよ、俺がなりたかったのはすっごく強い『騎士』なんだよ。こう、鋭い剣をぶんぶん振り回して――いててっ」


 自分が埋まっていたのをすっかり忘れていた。無理に腕を振り回そうとして運悪く本の角に当たり、新しい打撲痕を作ってしまったようだ。その時、上擦ったキーマの声が聞こえた。


「うわっ、危ないっ!」

「え、何が?」


 あとで聞くと、かろうじて均衡を保っていた上の棚の本までが、今の些細な振動で落ちてこようとしていたらしい。上の本とは、要するに人が普段あまり触れないような分厚い辞書類であった。


 当然そんな詳細までは分からなかった俺でも、今の警告でやばい何かが起ころうとしていることだけは感じ取った。

 がたがたっと音がする。埃が舞っているのか、鼻がムズムズして目もかゆい。こういう時は最も大事な頭を庇いたいものだが、四肢はがっちりと大量の本に押さえ付けられ、自由を奪われていた。


 まずい、マジで死ぬかも。騎士どころか、まだ剣士にすらなっていないのに!?


「……あれ?」


 けれど、待てど暮らせどその瞬間は訪れなかった。それどころか、逆に体が軽くなる。もしや脱出のチャンスか?


「助かった――わあぁっ!?」


 誰かが、俺の体に乗っていた本をどけてくれたのだと思って目を開けてみると、そこは生まれてこのかた慣れ親しんできだ地面ではなかった。


「ななななっ、なんだよこれっ」


 体が軽いわけである。無数の本と一緒に、俺も宙にプカプカと浮いていたのだから。


「これ、あまり動くでない。どこを痛めておるのかも分からぬというに」


 パニック状態で手足を動かしていると、しわがれた声にたしなめられた。この声はまさか……。違っていますようにと願いながら、カメみたいな恰好のまま、そちらへと首を傾ける。

 入り口には草色のローブに身を包み、年季が入った本を片手に反対側の細い腕を突き出して何ごとかを呟く老人が立っていた。


「し、師匠!」


 老人の名はオルティリト。俺の師匠だ。この瞬間、膨大な労力が必要そうな片付けと、気が遠くなりそうな長さの説教と、それらが終わるまでの夕飯のお預けが決定したのだった。


《終》


 ◇ヤルンとキーマ、そして師匠は一事が万事、こんな感じです。

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