欲望の絵

かずシ

欲望の絵

まさに、圧巻の出来であった。その絵はまさしく荘厳であり、残虐であり、類をみないほどの美しさをもちながら、どこか儚さも漂わせていた。

完璧とはまさにこの絵のためにある言葉なのだろう。いや、人は完璧を求めつつもそれを嫌悪する動物である。そういう意味ではこの絵は完璧ではなかった。人々はこの絵を手に入れるためならば、文字通りなんでもした。まさに、この絵は人の欲望そのものであったのである。


ひと月前、その絵が発表されてから今日まではまさにお祭り騒ぎだった。人の欲望を引き出す魔性の絵。世の金持ちはその絵を所有しようと躍起になっていたし、マスコミもここぞとばかりに連日その絵について報道した。

それを冷ややかに眺める人は存在しなかった。欲のない人が存在しないように、貧富の差に関わらず皆取り憑かれたようにその絵を欲した。

その絵の価値はまたたくまに天文学的値にまで上昇し、ついにはその絵のために犯罪に手を染めるものまで現れた。

一枚の絵は、世を狂気の時代にいざなったのである。




「全財産を処分し、絵の獲得に動いていた資産家のカール氏もあっけなく振られたか」

長距離バスの車内で新聞を読んでいた私は、ニヤリと口角をあげた。人の失敗とは面白いものだが、それがライバルとなるとまた格別だ。

若くして財を築き、世の中を渡ってきた青年実業家。それが私である。私には金を稼ぐあらゆる才能が備わっていると自負しているが、金に対する嗅覚もそのひとつだ。

景色を眺めながら、ひとつ、ため息をつく。世の中の馬鹿さ加減に、である。人の欲望を刺激する魔性の絵。この利用価値が分からないとは。


その絵に出会った時、それはまさに衝撃だった。金以外に興味をもたなかった私でさえ、虜にする魅力がその絵にはあった。欲しい、なんとしても。連日のテレビニュース、雑誌等あらゆる媒体でその絵を見たが、いつでも、どこでも、何をしていても心の中の欲望が刺激された。そして気がつくとその絵について調べている、そんな日が数日間続いた。

そして、決定的だったのは仕事で世間の流行と購買意識の調査を行っていた時のことである。明らかに異常と思われるデータをみつけた。普段買われていない雑誌が、テレビ番組が、外れ値ともいえる破格の人気を博していたのである。

絵、である。その絵を載せた雑誌が、画面に映したテレビが、人々の欲望をかきたて、取り憑かれたように手に取ることを強要するのだ。

当然といえば当然である。しかし、このことに気付いたことが早かった。事前情報をつかんでいたものですら、軽視していた利用価値。私より早く気付いた者ですら出し抜いて、私は今日、ここにいる。

絵の広告利用の権利取得のための交渉である。


バスを降り、田舎道を歩きながら交渉をシミュレートする。絵の権利は全て、作者がもっているらしい。しかし、いくら調査しても、その人物像はつかめなかった。新聞の片隅に載っていた小さな写真が唯一のてがかりだ。どうも、表に出るのが苦手なタイプのようだ。しかし、あの絵を描く才能。傑物であることは間違いない。

金で釣るのも一つの手だが。

あの絵で包装された商品、あの絵のレプリカをおまけにつけた菓子。あらゆるものが人々を熱狂させ、爆発的に売れるのは間違いない。金ならいくら出してもお釣りがくる。あの絵には負けるとはいえ、金もまた魔法をもっている。その魔法に取り憑かれた私だから分かるのだ。しかし、いくら積まれてもあの絵を手放さなかった男が相手である。

難しい交渉になるかもな。私は用心して歩を進めた。



私の予想とは裏腹に件のその男には、感情も覇気もなかった。無、である。まるで、絵に生気を吸い取られたかのようだった。

私がどんなに美辞麗句を並べても、気の利いたジョークを飛ばしても、返ってくる返事は二言三言。まさに、暖簾に腕押し、手応えも何もあったものではなかった。一貫しているのは、一点のみ。絵に関するあらゆる権利は譲らない。これだけである。

私は閉口した。おそらく、精神をやられてしまっているのだろう。無理もない。何せ欲望の化身ともいえる絵だ。作者といえども、溺れてしまっても不思議ではない。おそらく才能のかたまりであったその抜け殻を前に私は今日の交渉を打ち切ることにした。この様子ではライバルたちが権利を取得することは今後もないだろう。私に対する妨害がなかった訳を何となく理解できた。

私が、帰る旨を伝え玄関まで行くとその男が嬉しそうに見送りに来た。


「本日はどうもありがとうございました。また、寄らせて頂けますと幸いです」

笑顔をつくって会釈する。まあ、ライバルたちが金儲けできないという事が分かっただけよしとしよう。あの絵が同業者の手に落ちていたらと、考えるだけでもゾッとする。人々は熱狂し、我々の商品など見向きもされなくなるに違いない。

「はぁ。そうですか。しかし、絵に関する権利の譲渡は何度おいで頂いても承諾いたしかねます」

そう。この男はそれでよいのだ。ライバルたちからこの絵を守ってくれるという意味ではこんなに頼りになる男もいない。

「そうですか。まあ、あれほどの絵です。お手元に置いて置きたい気持ちは痛いほど理解できます。できれば、どなたにも権利を譲らないべきでしょう」

私の言葉、ほんのささいなその言葉に男は顔をゆがめた。それを、見逃す私ではない。

「ま、まさか、権利の譲渡をお考えでしょうか。それは考え直した方がいい。全てお手元に置いておくべきです」

「実は、先日、ある機関に、脅しすかされ、絵の権利の、一部を、渡してしまったのです」

身を裂かれたかのような苦痛に顔をゆがめ、男は驚くべきことを口にした。

まさか。動き出すのが遅かったか。誰が権利を得たのだ。ライバルたちの顔が頭に浮かぶ。

「まさか。なんという機関です」

こうしてはいられない、早く対策しなければ。私が儲かるためには、ライバルは損しなければならない。逆に言えば、ライバルが儲かる時は私が損する時なのだ。

「国、つまり政府です」

と、男が苦々しく口にした言葉は私を安堵させた。政府ならば私が損することもあるまい。いや、むしろ、政府こそがこの絵を保管すべきなのだ。ライバルにさえ渡らなければ、私の実入りは変わらない。

「そ、そうですか。それはそれは。気を落としませんように。しかし、まさか政府がでてくるとは、本当に素晴らしい絵をお描きになりましたな。誇るべきです。政府なら有効に権利を使ってくれるでしょう」

安堵と共に私の頭の中は次の儲け話についてでいっぱいになった。人々の欲望を刺激し、絶対に手放さないと思わせるものを創り出さなければ。それに狂喜乱舞し、人生を狂わさせ、全てを投げ出させるものを。よって、男の次の言葉は、右から左に流れていくだけだった。



「そうですね。どうも政府は来年から紙幣、つまりお金の絵柄を変え

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