短編物語

日野 青也

① 鏡

 その少年は、どこにでもいる平凡な少年だった。平凡で、平和な毎日を送っている。素晴らしいことなのだろうけれど、少年は、そんな日々に少しだけ物足りなさを感じていた。そうは言っても、冒険がしたいわけでも、怖いくらいの非日常を過ごしたいわけでもないから、毎日、穏やかな日々に安堵しつつ、何気なく暮らしていた。

 ある夜、少年はベッドに入ってからなかなか寝付くことができなかった。目を閉じても、誰かが部屋の中にいるような気配がする。気になった少年は起き上がり、枕元のリモコンで灯りを点けて、部屋を見まわしたが、もちろん部屋には自分以外、誰もいない。

少年は、

「いるわけないよな」

と、小さく呟き、灯りを消そうと目線を手元へ戻す途中、あるはずのない人影らしきものが少年の目に映った。はじめは、鏡に映った少年自身だと思ったのだが、髪の色が違う。少年は鏡の方へ恐る恐る目を向ける。鏡の中の人物は、少年と同じくらいの歳に見えるが、きれいな金髪だ。その人物は、少年に笑いかけているように見える。少年は、リモコンをベッドの上に置くと、ゆっくりと鏡の前へ行き、それが現実であることを確認した。そして思わず、

「だれ・・・?」

弱々しい声で、鏡の中の人物に問う。鏡の中の人物、その金髪の少年は、嬉しそうに笑って、ゆっくりと口を動かしながら、指先で空中に文字を書いていく。少年には、声は聞こえないが、その人物の口と手の動きで、何を言おうとしているのか、読み取ることができた。

「・・・ハ、ル、ト?君の名前?」

 少年が聞くと、金髪の少年は首を大きく振って頷いた。そして再び、文字を書く。

「君の、名前・・・。僕?ええっと、ユウトだよ」

 少年の名前を聞くと金髪の少年はまた、嬉しそうに文字を書き始めた。

「こっちへ・・・おいで、よ?」

 少年は、少しずつワクワクとした気持ちが込み上げていた。鏡の中の人間と話すなんて、なかなかできることではない。けれどさすがに、

「でも、君は鏡の中から出られないだろうし、僕はそっちへ行く方法を知らないよ。すごく・・・行きたいけれどね」

と、苦笑いで答えた。すると、金髪の少年は少し考えた後、少年の前から姿を消し、何かを持って再び現れた。金髪の少年が持ってきたのは、銀色のハサミだった。

「ハサミ・・・?」

 少年が首を傾げると金髪の少年は持っているハサミを、ちょきちょきと動かして見せた。

「まさか、鏡を切るの?」

 やったことはないけれど、できるとは思えず、少年は、できるわけがない、という気持ちで問いかけた。しかし予想とは反対に、金髪の少年は満面の笑みで大きく頷いた。その顔を見て、

「わかった。とりあえず、やってみるよ」

少年は、ハサミを取りに机へ向かった。

 ハサミを持って鏡の前に立つ。まだ半信半疑ではあったけれど、鏡を切るなんて、もしもできるのならやってみたい。鏡を見ると、金髪の少年が瞳をキラキラと輝かせている。少年は、一度大きく呼吸をすると、ハサミを鏡に向かって進ませた。するとその刃は、引っかかることもなく鏡の中へと入っていき、あっという間に鏡面に裂け目を作った。少年は驚き、ハッと鏡の中を見る。金髪の少年は、成功!とでも言うかのように、笑顔で親指を立てている。なんだか夢を見ているのではないかと、そんな気持ちだったけれど、少年は、それでもいいや、と金髪の少年に微笑み返す。そして膨らむ好奇心のままに、鏡をどんどんとハサミで切っていく。

 少年が通れるくらいの裂け目ができた時、よし、と鏡の中を見る。金髪の少年は、少し離れたところで手招きをしていた。裂け目の中は真っ暗に見えたが、少年は彼を信じて、まずは手を、そして次には足を踏み入れた。足が着かなかったら?という不安で、少年は目を瞑っていたが、片足を入れた瞬間、少年の手はぎゅっと握られた。素早く目を開けると、まだそこは真っ暗な空間で、フワフワとした地面を、ただ誰かに手を引かれながら歩き始めていた。速くなる鼓動が落ち着くような、握られた手の暖かさ。さっきまでの金髪の少年だろうか?驚きと不安で声も出せないまま、少年はただただ歩いていく。

 暗闇がぼんやりと明るくなってくる。すると見えてきたのは、少年の手を引き、前を歩く金髪の少年と、頭上に広がる満天の星空だった。景色がはっきりと見えるようになった頃、前を歩いていた金髪の少年が、くるりと振り返る。

「はじめまして、ユウト!会えてとっても嬉しいよ。来てくれるのをずっと待っていたんだ」

 鏡の外から見ていた時と変わらない笑顔で言う。少年は驚きながらも、この景色に、彼の笑顔に惹かれて、初めて自らも彼の手を握り返した。

「はじめまして、ハルト。僕も会えて嬉しいよ」

 まだびっくりしているけれどね、と笑って返すと、

「聴きたいことがたくさんあるんだ!話を始めてもいいかい?」

と、彼は少年の手を握ったまま、瞳を幼い子どものように輝かせている。

「うん、もちろん」

 少年は答え、僕も聴いてもいい?と言って、二人はその場に腰を下ろした。


 明けない夜の中、二人は飽きることなく話し、互いの非日常の中で、大切な友を見つけた。

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