プロローグ アリスと僕と回想

*** 二〇二〇年 八月二十八日 金曜日

 目を覚ますと、僕は暗闇に包まれた自室のベッドに寝転んでいた。暗闇にまだ目が慣れていないがかろうじて自室だということはわかった。どうやらあのまま寝込んでしまったらしい。あれから……というには短すぎる、まだ一日しか経っていない。もっと長い時が流れた気がしてしまう。目元を触ると瞼や頬には涙が乾燥した痕がこびり付いていた。昨日散々泣き喚いたせいだとすぐに気付く。もう少し横になったままでいたかったが、喉が乾いていたし、今の時間も確認したかった。なんだか体がだるくあちこち痛んだが仕方なく体を起こす。暗いままでは歩くことすらままならないので、向かって右側の窓を覆っている紺色のカーテンの紐を真下に引っ張り、部屋に朝日を差し込ませた。差し込んだ光が部屋全体を照らしつつ、僕の目に刺激を与えた。

 僕は咄嗟に目を瞑って掌で光を遮るように覆い隠す。少しずつ瞼を開いて光に慣れさせる。開いた目で部屋全体を見回すと、物があちこちに散乱した光景が目に飛び込んできた。窓の反対側に設置していた本棚が床に向かって乱雑に倒されており、整頓されていたはずの小説が所々折れて床にむき出しになっている。皺々になった衣服や小物も床のそこら中にばら撒かれていた。

 歩こうにも小物や折れた小説のせいで足を置く場所が一切無かった。記憶を探るとすぐに該当する記憶が蘇ってきた。昨日の二十二時頃に帰宅した後、自室に入った途端に僕は暴れ回った。本棚を勢いよく床に叩きつけ、ハンガーにかかった衣服や小物を手当たり次第、あらゆる方向に投げつけた。つまりこれは僕の仕業だった。目の当たりにした部屋の惨状と睡眠によって僕の頭は冷静になっている。思ったより僕の感情は複雑に絡み合っていて、理性を失うほど荒れていたらしい。だからこそ僕は自分に対して驚いていた。僕は生粋の読書家で小説というものを愛している。こんな風に雑に扱った自分が少し信じられなかった。

「……読者失格だな」

 ぽつりと独り言を呟きながら、適当に物を押し除けて無理やり足場を作る。後で片付けないといけないなと考えていると複数の足場が完成した。僕はその足場に左足、右足という風に交互に置いてゆっくりと転ばないように歩みを進めていく。ドアの前まで来て開こうとするが物が引っ掛かって半開き状態になる。そのわずかな隙間に体を横にして滑り込ませることで自室の外に出た。台所に向かい一杯の水を飲み干して、そのまま自室へ戻らず階段近くのソファに座り込む。僕は不自然なほどに冷静でいる自分が少し怖くなった。なぜこんなにも冷静でいるのか分からなかった。

 そんな自分に違和感を持ちつつも、気にせず僕は目の前のテーブルに置いてあるリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。もしあれが事実ならそろそろニュースになっているはずだ。そう考えながらリモコンを操作して、該当するニュースが報道されているか番組に切り替えていく。するとすぐに、残念なことにお目当てのニュースがテレビに表示されてしまった。

『約一週間前の十四時ごろ、〇〇市のある住宅が半焼し、中から女子高校生と思われる遺体が発見されました。発見されたのは帝柄川女子高等学校に通う有栖川ありすがわ琴葉ことはさん。白骨化された状態で発見されたため、警察は殺人事件である可能性を考慮して捜査を進めており――』

 女性アナウンサーが名前を言うと同時に女子高生の顔写真が画面の右下に表示される。ほぼ冷静になりつつあった僕の心がざわめき出した。心臓が大きくドクドクと鼓動を打ち始める。思わず顔を下に背けて頭を抱え込んだ。きつく目を閉じ深呼吸をして心を落ち着かせようとする。

 事実だった。何かの間違いだと思いたかった。

 けど、あの顔写真は間違いなく彼女だった。僕の記憶の中の彼女がコロコロと表情を変えて僕を見つめる。くしゃっと笑う彼女、恥ずかしそうに頭を押さえながらはにかむ彼女、睨み付けるように怒る彼女。しかし、画面の中の彼女は僕が知っているいろんな表情を持つ彼女とはまるで違った。喜怒哀楽のどれにも属さない無表情の彼女だ。なんだか彼女が無感情な少女と言われているようで少しだけ腹が立った。

 気付けば僕は君との思い出を頭に浮かべていた。これは君と僕が出会った今年の七月中旬から今日までの約一ヶ月という長くて短い期間の鮮明な回想だ。

 君と初めて出会ったのは、夏休みまで残り一週間を切って夏にしてはやけに涼しかった日のことだった――。

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