第18話  大人とは、無い袖の振り方を知っている人間のことである。

「モメは好奇心のために生きてるんです」

 ミキを助けた少女、ベイウテヌーヤ・モメン・キィ─ヴァはバラ園の中央にあるガゼボの中で、そういった。

「知りたい事があって、それがどうしようもなく深い謎なら、モメはそれに夢我夢中」 

 モメは空中から取り出したワイングラスを傾けた。垂れる水滴が地面に落ちると、スッと乾いて空気が変わった。似た魔法をミキは知っていた。

 周囲の騒音は最低限に、そしておそらく自分たちの会話が外に漏れなくなったことをミキは感じ取った。

「君は………学者だよね?」

「わお、なしてお分かりで?」

 綺麗だが整えられていない髪は淡い紫色で、癖っ毛なのか緩いウェーブがかかっている。前髪は上げられているが、男っぽくしているわけではなく、むしろ長過ぎて邪魔だからという、美意識とは離れたところに理由はある。まとめ上げられた髪の毛は帽子の中に収まっているようだ。

「丸メガネだから」

「やや、随分とめざといようで」

「君のトレードマークだから目に入るんだよ」

「目に入れるのはメガネではなくコンタクトでは?」

 ミキはモメが面倒な人間だと認識した。

「僕は魔法に関しては全くの管轄外だし、研究みたいな難しいこともできない。君の手伝いになれるかな」

「戦える。それが何よりも大切なんです。ちょっとキスしても良いですか?」

「ああうん。どうぞ」

「ではでは」

 流れるような要求に、ミキは大した思考もしないまま肯定の意を漏らしたが、その違和感を覚えた時には唇は離れていた。接触の時間については、一秒とも一分とも測れない時間が流れていた。

(何やってんのさ)

 その様子をじーっとアイが見ていたことに、気恥ずかしさを感じたミキは、言い訳をするようにモメの小さな肩をグッと押すようにして引き離した。

「な、何してんの!?」

「えー、何照れてるんですかー。受容体調査ですよ、これ」

 モメは照れる様子もなく、舌舐めずりをした。

 そして、分析が進むにつれ、モメの表情は驚きへと変化した。

「嘘っしょ………、信じられない。受容体が少なすぎる。っていうか、ない。ゼロて」

「────それって、僕が凄すぎるってこと?」

「そうかも………だけど、いや可能性は低いか………な?

 となるとやっぱり………七星剣?」

 それからモメがぶつぶつと、聞き慣れない言葉を聞き取れない音量で独り言を始めた。集中しているのか、ミキがモメの眼前で手を降ってもそれを認識していないようだった。目は焦点があっておらず、それから「おーい」と声をかけても、肩を揺さぶっても反応がない。


(………今なら何してもバレない!)

「いや、ダメでしょ」

(いやいや、ミキよ、ご主人よ。我が刀の使い手よ。据え膳食わぬは何と申しますか)

「無抵抗の女の子に何かする方が恥だって」

(えー、絶対柔らかいのになー)

 アイのそそのかしに揺さぶられることなく、ミキはモメが何らかの結論を出すのを待つつもりだった。

 モメは左足の上に右足を組み、腕はその右足に乗せるようにして頭を支えていた。それは細部は異なるが、考える人のようなポーズだとミキは思った。

(なあ、そういえばどうして………と言うよりも〝どうやって〟アイがミキの体に入ってるか知ってる?)

「………命が掛かってるから?」

(ちょっと違う。戦いの時、剣を持って敵と対峙した時、アイがミキの体に入れるのは、〝相手を殺したい〟と、アイもミキも思ってるから。ミキがアイを受け入れてるからじゃない。二人の意思が一致した時にコレができるんのよ」

(は!いつの間に!)

 ミキは体のコントロールを失い、ぬるりと入れ替わっていることに気がついた。

「さて、ミキよ。ここからの問題はどこに触れるかだ」

(馬鹿言ってないで返してくれないかな)

「だけど〝触りたい〟って意思が少なからず胸の内にあったから、アイは入れたわけでありましてね?」

(僕に思想の自由はないのか!?)

「もちろんあるぜ。ただ、行動の自由はないけどね〜」

 そう言ってアイは手を伸ばす。

 ふにっ、と手に伝わる感覚は今まで感じたことのないもの────ではなく、以前帝国のバーで、酔ったミルのソレに触れたことがあるのをミキは思い出しながら、どっちの方が柔らかかっただろうか、などと失礼なことを考えていると

「ななななな、何してるんすか!?」

「あはは、モメおはよー」

 しゃがみ込んで正面から揉んでいたミキの手を振り払い、モメは距離をとった。

「けどさー、いきなりキスしてくる方も大概じゃない?」

「アレは検査!それに、男性から女性への暴力は悪ですけど!その逆は愛!それとおんなじです!」

(なんて理不尽な)

 今までの余裕そうな表情はどこへやら、耳まで赤くなった顔は、月明かりだけの夜であってもよくわかった。

「こーなったらもう一回です、理由が分からないことを放置するのはモメの性分じゃないので!」

 モメは取った距離を縮めるように、ミキの胸に飛び込んだ。ミキの体を操作しているアイは、何ら抵抗することなく、モメの体を抱き留める。

 それから先ほどと同じように、モメは目を閉じる。しかし先ほどと違うことがある。それはミキの体を操作しているのはミキ自身ではなくアイだということだ。

 ミキに伝わるのは、唇だけの軽いものではなく、舌の絡み合う知らない感覚。しかしモメが考えていることはもっと深いところにあった。

「っ、………………何でだろう」

 アイは満足したのか、糸を引いて垂れる繋がりを惜しむことなくミキに体をあけ渡した。

 倒れそうになるモメの腰に手を伸ばして支えながら、恋人のような距離感のままミキは聞いた。

「えっと、どうだった?」

 その質問に対する返答はなく、モメの視線はミキの向こう側にあった。

「その子、誰なんですか?」

 指さす先には当然アイがいる。

「見えてるの?」

(今ので見えるようになったのさ)

 えへんと胸を張るように自慢げなアイを、モメはじっと見つめる。ミキはモメをゆっくり引き離して椅子に座る。先ほどと同じようにモメの真正面に座るのではなく、モメとアイと三角形を作れる位置に腰掛けた。

「七星剣の………いや、それよりもどうして急に」

(ミキの体に入ってキスしたから、モメはアイのことを知覚できるようになったのさ!)

「それが目的だったの?」

 モメがアイを見つめながら聞く。

(いや、ただ揉みたかっただけ)


 そんな二人のやりとりを無視して、「そういえば」とミキが切り出した。

「戦えることが大切だとか、そういういこと言ってなかった?」

「わお。確かに言った、言いました。よく覚えてますね」

 モメはポンと手を叩きながら言った。

「気になる部分だったから」

「気になりまするか。………では聞いちゃいましょう。ミキさん、ミキ先輩。貴方はどこまで戦えますか?」

「………親衛隊より弱いくらいかな、実際問題」

(いや、本気出せば親衛隊くらい殺せるから)

「そうじゃないです。そうじゃあないんです。ミキパイセンは、モメのために死んでくれますか?死んでも戦ってくれますか?死ぬ気で戦ってくれますか?」

 そう言いながらモメは立ち上がり一歩二歩と、足を進めミキに手を伸ばす。


 少しの変化。

 ふざけた会話から切り離されたようなモメの感情の揺らぎは、鈍感なミキであっても感じ取れた。それは魔力とか魔法みたいな話ではなく、生と死の間に身を置いたことのあるミキだから感じ取れた、覚悟と恐れの揺らぎだ。

 だからアイは黙ったし、ミキは考えた。理由だとか、現状だとか、原因だとか、聞くべきことは山ほどあるが、ミキはどうしてか確信的にその段階を踏む必要がないと感じていた。

「一つだけ、モメに言っておく。これは僕がいくつかの戦いを通して学んだことで、今、君の言葉を聞いて自分の中に落とし込めたことなんだけど」

 ミキはモメの手を握って答えた。

「死ぬ気で今を戦う奴よりも、明日を当然に生きる為に戦う奴の方が何倍も強い。そして僕は、明日もこうして生きているつもりでいる」


 そんな臭いセリフを聞いてアイはミキのことを茶化そうと思ったが、その言葉を聞いたモメの満足げな表情を見て気が変わったのか、ただ黙って教会の賑やかい喧騒と風の揺らす花の歌に耳を傾けていた。

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