エピソード17
繁華街に在る蓮さんのマンションのエントランスを出てすぐに私は大きな溜息を吐いた。
そんな私に気付いた蓮さんが足を止めた。
「どうした?」
「……なんでこんなに人が多いの?」
繁華街だから人が多いのはいつもの事なんだけど。
今日はいつにも増して人が多い。
「盆休みだし、祭りがあるからな」
蓮さんは私の考えている事が分かったようで苦笑している。
私はまた大きな溜息を吐いた。
「大丈夫だ。その代わり絶対に俺から離れんなよ?」
「うん。分かった」
私は肩を抱いている蓮さんにピッタリとくっついた。
お祭りがあっているらしい神社は駅の近くで、蓮さんのマンションからは歩いて10分ぐらいの距離にある。
でも、初めての浴衣と下駄に慣れない私はいつもの倍の時間を掛けてしまった。
蓮さんは私のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれる。
相変わらず蓮さんと私の周りには不自然な空間が出来ていた。
そのお陰で息苦しさは感じなかった。
歩いている時、私が話し掛けると優しく穏やかな視線と声を返してくれる。
会話の内容によってはいつもと変わらず声を出して笑ってくれる。
でも、その不自然な空間に入って来る人はいない。
……って事は、私が気付かないだけで蓮さんからは威圧的な雰囲気が出ているんだろう……。
そう言えば、最近、私に対する女の子達の声が聞こえなくなった。
前は、繁華街を蓮さんと歩いていると必ず聞こえてきた嫉妬の声が無くなった。
まぁ……蓮さんに対する黄色い歓声はイヤって言うほど聞こえてくるけど……。
でも、蓮さんはその声には一切反応しないから私も気にしない事にしている。
たまに、ケンさんのチームの男の子が彼女さんと一緒に話し掛けて来る事がある。
そんな時は、蓮さんはにこやかに男の子や彼女さんと話ている。
それを見て蓮さんは本当にチームを大切にしているんだなと思った。
神社に近付くに連れて人も一層多くなってきた。
蓮さんに声を掛けてくる人も引っ切り無しだ。
出店も沢山出ていて美味しそうな香りが漂っている。
「何が食いたい?」
蓮さんが私の顔を覗き込んだ。
「りんご飴!!」
「……お前、それは飯じゃねぇだろ?」
「大丈夫!!今日の夜ご飯はりんご飴でいい!!」
「……『大丈夫!!』の意味が全然分かんねぇし。りんご飴は後でいくらでも買ってやっから先に腹に溜まるもんを食ってくれ」
「……りんご飴だってお腹に溜まるのに……」
「美桜」
「……分かった。じゃあ、たこ焼きが食べたい」
私の言葉に安心した様な表情の蓮さん。
蓮さんは私がご飯を食べないと怒る。
一食や二食ぐらい抜いても全然平気なのに……。
逆にダイエットになってちょうどいいのに……。
そんな事を言ったら確実に怒られるから言えないんだけど。
私達はたこ焼きの屋台を見つけて入った。
「いらっしゃい!!」
厳つくて怖い雰囲気のおじさんが威勢良く声を掛けてくれる。
でも、鉄板から私達に視線を上げたおじさんは顔を引き攣らせたまま固まった。
「……?」
私はおじさんと、おじさんの視線の先にいる蓮さんを交互に見た。
「……!!カシラ!お疲れ様です!!」
おじさんが頭に巻いているタオルを外し、頭を下げた。
「あぁ」
おじさんとは対照的に普段と変わらない表情の蓮さん。
「あの……なんか問題でもありました?」
「なんもねぇよ。祭りに来ただけだ」
「そ……そうですか」
おじさんはタオルで額の汗を拭きながらふと私の方を見た。
蓮さんに肩を抱かれていた私と視線があった瞬間一度は緩んだ顔を再び強張らせた。
……なんかイヤな予感がする……。
「お疲れ様です!!姐さん!!!」
周囲に響き渡る大きな声で挨拶してくれた。
「……お疲れ様です……」
私の嫌な予感は見事に的中した。
周りの人が驚いた表情で私の事を見ている。
……このおじさんには悪気なんて全くないんだと思う。
その証拠にニコニコと笑顔を浮かべているし……。
そうだよね。
ただ挨拶してくれただけだもんね。
『あの女の子、“姐さん”なんだって……』
『ヤクザの女かよ……』
『なんか怖いね……』
『可愛いのにもったいねぇな』
『ばか!可愛いからヤクザの女なんでしょ!!』
周りから聞こえてくるヒソヒソ声。
気にしなければ聞こえないくらいの小さな声なのに、つい、聞いてしまう……。
やっぱり周りから見たらそういうイメージなんだろう。
私は、ヤクザの女じゃなくて蓮さんの彼女なんだけどな……。
「気にすんな」
蓮さんが私の頭を撫でてくれる。
……蓮さんはこんなに優しいのに……。
何も知らない人に“ヤクザ”っていう言葉の固定概念だけで蓮さんの人格まで決め付けられるのはなんかムカつく。
だからってその人たちに文句を言う勇気もないし。
これ以上気にしても蓮さんに心配を掛けるだけだし。
「うん」
私は頷いた。
「おい。たこ焼きくれ」
蓮さんがおじさんにお札を差し出した。
「……いや……カシラから金は頂けません」
首を大きく横に振って両手でお札を拒否するおじさん。
そんな、おじさんに蓮さんは溜息を吐いた。
「何言ってんだ?これは、お前の商売だろ?金を稼ぐ為に商売してんだ。早く受け取れ」
「……はい」
蓮さんの言葉に渋々お札を受け取ったおじさん。
そして手渡された、たこ焼きの入った特大のビニール袋……。
「サービスしときました!!姐さん沢山食ってくださいね!!!」
コワモテの厳つい顔を崩しニッコリと微笑んでいるおじさん。
どう考えても二人では食べきれない程の大量のたこ焼きのパックがビニールから透けている。
私は、思わず吹き出しそうになりそれを、必死で抑えた。
「ありがとうございます」
「じゃあ、頑張れよ」
「はい!!ありがとうございました!!」
蓮さんと私はおじさんの威勢のいい声に見送られ屋台を後にした。
私が両手で持った特大のビニール袋を蓮さんが持ってくれた。
「……量を考えろよ」
蓮さんが特大の袋を見つめながら言った。
その言葉に我慢が限界に達した私は笑ってしまった。
神社の中にテーブルとイスが設置してある飲食スペースがあった。
もちろんそこも人で溢れかえっていて、どのテーブルにも人が座っていて空いていなかった。
だけど、会場の管理をしている係りの人が蓮さんの姿を見つけると走り寄ってきた。
そして、どこからかテーブルとイスを持ってきて準備してくれた。
なんでこんなにVIP待遇なんだろ?
「美桜、座れ」
先にイスに腰を下ろしている蓮さん。
私は頷くと空いているイスに腰を下ろした。
「どれから食う?」
蓮さんがテーブルの上に並んだ大量の袋を指差した。
たこ焼きの屋台を出てここに来るまでの間、蓮さんは殆どと言っていい程のテキ屋の人から話し掛けられていた。
そして、みんなが『これどうぞ!!』と売り物を蓮さんに握らせた。
イカ焼き、箸巻き、焼きとうもろこし、やきそばクレープ、綿菓子。
その量はたこ焼き並みに半端じゃなかった……。
この人達には、私がそんなに大食いに見えるのかと少し不安になった。
最後の方は蓮さんが『もう、持てねぇよ』と断っていた。
大量の袋を提げた蓮さんは、りんご飴も忘れずに買ってくれた。
『飯をちゃんと食ってからだぞ』と確実に私をガキ扱いした口調で言った。
私は、少しムカついたけど、どうしてもりんご飴が食べたかったから『分かった』と頷いた。
「たこ焼きを食べる……でもこんなに食べきれないよね……」
この量を全て食べてしまうのは蓮さんと私がどんなに頑張っても不可能だと思う。
でも、せっかく貰ったんだから残したら悪いし……。
「大丈夫だ。すぐに無くなる」
私の前にたこ焼きのパックを置きながら余裕の表情の蓮さん。
「……?蓮さんが全部食べるの?」
「さすがにこの量は無理だな」
もしかして、蓮さんは私に全部食べさせようと思ってるんじゃないでしょうね?
『全部食べないとりんご飴はダメだ』とか言うつもりかもしれない。
それは、一刻も早く丁重にお断りしないと……。
「わ……私も無理だよ!!」
……しまった。
焦りすぎて噛んでしまった……。
「なに噛んでんだ?お前が全部食べきれないのは分かってる」
いや……噛んだ事は全然スルーして貰って構わないんですけど……。
しかも、そんな真顔でツッコまれたら相当恥ずかしいんですけど。
蓮さんも私も食べないって一体、誰が食べるんだろう?
「すぐに分かる」
「……?」
私の考えている事が分かったらしい蓮さん。
でも、その答えは教えてくれないらしい。
「それ、食いたい」
私が食べているたこ焼きを指差している。
「これ?」
「うん」
たこ焼きは他にもたくさんあるのに。
でも、1パック全部は食べきれないかもしれないし……。
そう思った私は爪楊枝とたこ焼きのパックを蓮さんに渡そうとした。
「なんで口を開けてるの?」
「あ?食いたいって言ってんだろ?」
「それは分かってるけど」
……もしかして口に入れろって事なのかな?
私は、爪楊枝でたこ焼きを刺して蓮さんの口の前に持っていってみた。
蓮さんはそのたこ焼きを口に頬張った。
その姿に見惚れてしまう。
蓮さんって何をしていても絵になっている。
「なに見惚れてんだ?」
口の端を片方だけ上げて笑う蓮さん。
その顔にも胸が高鳴ってしまう。
「蓮さんってかっこいいね」
……。
ちょっと待って。
私、今ものすごく恥ずかしい事言わなかった!?
「は?今頃気付いたのか?遅ぇよ」
「すみません……っていうか否定しないの?!」
「なんで否定しないといけねぇんだよ?」
……あぁ、そうか……。
蓮さんは昔からすごいモテてたんだ……。
この前ケンさんが言ってたもんね。
『カッコイイ』なんて言われ過ぎて慣れてるんだ。
繁華街でもよく言われてるし……。
「……なんかムカつく」
私は、蓮さんに聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「あ?何がムカつくんだ?」
……・。
なんで聞こえてるの?
私、かなり小さな声だったでしょ?
しかも、周りもかなり騒がしいんだよ?
もしかして、蓮さんも地獄耳なの!?
「……別に」
お願い!!
これ以上聞かないで。
「『別に』じゃねぇよ。何がムカつくんだ?」
蓮さんはこんな時、絶対スルーしてくれない。
それで、私が答えなかったら閻魔大王に変身するの。
私も結構、蓮さんの事が分かってきたんだから。
……。
……閻魔大王。
もう変身してたりする?
私は恐る恐る顔を上げてみた。
……あれ?
なんでそんなに優しい顔してんの?
ここは、閻魔大王に変身するところでしょ?
「やっと、俺に惚れたか?」
蓮さんが意地悪い笑みを浮かべる。
「……全然」
……なんで私ってこんなに可愛くないんだろう。
ここでもう少し可愛げのある事を言えばいいのに……。
「全然かよ」
蓮さんは、私の言葉に傷付く様子も無く笑っている。
なんで、蓮さんっていつも余裕なんだろう?
本当に私の事が好きなのかな?
「ねぇ、蓮さん」
「うん?」
「本当に私の事が好きなの?」
「は?」
『何言ってんだ?』って顔の蓮さん。
「……」
私、また変な事言った?
「お前はどうなんだよ?」
質問返しされちゃった。
「……分かんない」
「……?」
「好きって気持ちがどんなのか分かんないもん」
「ふーん。じゃあさっきの『ムカつく』ってのは何にムカついてんだ?」
「繁華街で女の子に『カッコイイ』って言われるのとか……」
「とか?」
「昔からすごくモテる事とか?」
「……なんで疑問形なんだよ?」
「……なんでだろうね?」
「いや……俺が聞いてんだけど……まぁ、いい。好きな気持ちが分かんねぇって言うのは分かった。じゃあ、俺と一緒にいてなんか感じる事とか思う事はあるか?」
「……?そう言えば……」
「うん?」
「なんか胸が痛くなったり、苦しくなったりする」
「他には?」
「蓮さんの仕草とか言葉に胸が高鳴ったり鼓動が早くなったりする」
……ん?
なんか蓮さん顔が赤くない?
暑いのかな?
「……それだけか?」
「えっと……あっ!!あと、蓮さんを独り占めしたいと思う!!」
額に手を当てて俯く蓮さん。
「どうしたの?具合でも悪くなったの?」
そう言えばさっき顔が赤かったし……。
熱があるんじゃ……。
「蓮さん、大丈夫?」
「……反則だろ?それ……」
反則?
なにが?
しばらくして顔を上げた蓮さん。
その顔はもう赤くはなかった。
私の見間違いだったのかな?
「一緒だ」
「一緒?」
「美桜が悲しい顔をしていると俺も胸が痛くなったり苦しくなったりする」
「……うん」
「美桜の仕草とか言葉に胸が高鳴ったり鼓動が早くなったりする」
「……」
「美桜のことを独り占めしたいと思う」
「……蓮さん……」
「俺も一緒だろ?」
「そうだね」
「それにお前が俺以外の男と楽しそうに話したり、知らねぇ男にナンパされたりするとすげぇムカつく」
拗ねた様に言う蓮さんを私は可愛いと思った。
「……この前海に行った時、チームの男の子と話してたけど、あの時もムカついてたの?」
「当たり前だ」
「でも、蓮さんも一緒に笑ってたじゃん……」
「我慢してたんだよ。それにこの前海に来ていた奴は絶対にお前に手を出したりしない」
「そうなの?」
「この前海に来ていたのは【BーBLAND】のメンバーだ」
「ビー・ブランド?」
「俺達がチームを作った時の話を覚えてるか?」
「うん」
「その時のチーム名が【B-BLAND】だ。今、メンバーが3000人いるんだが元々は多種多様なチームだったから一纏めにはできなかったんだ」
「……?」
「例えば、単車が好きで“族”をやってた奴らとチームの象徴の色を掲げて縄張りを広げる為にケンカ専門を謳う“カラーギャング”を一纏めにしてもチームは成り立たないだろ?」
「うん」
「だから、同じ目的の奴らを一つのチームにして、いくつかのチームを作った。今、そのチームの頂点にあるのが【B-BLAND】なんだ」
「……頂点」
「【B-BLAND】のメンバーには、NO.2からNO.10までの幹部と下の各チームのトップと幹部全員に認められて尚且つNO.1に許可を貰った奴しか入れない。そいつらは、幹部や下のチームのトップの次期候補だ」
(p.189)
蓮さんの話によると【B-BLAND】の“B”は血を意味する単語の頭文字らしい……。
蓮さん達が最初にチームを作る時にそのメンバーがチームとトップに対する忠誠と決まりを守る証としてサインの変わりに自分の指を切りその血を押したのがチーム名の由来らしい。
それが今でも引き継がれていて、【B-BLAND】に入れるのは、条件を満たし血のサインを残した者だけ。
そして、【BーBLAND】のメンバーになる事はケンさんのチーム、全員の憧れらしい。
チームのメンバーは、トップのケンさんと【B-BLAND】のメンバーに絶大な信頼と憧れを持っている。
それは、先代トップの蓮さんに対しても例外ではないらしい。
「チームのイベントに参加できるのは、“伝達”が出ている女だけだ」
「伝達?」
「伝達って言うのは、簡単に言えば『俺の女』っていう情報をチーム内に流す事なんだ。“伝達”が出ている女は3000人のメンバーが全力で守る。それに、裏切りは絶対に許されない。だから、お前も守られる事はあっても、手を出される事はない」
「……もし裏切ったらどうなるの?」
(p.190)
「追放」
「……追放?」
「あぁ。裏切った瞬間に3000人が敵になるんだ。この辺りでは生活できなくなるだろうな」
「……そう」
「なんだ?チームの中に好きな奴でも出来たか?」
意地悪く瞳を細めて笑う蓮さん。
「……そんな事ある訳ないじゃん」
「だろうな。お前が俺以外の男に惚れる筈がない」
「……なんでそんなに自信があるの?」
蓮さんはなんでいつも自信に満ち溢れているんだろう?
「俺以上にお前に惚れてる奴なんていねぇから」
私を見つめる漆黒の瞳。
その瞳には今日も自信に満ち溢れている……。
◆◆◆◆◆
テーブルの上に並んだ沢山の頂き物。
『大丈夫。すぐに無くなる』
蓮さんの言葉の意味がすぐに分かった。
「美桜ちーん!!」
聞き覚えのある声に振り返るとそこにいたのは、紺色の浴衣姿の葵さんとケンさん。
「葵さん!!」
海に行った時に仲良くなった葵さんと会えた事で、私のテンションは一気に上がった。
無邪気な笑顔を浮かべている二人を見ていると私まで笑顔になる。
「お邪魔しまーす!!」
ケンさんが空いているイスを引き葵さんを座らせる。
「本当にお前は邪魔だな。葵、これ食え」
蓮さんが大量の頂き物を指差す。
それを見て葵さんが瞳を丸くした。
「これ全部蓮くんが買ったの?」
「違ぇよ。どうせ差し入れの貰いもんだろ?」
そう答えたのはケンさんだった。
『お前は手伝いしなくていいのか?』
ケンさんが蓮さんを見た。
「あぁ。今は休暇中だ」
「……お前、休暇中じゃなくても絶対手伝ったりしねぇだろ?」
「当たり前だ」
「手伝い?」
会話の内容が理解できない私にケンさんが視線を向けた。
「今日の祭りに出てるテキ屋は殆どが蓮の組の人間だよ」
ニッコリと微笑むケンさん。
「……」
「だから本当は蓮も手伝わないといけないんだけどね。でも、蓮がたこ焼きとか焼きそばとか作ってる姿なんて想像できねぇけどな」
「本当だね」
ケンさんと葵さんが笑う。
「蓮がたこ焼き用のピックなんか持ってたらそれで人を刺しそうだしな」
「ケン、お前は絶対にこれを食うなよ」
「……!!イヤ……冗談だろ?そんな意地悪言うなよ……」
「葵、いっぱい食えよ」
「ありがとう、蓮くん。いただきまーす!」
「ちょっと待て!!葵、お前も笑ってたじゃねぇか」
「はぁ?私、笑ってないし!自分が食べれないからって私まで巻き込まないでよ。あ~この焼きそば美味しい!」
「……蓮」
「なんだよ?」
「……すみませんでした」
蓮さんに頭を下げるケンさん。
「分かればいいんだよ」
「……はい」
「食えよ」
「いっただきまーす」
ケンさんが瞳を輝かせて焼きとうもろこしにかぶりついた。
……だから、こんなに頂き物がたくさんなんだ。
そうだよね、いくらなんでも顔見知りとか知り合いとかならこんなには貰えないもん。
そう言えば、たこ焼き屋さんのおじさんも『蓮さんからお金は貰えない』って言っていた。
その意味も今ならなんとなく分かる。
この辺は蓮さんの組の縄張りだもん。
この祭りに蓮さんの組がテキ屋さんを出してるってなんで気付かなかったんだろう……。
お礼は言ったけど挨拶はしてない。
私、ちゃんと挨拶しないといけなかったんじゃないかな。
「美桜ちゃん」
「はい?」
隣に座る葵さんの声に私は慌てて顔を上げた。
「その浴衣可愛いね。蓮くんに着せてもらったの?」
「うん」
「やっぱり。私もケンに着せてもらったの」
ケンさん?
あぁ、そうかケンさんも綾さんに手伝わされてたんだ。
私と葵さんは二人でニッコリと微笑み合った。
「蓮、そう言えば響さんは来てないのか?」
ケンさんがタバコに手を伸ばしながら尋ねた。
「来てんじゃねぇか?」
「だよな。響さん祭り好きだもんな」
「あぁ。多分朝から張り切ってた筈だ」
「想像出来る」
そう言ってタバコに火を点けようとしていたケンさんの手が止まった。
「……響さんが来てるって事は……」
蓮さんが無言で頷いた。
「……!!」
「……?」
「……?」
明らかに固まってるケンさん。
その様子に私と葵さんは首を傾げた。
「まだ、神社の神殿の中で神主や関係者と飲み会の最中だ」
「……よかった……」
蓮さんの言葉を聞いてケンさんがテーブルに項垂れた。
「なに?どうしたの?」
葵さんがケンさんの身体を揺する。
「……来てんだよ」
「誰が?」
「……恐怖の女王……」
「恐怖の女王?」
無言で頷くケンさん。
蓮さんは楽しそうに笑いを堪えてる。
……もしかして……。
「……綾さん?」
私の口から出た名前にケンさんが頭を抱えて大きな溜息を吐きながら頷いた。
……やっぱり……。
「綾さん?誰?」
「響さんの嫁さん」
「あぁ!蓮くんの義理のお母さんね……でも、なんでケンがそんなにヘコんでんの?」
「だから、恐怖なんだって!!」
「はぁ?意味分かんない」
「お前も綾さんに会えば俺の言ってる意味が分かる」
「……?」
納得いかない様子の葵さん。
私と蓮さんは顔を見合わせて笑った。
◆◆◆◆◆
綾さんの話題から30分後。
私達のテーブルの周りはガラの悪い男の子達と数人のその彼女達で埋め尽くされていた。
『お疲れ様です』そう言って大量の缶ビール入りのビニール袋を差し出したヒカルとアユちゃん。
『うお~!!気が利くなヒカル!!』ケンさんがキレイにセットされているヒカルの緩いパーマの髪をクシャクシャに撫でながら言った。
ヒカルは少し照れた様に笑っていた。
蓮さんが『座れよ、ヒカル』と声を掛けるとヒカルは『はい、ありがとうございます』と言ってピンクの浴衣姿のアユちゃんを座らせてから自分も腰を下ろした。
最初に会場の係りの人がテーブルとイスを用意してくれた時、なんでイスが6個もあるんだろう?と思った。
もしかしたら、こうなる事を予想していたんだろうか?
でも、まだ大量にあるこの頂き物は……。
その心配もあっと言う間に解消された。
『お疲れ様です!!』
ヒカル達がテーブルに着くと続々と集まってくる男の子達……。
私達のテーブルの周りは、あっという間に囲まれ埋め尽くされた。
賑やかな話し声と笑い声。
チームの男の子達も“祭り仕様”で甚平や浴衣姿の子が目立つ。
そう言えば蓮さんやケンさんやヒカルは祭り仕様じゃないなぁ。
いつもと同じようなファッション雑誌から飛び出してきたような洋服姿。
あんなに張り切って私に浴衣を準備して着せてくれた蓮さん。
そんな、蓮さんだから一番の祭り仕様でもおかしくないのに……。
「どうした?」
私の顔を覗きこむ蓮さん。
「ん?なんでもない」
私は首を横に振った。
「りんご飴食うか?」
「うん!!」
蓮さんが優しい瞳で私を見つめて頭を撫でた。
その表情と仕草に胸が高鳴り鼓動が速くなる。
無性に蓮さんの温もりに包まれたい。
その形のいい唇にキスをしたい。
そう思った。
蓮さんは、りんご飴を手に持つと突然イスから立ち上がった。
それに気付いたケンさんが話を止めた。
「蓮?どうした?」
ヒカルや葵さんやアユちゃんも蓮さんを見ている。
「花火見てくる」
みんなの視線を気にする事もなく私の手を引いて立ち上がらせ肩に腕をまわす。
「は?ここで見ればいいじゃん」
ケンさんがニヤニヤと笑みを浮かべる。
「俺達の事は気にすんな。後で戻ってくる」
蓮さんは、そう言うと私の肩を抱いて歩きだした。
「「いってらっしゃ~い!!」」
ケンさんの意味ありげな笑い声と葵さんとアユちゃんの楽しそうな声が見送ってくれた。
◆◆◆◆◆
神社の境内の裏にある階段。
普通に歩いていると見落としそうな登り口。
そこを登ると見晴らしのいいちょっとした展望台。
繁華街の灯りが一望できる。
蓮さんは、私を石でできたベンチに座らせた。
そして、りんご飴を袋から出し手渡してくれた。
「ありがとう」
念願のりんご飴を受け取った私はすぐに口に運んだ。
口の中に甘さが広がる。
「うまいか?」
「うん!!」
私を見つめる蓮さんの瞳。
さっき、必死で抑えた欲求が溢れ出してくる。
蓮さんが私の隣に腰を下ろし、ポケットからタバコを取り出す。
私の手は無意識のうちにその手を掴んでいた。
「美桜?」
私の顔を覗き込む蓮さん。
……私は、無意識のうちに分かっていたのかもしれない。
こうすれば、蓮さんが私の顔を覗きこむ事を……。
蓮さんの頬に手を添え唇を塞いだ。
蓮さんの身体がピクッと反応したのが分かる。
その反応がより一層、私を煽る。
数える程しかしたことのない自分からのキス。
唇を塞ぐ事も舌を動かす事も蓮さんみたいに上手く出来ない。
それでも、私は本能のままに蓮さんの唇の間から舌を滑り込ませた。
「美桜」
蓮さんが私の肩を優しく掴んで引き離す。
「……いや……」
まだ、満足できない私は引き離されても蓮さんの唇を塞ごうとする。
その瞬間、蓮さんの長い筋肉質の腕が私を強く抱きしめた。
そして、唇に感じる優しい感触。
触れては離れを繰り返すキス。
そのキスがもどかしくて。
「……もっと……」
蓮さんの唇が離れた時、私は蓮さんを見つめ呟いていた。
蓮さんが少し驚いたような表情を浮かべた後、妖艶な笑みを浮かべた。
近付いてくる蓮さんの顔。
私の瞳から唇に視線が移る。
いつもならここで恥ずかしくて瞳を閉じてしまうけど、今日は蓮さんの表情をずっと見ていたかった。
蓮さんの唇が少し開く。
その表情が物凄く色っぽくて私の心臓は跳ね上がった。
私の唇を見ていた蓮さんの視線が瞳に戻ってくる。
「……瞳、開けとけよ」
蓮さんの少し掠れた声に、言われた言葉を理解するのが精一杯だった。
私の瞳を見つめたまま、少し覗いた蓮さんの赤い舌。
その舌が私の下唇を舐めた。
身体に痺れた様な感覚が広がる。
下唇から上唇へ移動しながら私の体の力を奪っていく。
その感覚と見つめられる視線の所為で私の口から甘い溜息が出た。
蓮さんの唇が私の唇を包み込む。
だんだん深みを増していくキス。
気持ちよくてトロけてしまいそう……。
いつの間にかその感覚に溺れそうになるのを瞳を閉じて耐えていた。
ゆっくりと離れていく唇。
十分なキスだったのに……。
それでも離れていく唇を名残惜しく思ってしまう。
閉じていた瞳をゆっくりと開け、目の前にある蓮さんの顔を見つめた。
「足りねぇのか?」
口の端を片方だけ上げて笑みを浮かべる蓮さん。
いつもだったら『そんなことない!!』って顔を真っ赤にして俯くけど今日は違った。
私がいつもと違うのはこのお祭りの雰囲気の所為。
自分で自分にそう言い聞かせた。
「……足りない……」
私は蓮さんから視線を逸らして答えた。
「俺もだ」
「……え?」
「でも、これ以上すると止まらなくなる」
「……」
「続きは家に帰ってからだ」
私は俯いたまま頷いた。
顔が赤いのが自分でも分かる。
私はキスの続きを望んでいるのだろうか?
その先に続く行為を……。
頭では分からない。
もちろん恐怖も不安もある。
でも身体は蓮さんを求めている。
正直、キスの先の行為ってよく分からない。
漠然としか。
でも、蓮さんに触れて欲しいと思う。
蓮さんの温もりに包まれたい。
私は幸せになっちゃいけないっていう信号を一時でいいから止めて欲しい。
頭の中を真っ白にして欲しい。
突然、響いた爆発音。
身体に響く振動。
それと同時に空に咲いた大輪の花。
次々に咲き乱れる火の花。
「キレイ……」
私はその光景から瞳が逸らせなかった。
「だろ?穴場なんだ、ここ」
蓮さんの大きな手が私の頭を撫でる。
神社の裏にある高台。
目の前まで大きな花火が迫ってくる。
こんなにいい場所なのに私達以外に人はいない。
ここから見える夜景はとってもキレイなのに。
花火が上がっている今日なんかここも人が多くてもいい筈なのに。
「……ねぇ、蓮さん」
「うん?」
「なんでここって人がいないの?」
「入れないようにしてる」
「……?」
「今日はお前とここで花火を見ようと思ってたから人が入らないようにした」
「……入らないようにってどうやって?」
「マサト達を動かした」
空に大きく咲く花火を見ながら平然と言う蓮さん。
……動かしたって……。
「……登り口に見張りを立ててたとか?」
……まさかね。
いくらなんでもそこまではしないよね?
「あぁ」
「……!!」
「今日の朝から見張りと見回りを付けといた」
「……そ……そんなことに組の人を使っていいの?」
「あ?そんなこと?」
(p.214)
……。
お気の毒にマサトさん……。
組の皆さんも……。
今日も一日暑かったのに……。
本当にお疲れ様です。
「初めて一緒に見る花火だ。そのくらいの事をしても罰は当たらねぇだろ」
そう言って蓮さんは私のおでこにキスを落とした。
花火が終わって蓮さんと私はケンさん達が待つ場所へ戻った。
◆◆◆◆◆
「お帰り~!!美桜ちーん!!」
明らかにほろ酔い気味なケンさん。
何時にも増してテンションが高い気がする……。
「ごめんね~!美桜ちゃん達が行った後、急に一気大会が始まって……」
葵さんが両手を合わせた。
「一気?」
私が首を傾げると葵さんがテーブルの下を指差した。
そこには、大量のお酒のビンが転がっている。
「またかよ」
蓮さんが私の隣のイスに腰を降ろしながら呆れたように言った。
「祭りって言ったらテキーラだよな!」
ケンさんがテーブルの上のビンを指差した。
「テキーラ?」
そう言った私をヒカルやアユちゃんや葵さんがキラキラした瞳で見つめた。
「……?」
「「「美桜ちゃんテキーラ飲んだ事ないの?」」」
……すごい!!
見事に声が被ってる。
「美桜にそんなもん飲ますんじゃねぇぞ」
蓮さんの声にヒカルは諦めたようだけど、葵さんとアユちゃんは不満の声を上げた。
そう言えば、心なしか二人とも顔が赤くて瞳も潤んでいるような……。
「みんなも飲んだの?」
「うん、普通に飲んだよ」
普通なんだ……。
テーブルの周りの男の子達も大騒ぎしながらビンを廻している。
「どうぞ~!!」
私の目の前に置かれた半分位中身の入ったビン。
「はい?」
「飲んでみたら?」
無邪気な笑顔のケンさん。
美味しいのかな?
興味津々な私はビンに手を伸ばした。
ビンに口を付け、
「……うぇ……」
ほんの少し……
飲んだなんて言えない位。
舐めただけで私の口は拒否反応を起こした。
「……なんでこんなのが飲めるの?」
私の反応が分かっていたように蓮さんがお茶を差し出してくれた。
「美桜ちゃんか~わいい!!」
葵さんとアユちゃんが私の頭を撫でる。
……絶対バカにされてる……。
でも、無理!!
こんなの飲めない!!
「美桜ちんにはまだ無理か~」
ケンさんがビンを取って口に運ぼうとした。
「おい、ケン」
「ん?」
蓮さんの低い声にケンさんの手が止まった。
「それ、飲むな」
ケンさんが持っているビンを顎で指す蓮さん。
一瞬ビンを見つめたケンさんは意味ありげな笑みを浮かべた。
「これ、まだ中身が入ってんだけど」
ケンさんがビンを左右に振ると中身が音を立てた。
「そうだな」
タバコに火を点ける蓮さん。
「せっかく可愛い後輩が買って来てくれたんだ。残したら悪ぃーじゃん」
「だな。お前どんくらい飲んだ?」
「ビン半分ぐらい」
ケンさんがニッコリと笑った。
「ヒカルそれよこせ」
蓮さんがヒカルの持っているビンを指した。
「どうぞ」
私が口付けたビンの横にヒカルがビンを置く。
そのビンにもちょうど半分位入っている。
いつの間にか周りの男の子達も蓮さんとケンさんのやりとりを見つめている。
さっきまでの煩さが嘘みたいに……。
何?
何が始まるの?
「……葵さん」
私は隣にいる葵さんの顔を見た。
「うん?」
「何が始まるの?」
「テキーラ対決だよ」
「テキーラ対決?」
葵さんは私の耳元で小さな声で教えてくれた。
それによると、蓮さんが現役のトップの頃からよくイベントの時には、“テキーラ対決”が始まるらしい。
最初はチームみんなで始めるらしいけど、結局最後はお酒に強い蓮さんとケンさんの一騎打ちの戦いになるみたいで……。
しかも、この大会中“急性アルコール中毒”で倒れて救急車で病院に運ばれる人もいるらしい。
「そんなにしてまで勝ち負けを決めたいんだ」
唖然とする私に葵さんがクスっと笑った。
「今回はそれだけじゃないみたいだけど……」
「……?」
私が首を傾げると葵さんが楽しそうに笑った。
「蓮くんって案外……」
蓮さんは持っていたタバコを銜えると私が口を付けた方のビンを持った。
そして、銜えていたタバコを外すとゆっくりと煙を吐き出しビンを口に運んだ。
ビンに口を付けた瞬間、中身を喉に流し込んでいく。
途中で止まる事無くどんどん減っていくビンの中の液体。
『すげぇ……』
『ハンパねぇ!!』
周りの男の子達から歓声が上がる。
あっと言う間に一本目を飲み干した蓮さんは空のビンを置くと息つく暇もなく二本目に手を伸ばした。
「れ……蓮さん!?」
私の呼びかけに止まる事も無くビンを口に運ぶ蓮さん。
絶対ありえない!!
さっきちょっと舐めただけで喉がヒリヒリしたんだよ?
お酒の事はあんまり分かんないけど……。
最近お酒デビューしたばかりだけど……。
ビールしか飲んだ事ないけど……。
……でも……。
あれはあんな風にお水みたいに飲めるもんじゃない!!
絶対可笑しいって……。
やっぱり蓮さんは人間じゃないのかもしれない……。
上を向いた蓮さんの口に重力に逆らう事なく流れ込んで行くビンの中身。
蓮さんの喉の膨らみが定期的に動く。
それを見た私の心臓は意思とは関係なく勝手に高鳴った。
最後の一滴まで飲み干した蓮さんはビンから口を離すと手の甲で唇を拭った。
その仕草にも私の鼓動は速さを増す。
『うおー!!かっけー!!』
『やべー!!俺、蓮さんのテキーラ一気、初めて見た!!』
男の子達が興奮気味に捲くし立てる。
ビンを置くと手に持っていたタバコを銜えた蓮さん。
何事も無かったかのような表情で動作もいつもと変わらない。
「……蓮さん、大丈夫?」
私に視線を向けた蓮さんは余裕の笑みを浮かべた。
……やっぱり蓮さんは人間じゃない……。
「……相変わらず強いな」
みんなが驚いた表情を浮かべるなかケンさんだけが呆れたように口を開いた。
でも、やっぱりどこか楽しそうな笑みを浮かべている。
「てめぇには負けたくねぇし」
蓮さんが勝ち誇ったように言い放った。
「負けず嫌いでヤキモチやきの蓮くんには勝てません」
ケンさんが両手を肩の上に上げた。
“降参のポーズ”。
……?
蓮さんが負けず嫌いっていうのは分かる。
でも。
ヤキモチやきってなに?
……っていうか、なんで葵さんもアユちゃんも笑いを堪えてるの?
蓮さんの言葉は絶対のヒカルまで困った表情を浮かべながらも笑みを浮かべてるし……。
「いいんだな、ケン?」
「なにが?」
「今日の勝負、俺の勝ちで」
「はぁ?」
「負けた方がこの後のクラブの飲み物代全員分と今度の食事会の料金全額負担」
「……」
「悪ぃーな、ごちそうさま」
「……ちょっ!!待て……それって全部でいくら掛かるんだ!?」
「あ?わざわざ俺達のためにテキーラ買ってきてくれるような可愛い後輩に奢るのにケチケチしてんじゃねぇよ」
鼻で笑う蓮さん。
この展開は……。
「……」
無言のケンさん。
「葵もイヤだろ?こんな男」
「そうだね」
葵さんがニッコリと微笑んだ。
全然イヤそうな表情ではないけど……
葵さんの言葉にケンさんが顔を引き攣らせた。
「……ちょっと待て……」
「んだよ?」
「まだ勝負は終わってねぇし!!もし、俺が負けたら全員分奢ってやるよ」
「そうか?楽しみだな」
引き攣った顔で無理矢理笑みを浮かべたケンさんとは対照的に蓮さんは余裕の笑みを浮かべている。
周りで二人のやり取りを見ているみんなも楽しそうな表情。
多分これもいつもの事なんだろう。
「おい、それ貸せ」
ケンさんがチームの男の子から封を開けたばかりのビンを受け取った。
「これを全部飲んだら、俺の勝ちだからな」
「あぁ、そうだな」
ケンさんは立ち上がってビンを口に近付けた。
蓮さんの時と同じように減っていくビンの中の液体。
「きゃ~、ケン頑張って!!」
葵さんが声援を送った瞬間、飲むスピードがより一層速くなった。
……すごい、Loveパワーだ……。
ビンの中身が残り三分の一くらいになった時、少し離れた所から声が聞こえた。
『あら、楽しそう』
ケンさんが動きを止めビンを口から離した。
声がした方に一斉に向けられるみんなの視線。
「……綾さん!!」
私は思わず立ち上がった。
黒い生地に白い花の模様が入った浴衣を着た綾さんが私の顔を見てニッコリと笑った。
「美桜ちゃん、こんばんは」
長い髪をうなじの少し上で纏め上げている綾さんは相変わらずとても色っぽかった。
「こんばんは!!」
「美桜ちゃん元気?ご飯ちゃんと食べてる?蓮に変な事されてない?」
綾さんのキレイな顔が近付いてきて、私の顔を覗き込んだ。
……変な事って。
その言葉が可笑しくて私は笑いながら『はい』と答えた。
『ケンカ売ってんのかよ?』という蓮さんの言葉に綾さんは『売らないわよ。いつでも買うけど……』と軽くかわしてケンさんの肩に白くキレイな手を置いた。
「久しぶりね、ケン」
「……そうっすね。綾さん」
ケンさんの瞳が泳いでいる。
「楽しそうな事やってるわね。私も仲間に入れてくれない?」
綾さんはそう言うとケンさんの手からビンを奪い取った。
「あ……綾さん!!」
ケンさんが焦った声を発したと同時にビンを口に運んだ。
形のいい唇にビンが触れた瞬間、物凄い速さで中身を喉に流し込んでいく。
あっと言う間に飲み干した綾さんはゆっくりと口からビンを離した。
「……かっこいい……」
隣で葵さんが呟いた。
蓮さんが大きな溜息を吐いている。
綾さんはビンをケンさんの手の中に返すと妖艶な笑みを浮かべた。
「ごちそうさま」
綾さんのその表情を見て私は自分の顔が赤くなるのが分かった。
あまりにも色っぽい綾さん。
葵さんやアユちゃんの頬も赤い気がする。
「綾」
低く静かな優しい声。
ヒカルがイスから立ち上がり声のした方に深々と頭を下げた。
「お疲れ様です!!」
綾さんに見惚れていた男の子達もヒカルの声で我に返ったように慌てて頭を下げた。
一斉に飛び交う『お疲れ様です!!』と言う声。
その威容な光景に一般の人達もこちらに視線を向けている。
「響さん、お話は終わったの?」
綾さんが嬉しそうに組長の腕に自分の腕を絡めた。
「あぁ。うちのお姫さまは目を離すとテキーラを一気飲みするからね。目が離せない」
優しい眼差しを綾さんに向ける組長。
「見てたの?」
綾さんが気不味そうな笑みを零した。
そんな綾さんをニッコリと笑顔で見つめた組長がそのままの表情で私を見た。
「こんばんは、美桜さん」
蓮さんと同じ漆黒の瞳。
優しく穏やかな瞳。
この瞳を見ると私は安心感に包まれる。
「こんばんは」
「花火は見たかい?」
「はい!!」
私の答えに組長は穏やかに頷いた。
「お疲れ様です、響さん」
ケンさんが組長に頭を下げた。
いつもと違うケンさん。
無邪気な笑顔もおどけた雰囲気もない。
チームのトップのスイッチが入ったケンさん。
私は、その姿を見て違和感を感じた。
人から頭を下げられる事はあっても下げている姿を初めて見た。
『溝下のチームのバックには本職が付いている』
海に行ったときに林という男が言っていた言葉を思い出した。
「あぁ、ケン久しぶりだな。親父さんは元気か?」
「はい。来月、日本に帰ってきます。その時に挨拶に伺うと言っていました」
「そうか。その時お前も一緒に来い。話したい事がある」
「分かりました」
組長は後ろに立っていた黒いスーツの人に合図を送った。
黒いスーツの人が持っていたカバンから財布を出し組長に手渡した。
それを受け取った組長は「綾が邪魔して悪かったな。今日はみんなで思う存分飲んでくれ」と言って分厚い札束をケンさんに手渡した。
「いつもすみません。ありがとうございます」
ケンさんが頭を下げてそれを受け取った。
「美桜さん、また家においで。君が来てくれたら綾が喜ぶ」
「はい、ありがとうございます」
私が答えると組長はニッコリと微笑み蓮さんに視線を向けた。
「休暇、楽しんでるか?」
「あぁ」
「今のうちにゆっくり休んどけよ。お前のために仕事を沢山残しといてやる」
そう言って組長が口の端を片方だけ上げ笑みを浮かべた。
その表情は蓮さんによく似ていた。
「……マジかよ」
蓮さんが面倒くさそうに呟いた。
それを見た組長は楽しそうに笑いながら「それじゃあ」と言って背を向けた。
「ケン、私がいる時に家に来なさいよ」
綾さんがケンさんの頭をバチバチと叩いた。
「……痛いっすよ、綾さん。勘弁してください」
ケンさんが困ったような笑顔を浮かべた。
「綾さんがケンを虐めるから怯えてんだよ」
蓮さんが溜息を吐きながら助け舟を出した。
「あら?私は虐めてるんじゃなくて可愛がってるのよ?」
そう言って綾さんはケンさんの隣にいる葵さんを見た。
「あなた、ケンの彼女?」
「はい」
そう答えたのはケンさんだった。
「はじめまして、葵です」
ケンさんの言葉に葵さんが付け足した。
「はじめまして」
そう言って綾さんがニッコリと微笑むと葵さんの頬が赤く染まった。
「ヒカルとアユも仲良くしてる?」
「はい、おかげさまで……」
ヒカルが少し照れたように答えた。
「そう、よかった。今度、家でお食事でもしましょう」
綾さんの言葉にみんなが『はい!』と答えた。
「綾。そろそろ行くぞ」
組長の優しい声。
私達に話しかける時も組長の声は優しいけど、綾さんに話しかける声はそれ以上に優しかった。
きっと組長と綾さんはすっごく仲良しなんだろう。
私はそう思って組長と綾さんを見送っていた。
突然、背中に感じた視線に私は何気なく振り返った。
人混みの中から私を見つめる視線。
その人の瞳を見て私の身体は強張った。
私を鋭く睨む視線。
その瞳には憎しみ、憎悪、怒りが含まれている。
その女の子から私は視線が逸らせなかった。
その子の顔を私は見たことがない。
でも確実に私に向けられている視線。
「美桜さん?」
私の正面に座るヒカルの声でやっと見えない鎖から解放されたように身体が自由になった。
私は真正面に座るヒカルに視線を向けた。
ヒカルの視線は私を通り越し人混みに向けられている。
もう一度私が振り返った時女の子の姿は無かった。
「美桜、どうした?」
蓮さんの心配そうな声。
私は気付かれないように小さく深呼吸をした。
蓮さんの方に振り返りニッコリと微笑んだ。
「なんでもない」
もしかしたら、私の勘違いかもしれない……。
頭の中に浮かぶ女の子の瞳。
私はそれを必死で消そうとしていた。
せっかくみんなが楽しんでいるのに……。
私が動揺を顔に出したら、この雰囲気が壊れてしまう。
「美桜」
蓮さんが私の瞳を見つめる。
全てを見透かすような漆黒の瞳。
……大丈夫……。
私は自分に言い聞かせた。
感情を隠すのは得意だもん。
蓮さんと出逢う前はそれが当たり前だった。
だから大丈夫。
視界の端っこに映る心配そうなヒカル。
ヒカルは気付いているのかな?
さっきの女の子に……。
私の笑顔の下の不安に……。
何かを口にしようとヒカルの口が動きかけた瞬間それを遮るように私は言った。
「楽しいね、蓮さん!!」
……私は、ズルい……。
私は、蓮さんと私の会話にヒカルが入ってこれない事を知っている。
「あぁ」
私は気付いていなかった。
ヒカルに何も言わせないようにと必死で蓮さんが一瞬悲しそうな瞳をした事にも……。
私をいつも見ていた蓮さんが作り物の笑顔に気付いていた事も……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます