エピソード16

「祭り行くか?」

蓮さんの家に住み始めて2週間。

今日から世間はお盆休みに突入という日。

蓮さんの長期休暇も半分が過ぎた。

お昼ご飯を食べて一服している時、隣に座って雑誌を読んでいた蓮さんが突然、口を開いた。

テレビを見ていた私は蓮さんの顔に視線を向けた。

「いつ?」

「今日の夜」

「どこで?」

「ここの近くの神社」

「楽しい?」

「多分な。花火も上がるしテキ屋も結構出る」

「……りんご飴ある?」

「……?多分あるんじゃねぇか?」

「りんご飴買ってくれる?」

「あぁ……りんご飴が好きなのか?」

「うん、大好き!」

大好きなりんご飴があると聞いて一気にテンションが上がった私に蓮さんが笑いを堪えている。

「またガキっぽいと思ったんでしょ?」

私は蓮さんを横目で睨んだ。

「……別に」

そう言いながらも反対を向いた蓮さんの肩が小刻みに揺れている。

やっぱり思ってるじゃん!!

なんか悔しい。

でも、まぁいいか。

りんご飴が食べられるし。

「何時に行くの?」

「19時ぐらいに行くか。陽が眩しかったらイヤなんだろ?」

「……うん」

それからすぐに蓮さんはマサトさんに電話をしていた。

その会話にはやっぱり主語が無くて、どんな会話をしているのか全然分からなかった。

たまに『白』とか『赤』とか色を表す単語が出てきたけど他は分からなかった。

まぁ、蓮さんとマサトさんの会話は、いつも分からないから真剣には聞いていないんだけど……。

「今日は出掛ける時、髪を上げとけよ」

ケイタイを閉じた蓮さんが子供みたいに目を輝かせながら私に言った。

「……?」

髪を上げる?

アップにしろって事かな?

なんで?

……あぁ、私がいつも首の後ろが暑いって言うから……。

私は一人で納得した。

お風呂に入った私は蓮さんに言われた通りに胸まである髪を一つに纏めてねじり頭の高い位置にピンで留めた。

メイクして着替えようとクローゼットを開ける。

「着替えなくていい」

いつの間にか寝室に入って来ていた蓮さん。

「……?」

「まぁ、座って一服してろ」

ニコニコと笑顔で私の手を引いてリビングに連れて行く蓮さん。

……なんか怪しい……。

蓮さんが私に『一服しろ』って言う事はあまり無い。

いつもなら『あんまり吸うな』って言うのに……。

この前、海に行った時も葵さんとアユちゃんと3人で話しながらタバコ吸っていたら、いつの間にか後ろに蓮さんとケンさんとヒカルが立っていた。

3人とも眉間に深い皺を寄せて物凄く鋭い眼つきで私達を見ていた。

私達は固まってしまった。

『葵、なんでタバコ吸ってんだ?』ってケンさんが葵さんを見つめながら尋ねた。

『飲んだら吸いたくなって……』と葵さんはケンさんから視線を逸らしながら答えた。

『今、禁煙中じゃねぇのか、アユ?』

『今日だけ禁煙休みにしようと思って……』

『そうか』

ヒカルがニッコリと微笑んだけど……眼が笑っていなかった。

それを見たアユちゃんは『ごめんなさい!!』って速攻で謝ってた。

『いい機会だ。美桜、葵やアユと一緒に禁煙しろよ』

蓮さんが私に爆弾発言を言い放った。

『……蓮さんだってタバコ吸うじゃん』

『あ?なんか言ったか?』

蓮さんの眉間の皺がより一層深くなり、声も低くなってドスも効いてるような……。

『そのうち……』

蓮さんが閻魔大王に変身すると悟った私はそう言葉を濁すしかなかった。

私達が慌ててタバコの火を消すと3人は普段通りに戻った。

ホッと胸を撫で下ろした私達は、今度タバコを吸う時は3人の目が届かないトイレに行こうと固く誓った。

その後、私達は何度か3人でトイレに行った。

アユちゃんが『匂いでバレるからガムは必需品だよ!!』って言って大量のガムをくれた。

そんな蓮さんが『一服しろ』って言うのは……怪しい。

なんか企んでる?

そう思いながらタバコの煙を吐き出しているとインターホンが鳴った。

でも、蓮さんはソファから動こうとはしない。

「誰か来たよ」

「あぁ」

「出なくていいの?」

「マサトだ。勝手に入って来る」

「なんでわざわざインターホンを鳴らすんだろ?」

「お前に気を使ってんだろ」

「私に?」

「あぁ。突然入ってきたら驚くだろ?」

「……そうだね」

蓮さんの言葉通りインターホンが鳴って少しの間の後マサトさんがリビングに入ってきた。

「失礼します」

相変わらず、きびきびとした動きと話し方のマサトさん。

「お疲れ様です、姐さん」

マサトさんの厳ついコワモテの顔にも、この呼び方にもなんとなく慣れてきた。

「お疲れ様です、マサトさん」

私の笑顔の挨拶に優しい笑顔を返してくれる。

「頭、コレ頼まれていたものです」

そう言ってマサトさんが蓮さんに手渡した大きな紙袋。

その紙袋は、テレビのCMで見た事がある有名老舗着物屋さんの紙袋だった。

それを受け取った蓮さん。

中から出てきたのは木製の上品な箱が二つ。

大きい方の箱を開けて、蓮さんが中身を取り出す。

「美桜、ちょっと立ってみろ」

私は、首を傾げながらソファから立ち上がった。

蓮さんは綺麗に畳まれていたそれを豪快に広げると私の肩に掛けた。

「……浴衣?」

真っ白な生地。

裾には金の縁取りが施してある朱色の花が咲き乱れていた。

……綺麗な浴衣。

「着替えるか」

蓮さんがソファから立ち上がった。

その言葉で浴衣に見惚れていた私は我に返った。

「マサト、座ってろ」

「はい」

ソファの横に立っていたマサトさんが一礼して腰を下ろした。

蓮さんが肩に掛かっている浴衣を取り、大きな紙袋を持って私の手を引いて寝室に向かう。

「脱げ」

寝室のドアを閉めた蓮さんがベッドに座り立ち尽くしている私に声を掛けた。

「はい?」

いまいち状況が飲み込めていない私はすっ呆けた声を発してしまった。

「浴衣に着替えるからそれを脱げって言ってんだよ」

それって言うのは私が今着てる部屋着の事だよね?

蓮さんは黙々と紙袋の中身を取り出している。

どうやら私は今から浴衣に着替えるらしい……。

「……無理……」

私の声に蓮さんが顔を上げた。

「なにが?」

「……私、浴衣の着方なんて知らないし」

浴衣なんて着たこともない私が自分で着るなんて絶対無理!!

蓮さんがせっかく準備してくれたけど……。

「知ってる」

「は?」

「お前が自分で着れないのは分かってる」

「……?」

知っててなんで浴衣を準備したんだろう?

「俺が着せてやる」

「へ?」

蓮さんは『任せとけ』と自信満々な笑顔を浮かべた。

部屋着を脱いだ下着姿の私は両腕でブラを隠してその場に蹲った。

「それも外せ」

蓮さんがブラを指差して言う。

「は?なんで?」

「浴衣を着た時に、それの線が出るんだよ」

……なるほど。

外さないといけない事は分かった。

でも。

「……ここで外すの?」

私の言葉に蓮さんの眉間に皺が寄った。

「あ?どこで外すつもりだ?マサトの前か?」

ヤバイ。

また、閻魔大王に変身しそう。

私が、わざわざマサトさんの前に行って脱いだらただの変態女じゃん。

喉まで出そうになったけどそれを言ってしまうと蓮さんは確実に閻魔大王に進化を遂げてしまう。

そう思って静かに飲み込んだ。

そんな私に蓮さんが白い布の様なものを差し出した。

「外してそれを着てろ」

それは、柔らかく触り心地が良かった。

蹲ったままそれを肩に掛けてその中でブラを外した。

いつ落ちてしまうかと、ヒヤヒヤしながらもなんとか蓮さんに言われた通りブラを外す。

私が身に纏ったそれにはボタンなんて気の利いた物など付いて無く、私は両手で前を合わせて握り締めた。

「立て」

蓮さんがベッドから腰を上げ私の前に立った。

私は、前を握り締めたまま立ち上がった。

「手、退けろ」

「……退けたら見えるじゃん……」

「今更なに言ってんだ?風呂入るときに毎日見てんだろーが」

「……そうだけど……」

……確かに一緒にお風呂に入っている。

でもまだ慣れることは出来ない……。

未だに脱衣所で服を脱ぐ時は恥ずかしくて堪らない。

全身に向けられる視線に鼓動は高鳴り全身が熱くなってしまう。

蓮さんは溜息を吐くと私に一歩、近付いた。

「もう少し下を持て」

私は言われた通り手を少し下に滑らせた。

鎖骨の少し下辺りを蓮さんが器用に合わせた。

「もう見えねぇから手を離せ」

私が恐る恐る手を離すと蓮さんが素早く胸の辺りを押さえた。

ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、脇の近くの隙間から蓮さんの右手が中に滑り込んできた。

「……蓮さん!?」

「あ?」

動揺した私の顔に視線を向ける事も無く襟元を見たまま蓮さんが答える。

「胸、触ってる」

蓮さんの滑り込んできた右手の指先が私の胸に触れている。

しかも、前がはだけない様に押さえてある左手もちょうど胸の上にある・。

「わざとじゃねぇよ。お前が見られたくねぇって言うから仕方ねぇだろうーが」

……それって胸を見られるか触られるかって究極の選択じゃん。

よく蓮さんがその二択を口にしなかったなぁ。

もし、『どっちがいいか選べ』って言われても困るんだけど。

そんな事を考えていると、蓮さんがベッドの上から細い紐を取りフローリングの床に膝を着いた。

その紐を私の腰の少し下辺りに巻きつけ結ぶ。

蓮さんの視線が私の全身に向けられる。

私は思わず俯いた。

「よし」

蓮さんが小さく呟いてベッドの上に置いてある浴衣に手を伸ばした。

「腕、通せ」

私は言われるがまま蓮さんが広げてくれている浴衣の袖に腕を通した。

蓮さんは慣れた手つきで襟を合わせていく。

「どうして浴衣の着付けができるの?」

私は黙々と作業する蓮さんを見つめた。

「実家に住んでる時に綾さんによく手伝わされた」

「綾さんに?」

「あぁ、あの人は親父と出掛ける時に着物を着る事が多いからな」

「そうなの?」

「組長の嫁だから関係者と会うとき同伴する事が多いんだ。そんな時は殆どが着物だ」

蓮さんは話しながらも手を動かしている。

本当に蓮さんって何でも出来るんだ。

「蓮さんって優しいんだね」

「優しい?」

「うん。綾さんの着付けを手伝ってあげてたんでしょ?」

「いや……良心で手伝っていた訳じゃない」

「……?」

「断ると殴られるんだ」

「……はぁ?綾さんに?嘘でしょう?」

綾さんには、一度しか会った事がないけど、凄く綺麗でモデルみたいなスタイルをしていて、上品で優しい人。

少しだけ気は強そうな感じだったけど、人を殴るようには見えなかった。

「今はあんなんだけど綾さんは元ヤンなんだよ。ケンカも強いし……。俺が中学生の頃はよくボコボコにやられていた」

「信じられない」

「まぁ、見てろ。そのうちにボロが出る」

「……」

「よく家に遊びに来ていたケンも何度か断って殴られてた。今でもケンは綾さんにビビってる」

楽しそうに話す蓮さん。

組長の家に行った時、蓮さんに『覚悟しとけ』って言われた意味が何となく分かったような気がした。

「よし、出来た」

帯を締め終わった蓮さんが満足そうに私を見つめる。

それから、私の髪に浴衣の裾に描いてある花とお揃いの朱色の花の髪飾りを付けてくれた。

「完璧」

瞳を細めて見つめる蓮さんに私は恥ずかしくなって少し俯いた。

そんな私のおでこに蓮さんはキスを落とした。

『よく似合ってる』って呟きながら。


寝室を出るとマサトさんが立ち上がって迎えてくれた。

「良くお似合いです、姐さん」

マサトさんが優しい笑顔を向けてくれる。

「ありがとうございます」

「鏡を見て来い」

蓮さんが私の肩を優しく押してくれる。

私は姿見の大きな鏡の前に立った。

真っ白な浴衣に咲き乱れる朱色の花。

赤と金の帯が白い生地によく合っている。

とても大人っぽい浴衣だけど大きな朱色の花の髪飾りのお陰で私に馴染んでいる気がした。

久しぶりにアップにした髪形のお陰で蓮さんとお揃いのピアスが強い光を放っていた。

「カシラ、姐さんにピッタリの浴衣ですね」

「あぁ、仕立てが間に合って良かった」

「そうですね」

「仕立て?……もしかしてわざわざ作ってくれたの?」

私は鏡から二人に視線を移した。

「はい先週、カシラが注文されてさっき出来上がったばかりです」

マサトさんが教えてくれた。

「……」

今日の為にわざわざこの浴衣を作ってくれたの?

てっきり出来上がっているのを買ってきてくれたんだと思ってた。

しかも一週間前って私と一緒にいなかった?

……そういえば、蓮さんなんかパソコンを見てたような……。

やっぱり蓮さんには敵わない。

「ありがとう蓮さん。すごく嬉しい」

私は素直に気持ちを伝えた。

「おう」

蓮さんは照れくさそうに笑った。

しばらくしてマサトさんは帰っていった。

帰る間際に『親父と綾姐さんも祭りに行くそうですから、もしかしたら会うかもしれませんね』と言った。

綾さんも“姐さん”って呼ばれてるんだ……。

もしかしたら、この世界では女の人はみんな“姐さん”って呼ばれるのかもしれない。

そう思ったら少し気分がすっきりした。

マサトさんが帰った後、私は蓮さんに聞いた。

「組長と綾さんってお祭りに行ったりするんだね」

「二人とも祭り好きだからな。それに親父も盆休み中だ」

「は?組長にも盆休みとかあるの?」

「ん?盆休みも正月休みもあるぞ。週休二日だしな」

「そうなんだ」

「組長って肩書きの他にも幾つかの会社を経営してるから忙しいって言えば忙しいけど、その辺の会社の社長よりは休んでるんじゃねぇか?」

知らなかった。

組長にも休暇ってあるんだ。

それに組長も会社経営してるんだ。

蓮さんも建設会社とITの会社を経営してるって言ってたな……。

他にも言ってたけど何の会社か忘れちゃった……。

お祭りで綾さんに会えたらいいな。

「そろそろ行くか?」

蓮さんが私の顔を覗き込む。

「うん」

私は蓮さんに微笑んで答えた。

 



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