エピソード14
「……桜……」
「……」
「……美桜……」
「……」
……ん?……
「……美桜」
……この声は蓮さん?……
「起きろ、美桜」
私はゆっくりと瞳を開けた。
「どうしたの?」
私の意思と関係無くくっ付こうとする瞼を擦りながら隣に横になってる蓮さんの顔をみる。
「今日、行くんだろう?」
……今日……?
……行く……?
……あっ、そうだった!!
勢い良く飛び起きる。
次の瞬間、私は眩暈に襲われ瞳を閉じて動けなくなった……。
「飛び起きるからだ」
蓮さんが呆れたように言って私の手を引っ張った。
力が入らない私はそのまま蓮さんの腕に頭を載せて横になった。
「まだ時間はある。落ち着くまでゆっくりしとけ」
◇◇◇◇◇
昨日の朝、鬱陶しかった生理がやっと終わった。
結局、一週間続いた。
その間、私と蓮さんはずっとゴロゴロしていた。
あんなにいろんな所に行く計画を立てていたのに蓮さんは一歩も外に出ようとせず私の傍にいた。
一日一回、夕方にマサトさんが重箱を持って来た。
綾さんが毎日作ってマサトさんに預けてくれていた。
一度、蓮さんのケイタイから綾さんに電話をした。
『お弁当ありがとうございます』と言う私に『いいのよ。私が勝手にしてるんだから』と言ってくれた。
『今度お料理教えてください』って言ったら『いいわよ。いつでもいらっしゃい』と綾さんは笑っていた。
マサトさんは30分くらい主語のない会話を蓮さんとして帰って行く。
休暇中の蓮さんに気を使っているのかケイタイへの連絡も殆ど掛かってこない。
生理が終わりやっと鬱陶しさから解放された私は一週間ぶりに蓮さんと一緒にお風呂に入った。
蓮さんは嬉しそうに泡で遊ぶ私を見ていた。
バスルームを出た私達はリビングのソファで一服していた。
『飯でも食いに行くか』という蓮さんの提案に頷こうとした時、ケイタイが鳴った。
蓮さんは液晶を見るとケイタイを耳に当てて『何だ?』と面倒くさそうな声を出した。
それを見ていた私は電話の相手がマサトさんじゃないと思った。
しばらく電話の相手と話していた蓮さんがケイタイを耳から離し『明日ケンが海に行こうって言ってるけど行くか?』と聞いた。
突然の事に思わず頷いた私を見て蓮さんはまたケイタイを耳に当てて『行く』と告げた。
ケイタイを閉じた蓮さんは『水着を買いに行くぞ』と張り切っていた。
『そうだね』と言った私はある事に気づいた。
『私、ビキニ着れない』
『あ?』
『背中の傷が見えちゃうから……』
『お前、ビキニなんか着るつもりか?』
心なしか眉間に皺が寄ったような気が……。
この前、海に行った時にも、女の子達はみんな可愛いビキニを着て楽しそうに遊んでたし……。
『……?水着って言ったらビキニでしょ?』
私がそう言った瞬間、蓮さんの顔が閻魔大王に変身した……。
『ケンのチームの奴も来るんだぞ?』
『……うん』
『海に行けば男もうじゃうじゃいるんだぞ?』
『……はい』
『そんなとこでお前はビキニ着るって言ってんのか?』
ひぃぃぃ……!!
こ……怖い……。
なんかよく分かんないけど……
どうやら私が他の男の人の前でビキニを着る事を怒っているらしい……。
でも、海に入るのに……。
水着買いに行くって言ったのに……。
『水着の上にTシャツ着とけ』
蓮さんが溜息を吐いた。
『……分かった』
『絶対Tシャツ脱ぐなよ』
『……はい』
その後、私たちは水着を買いに出かけた。
◇◇◇◇◇
約束の9時ちょうどにインターホンが鳴った。
「ケンさんだ!」
私は、自分の荷物を持って立ち上がった。
「あぁ」
吸っていたタバコを揉み消した蓮さんは自分の荷物を持って立ち上がった。
そして、私が持っていた荷物を奪い取ると「行くぞ」と言って玄関に向かった。
玄関のドアを開けるとそこに立っていたのはヒカルだった。
あれ?
ケンさんは……?
昨日の電話では朝9時にケンさんが迎えに来てくれるって蓮さんが言ってたのに……。
「おはようございます」
蓮さんと私に深々と頭を下げるヒカル。
「ケンは?」
蓮さんの言葉に顔を上げたヒカルは言いにくそうに口を開いた。
「それが……ちょっと……駅で……」
「目立ち過ぎだ」
蓮さんはそれだけ言うとそれ以上何も聞こうとはしなかった。
「……?」
話が見えずに首を傾げる私の肩を蓮さんが抱いた。
それを見ていたヒカルがすかさず蓮さんの荷物に手を伸ばした。
「持ちます。下に車を用意してますから」
そう言って先にエレベーターの前に行きボタンを押してくれた。
マンション一階のエントランスを抜け、外に出ると白のセルシオが停まっていた。
……目立つ車だな……。
ヒカルは後部座席のドアを開けてくれた。
車に乗って車内をキョロキョロと見回す私。
どうやらこの車は新車のようだ。
「いい車でしょう?」
車内を見回す私にヒカルが運転しながら声を掛けてきた。
「はい」
「先月、免許を取ったお祝いに蓮さんから頂いたんです」
……。
……はい?
……貰った?
……この車を?
……蓮さんに?
蓮さんに視線を向けると涼しい顔して窓の外を見てる。
新車の車を買ってあげたの!?
なんか、いろいろツッコみたいけどあまり触れてはいけない気がする……。
「先月、免許を取ったんですか?」
それとなく話題を変えてみた。
「はい」
ヒカルがバッグミラー越しにニッコリと微笑んだ。
その割には運転に慣れているような……。
「免許を取ったのは先月だが運転はプロ並だ。安心して乗ってろ」
外を眺めていた蓮さんがいつのまにか私の顔に視線を移していた。
……それって無免許で運転していたって事じゃ……。
私はある事に気付いた。
「……初心者マークがついてない」
小さな声で呟いた私の顔を蓮さんが覗き込んだ。
「初心者マークってなんだ?」
もう蓮さんったら初心者マークも知らないの?
仕方ない、私が教えてあげよう!
「ほら、こんな形の黄色と緑のヤツがあるでしょ?」
私は指でその形を描いて説明した。
「それを着けないといけないのか?」
「そうだよ。免許取って一年間は着けてないといけないんだよ」
「そうか。俺はてっきりアレは、車のアクセサリーだと思ってた。それ着けてなかったらどうなるんだ?」
「どうなるって警察に止められるんじゃない?」
「おい、ヒカルちゃんと着けとけよ。捕まるぞ」
そうだよ、ヒカル。
捕まっちゃうよ!!
……。
あれ?
ヒカル?
笑ってる?
運転するヒカルの肩が小刻みに揺れている……。
蓮さんも笑いを堪えてるし……。
もしかして……また、私からかわれてる?
免許を持っている蓮さんが初心者マークを知らない筈がない……。
「……本当は知ってるんでしょ?」
蓮さんが声を上げて笑い出した。
ヒカルも遠慮気味に笑ってるし……。
失敗した……。
自慢気に説明したのに……。
知ってるなら途中で止めてくれたら良かったのに……。
◇◇◇◇◇
車が繁華街近くの駅に静かに止まった。
ここが待ち合わせの場所らしい。
ヒカルがドアを開けてくれて車を降りた私はその光景に固まった。
駅の駐車場に止められた車。
何台もの厳つい高級車。
その中央には白のアストロ。
それだけでも朝の駅には不似合いなのに……。
車のまわりを取り巻く大勢のガラの悪い集団。
みんな今風の格好なんだけど……。
いろんな色の髪。
厳ついアクセサリー。
服の間から見えるTATTOO。
スキンヘッドで頭にTATTOOが入ってる人もいる。
ケンカが始まりそうな雰囲気ではないけど……。
むしろみんな楽しそうに笑ってるけど……。
……明らかに浮いている……。
どう見ても朝から活動する人達には見えない。
彼らには深夜の繁華街が似合ってる……。
その集団から少し離れた所に止まる数台のパトカー。
彼らの動向を厳しい表情で見守る警察官。
その中には私服の警官も何人かいる。
物々しい雰囲気に足を速める通行人。
興味津々に見つめる野次馬達。
明らかにいつもの駅の雰囲気ではなかった。
「どうした?」
固まる私の肩に腕をまわして自分の方に引き寄せる蓮さん。
「美桜ち~ん!!」
聞きなれた声に私は振り返った。
集団の中心で大きく手を振っているケンさん。
一斉に向けられるたくさんの視線。
「こっち!こっち!!」
ケンさんは私たちに向かって手招きしてる。
「朝から元気だな」
蓮さんが呆れたように言ってケンさんの方に向かって歩き出した。
蓮さんに向かって頭を下げ挨拶する男の子達。
「おはよう!美桜ちん!!」
この周りの雰囲気に気付いていないのか、気にならないのか無邪気な笑顔のお猿なケンさん。
「おはようございます」
「美桜ちん、ごめんね。迎えに行けなくて」
ケンさんが申し訳なさそうに謝った。
「目立ち過ぎじゃねぇか?」
蓮さんが鼻で笑った。
「そうか?別にただ待ち合わせをしてるだけじゃん」
だからケンさんは迎えに来れなかったんだ。
こんなに警察がいたらチームの人だけ残してここから離れることはできないよね……。
「美桜ちゃん、はじめまして」
突然、女の人に名前を呼ばれて慌てて顔を上げた。
そこには、私より少しだけ背の高い女の子がニッコリと笑顔で立っていた。
切れ長の大きな瞳。
前下がりのボブで明るい茶色い髪。
耳にはケンさんと同じくらいたくさんつけられているピアス。
胸元にはケンさんと同じシルバーのネックレス。
もしかして、この人……。
「……葵さん?」
「うん!」
葵さんは私の両手を掴んで上下にブンブン振りながら嬉しそうに頷いた。
「ケンから話は聞いてるよ。仲良くしようね!」
そう言って無邪気に笑う葵さんはなんとなくケンさんに似ていた。
「葵、来月から美桜も聖鈴行くから頼むな」
「うん。任せて!!蓮くん」
「よろしくお願いします」
私は頭を下げた。
そんな私の肩を掴んで葵さんは頭を上げさせる。
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ?」
「……はい」
「あっ!敬語も無しね!!」
葵さんはニッコリと笑った。
「葵、美桜ちんの事イジメんなよ」
ケンさんが葵さんの肩に腕をまわす。
「そんなことしないよ!」
「そうか?」
葵さんを見つめるケンさんの瞳はとても優しかった。
「すみません。失礼します」
ヒカルが口を挟んだ。
「どうした?」
ケンさんがヒカルの顔に視線を向けた。
「警察が動き出しました」
ケンさんがパトカーの方に視線を移した。
ヒカルの言葉通りさっきよりもパトカーも警官の数も増えていて、慌ただしくなっている。
「有名人がいるからな」
ケンさんはそう言って蓮さんの胸に軽く拳をぶつけた。
「俺のせいじゃねぇよ」
蓮さんが不機嫌そうに呟いた。
「んじゃ、検挙者が出る前に出発するか。ヒカル出るぞ」
「はい」
ヒカルが返事をしてその場を離れた。
「出るぞ!!」
少し離れた所からヒカルの声が聞こえた。
みんなが慌しく車に乗り込んでいる。
「美桜ちんはこれに乗って!」
ケンさんが指差したのは白のアストロ。
どうやらいちばん目立ってるこの車はケンさんの車らしい……。
後部座席の横開きのドアを開けてくれた。
3列シートの真ん中の座席に座る。
その横に蓮さんが座った。
「蓮くん」
葵さんが蓮さんを呼んだ。
「ん?」
「今日は前に乗って」
そう言って助手席を指差す。
「なんで?」
「私が美桜ちゃんの隣に座る」
「あ?」
少し不機嫌な表情の蓮さん。
「お前いつも美桜ちんとベッタリなんだから今日ぐらい葵に譲ってやれよ」
葵さんの後ろから顔を出したケンさんが加勢する。
二人とも無邪気な笑顔で。
「葵にイジメられたらすぐ言えよ」
そう言って蓮さんは車を降りた。
「ありがとう、蓮くん」
葵さんが隣に飛び乗ってきた。
葵さんが乗ったのを確認してケンさんがドアを閉める。
助手席に蓮さんが座り運転席にはケンさん。
ケンさんがエンジンを掛けると大音量の音楽が流れ始めた。
でも、その音は耳障りではなく、むしろ身体に心地良い振動として伝わってきた。
他の車もエンジンを掛けて出発を待っている。
ケンさんがクラクションを鳴らすとゆっくりと一台の車が駅の駐車場を出て行く。
その後に続くように他の車も動き出す。
止まっていた車が半分くらいになった時ケンさんのアストロも動き出した。
その後ろからも車がついてくる。
まだ朝早いからか開け放たれた窓からは心地良い風が流れ込んでくる。
「他の奴らは?」
蓮さんがケンさんに話し掛けている。
「先に行って準備してる」
「また、目立つ所に場所取ってんじゃねぇか?」
「一番いい場所取れって言ってある」
「じゃあ一番目立つ場所だな」
「だな」
楽しそうに笑う二人。
「食べる?」
笑顔でガムを差し出す葵さん。
「ありがとう」
私はガムを受け取った。
海に着くまで葵さんはずっと喋っていた。
私より2歳上で聖鈴の高等部の2年生って事。
聖鈴の校則の事。
でも成績さえ良ければ、校則を守ってなくても先生は何も言わない事。
一番可愛く見える制服のスカートの丈の事。
Yシャツのボタンは上から3個開けるのがベストってこと。
ソックスはどこのブランドが聖鈴の生徒のブームかってこと。
最初は緊張していた私も海に着く頃にはタメ語で話せるくらいまで打ち解ける事ができた。
葵さんは本当に優しくてずっとニコニコしていた。
その笑顔も全然嫌味な感じじゃなくてすごく好感が持てた。
女の子とあまり話したことがない私には葵さんとの会話はとても新鮮だった。
蓮さん達もずっと楽しそうに話していた。
たまに私と葵さんの会話に参加する二人。
その度に『邪魔しないで!!』って葵さんに怒られていた。
駅を出発して一時間くらいして海に到着した。
駐車場で車を降りるとガラの悪い男の子達で溢れかえっていた。
ところどころに女の子の姿も見える。
『チームの男の子の彼女も来てるんだよ』って葵さんが教えてくれた。
ケンさんのチームのイベントは危険がない限り殆どが彼女同伴OKらしい。
思わず私は警察の人がいないか辺りを見回してしまった。
今のところ大丈夫みたいだ。
駐車場から砂浜に行くとそこにも一目でケンさんのチームの人って分かる男の子が沢山いた。
砂浜のど真ん中に引かれた大量のブルーシート。
その上や周りに置かれた沢山のイスとパラソルが見える。
その脇にはバーべキューの準備もしてある。
4人でそこに行くとみんなが『お疲れ様です!』と頭を下げた。
この人たちが朝の6時に出発して準備や場所取りをしてくれたらしい。
「美桜ちゃん着替え行こう」
葵さんが私の手を取った。
「うん」
私たちは更衣室に向かった。
◇◇◇◇◇
更衣室でビキニに着替えて上から蓮さんに言われた通りTシャツを着て個室を出た。
隣の個室から出てきた葵さんも水着の上にTシャツを着ている。
「美桜ちゃんも蓮くんに言われたの?」
「うん。葵さんも?」
「そう。面倒くさい彼氏持つと大変だね」
葵さんが小さな溜息を吐いた。
「そうだね」
ケンさんも葵さんがビキニ着たら怒るんだ……。
唯一の弱点である葵さんを叱るケンさんの姿が全く想像出来ない……。
なんだか可笑しくなった私は笑ってしまった。
それを見た葵さんも笑い出した。
蓮さん達が待つシートの所に戻るとケンさんのチームの人達は海に入ったり砂浜を走り回って遊んでいた。
蓮さんとケンさんはシートのど真ん中に置いてあるイスに座り缶ビールを飲んでいた。
二人の両脇にもイスが置いてある。
誰かが私と葵さんの為に準備してくれたようだ。
チームの男の子達は殆どが水着だけで身体の至る所に入ってるTATTOOを惜しみなく人目に晒している。
でも、蓮さんとケンさんは黒いTシャツを着ていた。
蓮さんがTシャツを着ている理由は分かる。
背中一面に入っている“刺青”を人目に晒す訳にはいかないから……。
ケンさんは、葵さんや蓮さんに気を使っているのかもしれない。
……でも……。
もしかしたら蓮さんみたいに“刺青”が入っているのかもしれない。
私がそう思うくらい蓮さんとケンさんは同じ雰囲気を纏っていた。
沢山の人で賑わうこの場所。
人と人とが混み合う砂浜に広々と占領された空間。
大音量で流されてる洋楽の曲。
お世辞にも普通の人とは言えない集団。
その中心でイスに深く腰掛けビールを飲みながら会話を交わす二人は明らかに周りとは違う風格。
関係の無い人が見ても他の男の子達とは格が違うと分かる二人。
こうして見るとやっぱり距離を感じてしまう。
蓮さんの傍に寄ろうと思っても足が竦んで近寄ることができない。
「美桜ちゃん?」
立ち止まった私に気付いた葵さん。
「どうしたの?」
優しい笑顔で私の顔を覗き込んだ。
「行こう!!」
葵さんが私の手を引いてくれた。
……私は葵さんの無邪気な笑顔に救われた……。
「蓮くん!!美桜ちゃん、無事に連れてきたわよ」
茶目っ気たっぷりに蓮さんに私を差し出す葵さん。
「あぁ、ありがとう」
「どういたしまして。あっ!!ケン!!」
ニッコリと蓮さんに微笑んだ次の瞬間、突然すごい剣幕でケンさんを睨む葵さん。
「へっ?」
なんで葵さんに睨まれているのか分からないケンさんが惚けた声を出した。
「なんでもう飲んでんのよ!!」
「……喉が渇いて……」
「私が戻るまで待っててくれてもいいでしょ?」
「……はい」
「私だって喉渇いてるんだから!!」
「……」
「ちょっと!ちゃんと聞いてるの!?」
「……聞いてます」
ケンさんが焦りモードに入ってる。
「また始まった」
蓮さんが楽しそうに言った。
クスクスと笑う私の手を蓮さんが掴み引っ張った。
私は蓮さんの膝の上にスッポリと収まった……。
「……」
……あのー……。
今二人っきりじゃないんですけど……。
周りに人が沢山いるんですけど……。
「何飲む?」
至近距離で私の顔を覗き込む蓮さん。
「酒飲みなよ。美桜ちん酒飲むと超おもしれーから」
「そうなの!?美桜ちゃん飲みなよ!!」
私が蓮さんの膝の上に乗っかってるのにその事にはまったく触れずにお酒を勧めてくる二人。
「ビールとカクテルとチュウハイどれがいい?」
「……ビール」
「ビール取って」
蓮さんがクーラーボックスの近くにいる男の子に言う。
「私、カルピスチュウハイ!!」
葵さんも元気いっぱいに注文してる。
「どうぞ」
男の子が私にビールを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
男の子はニッコリと微笑んだ。
……。
誰も何とも思わないの?
蓮さんの膝の上にすっぽりと収まってる私を見て何も思わないの!?
これって恥ずかしいことじゃないの?
だって横にちゃんとイスがあるのにわざわざ蓮さんの膝の上に座ってるんだよ!?
なんで誰もツッコんでくれないの?
もしかして……これって何かの罰ゲームとか?
そうじゃなかったら私がどんなリアクションとるか賭けてるとか……?
そんなの許せない!!
「……私を賭けの対象にしないで下さい……」
「は?」
蓮さんが怪訝そうな表情を浮かべた。
どうせそれも演技なんでしょ?
「蓮さんの膝の上で私がどんなリアクションとるか賭けてるんでしょ?」
「誰と誰が?」
「……蓮さんとケンさん」
「「……ぷっ!!!」」
ケンさんと葵さんが同時に吹き出した。
「なぁ?美桜ちん酒飲むとおもしれぇだろ?」
「うん。超面白い!!」
「こいつまだ飲んでねぇよ」
「……」
「……」
蓮さんの言葉に一瞬沈黙が広がった。
「もしかして美桜ちん天然ちゃん!?ぎゃはははっ!!」
「ケン!そんなに笑ったら美桜ちゃんに失礼だよ!あはははっ!!」
葵さん……全然フォローになってないんですけど……。
「……違うの?」
「どういう考え方したらそういう結果が出るんだ?」
蓮さんが溜息を吐く。
ケンさんと葵さんはお腹を押さえ、目には涙まで浮かべて笑ってるし……。
どうやら私は素敵な勘違いをしてしまったらしい。
なんか……かなり恥ずかしい……。
こんな時は飲むしかない!!
飲んで酔えばこの状況を乗り切れる気がする!!
苦いけど最初だけ我慢すれば……。
私は缶に口をつけた。
「飲んで現実逃避とかすんなよ」
「……バレた……?」
「お前の行動ぐらい分かるって何度も言ったよな?」
蓮さんの機嫌が悪くなったという事は眉間に寄った皺と低くなった声で分かる。
「……うん」
あんなに笑ってたケンさんと葵さんはもう違う話題で盛り上がってる。
そんな二人に助けを求めることなんてできない……。
蓮さんは小さく舌打ちすると私が持っていた缶ビールを取り近くのテーブルに置くと私を抱いたまま立ち上がった。
「ちょっと遊んでくる」
ケンさんにそう告げると歩き出した。
「「いってらっしゃい~!!」」
後ろからケンさんと葵さんの暢気な声が聞こえた。
周りにいる人の視線を物凄く感じる。
……無理も無いけど。
ただでさえ目立つ蓮さんが私をお姫様抱っこして歩いてるんだから……。
ケンさんのチームの男の子達も不思議そうな顔して見てる。
蓮さんはそんな視線が気にならないのか平然な顔をしている。
波打ち際まで来るとそのまま止まる事無く足を進める。
私は水への恐怖心から蓮さんの首に腕をまわししがみついた。
蓮さんの膝位の水位の所で足を止めると私を抱いたままそこに腰を下ろした。
ひんやりとした水の感触に身体がビクッと反応する。
胡坐を掻いた足の隙間に私を座らせると首にしがみつく私の身体を少し離し顔を覗き込んだ。
「なんで賭けの対象にされたと思ったんだ?」
「……?」
「俺とケンが賭けてると思ったんだろ?」
「……」
……いや……それは私の素敵な勘違いだったみたいだから……。
っていうかそっちなの?
「美桜?」
「……私が……」
「うん?」
「……私がビール飲んで酔おうとしたから怒ってるんじゃないの?」
「は?」
「だってこの前言ったじゃん……」
「なんて?」
「『酔うと顔がエロい』って……」
ここにはたくさん男の人がいるしケンさんのチームの男の子達だっている。
それなのに私が酔って現実逃避しようとしたから。
「それは俺がお前と一緒にいない時の話だ」
「へ?」
「俺がお前と一緒にいない時は酒を飲むなって言ったんだ」
「……」
「だから俺と一緒にいる時は酔い潰れようが、俺に絡もうがお前が楽しければ好きなだけ飲んでいい」
「……でもさっき私がビール飲もうとした時、蓮さん止めたじゃん……」
「お前朝飯も殆ど食ってねぇのに一気に酒飲んだら具合悪くなるだろーが」
「……はい」
そうか、蓮さんは私が具合が悪くなる事を心配して止めてくれたんだ……。
また、私の勘違いだったみたい……。
「それで?」
「……え?」
「俺の質問の答えは?」
「……」
「聞いてんだ。答えろ」
「……」
「美桜」
「……」
「沖で話すか?」
……それって……
……私、沈められるんじゃ……。
「……あの……それは……どうやら私の……勘違いだったみたいで……」
「俺は、結果を聞いてるんじゃねぇよ。原因を聞いてんだ」
低くて静かな声。
ダメだ……。
正直に言わないと本当に沈められるかもしれない……。
「蓮さんが……周りに人がいるのに私を膝の上に乗せるから……」
「……」
私に向けられるまっすぐな視線。
「でも誰も何も言わないし……」
「……」
「なんかの罰ゲームなのかなって思って……」
「……」
「そうじゃなかったら……」
「俺とケンが賭けてるって思ったのか?」
「……うん」
私の考えの経緯が分かったらしい蓮さんは大きな溜息を吐いた。
それから私の腰に大きな手をまわした。
「嫌なのか?」
「……え?」
「人前でそういう事するのが嫌なのか?」
吸い込まれそうになる漆黒の瞳。
「嫌じゃないけど……」
「けど?」
「恥ずかしい……」
「……分かった。一つずつな?」
「……?」
「ケンや葵やチームの奴らが何も言わないのは、罰ゲームでも賭けでもねぇよ。お前は俺の女だってみんな知ってるからだ。自分の女を膝に乗せてんだ。別に不思議な事でも可笑しい事でもねぇよ」
「……そうなの?」
「あぁ。納得したか?」
「うん」
「よし。じゃあ恥ずかしいって何が恥ずかしいんだ?」
「……視線」
「誰の?」
「周りの人……」
「なんで周りの目を気にするんだ?誰に気を使ってんだよ?」
……ん?
そう言われると……。
「誰だろう?」
「俺が聞いてんだよ」
呆れたように笑う蓮さん。
「……蓮さんは人が見ていても恥ずかしくないの?」
「全然。俺は自分が美桜に触れたいと思うからそうしてるだけだ。見たい奴は勝手に見ればいい。これは俺と美桜の問題だ。人に気を使う必要なんてないだろ?」
「……そうだね」
私はなんで人の目なんて気にしてたんだろう?
誰に気を使っていたんだろう?
蓮さんの言う通りだ。
何も難しい事じゃない。
触れたいと思うから触れるだけ……。
とっても単純で簡単な事。
場所や人の目なんて気にしなくていいんだ。
私は蓮さんの温もりを感じるのが好き……。
だから触れられるのも嫌じゃない。
そう思うと無性に蓮さんの温もりが恋しくなった。
私は腕を伸ばして蓮さんの首に腕をまわした。
もう周りの目なんて気にならなかった。
そうすれば蓮さんはちゃんと私の思いに気付いて答えてくれるって分かってるから……・。
首にしがみつく私の身体を優しく包み込む蓮さんの腕。
心地いい温もりに包まれる。
「……じゃない」
「うん?」
「蓮さんにこうされるの嫌じゃない」
「あぁ、知ってる」
私は蓮さんの顔を見上げた。
力強く自信に満ち溢れた瞳。
……私は初めて自分から蓮さんにキスをした……。
◆◆◆◆◆
お肉や魚介類が焼ける香ばしい匂い。
楽しそうな話声と笑い声。
正午を知らせるサイレンとともに“バーべキュー大会”が始まった。
ケンさんの『始めるぞ~!!』という声であちこちに散らばっていた男の子達が続々と戻ってくる。
『世界で葵さんの次に焼肉が好き!』と豪語するケンさんを中心に用意してあった食材がどんどん焼かれていく。
大量に準備されている食材に驚く私に『みんな食べ盛りだからね~!」と葵さんは笑いながら教えてくれた。
食べ盛りの上にこの大人数だからこの量なんだと納得した。
シートに座れなくて砂の上に座っている男の子達もいる。
何人いるのか数えようと思ったけど途中で分からなくなったから諦めた。
用意された飲み物の量も半端じゃない。
空き缶を入れるために用意されたごみ袋がすでに5つぐらい満杯になっている。
それの大半がアルコールの空き缶だった。
『おい!その肉はまだ焼けてねぇぞ!!』
『す……すみません』
『それはまだ載せるな!!』
『は……はい』
『うぉー!!その肉は俺が大事に焼いてたんだ!なんでてめぇが食ってんだ!?』
『ひぃぃ……!!すいません!!!』
焼肉大好きなケンさん。
バーベキューも例外ではないらしい……。
可愛そうに……あの男の子ケンさんの凄い剣幕に涙目になっている。
いつもは、繁華街で一般の人から異質な目で見られている筈の男の子達。
今は、その影すらない。
もちろんケンさんも……。
尊敬や羨望、憧れの存在であるはずのケンさん。
そのケンさんがバーベキューのお肉の事で激怒しているだなんて……。
そんなケンさんを見て葵さんは大きな溜息を吐いた。
「葵、お前も苦労するな」
呆れた表情の蓮さん。
「そうなのよ」
葵さんが疲れたように答えた。
蓮さんは笑いながら立ち上がると『手伝ってくる』と言ってお肉を焼いているケンさん達の方に向かった。
『おい、ケン!!』
『あ?』
『てめぇ、肉一切れぐらいでガタガタ言うなよ』
『何言ってんだよ蓮。こいつは俺が大事に……っておい!なんでお前がその肉を食ってんだ?それは俺の肉だ!!』
『はぁ?どこに名前が書いてあるんだ?ほら、お前達も焼いてばかりじゃなくてどんどん食え」
『は……はい!いただきます!!』
『……』
『ケン、お前も早く食えよ。無くなるぞ』
『……おう』
「蓮くんがいてくれてよかった」
葵さんが安心したように笑った。
「ケンさん、焼肉大好きなんだね」
「うん。毎日、食事の度に『焼肉!焼肉!』大騒ぎするんだから……」
葵さんはうんざりしている。
なんか想像できて可笑しい。
『おい、そこの二人俺の悪口言ってんじゃねぇぞ』
ケンさんが私達の方を見ていた。
「ケン、地獄耳だから……」
葵さんが私の耳元で言うから思わず吹き出した。
『二人ともこっちに来い。焼けたぞ』
蓮さんが呼んでいる。
「美桜ちゃん行こ!」
「うん!」
私達が蓮さん達の近くに行くと男の子達がテーブルとイスを用意してくれる。
「どうぞ」
ヒカルが紙皿と割り箸を差し出してくれる。
「美桜、皿持ってこい」
蓮さんにお皿を渡すとお肉や魚介類や野菜をたくさん載せられた。
でも、お皿の中ににんじんは入ってなかった。
初めてケンさんのチームの子達とも話した。
私と蓮さん、そして葵さんとケンさんが座るテーブルの周りにみんなが集まってきた。
蓮さんとケンさんはチームの子達と気さくに話していた。
あんまり話しているところを見たことが無かったから最初は驚いたけど、みんなの様子を見ているとそれが普通みたいだった。
楽しそうに冗談を言って笑っていた。
でも、どんなにふざけていても敬語と礼儀だけは徹底している。
それがトップの二人に対する忠誠と尊敬なのかもしれないと思った。
蓮さんから“命令”が出ていたらしいからチームの男の子達はみんな私の事を知っていた。
厳つくて怖い感じの男の子達も話してみるとみんな優しくて面白い人ばかりだった。
男の子達の彼女さん達は優しい人ばかりだった。
同じくらいの歳の人もいてすぐに仲良くなれた。
お腹いっぱいになった頃葵さんが立ち上がった。
「美桜ちゃん、なんか甘いモノを買いに行こう!」
「まだ食うのか?」
ケンさんが驚いたように葵さんを見た。
「だってデザート食べてないもん」
そう言うと私の手を掴んだ。
「行こう!」
「うん!」
私も立ち上がった。
「美桜、俺のタバコも買ってきて」
そう言って蓮さんは私に一万円札を握らせた。
「うん。何個?」
「一個」
「じゃあ、こんなにお金要らないよ?」
「欲しいモノがあったら好きなだけ買って来い。あと葵の分もそれで払え」
「……うん、ありがとう」
私は蓮さんと知り合って全くと言っていいほど自分のお金を使っていない。
『財布を持ち歩くな』って言われたけど、そんな訳にはいかないと思ってバッグの中に数枚のお札を入れているけど、それすらも使った事がない。
「二人だけで大丈夫か?」
蓮さんが心配そうに言う。
多分、私がすぐに声を掛けられるからだろう。
ここから海の家は少し離れているけど、これだけ目立っている私達に声を掛けてくる人もいないと思う。
「うん、大丈夫!」
笑顔で答えて私は葵さんと海の家に向かった。
◆◆◆◆◆
「うわ~、混んでるね」
葵さんの言葉通り広い店内は人で溢れていた。
「美桜ちゃん逸れたら困るから手!!」
葵さんは手を差し出してきた。
「うん!」
私は葵さんの手を握った。
私達は蓮さんのタバコとお菓子やアイスを大量に買い込み何とか海の家を出た。
「ふぅ……なんとか買えたね」
「はぁ……息苦しかった……」
「分かる!それ!!人混みに行くと息ができないよね」
私とあんまり身長が変わらない葵さんも私と同じ悩みを持っていた。
「そうそう!だから人混みに行くときは気合入れないといけないよね」
私達は共通の悩み相談をしながら来た道を戻っていた。
『ねぇ、ねぇ!二人で来てんの?』
「そうだよね~あと5㎝ぐらい身長欲しかったんだけど……」
葵さんが悔しそうに嘆いた。
「私も」
『あれ?シカト~?』
……もしかして……。
葵さんの顔を視線だけ動かして見る。
葵さんも視線だけ私の方に向けていた。
口パクで『シ・カ・ト』って言ったから小さく頷いて繋いでる手に力を入れた。
私たちは歩く足を速めた。
蓮さん達の所まで、まだ結構距離がある。
諦めてどっか行って!!
その願いも虚しく私は腕を掴まれた。
私が腕を掴まれている事に気付いた葵さんが足を止めた。
『ちょっと話しよーよ!』
そう言うと掴んでいた手に力を入れて半回転させられた。
私と手を繋いでいた葵さんも必然的に半回転した。
『うわぁ~、二人とも超可愛いじゃん。大当たりだ』
そこにいたのは若い4人の男。
茶、金、赤、メッシュとカラフルな髪の色。
たくさんのボディーピアス。
胸、肩、腕、足に入れられたタトゥー。
一瞬ケンさんのチームの人かと思ったけど……。
違う……。
ケンさんのチームの人は私や葵さんにこんな視線を向けたりしない。
厭らしく全身を嘗め回す様な視線。
背中に冷たいものが流れる。
「手を放して」
葵さんが私の腕を掴んでいる男を見据える。
『なんで?一緒に遊ぼうよ』
「遊ばない!放して!!」
男の手を振り解こうとするけど私の力では敵わない。
『向こうに他の友達もいるんだ。行こうよ』
そう言うとその男が葵さんの肩に腕をまわし蓮さん達がいる所と逆の方向に歩きだした。
「……やっ!!行かない!!」
足に力を入れて踏ん張ろうとするけど足元が砂だから虚しいくらいに滑ってしまう。
『超嫌がってんじゃん!か~わいい!!』
厭らしい笑い声が響く。
『何やってんだよ?』
少し離れた場所から聞こえてきた声。
その声に反射的に顔を上げ、すぐに俯いた。
目の前の男達と同じような風貌の集団。
チラッとしか見ていないからはっきりとは分からないけど10人くらいはいた。
一瞬感じた希望はすぐに絶望感に変わった。
私の腕を掴んでいる男達と突然現れた男達が友達だという事は一目瞭然で……。
『可愛い子を見つけた』
俯いた私達の顔を覗き込む男達。
『本当だー!可愛いじゃん!!』
『早く連れて行こうぜ!』
掴んでいた腕を強く引っ張られる。
もうダメだ……。
私は溢れそうになる涙を堪えて下唇を噛んだ。
こんな男達の前で絶対に泣きたくない……。
『帰りも送るからさ~!楽しいことしようよ!』
「……やっ!……放してっ!……」
「美桜!!」
「葵!!」
その声が聞こえた瞬間、抵抗していた私の身体から力が抜けた。
急に抵抗を止めた私の腕を掴んでいた男が足を止める。
異変に気付いた他の男たちも足を止め振り返った。
その視線は私達を通り過ぎ、後ろに向けられている。
「誰の女攫おうとしてんだ?コラァ!!」
「人の女に触ってんじゃねぇぞ!!今すぐ手放せや!!」
冷たく怒りを含んでいる声。
そのドスの効いた低い声に安心感が広がる。
葵さんと繋いでいた手に力が入る。
葵さんが私の方に顔を向けた。
葵さんも安心したような笑みを浮かべている。
葵さんの口が動いた。
口パクだったけど葵さんの言いたい事は分かった。
私は小さく頷いた。
次の瞬間、私達は呆然と立ち尽くす男達の手を振り払って声がした方に駆け出していた。
そこには、明らかにスイッチの入っている蓮さんとケンさんの姿があった。
「蓮さん!!」
「ケン!!」
私は蓮さんの胸に飛び込んだ。
蓮さんの腕が私を包み込む。
心地良い温もりに我慢していた涙が溢れた。
「美桜、大丈夫か?」
大きな手が優しく私の頭を撫でる。
「……うん」
私は、蓮さんの胸の中で頷いた。
『おい!!何邪魔してんだよ!!』
『ヒーロ気取ってんじゃねぇぞ!!』
『そんな男より俺達と遊んだほうが楽しいよ~!!』
我に返った男達が一斉に悪態を吐き始めた。
「なぁ、蓮」
「あ?」
「俺、葵と美桜ちんが無事だったら手は出さないつもりだったんだけど……」
「あぁ」
「なんか無理っぽいんだよな。ちょっとだけ暴れてもいいか?」
「ちょっとで気が済むのか?」
「……いや……無理だ。悪ぃーな。せっかく楽しんでいたのに……」
「気にすんな。俺も自分の女を攫われそうになったんだ。我慢するつもりはねぇよ」
「んじゃあ、ちょっと食後の運動でもするか?」
頭の上で交わされる会話。
『なにコソコソ喋ってんだ?』
『お……おい……なんだ?こいつら……』
『な……何人いるんだ?……』
『……ヤベーよ!は……早く林さん呼べよ!!』
男達に焦りが広がり始めてる……。
ケイタイで誰かと連絡を取ろうと必死だ。
蓮さんの胸に顔を埋めていても、声と雰囲気で伝わってくる。
「ヒカル!」
ケンさんの低い声が響いた。
「はい」
ヒカルの声もさっきまでとは違う。
「こいつら全員連れて来い。絶対に一人も逃がすな」
「分かりました」
「美桜」
蓮さんの優しい声。
私は蓮さんの胸から少し離れて顔を上げた。
「ケガしてねぇか?」
「……うん、大丈夫」
蓮さんが腰を曲げて私の顔を覗き込む。
まっすぐに私を見つめる瞳。
蓮さんの綺麗に整えられている眉が動いた。
眉間に皺が刻まれる。
「……蓮さん?」
「唇どうした?」
「唇?」
「血が出てる。何かされたか?」
……あぁ……さっき唇を噛み締めた時に切れたんだ……。
「違うの。これは自分で……」
私は右手で唇を拭った。
蓮さんの視線が唇から右手首に移った。
さっきまで男に掴まれていたそこにはくっきりと指の跡が残っていた。
それを見た蓮さんは舌打ちをした。
……その表情には怒りが溢れていた……。
「ケン、行くぞ」
低くて冷たい声。
鋭く怒りを含んだ視線。
全身から威圧的な雰囲気が出ている。
それを見た男達が一斉に逃げようと走り出した。
「逃がすな!!」
ヒカルの声が響く。
異変を察知して続々と集まって来ていたケンさんのチームの男の子達が私達を追い越して走り出す。
……数秒後、男達は全員捕らえられていた……。
それを確認したケンさんが葵さんの肩を抱いて駐車場の方に向かって歩き出した。
その後ろを男達が引きずられるようにしてついて行く。
周りをケンさんのチームの男の子達に囲まれていて逃げる事も出来ない。
その光景はまるでさっきまでの私達みたいだった。
「一緒に来るか?」
蓮さんが私を見つめる。
その瞳は優しい。
……でも、蓮さんの全身からは私にも分かるぐらいの威圧感が出ている。
一緒に行ったら目を覆いたくなる光景を見る事になるのは分かっている……。
……でも、こうなってしまった原因は私にある。
……私の所為でみんなに迷惑を掛けてしまっているんだ……。
せっかくみんなが楽しんでいたのに……。
一人だけ逃げる訳には行かない。
「行く」
私は蓮さんの顔を見て答えた。
◆◆◆◆◆
駐車場を通り過ぎて、しばらく歩くと立入禁止の札がありロープが張ってあった。
その札の所為か人は誰もいない。
そのロープをヒカルがナイフで切った。
ケンさんを先頭に続々とそこに入っていく。
一番後ろの私達がそこを通るとケンさんのチームの男の子が3人そこに立った。
多分、見張りの為だ。
蓮さんに肩を抱かれ入ったそこは周りを岩で囲まれた空間になっていた。
上からは眩しいくらいの光が降り注がれているのに大きな岩で囲まれている所為かなんとなく薄暗い感じがする。
中央で立ち尽くしている14人の男達。
その周りをぐるりと取り囲むケンさんのチームの男の子達。
真ん中にいる男達に視線を向けている。
その視線は鋭く冷たい。
そんな視線に男達は視線を合わせることも出来ずに俯いている。
こんなに人がいるのに誰一人として声を出そうとしない。
張り詰めた雰囲気が全身に伝わってくる。
ケンさんは葵さんと何かを話している。
「アユ」
冷たく低い蓮さんの声が響いた。
背の高い女の子が私達に駆け寄って来た。
「美桜を頼む」
アユちゃんはヒカルの彼女だ。
聖鈴の高等部の三年生でヒカルと同じクラスって言っていた。
私と葵さんが羨む理想の長身で一見、ギャル系のアユちゃんだけど話してみるとヒカルと同じように落ち着いた雰囲気を持っている女の子。
葵さんも一つ年上のアユちゃんをお姉ちゃんみたいな存在って言っていた。
チームのイベントにメンバーの彼女達が参加する時はアユちゃんが女の子達を纏める役なんだって葵さんが教えてくれた。
いつもヒカルはチームの事で忙しいから今日のイベントをものすごく楽しみにしてたって嬉しそうに話していた。
「はい。美桜ちゃん行こう?」
アユちゃんが膝を少し曲げて私の顔を覗き込んだ。
「うん」
私が頷くとニッコリと笑顔でアユちゃんは私の手を握った。
「アユ、みんながケガしねぇように頼むな」
「はい」
アユちゃんが頷いた。
「美桜、もしなんかあったらアユの指示に従えよ」
蓮さんが私の頭を撫でる。
「うん、分かった」
アユちゃんに手を引かれて行ったのは出入り口になっている岩の切れ目の正面だった。
出入り口から見たら一番奥だ。
そこには女の子達がみんな集まっている。
その周りにはチームの男の子が数人立っていた。
「美桜ちゃんここに座って」
そこには大きな長方形の岩があり女の子達が腰掛けていた。
女の子達が私の為に真ん中に場所を開けてくれた。
そこに腰を下ろすと隣にアユちゃんも腰を下ろした。
場の張り詰めた雰囲気の中ここだけは空気が違った。
女の子達の表情にも余裕がある。
「美桜ちゃん、ここが一番安全だから安心してね」
私の顔を覗き込みながらアユちゃんがニッコリと笑う。
「安全?」
「うん。あのね、チームのイベントがある時はその会場を事前に何度もメンバーの人が下見に来ているんだよ。それで何か会った時に安全な場所が確保できない時には私達は参加できないの」
「そうなんだ……」
「こんな子達ばかり集まっているからモメ事なんて起きて当たり前だしね。でも、どんなに危険でも彼氏と一緒にいたいんだ。ケンさんは私達のそういう気持ちを分かっててくれているから出来るだけそういう場所を選んでくれるの。何度も打ち合わせをして何が起きても私達が巻き込まれないように考えてくれているんだよ」
やっぱりケンさんはチームのトップなんだ。
アユちゃんがケンさんを信頼しているのがよく分かる。
「それは、蓮さんがトップの頃から変わっていないんだよ」
「え?」
「美桜ちゃんは、蓮さんの伝説を知ってるよね?」
「……うん」
この前、ケンさんに聞いた話が脳裏に浮かぶ。
「それが出来たのは、もちろん蓮さんが凄くケンカが強くて頭が良いっていうのもあるけどそれだけじゃないんだよ」
「……?」
「力だけじゃ人は付いて来ない」
アユちゃんは、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「もし、自分のチームが他のチームに潰されて、吸収されるってなったらそのチームのトップに付いて行こうって思うかな?私だったら絶対に無理だと思う……。仲間を傷付けられて自分のプライドを傷付けた人を尊敬なんて出来ないし忠誠なんて誓えない」
「……そうだね」
「でも、蓮さんは敵だった相手でもチームに加入したら、本当の家族みたいに大事にしてくれたの。どんなに末端の子も幹部の人と同じように……。自分の時間も無いくらいにメンバーを守ってくれた。それはメンバーの彼女も例外じゃなかったの」
その口調はまるで自分が体験したかのようだった。
「……アユちゃん……もしかして……」
私の口から零れた言葉にアユちゃんは私の瞳を見てニッコリと微笑んだ。
「うん、ヒカルは元々別のチームだったの」
「……!!」
アユちゃんは蓮さんと話していたヒカルに視線を向けた。
「ヒカルの家は物凄く裕福なんだけど親と合わなくてね……」
アユちゃんは悲しそうに目を細めた。
「小学校の高学年くらいから変わっていったの。学校にも殆ど来なくなった。それで聖鈴の中等部の入学式で久しぶりに会ったヒカルは完全に別人みたいになってた。その時にはもう前のチームに入ってたんだ」
「……」
「その後、ヒカルがいたチームは潰されたの」
「……アユちゃん……」
私は無意識のうちにアユちゃんの手を握っていた。
そんな私の手をアユちゃんは見つめている。
「でもね、蓮さんやケンさんに出会ってからヒカルは変わったの」
「……変わった?」
「……うん。笑うようになった。それまで私はヒカルの笑顔なんて殆ど見た事がなかった」
「……」
「ヒカルが笑うようになったのは蓮さん達のお陰なの」
そう言って笑うアユちゃんは少し寂しそうに見えた。
「葵!」
アユちゃんの視線の先を振り返ると葵さんがこっちに走って来ている。
「アユちゃんごめんね?迷惑掛けちゃって……」
「何言ってんの?」
アユちゃんが目を丸くする。
「ごめんなさい」
私も頭を下げた。
「二人が悪いんじゃない。悪いのは女の子を攫おうとしたあいつらだよ。それにこういう展開はいつもの事じゃん」
アユちゃんは楽しそうに笑った。
出入り口辺りが急に騒がしくなった。
『来ました!』
現れたのは、ここにいる男達と変わらない風貌の集団。
その中心にいる男だけが雰囲気が違うのが分かる。
蓮さんやケンさん程ではないけど、人の上に立つような貫禄があった。
『すみません、林さん……こいつらが……』
その男に駆け寄り必死な表情で事情を説明している。
『それでお前らが手を出したのは誰の女なんだ?』
男達の説明で状況が飲み込めたらしい林という男が尋ねた。
『あいつらです!』
男達の様子を眺めていた蓮さんとケンさんを指差した。
「おい!!誰を指差してんだテメェー!!」
「調子乗んなよ?コラァ!!」
それまで黙っていたチームの男の子達から突然、怒声が飛んだ。
林という男が現れてから余裕の表情を浮かべていた男達の顔に再び焦りと不安が広がる。
ケンさんがチームの男の子達を鋭い眼で見た。
その瞬間、怒声が止み水を打った様に静かになった。
『……おい』
林と言う男が低い声を響かせた。
『悪ぃけど俺はお前達を助けるてやる事も力を貸してやることもできない』
その言葉に男達の顔が引き攣った……。
『は……林さん!?』
『ちょっと待ってくださいよ。話が違うじゃないですか……』
『何の為に俺らは金まで払って林さんのチームにバックに付いて貰ってるんですか?』
男達は林という男に縋り付いている。
その姿には、さっきまでの余裕は完全に無くなっていた。
『お前らが手を出した相手が悪かったな』
『は?』
『お前らこいつらの事知らねぇのか?』
男達は首を横に振った。
『……神宮 蓮と溝下 ケンって聞いた事ねぇか?』
『……!!』
男達の表情が一瞬で凍りついた。
『もし俺がお前達に手を貸したら、ウチのチームはその瞬間から3000人を敵に廻すことになる。しかも今はチームを引退している神宮は神宮組の若頭だ。溝下のチームのバックには本職が付いてんだ。俺らがどんなにイキがってても本職には敵わねぇよ』
林という男の言葉に絶望的な表情を浮かべる男達。
『そんな奴らの女に手を出したお前らが悪い。きっちりケジメをつけるんだな』
『で……でも……神宮は特定の女は作らないって……だから、あの女は彼女じゃないんでしょ?遊びの女には一切興味を持たないって……』
『あぁ、そういう噂もあったな。でもそれは過去の話だ。少し前に溝下のチーム内に“伝達”が廻っている。それに神宮組の組長に“面通し”もしたらしい。お前らが手を出したのは正真正銘、神宮の本命の女だ」
「……!!」
「……話は終わったか?」
ケンさんが吸っていたタバコを下に落とした。
「いつまでも待ってるほど気は長くねぇんだ」
低く静かな声……。
でも、その声音から威圧感が充分に伝わってくる。
男達の身体が小刻みに震えている。
「心配するなお前らの相手をするのは俺ら二人だけだ」
口端を少しだけ上げ笑みを浮かべたケンさん。
でも、その瞳は冷たいままだった。
その瞳から視線を逸らせずにいた私の視界の端っこで何かが動いた。
ゆっくりと地面に吸い込まれるように落ちていく短くなったタバコ。
地面に触れた瞬間に赤い火の粉が飛び散り儚く色を失っていく。
骨が軋む様な鈍い衝撃音が響いた。
「……蓮さん!?」
力無く後ろに倒れ込む男。
その男の髪を掴み無理矢理立たせると腹に蓮さんの膝がのめり込んだ。
男は呻き声を上げ蹲り俯いて激しく咳込んでいる。
その横顔を蓮さんが蹴り上げた。
紙切れのように吹っ飛ぶ男の身体。
その身体に馬乗りになって執拗に殴り続ける。
鈍い音だけが私の耳に届いてくる。
少し離れた所にいるケンさんも一人の男だけを執拗に殴っていた。
その執拗さに固まっていた他の男達が必死で止めに入る。
でも蓮さんとケンさんは他の男には目もくれない。
その光景を見ていたチームの男の子達の顔が強張り生唾を飲み込む音があちこちから聞こえてくる。
「……昔の蓮さんだ……」
アユちゃんが小さな声で呟いた。
「……え?」
私はアユちゃんの腕を掴んだ。
アユちゃんは視線を私に向けた。
「どういう意味?」
「蓮さんはチームを引退してから、こんなケンカの仕方はしなくなってたの」
「……?」
「蓮さんはチームを引退してからはよっぽどの事が無い限りケンカはしないの。でも元トップだし目立つ存在だからケンカを売られる事もよくあるんだけど……そんな時でも相手が一撃で失神する所しか攻撃しなかった……」
アユちゃんが驚いた表情で教えてくれた。
そして私はある事に気が付いた。
顔が腫れ上がり血塗れの顔からは元の形が判らなくなっている。
でも、男の左肩から二の腕に掛けて彫ってあるタトゥー。
それを見て私は確信した……。
蓮さんが殴り続けている男は私の手首に指の跡を残した男だった。
蓮さんは動かなくなった男から離れるとタバコを銜えて火を点けた。
一度、口から煙を吐き出し、またタバコを銜えたまま男に近付いた。
気を失っている男の左手を掴んで少し浮かせる。
そして、足でその腕を踏みつけた。
……私は骨が折れる音を初めて聞いた……。
それと同時に失神していた男の悲痛な叫び声が響き渡った。
痛みにもがき苦しむ男を冷たい眼で見下ろす蓮さん。
その姿を林という男も他の男達もチームの男の子達も息を呑んで見つめていた。
蓮さんは銜えていたタバコを口から離した。
「美桜」
その声はいつもの優しい声だった。
アユちゃんが『呼んでるよ!』とニッコリと笑って私の背中を押してくれた。
前にいる男の子達が道を開けてくれる。
私は立ち上がり蓮さんの元に駆け寄った。
「戻るか?」
蓮さんが私の顔を覗き込む。
「……うん」
私が頷くと蓮さんは右腕で私の肩を抱いて出口に向かって歩きだした。
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