02――トイレと洗面台にびっくり


 ひと口食べるとその甘さに目をまん丸にして、ミーナの食べる勢いが増していく。時折喉に詰まらせている彼女に飲み物を渡してあげて、その食べる様子を見守っていた。


 だって一生懸命食べている子供って可愛いもん、私自身が末っ子だからどうしても自分より小さい子は可愛がって甘やかしてあげたくなる。


 おっと、私も食べないと。うん、簡単なメニューだったけど美味しい。もぐもぐと口を動かしながらふとミーナを見ると、ほとんど食べ終わった状態でふらふらと頭が揺れていた。


 まだ本調子じゃなさそうだし、食べ終わったら歯を磨いてもらって、今度は私のベッドに寝かせようかな。本当ならお風呂にも入れてあげたいけど、体を休ませるのが先だよね。


 しまった、子供用の歯ブラシがないや。私用の買い置きはあるけど、大人用だからミーナの口には大きくて磨きづらいかもしれない。今日一日ぐらいならいいか、通販で頼んだり誰かに買いに行ってもらって手に入れる事もできるし無理をする必要はない。


 この後の段取りを考えていると、突然ミーナが慌てたように立ち上がって悲しげにこちらに視線を向けた。


 なんだろう、表情を見ているとかなり切羽詰まっているような気がする。言葉が通じないから、わかってあげられないのがもどかしい。両手をバタバタと振って、顔もだんだん赤らんできている。振っていた両手を自分の下腹部に持ってきたのを見て、私はピンと来た。


 もしかしたらトイレかもしれない、そう思って勢いよく立ち上がるとあまり揺らしたりしないように、ミーナの手をそっと引っ張ってトイレへと連れて行った。


 ドアを開けてトイレの蓋を上げて、そこに座るように促す。何やら驚いた表情を浮かべていたミーナだったけれど、そろそろ限界だったのか恐る恐る便座へと腰を下ろした。我が家にはミーナに合うサイズの下着がないので申し訳ないけれどノーパン状態だから、下着を脱がす必要もない。


 でもさすがに幼い女の子とは言え、他人が用を足すところをマジマジと見つめる趣味はないので、とりあえず外へ出よう。そう思って一歩踏み出したら、クイッとシャツを引っ張られた。


 不安なのか私の服の裾を引っ張ってこちらを上目遣いに見つめられては、無理に出ていく訳にもいかない。本人がいいなら別にいいかと、ミーナの頭をポンポンと撫でた。


 それがスイッチになったのか、チョロチョロと水音がしばらく続いてやがて静かになる。終わったのかなと本人を見ると、恥ずかしそうにこくりと頷かれたので、トイレットペーパーホルダーからガラガラと使う分だけ紙を引っ張り出した。


「はい、これで拭いてね」


 言葉は伝わらないだろうけれど、無言で渡したら感じ悪いと思って、少し表情を意識的に柔らかくしたまま折り畳んだトイレットペーパーを差し出した。差し出された当の本人であるミーナは、何故か視線を私とトイレットペーパーの間で何度も往復させながら、少し不思議そうな表情をしている。


 え、もしかしてトイレットペーパーもなかったの? よっぽど田舎に住んでたのかなぁ、そんな事を考えながら私はジェスチャーでトイレットペーパーの使い方をレクチャーした。すごい恥ずかしかった。


 拭き終わった後の紙を私に渡そうとしてきたので、便座から立ち上がるように言うとミーナは素直にそれに従った。それにしても、この様子だとやっぱり水洗トイレを使った経験がなさそう。日本に来る前は発展途上国にいたのかな、そういう国では水洗トイレもないところも多いっていうし。


 使用済みの紙を便器の中に投げ入れて、壁にあるリモコンのボタンを押すとほんの少し間を置いてから水が流れ出す。この国で暮らしている人間なら当たり前の現象なのに、水が流れた事に驚いたミーナは私にぎゅっとしがみついてきた。


「大丈夫だよミーナ、何も怖いことはないからね」


 言葉が通じなくても名前を呼んで頭を撫でたら落ち着くんじゃないかと思って実際にそうしてみたら、効果はてきめんで落ち着いたのかミーナはホッと安堵のため息をついた。


 トイレからふたりで出ると、次は洗面台の前に移動した。レバー式の蛇口をクイッ、と持ち上げるようにすると水が出てきた。トイレに引き続いて突然水が出てきた事に驚いたミーナだけど、ポンプボトルから泡のハンドソープを出してミーナの手を包み込むようにして一緒に手を洗うと、どちらかというと楽しげに笑顔を浮かべていた。


 手からハンドソープの匂いがするのが気になるのか、自分の手を何度も鼻先に持っていって匂いを嗅ぐミーナの仕草が可愛らしい。微笑ましく眺めていたらふわぁ、とミーナがあくびをした。まだ眠気は覚めていなかったらしいので、自分のベッドに横にならせてタオルケットを上から掛けてあげる。


 ベッドの横に机用の椅子を持ってきて腰掛けると、ミーナが自分の左手を差し出してきた。握って欲しいという事なのだろうか、どうせ眠るまで横についているつもりだったので、その小さな手を両手で優しく包み込むように握る。


 どうしよう、子守唄でも歌った方がいいのかな。でも食事とトイレと洗面台であれだけ驚いていたミーナだ、知らない曲が聞こえてきたら眠気よりも恐怖の方が強くなるかもしれないし。


 考えた結果、左手でミーナと手を繋いで、右手で優しくミーナの頭を撫でる事にした。ふにゃ、と嬉しそうに微笑むミーナが可愛らしい。5分もしないうちにすぅすぅと寝息を立てて夢の世界に旅立ったミーナの手を、起こさないようにタオルケットの中に入れてあげた。


 さて、ミーナの寝顔を見ながら考える。これからどうしようかな、と。多分ミーナは日本に来たばかりの外国人で、元々住んでいたのは翻訳アプリを作っている会社でも把握していない、マイナーな言葉を使っている国なのではないだろうか。水洗トイレや水が出る蛇口すら見たことないとなると、発展途上国なのかなぁ。私は海外に行った事がないので、よくわからないけれども。


 週末だから今日と明日は休みだけれど、月曜日からはまた学校に行かなくちゃいけない。ミーナをひとりでこの家に置いておける? いや、もしパニックになってドアから勝手に外に出てしまったら、交通事故に遭ったり迷子になってそのまま行方不明になる事も考えられる。


 お昼ごはんをひとりで準備できる訳もないし、私が用意してもレンジで温めるという工程をこなせるのかという不安がある。買い物はどうしよう、服もなければ言葉も通じないミーナを外に連れて行くのはハードルが高いし、家で留守番してもらうのもさっき挙げた理由から却下だ。


 更にお金の問題、法律の問題。今の状況がもし警察にバレたら、誘拐で私が逮捕される可能性だってありえる。そもそも普通に考えたら、間違いなくすぐにでも警察に通報すべき案件だしね。


 ただ今の意思疎通ができない状態だと、公的機関にミーナの身柄を預けるのは避けたい。だって意思疎通できないんだからミーナの事情なんて誰もわかってあげられないし、もしも強制送還という判断を国が下したとて、ちゃんとミーナの祖国に送り返してくれるのかという不安が大きい。


 多分ここだろうといい加減な判断をしそう、そんな事を思うぐらいには私はこの国のお役人や機関の事を信用していなかった。


 せめて意思疎通できるように、簡単な日本語を覚えるぐらいまでは匿ってあげたい。そう覚悟を決めた私はとりあえず家族以外で一番信頼できる人の名前を、スマホの電話帳アプリから呼び出して電話を掛ける事にした。

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