魔法使いの家

slime

魔術書

 分厚い表紙には、長いこと埃がかぶっていた。いま彼女の手で払われたことにより、その表紙に刻まれた文字がすすけた明かりを灯す。誰も入らなかった閉架に彼女が来たことにより、魔術書と人間の歴史は再び幕を開けたのだ。


「こんなところに独りでずっといたのね」


 赤い小さな唇が動く。魔術書にまるで自分の仲間のように声をかけた彼女。名前をアカツキという。


 柘榴の手の中におさめられた魔術書は、ひとりでに動いて中央のページを開いた。


「.......ᛋᛈᛖᛚᛚᛋ ᚠᛟᚱ ᚱᛖᚨᛞᛁᚾᚷ ᛒᛟᛟᚲᛋ文字を読むための呪文


 その下にはルーン文字で呪文が刻まれていた。


ᛞᛖᚲᛁᛈᚺᛖᚱ解読


 そのままではあったが、大事な呪文であることは間違いなかった。


「大きな土鍋、薬品棚。これだけでも魔法の研究ができる。それにしてもかび臭い」


 土鍋は底が見えないほど埃がたまり、薬品棚にはカビの生えた液体がこべりついていた。アカツキは唇を親指でさすり、考える仕草をした。


「アブラカダブラ、この家をきれいにしておくんなさい」


 癖のある唱え方で呪文を口にすれば、古代から伝わるアブラカダブラが功をなす。

アブラカダブラは便利な魔法の呪文で有名なのである。


 大きな土鍋は、サツマイモの皮の色になり、綺麗になった。

 薬品棚のかびた液体は、跡形もなく消え失せた。代わりに金木犀の香りが辺りに広がった。


「ああ、窓からは三日月。三日月は満ち欠けの兆しでもあり、幸福の兆しでもあるはずよ」


 アカツキは唇をきゅっとしめて、これから来る日々を迎える支度をした。


おばあちゃんを思い出すと、いつでも涙が出てくる。おばあちゃんが寝るときに、私をあやしながら、お前はやさしい子だよ撫でてくれる、あの少しの時間が好きだった。


 おばあちゃんが亡くなったと聞いて、私は胸が痛くなった。このおばあちゃんの亡骸である家に、帰りたくなった。


 だから、このページを読みたくないのに魔術書はそのページを見せた。


 ルーン文字でこう書いてあった。


 ᚣᛟᚢ ᚨᚱᛖ ᚲᛁᚾᛞ


 やさしい子のおまじないと。


 そして次の説明書きがあった。


ᚹᚺᛖᚾ ᛏᚺᛖ ᛈᛖᚱᛋᛟᚾ ᛋᛖᛖᛋ ᚾᛟ ᛈᛟᚹᛖᚱ, ᛏᚺᛖ ᛋᛈᛖᛚᛚ ᚹᛁᛚᛚ ᛒᛖ ᛖᚠᚠᛖᚲᛏᛁᚢᛖ.


 その子に力がないと思うなら、この魔法が大事でしょう。




 ......私は、おばあちゃんにそう思われていたんだ。だから、おばあちゃんは私に魔法を教えてくれなかったんだ。


 考えてみれば、私はおばあちゃんに何一つ教えてもらったことがなかった。洗濯物の洗い方、料理の作り方、人との接し方。


 人から教わるということも私はしなかったんだから、おばあちゃんは悪くない。そう思うことにした。


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