第25話 欲張り
いつもと違う電車に乗って普段降りることのない駅で降りる。車窓から見ても分かったけど、自分の家の最寄り駅よりずっと賑やか。都会とまでは言わないけど大きな商業施設やマンションが立ち並んでいる。
今日は咲ちゃんの家に遊びに行く日。だから今いるのはいつも咲ちゃんが使っている駅。
「春先輩」
「咲ちゃん、こんにちはー」
改札を出てすぐのところに咲ちゃんが待っていた。いつも会っているときとは違って今日は私服姿。何度か見たことはあるけど、いつもと違う一面を見ているみたいでそれだけでドキドキしちゃう。それに服装が変わってもあの髪留めを付け続けてくれていることが嬉しい。
「今日はよろしくね」
「いいえ、私も会いたかったですし」
照れくさそうにそれでも嬉しそうに笑ってくれる。その表情も仕草も全部が愛おしく思っちゃう。
「行きましょうか」
「うん!」
そうして咲ちゃんに連れられて街を歩く。あたりは電車の音や車の音、人の声にあふれていて、やっぱり賑やかなんだなって思う。
5分ほと歩くと景色は住宅地に変わる。それでも私の家の周りとは違ってマンションも立ち並んでる。そんなマンションの一つに歩みは進んでいく。どうやらここが咲ちゃんの家みたい。
「ここの5階にです」
「わー、私マンションに入るの初めてだよ」
私も彩ちゃんも葵ちゃんも一軒家だったし、他の友達もマンションに住んでる人はいなかった。
「そんなはしゃぐようなものはありませんよ。単なる家ですし」
そう言って咲ちゃんは私を建物の中へと案内する。入口にオートロックがあったりして私にはとても新鮮なものに思える。
5階について廊下を歩くと一つの扉の前で立ち止まった。
「ここ?」
「はい」
さっきまで楽しみだったけどいざ目の前にするとなんだか急に緊張してきた。咲ちゃんのお母さんも家にいるみたいだししっかりとしないと。
「お邪魔します」
「いらっしゃーい」
中に入るや否や明るい声とともに一人の女性が奥の方から姿を見せた。咲ちゃんと違って髪は短め。でも、顔立ちは咲ちゃんと似ている。一人っ子らしいからお母さんかな。
「あの、本日は失礼いたします。天野春と申します。あの、つまらないものですがどうぞ」
とりあえず菓子折りを手渡す。初対面の印象は大事だよね。咲ちゃんのお母さんだし悪い印象持たれるわけにはいかないし。
「そんな気を遣わなくてもいいのに、ありがとう。咲の母です」
咲ちゃんのお母さんは菓子折りを受け取った後、私の方に笑顔を向けてくる。
「さあ、上がって上がってー」
「えっと、はい、お邪魔します」
そのまま家の中へと案内される。
「私の部屋に行きましょう」
「えー私も春ちゃんと話がしたい」
「そんなのいいから。私と遊ぶために来たんだから」
そう言って咲ちゃんは私の手を引っ張って自分の部屋へと連れていく。後ろを見ると咲ちゃんのお母さんはからかうような笑顔でこっちを見ていた。
咲ちゃんは部屋につくと扉を閉めてため息を一つこぼした。
「すみません、騒がしくて」
「全然大丈夫だよ。でも、咲ちゃんと雰囲気全然違うね」
顔立ちとかは親子だなって思うけど、内面はどちらかと言えば静かで落ち着きのある咲ちゃんとは違って快活と言った感じ。でもその笑顔は親子なんだなって感じさせた。
「私もそう思います」
呆れたような顔で、少しは落ち着いてくれたらいいのに。とため息をついている。
「でも、明るくて楽しそうだと思ったよ」
「まあ、無駄に元気ですね」
私の返答に対して笑って返してくる。なんだかんだ言っても仲は良さそうにに見えた。
「春先輩のお母さんは先輩と雰囲気似てますよね」
「そうかな?」
「はい、優しそうで穏やかな感じが特に。それに美人で春先輩も大人になったらこうなるのかって想像出来ちゃいました」
お母さんのことを褒められるのは嬉しい。でも。
「今は私と居るんだから、お母さんじゃなくて私を見てよ」
「…もしかして嫉妬してます?」
私の言葉を聞いて咲ちゃんは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて核心を突いてくる。恋人になってから咲ちゃんはより一層、私に心を開いてくれるようになったと思う。今みたいにからかってくるのだって付き合う前ならそうそうなかった。だから距離が近づいたんだなって嬉しく思う。でも、分かっているんだったらそんな風に言わないで欲しいかな。
「…むぅ」
「すみません、冗談ですから拗ねないでください」
そう言いながら手をそっと握ってくれる。
「わ、私が好きなのは、その…春先輩だけですから…」
嬉しいな。体がぽかぽかしてくる。それに、恥ずかしいのを我慢して言ってくれていて、そのが真っ赤にした顔や緊張した声がとてもかわいい。
「じゃあ、これで許してあげる」
そんなこと言われたら、もっと近づきたいって欲が出ちゃう。
「え、ふわっ!」
握られた手をそっと解いて腕を咲ちゃんの後ろに回す。そうしてぎゅっと抱きしめる。最初はびっくりしていた咲ちゃんも私の背中に腕を回して抱き返してくれる。
「えへへ、あったかいね」
「は、はい」
こうして2人きりの間は手を繋いだり抱き合ったりできる。好きな人をずっと近くにで感じられる幸せな時間。でも、もっともっと近づきたい。
「…ねえ、咲ちゃん」
「…はい、なんですか」
「その、き、き…」
たった2文字なのに言うのに勇気がいる。
なんとかひねり出そうと四苦八苦していると部屋の扉からノックの音が聞こえた。急いで咲ちゃんから離れて何事も無かったように扉が開かれるのを待つ。
「お菓子持って来たんだけど、なにかあった?」
「何でもないから、お菓子ありがと」
「ふーん、いいけど、それじゃあごゆっくりー」
それだけ言って咲ちゃんのお母さんは部屋を後にした。そうして部屋に静かな時間が流れる。
「あはは、びっくりしたね」
「はい」
抱き合っているところなんて見られたら気まずすぎる。
「それより、さっき何を…」
「え、いや、別に何でも無いよ。それよりお菓子食べよ」
やっぱり私にはまだ勇気がないや。
いつか、もっと近くに、もっと特別に。そう思う私はやっぱり欲張りだ。
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