視界の先には

ねことネコ

第1話 二人の出会い

 薄暗い部屋の中、かすかな雨音に目が覚めた。視線を動かそうと首を動かした瞬間、激痛が走った。その反動で動いた体もまた、痛みがはしった。

 耐えることに必死で声もでず、荒くなった自分の呼吸と心臓の音だけが耳に響く。

 しばらくの間、少しのそれをやり過ごした後、視線だけを動かしてみた。どこからか差し込む淡い光以外はなにも見えなかった。


「…またか…」


 声にならない声を出した。


「気がついたか?」


 どこからともなく聞こえた声に、心臓が止まるかと思った。痛みに気を取られ、人の気配に気づかなかった。


「あ…」


 驚いたのと体の痛みで思うように声が出ず、答えにならなかった。


「無理に話す必要はないが名は言えるか?」


「…アルノ」


「アルノ…そうか。夜明け前だ。心配せずゆっくり寝なさい。」


 声の主は囁くように言い、手を重てきた。その手からはあたたかく心地よいものが流れてきたと同時に、睡魔が襲ってきた。きもちいい…と思いながらアルノは簡単に意識を手放した。

 次に目が覚めたのは、人の声が聞こえたからだ。会話というものではなく、一方的に声を荒げているのがわかった。


「なぜーーがするのですか!侍従に任せてくださいとお願いしたでしょう!」


「仕方ないだろ。気になって寝られなかったのだから。それに夜更けに一度目を覚ましたから側についていてよかっただろ。」


 怒られている方は悪びれる様子もなくこたえていた。


「だから、あなたがそんなことをする必要はないんですよ!」


「大声を出すな。」


 静かな声で制され、声は聞こえなくなった。


 しっかり寝れたからか、目を開けると部屋は明るく天井が見えた。ゆっくりと声の聞こえた方に顔を向けると、扉が見えた。声はその扉の向こうから聞こえていた。

 ゆっくりと身体を起こし部屋を見渡すと、かなりの身分の者であることがわかる。手元の寝台もふかふかだった。


「ここは…」


 なぜ自分がここにいるのか、働かない頭で考えていると、ふいに扉が開いて人影が入ってきた。アルノが身体を起こしているのに気づくと

「目を覚ましたのか。」

 と声をかけてきた。手にもっていた水桶をそばの机に置くと近づいてきた。

 短い明るめの茶色い髪に、ブルーの瞳で優しい印象を持った。


「アルノ、でいいかい。傷はどう?痛むところはあるかな?」


 寝台のそばまで来てかけられた声は、外から聞こえた怒鳴り声の主だった。先ほどの会話を思い出し、今の口調との差に少し言葉に詰まる。


「…いえ、少し痛みますが動けないほどではありません」


「そう。何か食べられそうかい?」


 枕元にある籠から果物をひとつ取り出した。

「あの…ここは?」


 とりあえず自分の状況を確認したく、聞いてみた。この部屋にも人にも全く覚えがなかった。


「あぁ、すまない。俺はハロイ。ここは領主代理シューリック様のお屋敷で俺は侍従をしている。」


「領主…代理?」


「あぁ。ここの領主である旦那様はここ何年も王宮に詰めていらっしゃって不在なんだ。」


 ため息をつきながらハロイと名乗る男は言った。


「昨日のこと、覚えてる?怪我は大分いいだろう。シュリ様が治療したらしいからな。」


 話しながらハロイは果物をひとつ剥いて側にあった皿に並べた。

 言われて納得した。昨夜は体を動かすこともできなかったが、今は体を起こせるほどになっていた。

 頭に手をやると手当をされていた。それで思い出した。山の中を走っていてひらけた場所に出たと思ったら馬車が来て、ひかれた。どう考えても飛び出したアルノの方が悪かった。


「ご迷惑をおかけしました…」


 言葉少なく、謝罪の言葉だけが口からでた。


「気にするな。連れ帰ると決めたのはシュリ様だ。後で来ると思うからその時に言ってやってくれ。」


 果物を枕元のテーブルに置き、ナイフをしまった。


「食べられるなら食べるといい。食事は部屋に持ってこさせるから、ゆっくり休んでいなさい。」


 そう言うとハロイは扉に向かって行った。その背中にアルノは「ありがとうございます」と小さくつぶやいた。

 ハロイが出ていくのを見送ると、皿の果物に手を伸ばす。ひと口食べると甘く、水分が喉をうるおす。そして、自分が喉が渇いていたことに気づいた。ふたつ目の果物を食べながらアルノは頭を働かせる。人に優しくされるのは慣れているが、それは皆、見返りを求めてくる者だった。

 治療してもらったおかげで、力はほぼ戻っている。をしても出て行くだけの力は残るだろうと考え、寝台から足を下ろす。立ち上がると少しふらつくが、これくらいなら問題ない。片隅にあるソファに目をやると、自分の持ち物らしきものが丁寧に置かれていた。が、服が見当たらなかった。周りを見渡してもそれらしいものはなかった。

 仕方なく寝台へもどり、腰掛けて残りの果物を完食した。考えてみると、久しぶりにまともな食べ物を口にしたかもしれない。盗賊どもを振り切って、やっとたどり着いたエルノア国。路銀も底をつき、所々に湧く水や木の実で飢えをしのいできた。助けて手当もしてもらい、有難いが長居するつもりはない。しかし、今着ている服は着替えさせられたもので、とてもじゃないが旅には向かない。身の丈に合わない服装は災いの元だ。


「とりあえず服を返してもらわないと…」


 現状把握と、まずしないといけないことを決めると頭が痛んだ。陽の高さからして、まだ朝のうちだろうと考え、ハロイの言葉に甘え再び寝台へ横になり眠りについた。


 次に目が覚めた時は、窓から夕日が射し込んでいた。ぐっすり眠っていたらしく、体を起こすと急激に空腹感が襲ってきた。寝過ぎたな…と少しぼーっとしていると、扉を叩く音がした。ビクッとして扉を見たが、返事はしなかった。

 少し間を開けて扉が控えめに開いた。音もなく部屋に滑り込んできた姿はハロイではなかった。

 ハロイよりも少し背が高く、夕陽の光があたった金の髪がとてもキレイな人だった。

 体を起こしているアルノに気づいたその人は、扉を閉めて近づいてきた。


「調子はどうだい?アルノ。夕飯を持ってきたから食べれそうなら食べるといい。食べないと治る傷も治らないよ。」


 気さくに話しかけられたこの声には聞き覚えがあった。昨夜、部屋で治療してくれた人だ。と言うことは…


「シューリック…様ですか?」


 考えたことを口に出す。ハロイも後から来ると言っていた。

 入ってきたその人は、寝台近くまで来るとテーブルに夕食をのせたトレイを置き、近づいてきた。


「一応ここの領主代理をやっているシューリックだ。周りの者はシュリと呼んでいる。よろしく」


 手を差し出された事に驚いて固まってしまったが、これほどの身分の人に会うことはほとんどない。アルノはその手を横目に寝台から降り、ひれ伏した。


「昨夜は馬車の前に飛び出してしまい、申し訳ありませんでした。その上、治療をしていただき、ありがとうございます。」


 一息で言うと、アルノは返事を待った。昔、養父母に教えてもらった時は、許しが出るまで顔を上げてはいけないと聞いていたからだ。相手の顔が見えないので、感情を読み取ることもできない。何も声がかからないまま、足音が近づいてきた。


「顔をあげろ」


 先ほどより厳しい口調に、アルノはゆっくりと顔を上げた。

 すると、手が伸びてきてするりと抱き上げられ、寝台へと戻された。


「お前は怪我をしている。そういう時、俺の前でこんなことはしなくていい。傷が開いたらまた治療しなくてはならないだろう。」


 不機嫌な顔をして言われた意味がすぐには理解できず、黙ってしまう。今まで出会った高貴な者たちは僕みたいなのを平伏させて喜んでいた。もちろん、こちらの体調など気にすることもなかった。従順にしていれば、良くしてくれた。こんな扱いを受けたことがないから、返し方がわからない。

 アルノがぐるぐる考えていると、シュリは目を覗き込み、片手を重ねてきた。

 ドキッとして身体が少し跳ねたものの、されるがままになっていた。覗き込まれた瞳を見つめ返すと、綺麗なブルーの瞳から目を逸らせなくなった。重ねていただけの手を握り込まれ、昨夜感じた暖かなものが少しだけ流れ込んでくる。じわじわ感じる気持ちよさに頭が考えることをやめた。


「傷はほとんど治っているようだな。」


 シュリはそう言うと、手を離した。それと同時に気持ちよさも離れていった。


「あ、ありがとうございます。」


 ハッと自分を取り戻したアルノの口から出たのは感謝の言葉だった。

 この言葉はあまり使ったことがないのに、この人には2度目だ。いつもは、言葉より行動で求められた。なので、そういう返し方しか知らない。

 離れた手を今度はアルノが繋ぎ止めた。その手を引き寄せ、もう片方の手を添える。


「すみません、もらったものはお返しします」


 そう言うと、引き寄せていたシュリの顔に近づき、口づけた。彼は身動きせずされるがままになっていた。

 抵抗されないのでアルはそのまま続けた。触れるだけのキスを離し、服に手をかけた。

 今までしてきたように、表情を変えずに脱がせていく。


「そういうか」


 今まで黙っていたシュリは脱がせられていたアルノの手を掴み、引き寄せた。そしてそのまま立ち上がりながら抱き上げる。


「昨日も思ったが、しっかり食べているのか?お前は軽い上に抱き心地が悪い。」


 アルノは今の態勢に頭が追いつかない。そして、吐かれた台詞に頭が真っ白になる。


「だいたい客間ですることではないだろう。人払いもできないしな。俺の部屋へ行くぞ。」


 そう言ってシュリはそのまま部屋を出た。部屋の外には侍女が立っており、

「アルノの荷物と夕食を頼む。運び終わったら今日は下がっていろ。」

 侍女は頭を下げ今出てきた部屋の中に消えていった。

 アルノは茫然とやりとりを眺めていただけだった。その間もシュリは廊下をどんどん進んでいく。目に入った中庭の景色にハッとした。


「あの、抱き心地が悪いなら下ろしてください。歩けるのでついていきます。」


 と、シュリに言い身じろいだ。


「もうすぐそこだ。黙って抱かれていろ。」


 と言うと、抱いている腕に力を込められ動けなくなった。すらりとした人だと思っていたが、抱かれている腕には無駄のない筋肉がついており、腰には護身用なのか剣を下げていた。

 シュリを観察していると一番奥であろう部屋にノックもなしに入っていった。そこは寝室だろう、先ほどの部屋より広いが物も少なく質素な部屋だった。大きめの寝台に小さなテーブル。あとは人が横になれるであろう大きめのソファと書棚があるだけだった。

 寝台に行くとアルノを下ろした。シュリがドアを振り返ると侍女が荷物と夕食を持ってきて机に置いて行った。扉を出て行こうとする侍女にシュリが声をかける。


「ハロイにも今日はもう下がっていいと伝えといてくれ。」


「かしこまりました。」

 侍女は頭を下げると部屋から出て行った。

 それを見届けるとシュリはテーブルへ向かい、夕食を持ってきた。

「腹が減っているだろう、朝に果物を食べたきりだと聞いている。スープとパンにしてもらったが、食べられるか?」


「…はい」


 スープの匂いに忘れていた空腹感が戻ってきた。アルイの腰掛けた横に夕食ののったトレイを置かれたので、スープの器を持ち、ひと口すする。

 温かくて体に沁みた。そのままスープを飲み、たまにパンをスープに浸して食べたりと、久しぶりのまともな食事を堪能した。ひとしきり食べ終えると

「ご馳走様でした」

 と手を合わせたところで、ハッと我に返った。いつの間にかソファで本を読んでいたシュリを見ると、目があった。

「終わったか。いい食べっぷりだったな。」

 と本を置き、ニヤニヤしながら近づいて空の器をテーブルへ移した。

 アルノはこの部屋へ来るまでの事を思い出して、しまったと思った。

「色気より食い気か。さっきの勢いはどこへいったんだろうな。」

 その言葉にカッとなったが、言い返せるわけもなく俯いた。シュリはアルノの正面に来ると、軽く肩を押した。不意をつかれたアルノはそのまま寝台へ倒れた。抵抗するどころか、シュリの動きを見ていた。

「さっきの言動といい、今の状況での動じなさ。お前、大分慣れているな。」

 上から覗き込みながらシュリが言う。

「シュリ様が嫌でなければ、助けてもらったお返しがしたいです。僕は他に何も持っていないので、」

 なっ直ぐな目でシュリを見つめ言うと顔へ手を伸ばし、頬に触れる。輪郭をなぞり、首筋、胸に手を当てる。少しだけはだけている服に手をかけたところで、手をつかまれる。

「無理をするな。慣れているかもしれないが好きではないのだろう。震えている手でされても萎えるだけだ。」

 寝台から下ろしていた足を持ち上げられ、寝かされる。その隣へシュリが横になる。

「まだ身体も本調子ではないだろう。体調が戻るまでここに居ればいいから、機会はまたあるさ。お前が震えなくなったらしてもいいかもな。」

 意地悪そうな笑顔とは裏腹に、髪をすいてくれた手は優しい。

「ゆっくり休め。ここにはお前に危害を加えるやつはいない。」

 そう言って髪をすいていた手が視界を覆う。するとゆっくりあたたかな力が流れてきて、アルノは深い眠りに落ちていった。

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