煉獄蝶々【五万字試し読み】

岩井志麻子


 追憶の白い菊は血の色の夕焼けに映え、びやくだんの香りは古い人骨の臭いと混ざり合って辺りを覆い、こけした墓石の群れは蛇や蜥蜴とかげを隠し、注がれた水は湿った暗い土にされて地獄にまで滴り落ちていたのだろう。

 浅黒い肌の女が、さきほど生まれたばかりでまだ母だった女の体液にまみれた赤子を、死んだ金持ち達が眠る墓前に、まるで供物のように置く。

 その浅黒い肌の女が産んだ、赤子ではない。赤子の肌は、供えられた白い菊よりも白い。女はそのまま誰にも手を合わせず、何も拝まず、影になって立ち去る。

 やがて黒い羽に赤い斑点のある、この国にはいないはずのあげちように導かれるように、赤子を拾わされる定めの青ざめた夫婦はやってくる。

 ──それはおお鹿しかやすかずの記憶にあるはずのない、自分が生まれた日の情景である。

 誰かに教えられたのではない。誰かの記憶にある情景を語られ、それを自分のものとして記憶に取り込んだ、というのでもない。

 保和は、正しい自身の記憶であると信じている。あの毒々しくも華麗な蝶は日本にいない南洋のべにもん揚羽だと、長じて図書館で調べものをしていて知った。

 日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、岡山市のこうらくえんでも祝勝会が開かれた明治三十八年、大鹿保和が岡山市に生をけたのは間違いない。

 生後間もなく、東京に本社がある貿易会社の岡山支店長であった大鹿そうろうと、その妻の養子となる。これも、間違いない。なかなか子ができなかった夫婦は、

「あきらめて養子をもろうたら、思いがけず実子もできるてな。ありゃ、ほんまじゃで」

 という昔からの言い伝えも、信じていたらしい。結局、実子は生まれなかった。

「保和は、前世じゃほんまに我が子じゃったんじゃろ」

 あまり信心深くも迷信深くもない養父は、冗談めかしてよくいっていたが。

「不細工な実子なら、そっちを捨てに行くわぁ」

 お前が可愛い、ではなく、うちは優しいんじゃで、というのをいいたい養母はそんなふうにうそぶいていたが、本当にそれをやりかねない人だった。

 そもそも壮太郎より一回り以上若い妻のは、可愛がる人形代わりに保和を欲しがったという。可愛いらしい女児にも見えて、跡取りとなる男児。

「保和は、うちらの望みにぴったりじゃった」

 自分もいつまでも可愛い女児でいたい養母の須美子は、そう繰り返した。

 保和は赤子のときから、誰もがお世辞抜きで人形のようだと感嘆する顔で、尋常小学校に上がってもたびたび女児に間違われていた。坊主頭ではなくお河童かつぱにし、着物も女児が着るような柄だった。

 須美子が、わざと保和に女児に見えるような格好をさせ、連れ歩き、お母さんに似て娘さんもぼっけぇべつぴんになる、などといわれるのを楽しみにしていた。

 教師にもとがめられず、級友にいじめられもしなかったのは、ひとえに大鹿家が分限者、岡山市でも知られた名家であったためだが、保和が勉学に優れていたこともある。

 さらにそれらを鼻にかけることもなく、おっとりと本当に優しい女児のような立ち居振る舞いだったことも加味されるだろう。本気で、保和にれる男児も少なくなかった。そして保和も、それがうれしかった。

 男としての保和は、いろいろな引け目と本心を隠したい用心深さから謙虚さを心掛けていたが、女として見られ女として惚れられたときは、存分におごり高ぶってみせた。美女はきようまんなのがいい。自分が真に美女ではないのも、心得てはいる。

「保和は貰うた息子じゃが、魂は我が娘じゃ」

 須美子が気に入って家に招く保和の級友も、勉強ができて家が裕福できれいな女児ばかりだった。子どもらしい範囲であれ粗暴だったり、家が貧しい、見た目が良くない、勉強ができない、といった子は須美子が嫌い、保和に近づけなかった。

 容姿や家柄が良く、勉強ができても、男児は遠ざけた。男の子はどうしても乱暴な遊びをするし、けんを仕掛けてきたりする、部屋も汚す、物を壊す、と。

 女児の格好をさせられ、女の子とままごとばかりしていても、心底から自分も女だと思うようにはなれなかった。逆に自分は女ではない、と強く自覚させられていった。とはいえ保和本人も、華やかな女物の着物や髪飾りは見るのも身に着けるのも好きだった。

 そんな保和の実親は、まったく不明。名前も所在も経歴も、すべて不詳。となっていた。実際、戸籍にも記載されていない。

 大鹿の先祖達を葬ってある、岡山市郊外の墓地。秋の彼岸の少し前、まだ目も開かぬ保和は、大鹿家の墓石の前に捨てられていたという。

 見つけたのは、墓掃除に来た養父母だ。震える小さな裸の体を包む襤褸ぼろ布からは、捨てた親は辿たどれなかった。灰色の襤褸布は、腐った供物など燃やす一画で養父が燃やした。

「まんま、死体を焼く臭いがしたで」

 養父母はその話は何度かしたが、保和の記憶には組み込まれていない。襤褸布の記憶もない。養父母の姿は、ただ影のようだ。

 鮮烈なのは、自分を捨てた浅黒い女。実の母親ではないとわかるのに、何故に自分を捨てたと恋しく憎い。想うたびに恋しさと憎しみが区別できず、混ざり合う。

 そして、日本にいないはずの南洋の揚羽蝶。天鵞絨びろうどのような黒い羽よりも、肥えた赤い胴体が生々しい。その蝶が、浅黒い女の顔を隠している。

 いずれにせよ、その辺りのことは親の双方から幼い頃に教えられた。長じて他人から悪意や無神経さで知らされるより、親が事実をありのままに伝えておいた方が良いと、そこのところでは養父母の考えは一致していた。

「表向きには孤児院から引き取ったとしてあるけぇ、そのようにお前も心得とくんじゃで」

「そうじゃ。墓地で拾うたなんぞ、さすがにお前がびんであるしなぁ。聞かされた方も、まるで怪談を耳元でささやかれたようになるじゃろうから」

 その件に関して、保和は特に衝撃も受けず、えんせい的になったり不良になってやろうとねも反抗もしなかった。なんといっても大鹿の家を出れば、飢えるしかない。

 ごうしやな造りの座敷で、きれいな女達に囲まれてお人形ごっこばかりしていた保和は、人形を使って遊ぶより、自分も人形になりきるのが何よりも好きだった。

 魂を空っぽにし、体の力を抜き、女達の柔らかい手でで回され、ただ黙ってじっとしているだけで良い子じゃ可愛いと誉められ、でられる。不穏な生い立ちの真実もただ黙って受け入れていれば、みんなに可愛い可哀想と大事にされる。

「保和は死んだ真似が上手うまいんなぁ。可哀想なほどじゃ」

「違うじゃろ。寝たふりが上手いんよ。可愛い可愛い」

 岡山では、可哀想と可愛いは同義だ。可愛い子は可哀想。可哀想な子は可愛い。

 養母の須美子は最初から、保和を可愛がるが世話はしない、という体で、ひようひようとした遊び好きの養父の方が親しみやすかった。養父は酔狂な趣味人や、世間からはまゆひそめられるほうとう者にも近づき、しかし自身はとことん道も羽目も外さない。

 対する養母は、粘着質でしつ深く、わがまま。人の好き嫌いが極端で、気分の浮き沈みが激しい。それらもときに魅惑となって人をきつけもしたが、保和は常に怖かった。

 養母はまるで美しい布に包まれた刀や剣山みたいで、いくら布に包まれているといっても、布そのものが美しくても、素手で触るのは怖い。

「うちら来世こそ、実の母と娘に生まれかわるじゃろ」

 いつか捨てられる、ではなく、いつまでも放してもらえない、という恐れがあった。

 物心ついてから保和が最も長らく好きだった女は、養父と同世代の女中のはるだ。改めて振り返ってみれば、今に至るも春を超える女はいないのではないか。

 春は大鹿家の皆に仕える女中だったが、乳母としては保和が独り占めできた。

 春に最も懐き、春にまとわりつき、脱ぎ着も手伝わせ、も入れてもらい、便所が怖いとついてきてもらい、夜も抱かれて一つ布団で寝ていた。乳の出ない乳房の間に、いつも顔をうずめていた。

 可愛がるが、世話はしない。一貫してその姿勢を貫いた養母は、好きなままごとや着飾っての外出、気まぐれで構うとき以外は春に保和を押し付けていた。

 養母は春を見くびってもいたが、春は大鹿家にとって侮れない存在感があったから、嫉妬していじめたりはしなかった。いや、できなかった。

「坊ちゃんよ、春はまだまだ怖い、きょうてぇ話を知っとりますよ」

 春はいつも寝床で怖い話をしてくれ、怖い話を聞かなければ保和は寝られなくなっていった。なぜか春は、日本以外の諸国の話に詳しかった。

「その水辺の木には蛍がぎっしり集まって、まるで木が燃えとるようなんですらぁ。うちの一番古い思い出は、それじゃな。たまに首だけの女のようかいが、そこにまぎれ込んどる。日本のろくろ首と違うて、首が抜けて飛び回るんよ」

 日本には自生しない木の実や花は、それだけでまさに美しい悪夢だ。日本にはいない巨大な毒虫や猛獣は、それだけで恐ろしい物語だ。

 目を閉じて春の窒息させられそうな乳房の間で異国の話を聞いていると、ありありとまぶたの裏に異人達が現れた。恐ろしいのに、わく的な笑みを浮かべている。

「信じる神様が違うたら、人として好き合うておっても、結婚なんぞできんのですよ。日本の身分違い、というものとは、また違う。もっと恐ろしゅう、厳格なもんじゃ」

「春は、なんの神様を信じとったんじゃ」

「春に、神様は居らん。この春が、神様にされとりましたからのぅ」

 大鹿の祖父母もかつて、仕事でたいわん新嘉坡シンガポール上海シヤンハイ香港ホンコンなどに滞在した時期があったという。しかし大鹿の祖父母からは、あまりそれらの話は聞いたことがない。

 そもそも冠婚葬祭、盆暮れしか大鹿の本家には行かなかった。しかも、泊まるようなことは滅多になく、そそくさと表面的なあいさつと付き合いだけで済ませていた。

 さぬ仲といってしまえばそれまでだが、大鹿の祖父母や養父の兄夫婦、義理の従兄弟いとこ達とはしいというより他人も同然の間柄だった。特に冷たくされたこともない代わりに、温かな何かが通った思い出もない。

 あちら側は、保和をどこか不気味がり、敬して遠ざけているようでもあった。墓地で拾った、身元どころか得体の知れぬ子だから、という理由より、さらに不穏な何かがあったようだが、その辺りはあいまいにされていた。保和も、聞きたいとは願わない。

 そもそも養母が大鹿の本家を嫌い、できるだけ近づかないようにもしていた。

「長男の嫁は賢いけどなぁ、次男の嫁はほんに役立たずで」

 といった陰口をたたかれているのを、ちゃんと知っていた。

「うちは、あくまでも大鹿壮太郎の妻じゃけ。大鹿の本家は関係ないで。保和も大鹿の本家とは関係ない。うちら夫婦の子じゃ」

 春は様々な感情や思いを秘めているのは伝わってきても、何一つあらわにせず、春をよく知らない人には鈍重で冷たい印象すら与えたが、実に生真面目で思慮深い女だった。養母とは、何もかもが真逆のようだった。

 春も拾われた子で、壮太郎の母が縁の下に犬猫のように捨てられていたのを拾ったとか。春は養子ではなく女中なので、遠慮会釈なくそんな話を誰にでもされていた。

「春に拾われたけぇ、春じゃと本家のだん様に名付けられたんですらぁ。ええ名前じゃと、うちは好きじゃ。さすがに姓は大鹿を名乗らせてはもらえず、当時の村長の姓を貰うた。このたけうち姓には、いまだにめんなぁ。

 うちを、竹内さんと呼ぶ者は居らんじゃろ。誰もがうちを、春、春と呼びますけぇな」

 保和も、同感だ。春は、竹内の子ではない。春は、春でしかない。

 ともあれ春は年齢も定かでないので、拾った日を生誕の日としたらしい。ただし、生年は五年前にして届けを出した。春はすでに赤ん坊ではなく、おそらく数えで五歳くらいになっていたらしい。けれど、言葉をまったく発しなかった。

 ろう者かとも思われたが、しばらく大鹿の家で面倒を見てやると、爆発的に言葉をしゃべるようになった。言葉を覚えたというより、日本語を覚えたんじゃな、と周りはなんとなく春の出自を察した。

 家事全般も、金の勘定も、教えればすぐに覚える勘の良さがあった。

 成長するにつれ、浅黒い肌に乳と腰が大きく張り出してきた。目鼻口が大きく、南洋なら別嬪じゃと揶揄からかわれていた。保和にとっても、まごうことなき別嬪だった。

 五歳なら物心ついているが、拾われる前の記憶は一切ないと春はいう。いや、ある、と保和は確信している。おとぎばなしを装った昔話の中に、春の過酷な過去がかいえた。

「うちは、人身売買ですらなかったんですからなぁ。犬猫と同じじゃ」

 よくわからない言葉も出てきたが、雰囲気で感じ取れた。

「日本も昔は、大人はたいてい五十くらいで死ぬし、赤子が無事に育つことも神頼みじゃったでしょう。海の向こうの国は、もっと早うに死ぬし、たくさん助からん」

 どうも春は、まったくの日本人ではないようだ。みんな冗談で南洋じゃ別嬪といっているが、本当に南洋から来たようでもあった。本家の縁の下に捨てられていたというが、春が再び縁の下に潜っていけば、懐かしい腐臭に満ちた楽園に戻れるのか。

「大鹿の家でいろいろ美味うまいもん食べさせて貰うたけど、故郷の魚に塩を振ったんが一番のそうじゃった。あの魚は岡山には居らん。暑い国の川にしか、泳いどらんのよ。それから、故郷の山に生えとった果物。あれも、日本にゃ無いですらぁ」

 春は無給の女中で、教育は一切受けられず読み書きもできなかったが、大鹿の本家で過酷な労働を強いられたのではない。食べること着ることに不自由はさせず、冠婚葬祭を仕切らせるほど信頼され、いい部屋も与えられた。そもそも学校教育など、春には必要なかった。

「ときおり、人の顔をした魚が捕まえられたんよ。顔を見んかったら、美味おいしゅう食べられますで。人の声で泣かれるのは、ちと嫌じゃったけどな。果物に人の顔がついとるのは、見たことないですらぁ。髪の毛が生えた果物は、たまにあったような」

 次男の壮太郎が結婚して本家を出ていき、分家を構えると、春は壮太郎の新居に住み替えた。幼な妻の須美子が、あまりにも頼りなかったからだ。

 そんな、まさに実母のように身をゆだねて甘えてしまう春にも、どうしてもいえないことがあった。例の、自分が生まれた日の記憶だ。そこに出て来る、浅黒い肌の女。保和を抱え、墓地に捨てに来た女。あれは春ではないのか。

 蝶に隠されて顔は見えないが、体つきやまとう匂いが春だ。それを口にしたら、春がいなくなる、いや、春が春でなくなる予感がした。

 そんなふうに様々な危うさを隠しつつ、保和ははたには伸び伸びと、新しい時代の大正に相応ふさわしく成長した。やれば勉強はできたが、軽い放浪癖といささか重めの空想癖があり、幼い頃の人形ごっこの名残で、大っぴらにはしないまでも女装が趣味でもあった。

 さすがにもうそれで人前には出なくなったが、座敷で一人、鏡台に自分を映して自分に恋をした。誰にもいえない物語を作り、その中にたんできした。

「誰かに似とる。誰じゃろう」

 そのつぶやきは、自分の口から漏れたか、鏡の中のへんぼうした自分が囁いたか、腕の中のものいわぬ人形が、口だけ動かしたか。

 地元の名門とされる岡山中学には、無難に通った。ちょうど入学した頃、

「歳は離れとるが、わしの岡山中学校の後輩でな、弟分というより息子のように可愛い奴なんじゃ。お前とも話が合うはずじゃで」

 と養父に引き合わされたのが、当時は新進気鋭の作家だったかねみつせいぞうだ。

 初めて会ったとき、異様な明るさであの赤子の頃の情景がよみがえった。金光はどこにも登場していないのに、やっと会えたという気がした。もしかしたら、あの不思議な南洋の蝶が金光だったのかとも感じた。

「おお、君が噂の保和くんか。よう似とるな、お父さんに」

「血は、つながっとらんのですが」

「いやいや、血より濃いきずながあるんじゃろ」

 今から思えばその白々しいやり取りを、養父が笑顔で見ていたのが恐ろしい。

 東京の大学に行ってから、金光は養父とは手紙のやり取りくらいで疎遠になっていたというが、肺を患って帰省し療養しているとのことだった。そのとき肺の病はほぼ治癒していたが、古いびなめいた色の白さに妙に親近感を持った。

 なんとなく金光と保和は顔も似ているといわれ、保和もそんなしょっちゅう会っていたのでもないが、妙に金光とは重なるものがいろいろとあった。好きな本や芝居だけでなく、好みの女の傾向まで似ていた。

「保和くんも、小説を書いてみたらええが」

 金光とはだいたい養父に連れられて、岡山市の食堂や金光の借りている家で会い、大鹿家に来ることは滅多になかった。だから養母や春と金光は、挨拶くらいはするものの、親しくなることはなかった。むしろ、それを避けているようであった。お互いに。

 養父は養母や春には、金光と会っていることをほぼ口にしなかった。厳重に口止めされたのではないのに、保和も金光の話を養父母にはさておき、春にもしなかった。

 後から振り返ってみれば、やはり早くにいろんなことに勘づいていたのではないか。追憶の中の墓石から、良くない死者が出てきそうな予感があった。あの華麗な南洋の揚羽蝶が墜落し、湿った土の上でぼろぼろになりそうな怖さもあった。

 養母も自分の背丈を越した保和を女装させて連れ歩いたり、ままごとの相手をさせることはなくなったが、洒落しやれた洋装をさせて若い情人のように連れ歩くようになっていた。

 まるで夫婦のようじゃ、姉と弟のようじゃ、といわれることに、いや、いわせているのだが、それが養母の娯楽の一つになっていた。保和は何も嫌がる素振りは見せず、避けることもせず、相変わらず可愛い人形としていいなりになっていた。

「坊ちゃんは、可哀想じゃ」

 春だけが、そういってくれればよかった。可哀想は可愛い。可愛いは可哀想。

 そうこうするうちに、養父がそれこそ娘のような女に夢中になった。そのさとは保和よりも年下で、これまでのように花柳界の売れっ子やカフェーの女給といった玄人の女ではなく、岡山市の目抜き通りで写真館を営む富裕な家の娘で、女学校も出ていた。

 顔立ちそのものは凡庸だし、むしろ野暮ったい体型でもあるが、いろいろと恵まれた環境に培われた審美眼や巧みな話術、高価な着物や最新の都会の洋装などで、洗練された美女の雰囲気を醸し出すことにけていた。

が化けた美女のたぐいじゃな」

 というのは、ある程度の世慣れした岡山市内の者達の評価で、田舎の純朴な人達は里子をものすごい美女だと見た。養父は女には慣れていた側だが、里子の外見ではなく内面に惚れたのだと、里子が聞けばあまり嬉しくないであろうのろを吹聴していた。

「美ははかなく移ろうものじゃが、魅はいつまでもいろせぬ」

 これまでの女遊びに関しては、無論のこと養母は面白いはずはないが、どれも遊びであるし、あちらの女も金で買われているだけだと半ば認め、知らぬ顔もしていた。

 養母もまた、離縁して大鹿家を出たとしても、何もいいことはないどころか惨めなだけなのはわかっていた。養母の実家の家族も銀行勤めや役人、教師などの堅い家柄であったが、大鹿家ほどの財力はない。

 大鹿の若夫人として行く先々で丁重に扱われる身分を、見栄っ張りでぜいたく好き、しかも自立心や独立心など欠片かけらもない養母が手放すはずがなかった。

 養母には、ついに夫との間に子を産めなかったという負い目もあった。あまり夫を責め立てれば、必ずそれを夫以外、特に夫の実家からいわれるのもわかっていた。

「壮太郎さんが、他所よそに子を作らんだけ、まだましじゃで」

 などと、実の親兄弟にもいわれたらしい。養母はしかし、養子とはいえ保和の母として立派な跡取りに育て上げた、という自負はあった。現に、岡山の名門の中学にやったのだ。保和が品行方正でもあることに、異議を唱える者もいない。

 その手柄の成果である保和を置いていくのは惜しい、といった思いもあったようだ。あるいは、愛着ある人形を他人にやりたくなかったか。

 実際には、保和はほとんど春が育てたといっていいのだが、苦手とはいえ保和も養母にはれんびんと、何かしら同類としての親しみのような情は抱いていたから、残酷な本音や身もふたも無い本心など面と向かってはいえなかった。

 ところが養父は、里子にはいつになく本気になってしまった。いつの間にか二階建ての立派な家も買ってやり、そこに入り浸るようになったのだ。

「戻ってこんようになってもええから、里子にだけは子を作らせとうない」

 養母は取り乱し、その家に乗り込んでいったり、里子の実家までじか談判に行ったりもし、大小様々なめ事を起こした。大鹿の祖父が揉み消したが、戸をって壊したり里子の首を絞めようとしたり、巡査が駆けつける騒ぎまで起こしていた。

 春に、人を呪い殺せるとう師を知らないかともいってきたそうだ。金はいくらでも出すどころか、自分の命が削られても、魂が欠けてもかまわぬから、と。

 春ではない使用人達の噂話で、保和は知った。そこで初めて保和は、春に恐怖といってもいい感情を抱いた。おそらく、いや、きっと春は、人を呪い殺せる祈禱師を知っている、のではなく、春自身がそれをやってのけられる。

「奥様もなぁ、出せるだけの金も払うし、呪いに必要とあらば墓地を暴いてこの手でがい骨を掘り出すこともいとわぬ、などと、生きたまま本人がしやおんりようになっとる」

 春は決して、自分はできるとはいわないし、保和も本人に確かめられるものではないけれど。春はときおり、お伽噺の合間に自身の怖い過去を挟み込んでいた。

「周りの大人に、ちゃんとした経文も教えられましたがな、その合間に、悪い呪いの文句も教えられとった。そこに春は自分で工夫をして、節回しを勝手につけてな、歌うように唱えておったら、飛ぶ鳥が落ちてきたり、屋根の猿が泡を吹いたりしとった」

 さすがに保和も養母が怖いを通り越して哀れになり、養父と里子が別れてくれないかと、通りすがりの寺社で立ち止まって、手を合わせたりもした。保和はこの件に関しては養父には何もいえず、養母にもすべてを知らぬふりで通すしかなかった。

「里子はもう、ひそかに子を産んどるらしいで」

 との噂も立っていたが、これは大鹿家でも最大の禁忌、禁句となっていた。もしやその子も、墓地に捨てられているか。あの蝶は飛んでいるか。自分が拾いに行ってやらねばならないのではないか。ならばきっと墓石の陰にたたずむはずの養母が、何より怖い。

「人を呪うなんぞ、人を殴るより悪い」

 春は、余計なことはしゃべらない。さすがに高等小学校を出る辺りから春と一つ布団で寝ることはなくなったが、家にいるときはいつも春が視界の中にいた。

じゆじゆつ師だの祈禱師だのを頼まんでも、奥様自身があんだけ恨みの念を募らせとったら……奥様がもはや怨霊じゃ」

 養母の抜け出た魂は、夫と憎い女のもとに夜な夜な飛んで行っていたのか。養母の恨みの念は、そこまで強かったというのか。ほぼ里子の家で暮らすようになってから、養父は癌にかかった。医者に行ったときはもう、手の施しようがないまでに進んでいた。

 それこそ加持祈禱にもすがろうとしている間にせ細り、痛み止めの薬でもうろうとしてきた。保和は、里子の家には見舞いに行けなかった。

「うちの呪いじゃないで。うちは、旦那様を心底から心配しとるんじゃけ」

 心配する素振りは一応は見せたが、養母は喜びに満ちていた。いよいよ危篤となって、養父は大鹿の家に戻ってきた。親がいる本家にではなく、こちらの分家の方に。

 養父が最期は自宅でと望んだか、持て余した里子が送り返して来たか、いずれにせよすでに半ばあちらに行ってしまっている養父は、これもまた春が献身的に看護をすることとなった。養父のうわごとは、春だけが聞き取れた。

「うちは幼い頃、病人じゃないのに病人として扱われ、飲み食いから手洗いまで、自分でできるのにすべて人の手を煩わせた時期があったんよ。不自由なんじゃけど、どこか気持ちええんよなぁ。自分の手でできることを、人の手にしてもらうんは。

 坊ちゃんもほれ、自分でできても、春に髪を洗うてもらうのは気持ちえかろう。養父さんも同じじゃ。ただ気をつけんといかんのは、その誰かの手から、頭の中をいじられるときがあるで。ああ気持ちええとうっとりした隙に、のうき回される」

 養母は夫が戻ってくるのを狂おしく待ち焦がれていたのに、いざ戻ってくれば寝室に近づきもせず、自分だけの部屋に閉じこもっていた。ときおりその障子に映る養母の影は、養父を連れて行くのを眈々と狙う死神のようであった。

 大正天皇の御崩御はの神様の生誕日だったので、元号は昭和と改められたが、元年はわずか七日間だった。まるで養父は元年の内にと、生き急いだか死に急いだか。

 養父が死んだ日、確かに保和は庭先に、日本にはいないはずの紅紋揚羽が再び飛ぶのを見た。隣にいる春も、その蝶を目で追っていた。

「ええ、お迎えが来られましたで」

 保和は養父の多額の遺産を受け継いだが、分かち合った養母とは親子の縁は解消せずに別れた。あまりにもあつなく、養母は去った。

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