煉獄蝶々【五万字試し読み】
岩井志麻子
壱
追憶の白い菊は血の色の夕焼けに映え、
浅黒い肌の女が、さきほど生まれたばかりでまだ母だった女の体液に
その浅黒い肌の女が産んだ、赤子ではない。赤子の肌は、供えられた白い菊よりも白い。女はそのまま誰にも手を合わせず、何も拝まず、影になって立ち去る。
やがて黒い羽に赤い斑点のある、この国にはいないはずの
──それは
誰かに教えられたのではない。誰かの記憶にある情景を語られ、それを自分のものとして記憶に取り込んだ、というのでもない。
保和は、正しい自身の記憶であると信じている。あの毒々しくも華麗な蝶は日本にいない南洋の
日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、岡山市の
生後間もなく、東京に本社がある貿易会社の岡山支店長であった大鹿
「あきらめて養子を
という昔からの言い伝えも、信じていたらしい。結局、実子は生まれなかった。
「保和は、前世じゃほんまに我が子じゃったんじゃろ」
あまり信心深くも迷信深くもない養父は、冗談めかしてよくいっていたが。
「不細工な実子なら、そっちを捨てに行くわぁ」
お前が可愛い、ではなく、うちは優しいんじゃで、というのをいいたい養母はそんなふうに
そもそも壮太郎より一回り以上若い妻の
「保和は、うちらの望みにぴったりじゃった」
自分もいつまでも可愛い女児でいたい養母の須美子は、そう繰り返した。
保和は赤子のときから、誰もがお世辞抜きで人形のようだと感嘆する顔で、尋常小学校に上がってもたびたび女児に間違われていた。坊主頭ではなくお
須美子が、わざと保和に女児に見えるような格好をさせ、連れ歩き、お母さんに似て娘さんもぼっけぇ
教師にも
さらにそれらを鼻にかけることもなく、おっとりと本当に優しい女児のような立ち居振る舞いだったことも加味されるだろう。本気で、保和に
男としての保和は、いろいろな引け目と本心を隠したい用心深さから謙虚さを心掛けていたが、女として見られ女として惚れられたときは、存分に
「保和は貰うた息子じゃが、魂は我が娘じゃ」
須美子が気に入って家に招く保和の級友も、勉強ができて家が裕福できれいな女児ばかりだった。子どもらしい範囲であれ粗暴だったり、家が貧しい、見た目が良くない、勉強ができない、といった子は須美子が嫌い、保和に近づけなかった。
容姿や家柄が良く、勉強ができても、男児は遠ざけた。男の子はどうしても乱暴な遊びをするし、
女児の格好をさせられ、女の子とままごとばかりしていても、心底から自分も女だと思うようにはなれなかった。逆に自分は女ではない、と強く自覚させられていった。とはいえ保和本人も、華やかな女物の着物や髪飾りは見るのも身に着けるのも好きだった。
そんな保和の実親は、まったく不明。名前も所在も経歴も、すべて不詳。となっていた。実際、戸籍にも記載されていない。
大鹿の先祖達を葬ってある、岡山市郊外の墓地。秋の彼岸の少し前、まだ目も開かぬ保和は、大鹿家の墓石の前に捨てられていたという。
見つけたのは、墓掃除に来た養父母だ。震える小さな裸の体を包む
「まんま、死体を焼く臭いがしたで」
養父母はその話は何度かしたが、保和の記憶には組み込まれていない。襤褸布の記憶もない。養父母の姿は、ただ影のようだ。
鮮烈なのは、自分を捨てた浅黒い女。実の母親ではないとわかるのに、何故に自分を捨てたと恋しく憎い。想うたびに恋しさと憎しみが区別できず、混ざり合う。
そして、日本にいないはずの南洋の揚羽蝶。
いずれにせよ、その辺りのことは親の双方から幼い頃に教えられた。長じて他人から悪意や無神経さで知らされるより、親が事実をありのままに伝えておいた方が良いと、そこのところでは養父母の考えは一致していた。
「表向きには孤児院から引き取ったとしてあるけぇ、そのようにお前も心得とくんじゃで」
「そうじゃ。墓地で拾うたなんぞ、さすがにお前が
その件に関して、保和は特に衝撃も受けず、
魂を空っぽにし、体の力を抜き、女達の柔らかい手で
「保和は死んだ真似が
「違うじゃろ。寝たふりが上手いんよ。可愛い可愛い」
岡山では、可哀想と可愛いは同義だ。可愛い子は可哀想。可哀想な子は可愛い。
養母の須美子は最初から、保和を可愛がるが世話はしない、という体で、
対する養母は、粘着質で
養母はまるで美しい布に包まれた刀や剣山みたいで、いくら布に包まれているといっても、布そのものが美しくても、素手で触るのは怖い。
「うちら来世こそ、実の母と娘に生まれかわるじゃろ」
いつか捨てられる、ではなく、いつまでも放してもらえない、という恐れがあった。
物心ついてから保和が最も長らく好きだった女は、養父と同世代の女中の
春は大鹿家の皆に仕える女中だったが、乳母としては保和が独り占めできた。
春に最も懐き、春にまとわりつき、脱ぎ着も手伝わせ、
可愛がるが、世話はしない。一貫してその姿勢を貫いた養母は、好きなままごとや着飾っての外出、気まぐれで構うとき以外は春に保和を押し付けていた。
養母は春を見くびってもいたが、春は大鹿家にとって侮れない存在感があったから、嫉妬していじめたりはしなかった。いや、できなかった。
「坊ちゃんよ、春はまだまだ怖い、きょうてぇ話を知っとりますよ」
春はいつも寝床で怖い話をしてくれ、怖い話を聞かなければ保和は寝られなくなっていった。なぜか春は、日本以外の
「その水辺の木には蛍がぎっしり集まって、まるで木が燃えとるようなんですらぁ。うちの一番古い思い出は、それじゃな。たまに首だけの女の
日本には自生しない木の実や花は、それだけでまさに美しい悪夢だ。日本にはいない巨大な毒虫や猛獣は、それだけで恐ろしい物語だ。
目を閉じて春の窒息させられそうな乳房の間で異国の話を聞いていると、ありありと
「信じる神様が違うたら、人として好き合うておっても、結婚なんぞできんのですよ。日本の身分違い、というものとは、また違う。もっと恐ろしゅう、厳格なもんじゃ」
「春は、なんの神様を信じとったんじゃ」
「春に、神様は居らん。この春が、神様にされとりましたからのぅ」
大鹿の祖父母もかつて、仕事で
そもそも冠婚葬祭、盆暮れしか大鹿の本家には行かなかった。しかも、泊まるようなことは滅多になく、そそくさと表面的な
あちら側は、保和をどこか不気味がり、敬して遠ざけているようでもあった。墓地で拾った、身元どころか得体の知れぬ子だから、という理由より、さらに不穏な何かがあったようだが、その辺りは
そもそも養母が大鹿の本家を嫌い、できるだけ近づかないようにもしていた。
「長男の嫁は賢いけどなぁ、次男の嫁はほんに役立たずで」
といった陰口を
「うちは、あくまでも大鹿壮太郎の妻じゃけ。大鹿の本家は関係ないで。保和も大鹿の本家とは関係ない。うちら夫婦の子じゃ」
春は様々な感情や思いを秘めているのは伝わってきても、何一つ
春も拾われた子で、壮太郎の母が縁の下に犬猫のように捨てられていたのを拾ったとか。春は養子ではなく女中なので、遠慮会釈なくそんな話を誰にでもされていた。
「春に拾われたけぇ、春じゃと本家の
うちを、竹内さんと呼ぶ者は居らんじゃろ。誰もがうちを、春、春と呼びますけぇな」
保和も、同感だ。春は、竹内の子ではない。春は、春でしかない。
ともあれ春は年齢も定かでないので、拾った日を生誕の日としたらしい。ただし、生年は五年前にして届けを出した。春はすでに赤ん坊ではなく、おそらく数えで五歳くらいになっていたらしい。けれど、言葉をまったく発しなかった。
家事全般も、金の勘定も、教えればすぐに覚える勘の良さがあった。
成長するにつれ、浅黒い肌に乳と腰が大きく張り出してきた。目鼻口が大きく、南洋なら別嬪じゃと
五歳なら物心ついているが、拾われる前の記憶は一切ないと春はいう。いや、ある、と保和は確信している。お
「うちは、人身売買ですらなかったんですからなぁ。犬猫と同じじゃ」
よくわからない言葉も出てきたが、雰囲気で感じ取れた。
「日本も昔は、大人はたいてい五十くらいで死ぬし、赤子が無事に育つことも神頼みじゃったでしょう。海の向こうの国は、もっと早うに死ぬし、たくさん助からん」
どうも春は、まったくの日本人ではないようだ。みんな冗談で南洋じゃ別嬪といっているが、本当に南洋から来たようでもあった。本家の縁の下に捨てられていたというが、春が再び縁の下に潜っていけば、懐かしい腐臭に満ちた楽園に戻れるのか。
「大鹿の家でいろいろ
春は無給の女中で、教育は一切受けられず読み書きもできなかったが、大鹿の本家で過酷な労働を強いられたのではない。食べること着ることに不自由はさせず、冠婚葬祭を仕切らせるほど信頼され、いい部屋も与えられた。そもそも学校教育など、春には必要なかった。
「ときおり、人の顔をした魚が捕まえられたんよ。顔を見んかったら、
次男の壮太郎が結婚して本家を出ていき、分家を構えると、春は壮太郎の新居に住み替えた。幼な妻の須美子が、あまりにも頼りなかったからだ。
そんな、まさに実母のように身を
蝶に隠されて顔は見えないが、体つきや
そんなふうに様々な危うさを隠しつつ、保和は
さすがにもうそれで人前には出なくなったが、座敷で一人、鏡台に自分を映して自分に恋をした。誰にもいえない物語を作り、その中に
「誰かに似とる。誰じゃろう」
その
地元の名門とされる岡山中学には、無難に通った。ちょうど入学した頃、
「歳は離れとるが、わしの岡山中学校の後輩でな、弟分というより息子のように可愛い奴なんじゃ。お前とも話が合うはずじゃで」
と養父に引き合わされたのが、当時は新進気鋭の作家だった
初めて会ったとき、異様な明るさであの赤子の頃の情景が
「おお、君が噂の保和くんか。よう似とるな、お父さんに」
「血は、
「いやいや、血より濃い
今から思えばその白々しいやり取りを、養父が笑顔で見ていたのが恐ろしい。
東京の大学に行ってから、金光は養父とは手紙のやり取りくらいで疎遠になっていたというが、肺を患って帰省し療養しているとのことだった。そのとき肺の病はほぼ治癒していたが、古い
なんとなく金光と保和は顔も似ているといわれ、保和もそんなしょっちゅう会っていたのでもないが、妙に金光とは重なるものがいろいろとあった。好きな本や芝居だけでなく、好みの女の傾向まで似ていた。
「保和くんも、小説を書いてみたらええが」
金光とはだいたい養父に連れられて、岡山市の食堂や金光の借りている家で会い、大鹿家に来ることは滅多になかった。だから養母や春と金光は、挨拶くらいはするものの、親しくなることはなかった。むしろ、それを避けているようであった。お互いに。
養父は養母や春には、金光と会っていることをほぼ口にしなかった。厳重に口止めされたのではないのに、保和も金光の話を養父母にはさておき、春にもしなかった。
後から振り返ってみれば、やはり早くにいろんなことに勘づいていたのではないか。追憶の中の墓石から、良くない死者が出てきそうな予感があった。あの華麗な南洋の揚羽蝶が墜落し、湿った土の上でぼろぼろになりそうな怖さもあった。
養母も自分の背丈を越した保和を女装させて連れ歩いたり、ままごとの相手をさせることはなくなったが、
まるで夫婦のようじゃ、姉と弟のようじゃ、といわれることに、いや、いわせているのだが、それが養母の娯楽の一つになっていた。保和は何も嫌がる素振りは見せず、避けることもせず、相変わらず可愛い人形としていいなりになっていた。
「坊ちゃんは、可哀想じゃ」
春だけが、そういってくれればよかった。可哀想は可愛い。可愛いは可哀想。
そうこうするうちに、養父がそれこそ娘のような女に夢中になった。その
顔立ちそのものは凡庸だし、むしろ野暮ったい体型でもあるが、いろいろと恵まれた環境に培われた審美眼や巧みな話術、高価な着物や最新の都会の洋装などで、洗練された美女の雰囲気を醸し出すことに
「
というのは、ある程度の世慣れした岡山市内の者達の評価で、田舎の純朴な人達は里子を
「美は
これまでの女遊びに関しては、無論のこと養母は面白いはずはないが、どれも遊びであるし、あちらの女も金で買われているだけだと半ば認め、知らぬ顔もしていた。
養母もまた、離縁して大鹿家を出たとしても、何もいいことはないどころか惨めなだけなのはわかっていた。養母の実家の家族も銀行勤めや役人、教師などの堅い家柄であったが、大鹿家ほどの財力はない。
大鹿の若夫人として行く先々で丁重に扱われる身分を、見栄っ張りで
養母には、ついに夫との間に子を産めなかったという負い目もあった。あまり夫を責め立てれば、必ずそれを夫以外、特に夫の実家からいわれるのもわかっていた。
「壮太郎さんが、
などと、実の親兄弟にもいわれたらしい。養母はしかし、養子とはいえ保和の母として立派な跡取りに育て上げた、という自負はあった。現に、岡山の名門の中学にやったのだ。保和が品行方正でもあることに、異議を唱える者もいない。
その手柄の成果である保和を置いていくのは惜しい、といった思いもあったようだ。あるいは、愛着ある人形を他人にやりたくなかったか。
実際には、保和はほとんど春が育てたといっていいのだが、苦手とはいえ保和も養母には
ところが養父は、里子にはいつになく本気になってしまった。いつの間にか二階建ての立派な家も買ってやり、そこに入り浸るようになったのだ。
「戻ってこんようになってもええから、里子にだけは子を作らせとうない」
養母は取り乱し、その家に乗り込んでいったり、里子の実家まで
春に、人を呪い殺せる
春ではない使用人達の噂話で、保和は知った。そこで初めて保和は、春に恐怖といってもいい感情を抱いた。おそらく、いや、きっと春は、人を呪い殺せる祈禱師を知っている、のではなく、春自身がそれをやってのけられる。
「奥様もなぁ、出せるだけの金も払うし、呪いに必要とあらば墓地を暴いてこの手で
春は決して、自分はできるとはいわないし、保和も本人に確かめられるものではないけれど。春はときおり、お伽噺の合間に自身の怖い過去を挟み込んでいた。
「周りの大人に、ちゃんとした経文も教えられましたがな、その合間に、悪い呪いの文句も教えられとった。そこに春は自分で工夫をして、節回しを勝手につけてな、歌うように唱えておったら、飛ぶ鳥が落ちてきたり、屋根の猿が泡を吹いたりしとった」
さすがに保和も養母が怖いを通り越して哀れになり、養父と里子が別れてくれないかと、通りすがりの寺社で立ち止まって、手を合わせたりもした。保和はこの件に関しては養父には何もいえず、養母にもすべてを知らぬふりで通すしかなかった。
「里子はもう、
との噂も立っていたが、これは大鹿家でも最大の禁忌、禁句となっていた。もしやその子も、墓地に捨てられているか。あの蝶は飛んでいるか。自分が拾いに行ってやらねばならないのではないか。ならばきっと墓石の陰に
「人を呪うなんぞ、人を殴るより悪い」
春は、余計なことはしゃべらない。さすがに高等小学校を出る辺りから春と一つ布団で寝ることはなくなったが、家にいるときはいつも春が視界の中にいた。
「
養母の抜け出た魂は、夫と憎い女の
それこそ加持祈禱にも
「うちの呪いじゃないで。うちは、旦那様を心底から心配しとるんじゃけ」
心配する素振りは一応は見せたが、養母は喜びに満ちていた。いよいよ危篤となって、養父は大鹿の家に戻ってきた。親がいる本家にではなく、こちらの分家の方に。
養父が最期は自宅でと望んだか、持て余した里子が送り返して来たか、いずれにせよすでに半ばあちらに行ってしまっている養父は、これもまた春が献身的に看護をすることとなった。養父の
「うちは幼い頃、病人じゃないのに病人として扱われ、飲み食いから手洗いまで、自分でできるのにすべて人の手を煩わせた時期があったんよ。不自由なんじゃけど、どこか気持ちええんよなぁ。自分の手でできることを、人の手にしてもらうんは。
坊ちゃんもほれ、自分でできても、春に髪を洗うてもらうのは気持ちえかろう。養父さんも同じじゃ。ただ気をつけんといかんのは、その誰かの手から、頭の中をいじられるときがあるで。ああ気持ちええとうっとりした隙に、
養母は夫が戻ってくるのを狂おしく待ち焦がれていたのに、いざ戻ってくれば寝室に近づきもせず、自分だけの部屋に閉じこもっていた。ときおりその障子に映る養母の影は、養父を連れて行くのを
大正天皇の御崩御は
養父が死んだ日、確かに保和は庭先に、日本にはいないはずの紅紋揚羽が再び飛ぶのを見た。隣にいる春も、その蝶を目で追っていた。
「ええ、お迎えが来られましたで」
保和は養父の多額の遺産を受け継いだが、分かち合った養母とは親子の縁は解消せずに別れた。あまりにも
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