9 兄との再会

「――お前に色仕掛けの才があったとは意外だよ」


 美しいドレスに身を包み、侍女まで従えて現れたユーフェは、ヴィクトールの寵姫のように見えることだろう。くくっと低く笑ったノクトは、大袈裟に声を張り上げた。


「良かった! 心配していたんだぞ!」

「わ、たしも……。お兄様、無事で良かった……」


「城の外でうろうろしていたところを俺の部下が見つけたんだよ。きみのことが心配で、どうにか中に入ろうとしていたらしい」


 上座に座るヴィクトールがそう教えてくれた。


 ノクトはユーフェの元にメモを寄こしたこともあったので、城のどこかに潜伏しているものと思われたが、もう危険はないと判断してそのような目立つ行動をとったのだろう。これからはユーフェの兄として堂々と訪ねてくれば良いのだから。


「ヴィクトール殿下、妹に会わせて下さってありがとうございました。……アレックス皇子に追い出された時は、もう二度と妹には会えないものだと思っておりました」


「ユーフェがきみのことを案じていたからね。すぐに見つかって良かったよ」


「妹はとても良くしていただいているみたいで……なんとお礼を言っていいか……」


 意味深に言葉を切ったノクトは、ユーフェとヴィクトールを見比べるように視線を動かした。遠回しに男女の仲なのかどうかと聞いているのだ。兄として、妹を心配する演技の一環として。そしてヴィクトールの方はというと真摯な顔をして頷いた。


「……ノクト殿、と言ったね。俺にはユーフェが必要なんだ。妹が心配な気持ちはわかるが、どうか彼女をこの城に残すことを許して欲しい」


「もちろんです。殿下のお役に立てるならこれほど名誉なことはありません」


「えっと、お兄様……あの、わたし……」


 ユーフェは気まずそうにもじもじとしてみた。過剰な待遇に戸惑う田舎娘らしく。

 意図を汲み取ったノクトは「ヴィクトール様、少し兄妹二人で話をしても構いませんか?」と許可を取る。ヴィクトールは快く了承してくれた。


 部屋を別室に移し、ネリが二人のためにお茶の準備をしてくれる。


 彼女が出て行ったあと、ノクトは「良い眺めだな」と言って窓を開けた。


 風の音。鳥のさえずり。

 誰かが楽士でも呼んでダンスのレッスンでもしているのか、優雅な曲が微かに聞こえてくる。


 そうして、入り口の扉から離れた二人は、外からの音に紛れるように窓辺に立った。盗み聞き対策だ。


「……で? 首尾は?」


 顎を上げて問いかけてくるノクトに、ユーフェは首を振る。


「まだ何も」


「はーっ。相変わらずグズだな。お姫様ごっこして遊んでただけかよ」


「信頼を得るために慎重に動いていたのよ。……正直、こんなに好待遇で囲われるとは思ってなかった。今のわたしには四六時中ネリがついてる。彼女の目を誤魔化して何かをすることは難しいし、侯爵家の娘らしいから、お金で買収したりすることも難しいわ」


「じゃあせいぜいヴィクトールに媚びておけ。どうやら、状況は変わりそうだからな」


「状況?」


「アレックスの不正の証拠が出てきたとかで、奴は今、査問にかけられている。威張り散らしていたアレックス派の貴族たちも一緒に袋叩きらしい。……逆風が吹いたな。どうやら次期皇帝の座に就くのはヴィクトールの方になりそうだ」


「アレックス様が……」


 聖ポーリア国への侵略はアレックス率いる強硬派によるものだ。

 だからこそユーフェの仕事は、侵略計画の情報をいち早く掴み、戦渦に巻き込まれる前にすばやく撤退することだった。


「ヴィクトールの方は正直何を考えているかわからねえから、注意深く動向を観察する必要がありそうだ。攻め入る一方だったアレックスとは違い、何か条件を付けて交渉してくるかもな。……お前、聖ポーリアの出身だって絶対に気取られるんじゃねえぞ」


「わ、わかった」


「あと、これ」

 持ってろ、とノクトはユーフェにカメオのペンダントを渡した。


「『俺たちの両親の形見』だ」


 という設定らしい。親指ほどのカメオをひっくり返すと裏側は外れるようになっていた。


「中、何が入ってるの?」


「自害用の毒薬」


「…………」


「ありえねえヘマをした時用の保険だ。軽率に使うなよ」


「わ~……親切にありがとう~?」


「俺からじゃない。ヨハン様からだ。拷問の果てに死ぬことになったらかわいそうだからってな」


 相変わらずひどい。

 このままヨハンを裏切り、この国でちやほやされて暮らせたら幸せだろうが、そんなことは許されないだろう。ノクトがユーフェを暗殺、または密偵だとばらしてここにはいられなくさせられる。


「……あなたはこれからどうするの? 城下に潜伏するの?」


「適当にほっぽり出してくれたアレックスとは違って、ヴィクトールは慎重そうだ。おそらく俺にもしばらくの間は監視がつけられるだろう。当面はまじめな青年なふりをしてどこかに勤めるさ」


「わかった。じゃあ手紙を書くわね」


「お前の手紙なんかいらんがそうしろ」

 日頃から連絡を取り合っていた方が情報の受け渡しがしやすい。


 そしてノクトは殺し文句を囁く。


「ヨハン様がお前をアンスリウムに向かわせると言った時はどうなることかと思ったが、敵国の皇子に近づいて気に入られるなんざ、やっぱりお前はいい度胸をしてるよな。お前の状況を知ったら、ヨハン様も感心するだろうよ」


 本物の兄のようにくしゃりとユーフェの頭を撫でる。

 見せかけだけだ。そこに親愛の情はない。



 ◇◇◇



 六歳でヨハンに拾われ、教護院に預けられたは八歳の時点で既に『伸びしろなし』と言われていた。


『――傷を治すことしかできないなんて』

『治癒力も一向に上がらないね……』


 大ベテランの老婆から、生まれながらにして未来を約束された大聖女の娘まで。結婚や出産、仕事などで入れ替わりはあれど、教護院では常に五十人以上の聖女が暮らしていた。そのなかで、ユーフェはいつも一番の役立たずだった。


『退きなさいよっ、グズ!』


 食事の配膳をしている最中に突き飛ばされて転ぶなんてしょっちゅうだ。

 野菜とチーズがたっぷり入ったオムレツがべちゃっと床にひっくり返る。

 フェリスを突き飛ばした同年代の少女は嫌らしい顔をして床を指さした。


『床に這って食べれば? 穀潰しにはお似合いよ!』


 ――これじゃあ孤児院にいた頃と何にも変わらないなあ。


 フェリスがそう思うたび、必ずと言っていいほどヨハンからの呼び出しがある。

 のための呼び出しだ。


 だけど、表向きは「勉強」のためだと称して城に上がる。フェリスが幼いうちは暴力的な訓練は控えめだった。乗馬やサバイバル術を叩きこまれる程度だ。


 そうして「勉強」から帰ってくると、周囲の評価は少しだけ変わっている。


 その日も、フェリスに嫌がらせをしようとツカツカ歩いてきた少女を大人たちが止めるのだ。


『やめときな、アデリーン』

『ヨハン様が目をかけていらっしゃる子だ。ちょっかいをかけるんじゃない』


 ギリ、と憎悪のこもった目で少女はフェリスを睨む。

 なぜあの役立たずが、といつも言われていた。


 王家と同じ青い目と黒髪だから王女の影武者に育てるつもりなのかもしれないだとか、ヨハン直々に拾ってきた子だから特別扱いなんだとか。


 ヨハンに呼び出されたあと、フェリスはほんの少しだけ、いじめから解放される。


 長らく呼び出しがないと『飽きられたんだ』『見捨てられたんだ』と再びいじめられることはあったけれど、それでも皆、フェリスの背後にはヨハンがついているのだと嫉妬交じりの瞳でフェリスを見ていた。


 ヨハンの評価一つで世界はがらりと変わる。


 ヨハンに必要とされること。

 彼に捨てられないこと。


 フェリスの中に刷り込まれてしまった感情だ。




『いい子だ、フェリス。お前はきっと私の役に立つよ――……』




 ◇◇◇

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