第20話 明日香は、真里菜のメールで陣内を呼び出す!

 真里菜の転落死事件から2週間が経過。

 大麻取締法違反で逮捕された坂上は、陣内のことは一切口を割らなかった。

 陣内をかばってやろうとは、さらさら思っていないが、大麻の出所については、池袋の路上で外国人から買ったといいはり、それ以外はなにも喋らなかった。

 もちろん坂上は、山城組のチンピラにやられたのは、陣内が密告したからだと、薄々気づいていたが……。


 坂上は、せっかくうまくいっている大麻の密売を、手放す気にはならなかった。

 今回、運悪く警察に捕まってしまったが、所詮しょせん大麻取締法違反。腕のいい弁護士を雇えば、裁判にかけられても、執行猶予がつくだろうと、たかくくっていた。それより、せっかくつかんだ大事な金蔓かねづるである陣内を、自ら進んで警察にさし出すのは、あまりにも勿体もったいないと思ったからだ。


 しかし、そう甘くはなかった。坂上が逮捕された2日後、坂上が移送された警察病院に、捜査本部から竹内と田中が派遣され、坂上に対する事情聴取が行われた。

「坂上よ、いい加減ほんとのこと、いったらどうだ」竹内が脅かしぎみにきり出した。

「正直にいってますよ。信じてくださいよ」

「お前、井坂宏治という学生を知ってるか?」

「井坂ですか? 知りませんよ、そんな学生は」

 なぜ竹内が井坂という名前を出したのか、に落ちないまま坂上は、憮然ぶぜんとして答えた。


「知らないはずないだろう。お前の同業者だ。大学のキャンパスで学生相手に大麻を売りさばいてたんだ。お前と同じようになぁ」

「ほんとに知りませんよ。今、はじめて聞く名前です。そいつが、どうかしたんですか?」坂上は、いぶかしげに竹内に尋ねた。

「殺されたんだよ、10日ほど前にな。お前がやったんだろう!」

「なんで、俺がそいつを殺さなきゃいけないんだよ。ほんとになにも知らないよ」

「商売の邪魔になるから、殺したんだろう。正直にいった方が、身のためだぞ」

「刑事さん、ほんとに知らないんだ。名前も知らなければ、会ったこともない」

 いくらいっても信じてくれそうにないので、坂上は、真剣な顔つきで懇願した。


 おもむろに竹内が胸ポケットから1枚の写真をとり出して、坂上の前に置いた。

「この男だ。名前を知らなくても、顔は覚えてるだろう」

「知らない、知りませんよ。ほんとに知らないんですから、信じてくださいよぉ」坂上は必死になって弁明した。

「坂上、お前、この男から大麻をかすめとったんじゃないのか? それで、口封じに殺したんだろう。お前が、大麻を外国人から買ったって、嘘をいってるのは、そのせいだろう」

「違いますよ。信じてくださいよぉ」

「警察を舐めるのもいい加減にしろ! 大麻なんぞでパクられても、うまくいきゃあ、執行猶予がつくと、高を括ってるんだろう、お前。そうは甘くないんだよ!

 俺たちは、お前が井坂を殺した犯人ホシだと睨んでるんだ。大麻が絡んだ殺人だと、少なくとも10年は、臭い飯食わなきゃいけないぜ。どうなんだよ!」

 ここが落としどころと判断した竹内が、ここぞとばかりに坂上に迫った。


「……」

 竹内の迫力に圧倒された坂上は、なにもいえなくなり、しばらく沈黙した。

「いい加減、本当のことをいったらどうだ」竹内は、表情を和らげて諭すようにいった。

「いいます。いいますから、俺が、その井坂っていう学生を殺してないことは、信じてください。お願いしますよ」坂上は、竹内の目を見て懇願した。

「わかったから、話してみろ」

「実は、俺の大学の同級生で陣内っていう野郎と大麻の密売を計画したんです。野郎が大麻を栽培し、できたものを俺がさばくんです。

 変なところでさばくと、すぐ足がついて、強面こわおもてのお兄さんたちに追いまわされるので、大学生を狙って、大学のキャンパスでさばくようにしたんです。

 そしたら、あの野郎が裏ぎりやがって、学生を使って同じように大学のキャンパスでさばかせたんですよ。おそらくその井坂っていう学生は、陣内が雇った売人じゃないですか?」


「陣内、なんていうんだ?」半信半疑の竹内は問いただした。

「確か雅彦。陣内雅彦っていう名前です」

「なにしてる?」

「大学、池袋にある城北大学の教師で、最近准教授になったといってました」

「大学の准教授? お前、また出任でまかせをいってやがる。大学の先生が、こともあろうに、大麻なんぞ栽培したりするのかよ。いい加減なことをいうな!」

 竹内は、怒気をこめて坂上を𠮟しかり飛ばした。竹内には、とても信じられることではない。最高学府の学生が、簡単に大麻に手を出すということに加えて、その学生を教える准教授が、自ら大麻を栽培するということが。

「ほんとですよ。俺は、ただ陣内が栽培した大麻を売っただけなんですから……」

「大学の先生ともあろうものが、なんで大麻なんぞ、栽培するんだ?」

「野郎だって、金がほしかったんですよ。けっこういい生活してるみたいだったし、女と遊ぶのにも、金がかかりますからね」


「陣内は、どこで大麻を栽培してたんだ?」竹内に替わって田中が質問した。

「おそらく野郎のマンションだと思いますが……」

「それは、本当なんだな!」

「いっ、いえ、実際に栽培してるところは、見てませんので、本当か、といわれても……」坂上は自信なさげに答えた。

「さっき井坂は、陣内が雇った売人じゃないかっていってたが、それはどういうことなんだ?」

 竹内は、大学の准教授が大麻を栽培していることさえ信じられないのに、それに加えて、教え子を使って大麻をさばかせていたことが、どうしても信じられず、坂上の情報源を確認しようとした。


「10日ほど前、陣内が大麻をやめたいといい出したんです。なんでも、売人に使った学生の彼女が殺されて、その容疑がその学生にかかってるっていってたかなぁ。

 その学生が捕まれば、大麻のことがバレるから、手を引きたいって」

「それで、お前は、どうしたんだ?」

「こっちは、そう簡単にはいきませんよ。せっかくおいしい儲け話が転がりこんできたんだから。はい、そうですかって、やめられませんよ。そうでしょう」当然だという顔で坂上がいった。

「お前な、大麻は犯罪だぞ。手が後ろにまわるってことがわからないのか」呆れながらも竹内は、強い口調で叱った。

「いやまぁ、それはそうなんですがね。ともかく陣内には断りましたよ。その学生が喋らなければ、大丈夫だといって」


「お前のその怪我、それが原因かもしれんな。どこかの組にチクられたんだろう」田中が、坂上の痛々しい肩と胸の包帯を一瞥していった。

「俺もそう思いましたよ。陣内の野郎がチクったんじゃないかと。まったく身に覚えがありませんでしたから」

「ところで、井坂っていう名前、陣内から聞かなかったか?」改めて竹内が確認した。

「いえ、売人の名前は、いってませんでした。ただ学生を使って売りさばいてるとしか。野郎は、俺が売上を誤魔化ごまかしているのに気づいたみたいで、その対抗策で独自に売人を雇ったみたいです。相変わらず頭のいい野郎ですよ、陣内は」

 なぜか坂上は、陣内をもちあげていた。



「係長、これで、岡本真里菜の事件と井坂宏治の事件が繋がりましたね」警察病院から豊島警察署に戻る車の中で、興奮した田中が竹内に話しかけた。

「ああ、このふたつの事件に、誰かがかかわってると思ってたが、それが陣内雅彦だったんだ。こんな形で結びつくとは、思ってもみなかったがなぁ」

「ほんと、青天せいてん霹靂へきれきですよ。まさか大学の准教授が大麻を栽培してたなんて、誰も想像つきませんから」

「ただ、坂上のいうことがどこまで信用できるかだ。全部鵜呑うのみにはできんだろう。ともかく署に戻って、急いで裏をとろう」

「はい、わかりました」


「坂上の供述の裏がとれれば、陣内の逮捕状と家宅捜索令状を請求できる。早く陣内の身柄を確保して、ブツを押さえたい」

「そうですね。そうなれば、この事件も解決です。うまい酒が飲めますよ」嬉しそうに田中がいった。

「でもなぁ、田中。俺にはまだ信じられないよ。城北大学といや、一流大学だ。そこの准教授が、大麻なんぞ栽培するだろうか? いくら金がほしいからといって」竹内はまだ信じられないという表情をしていた。



 その頃、明日香は、陣内を池袋西口公園に呼び出していた。

 陣内が真里菜と井坂を殺した犯人だと、どうしても思えない明日香は、直接陣内に会って、確かめようとしたのだ。

 前日大学のコンピュータ教室で、明日香は、真里菜のアドレスを使って、陣内宛てにメールを送信した。翌日の今日、午後1時に池袋西口公園で会いたいと。

 殺された真里菜からのメールであれば、必ず陣内はくるだろうと予測した。念のため片瀬に事情を話し、少し離れたところで待機してもらっている。

 明日香は、西口公園の大きな噴水の前にえつけられたベンチに座り、陣内がくるのを待った。しかし、約束の時刻をすぎても、陣内はこなかった。


(やっぱりダメか)と思ったとき、有村美咲が明日香の前に現れた。

「どうしてあなたなの?」驚いた明日香が美咲に尋ねた。

「陣内先生はこないわ。彼はメールを読んでないもの。私が、彼が読む前に消去したから」美咲は立ったまま答えた。

「ここだと寒いわ。どこかに入らない?」

「わかりました。少し待っていただけますか」

 明日香は立ちあがり、10メートルほど離れたベンチで新聞を読む振りをしていた片瀬に近づき、声をかけた。


「陣内先生は、こないみたい。代わりに美咲さんがきたの。大丈夫だと思うから、帰っちゃっていいよ」

「ほんまにええんか? もしかすると、彼女が犯人かもしれへんぞ」心配そうな表情で片瀬がいった。

「大丈夫よ。彼女も、あたしとふたりで話したいみたいだから。ごめんね。わざわざきてもらったのに」

「かめへんよ。今度、腹一杯昼飯、おごってくれればええよ」

「わかったわ。でも、吉野家よ」


 明日香は、片瀬が立ちあがり、駅に向かって歩き始めるのを待って、美咲とともに歩き出した。

 西口公園を出ると、左側に珈琲館が見えたので、そこに入ることにした。

 店内は、3割程度しか席は埋まっておらず、とても静かだった。先に入った美咲が、一番奥の窓際の席に腰をかけたので、明日香も向かいに座った。


「美咲さん、陣内先生がメールを読んでないって、どういう意味?」美咲が、話し出すのを躊躇ためらっているように見えたので、明日香が先に尋ねた。

「どういう意味って、そのままよ。彼がメールを読んでないということよ」

「それじゃ、美咲さんが、陣内先生のメールを盗み読みしてるんですか?」

「盗み読み……。そうともいえるわね」

「なぜなの? そんなことまで、するなんて……。まさか」


 明日香が、怒気をこめて問いただそうとしたとき、ちょうどウエイトレスが現れ、明日香は、慌てて口をつぐんだ。

 ウエイトレスがテーブルにお冷とおしぼりを置くのを待って、

「ブレンドと……」と美咲が先にいって、明日香に目配めくばせした。

「あたしは、カフェオレを」明日香もオーダーした。


 ウエイトレスが立ち去ったあと、気まずい空気が流れたが、明日香は、気をとり直して質問を続けた。

「真里菜さんのメールも、陣内先生が読む前に消したんですか?」

「ええ、2通目の方をね。でも、最初のメールは、彼、読んでるはずよ」

「なぜですか? なぜ、そんなことしたんですか?」

「私が、陣内先生とおつきあいしてることは、薄々気づいてるでしょう?」美咲は、明日香の質問には答えず、質問を返した。

「ええ、あのとき、美咲さんが現れたタイミングがよすぎたので、もしかすると、と思ってました」

「そうよね。あんなふうに現われたのは、陣内先生をつけまわしてるのに、決まってるよね」美咲は自嘲じちょうぎみに笑った。


 それから、美咲は、陣内と出会った3年前のできごとから話し始めた。

 教師と学生という立場があるので、周りの人には、つきあっていることを秘密にし、池袋を避けて、新宿や渋谷でよくデートしたこと。月に一度か二度、演劇や映画を観て、レストランで食事をするというありきたりのデートだったけど、楽しくて幸せだったこと。純粋に陣内のことを愛し、彼も私の愛に応えてくれ、私が司法試験に合格したら、結婚する約束をしていることも。

 陣内は、法学者としてとても魅力的な人であるが、子どもぽくて気が弱く、私生活だと、すぐに人を頼ろうとすることも。いつの間にか、私が陣内を支えてやらないと、この人は生きていけないと、思うようになったことも。


「美咲さんは、すっかり陣内先生にれてしまったんですね」美咲の話の腰を折るように明日香がいった。

「惚れて……? そう、私は、彼に惚れてしまったわ」恥かしげもなく、美咲は答えた。

 明日香は、いつしか姉の紀香が、「女は、惚れられた男と結婚するのが最高、惚れた男と結婚するのが最悪」といったのを思い出した。

 今の美咲を見ていると、姉のいったことが、まんざら戯言たわごととは思えない。


「でもね、まさか陣内先生が大麻に手を出しているとは、思ってもみなかったわ。そんな馬鹿げたことを大学の教師たる者がやるとは、信じられず、本人から聞いたときは、あきれ果てて、ものもいえなかったわ」

「そうですよね。あたしも、信じられませんでした」

「陣内先生、けっこう金遣いが荒くって。見栄もあったのか、ブランド品にこだわってたし、大学からは、たいしたお給料、もらってないのにね。

 大学に内緒で、司法試験の専門学校でバイトをしてることは、薄々気づいてたけど。別に生活に困ってるわけでもないのに、なぜ大麻なんかに、手を出してしまったのか……。こんなことになって、自業自得じごうじとくよね」

 美咲の表情に悔しさがみなぎっていた。そしてつけ加えた。

「しかも、井坂君まで巻きこんでしまって。本当に申しわけないことをしてしまったわ」

 美咲は、まるで自分が大麻の密売をさせたようにいった。


「真里菜さんが、陣内先生を脅して、井坂君を巻きこむのをやめさせようとしたことは、先生のメールをこっそり読んで知ったの。

 先生のメールは、1年ぐらい前かな、研究室で先生がパスワードを入力するのを見て覚えたの。だって『Masahiko』なんだもの。誰だって覚えちゃうよね。

 別になにか秘密を探ろうとか、思ったわけじゃなくて、先生のこと、もっと知りたかっただけなの。信じてくれないかもしれないけど……」

「信じますよ」

 明日香は、信じたわけではないが、なんとなく美咲を励ましたくなった。


「でも、2通目の真里菜さんのメールを見つけたときは、とても驚いたわ。単なる脅しだと思ったけど、もし本当に大学や警察に告発されたら、先生は、大学にいられなくなるだけでなく、学者としての生命までも、絶たれてしまうことになると。

 なんとしてもそれだけは、やめさせなければと、思ったの。それで……」

 涙がこみあげてきたのか、言葉が途ぎれた。美咲は、大きく溜め息を吐き、話を続けた。

「でも、陣内先生は知らないのよ。彼が読む前に、私が消してしまったから……。だから、彼は、真里菜さんが脅迫していたことに、気づいてもいないのよ」

「それは、ほんとなんですか?」

「ええ、本当よ。だから陣内先生は、真里菜さんも井坂君も、殺してないの。調べてもらえばわかることだけど、真里菜さんの事件のときは、大阪に出張中で、井坂君のときは、池袋のホテルに泊まってたはずだから、アリバイがあるはずよ、彼には」


「それじゃ、誰がふたりを殺したんですか? 美咲さん、あなたが殺したんじゃないですか?」

「その質問には、今は、答えられないわ。もうしばらく待ってほしいの、お願いだから……。私なりに決着をつけたら、すべてをあなたに話します。それまで待ってほしいの……」

 美咲は、目に涙を浮かべて哀願した。明日香は、返す言葉が見つからなかった。


 しばらくの間、ふたりは、互いの顔を見つめたまま黙っていた。しびれをきらしたように美咲が、大きく溜め息を吐いた。

「私が話したいことは、すべて話したわ。あなたが納得したかどうか、わからないけど……。それじゃ、これで失礼するね」といって、美咲は席を立とうとした。

 いつの間にか、道路に雪がちらちらと舞い落ちるのが、窓から見えた。

「あっ、雪だ。そういえば、明日はクリスマスイブだわね。ホワイトクリスマスになると、素敵ね」と呟いた美咲の頬に一筋の涙がこぼれた。

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