第9話 真里菜と陣内がいい争っていた目撃証言が?

 真里菜の転落死事件から8日後。

 豊島警察署に設置された捜査本部では、井坂宏治が大麻の売人をしていたことが明らかになったことで、いき詰っていた捜査に、新たな糸口を見い出した。

 真里菜が殺害された翌日から、姿を消していた井坂の足どりは、依然としてつかめていなかったが、井坂が大麻にかかわっていたことで、警察を避けていたことが、容易に想像できた。


 しかし、井坂が大麻の売人だとしても、大学生が簡単に大麻を手に入れることは難しく、誰かが井坂に大麻を流していたのは、間違いなかった。

 生活安全課の捜査員を動員して、池袋の繁華街を中心に、大麻を扱っていそうなヤクザやチンピラをあたってみたが、井坂に大麻を流した者は、見つからなかった。そもそもいくら井坂の周辺を洗っても、ヤクザやチンピラなどと繋がるセンが、まったく見えてこないのだ。


 卸元おろしもとがないとなると、井坂は、自分で大麻を栽培していたのだろうか?

 井坂宅を家宅捜索しても、その痕跡はまったくなく、大麻の一片さえも見つけられなかった。

 唯一の手がかりは、井坂が転落死したときに所持していたプリペイド(前払い)式のスマートフォン。通話履歴には、3件の電話番号が記録されていたが、それ以外は、すべて公衆電話からの着信。おそらく客の方が用心して、公衆電話を使ったのだろうと推測された。


 竹内は、通話履歴に記録されていた3件の電話番号に電話をかけてみたが、いずれの相手も、出ることはなかった。電話会社を通じて所有者を調べると、2件はプリペイド式で所有者を特定できなかったが、残り1件は、朝日体育大学の学生のものと判明。

 生活安全課の高山が、その学生から事情を聴取し、大麻の件を追及したところ、あっさり井坂から大麻を買ったことを自白したため、大麻取締法違反で逮捕された。


 3階の捜査本部から刑事課の部屋に戻った竹内は、課長席で資料を読んでいた石田に呼びとめられた。

「竹さん、意外な展開になってきたなぁ」

「ええ、でも、これで殺しの動機がぼんやりとですが、見えてきた気がします」

「ところで、岡本真里菜は、大麻の件にどうかかわってると、みてるんだ?」石田が尋ねた。

「今は、まだなんともいえません……。井坂との共犯の疑いも、ないとはいいきれませんが、可能性はかなり低いと思います。ただまったく大麻と無関係でないような気がするんです。

 おそらく岡本真里菜は、井坂宏治が大麻を売さばいてることを知ってたか、あるいは井坂から告白されてたか、どちらかでしょう。それで、井坂に密売をやめさせようと、なんらかの行動を起こしたのではないかと思われます」


「それで、殺されたと?」

「ええ、おそらく岡本真里菜は、井坂に大麻の密売をやめさせようとして、逆に殺されたのではないかと……。まだ、なんの根拠もありませんが……」

「かなり具体的な推理だな。岡本真里菜が、井坂のためにそこまでやるのかね。今どきの若い娘が……」

「真里菜には、一途いちずなところがあります。本気で井坂に惚れてたんじゃないかと思いますよ。今どきの若い娘にしては珍しく。その井坂が悪事に手を染めていた。真里菜は、自分たちの将来のため身体をはってとめようとした、そんなふうに思えるんですがね……」

「竹さんらしい推理だな。俺には、そこまでする若い娘が、今どきいるとは思えんがね。どっちにしろ、もう一度岡本真里菜の周辺を洗い直す必要があるなぁ」

「ええ、自分もそう思います。真里菜が、井坂の大麻の密売にどの程度かかわっていたのか、調べる必要があると思います」



 この日の午後、竹内は部下の田中とともに、城北大学の北側キャンパスで7号館を捜していた。6号館と8号館は、すぐ見つかったが、肝心の7号館がいくら捜しても見あたらない。

「ねえ、君! 7号館は、どこにあるのかね? さっぱり見つからないんだ」田中が通りすぎようとした男子学生をつかまえて尋ねた。

「この校舎の裏側ですよ。この校舎と隣の校舎の間の狭い路地を通って裏にまわるか、この入口から入って裏口に抜けるか、どちらかしないといけませんよ!」

「ありがとう」田中は礼をいって、10メートル先を歩いている竹内に呼びかけた。

「係長、やっとわかりました。こっちです」


 6号館の入口から中に入り、廊下を進み、突きあたりの裏口から出ると、古ぼけた軽量鉄骨造りの2階建ての校舎があった。近代的な高層マンション街に、1棟だけ昔ながらの木造アパートがとり残されているようなわびしさを感じる。

 この古ぼけた校舎にも、今通り抜けてきた新しい鉄筋コンクリート造りの校舎と同様、律儀りちぎに『号館』と名づけていることが、竹内には、滑稽こっけいに思えた。何者に対しても、平等にとり扱うという精神を、校舎にも適用しているところが、いかにも実用よりも理論を重んじる大学らしい。


 刑事課長の石田から、もう一度岡本真里菜の周辺を洗い直すことを命じられた竹内は、事件後、学生たちの事情聴取の仲介をしてもらった学生課長の塚田と連絡をとった。

 塚田からは、「明日以降であれば、セッティングすることは可能だが、今すぐは無理だ」と、つれない返事が返ってきた。竹内は、学生がふたりも殺害されたことでナーバスになり、これ以上かかわりたくないという思惑おもわくが、裏にあるのかもしれないと勘繰かんぐったが、こっちは、一刻も早く話を聴きたかった。

 塚田には、「直接会いにいくから、仲介は不要だ」といい、学内に立ち入ることの承諾をとったところ、構わないとのことだった。

 法律研究部の部室は、7号館の2階にあると教えてもらったが、その7号館を捜すのに、思いのほか手間どったのだ。


 外階段を2階にあがり、手前から3つ目の部室が法律研究部。

 田中がノックすると、「はい、どうぞ」という若い女性の声がした。ドアを開けて「豊島警察署の……」と名乗ろうとしたとき、内側からドアが開いた。

「おやまあ、刑事さんじゃないですか。どうされたんですか?」

 明日香が、竹内と田中を見て、怪訝けげんな表情をした。

「こんにちは。ちょっと話を聴かせてもらいたいことができて……。失礼していいかね」入口で竹内が状況を説明した。


 明日香の『刑事さん』という言葉に反応し、入口まできていた片瀬が、「俺らは、構わへんけど……」といいながら、「なあ、ええやろ?」と、部室の中にいた麻衣子とミニコバに同意を求めた。

「狭苦しいところですけど、こちらにおかけになってください」明日香は、壁に立てかけてあったパイプ椅子を2脚開いて勧めた。


 法律研究部の部室は、10畳間ほどの広さ。入口の正面に窓が、両側面に本棚があり、中央に長方形のテーブルが3つ並べられ、明日香と麻衣子、片瀬とミニコバの4人は、それを囲むように座っていた。

「実は、これから話すことは、まだ公表されておらず、捜査上の秘密なので、内密にしていただきたいのですが……」突然、竹内の口から『捜査上の秘密』という言葉が出た途端、4人の表情が一瞬こわばった。

 片瀬が戸惑いながらも、「わかりました」と、明日香、麻衣子、ミニコバに目配めくばせをしながら答えると、3人は同時に頷いた。


「実は、井坂宏治が、大麻の売人をしていたようなんです。先日、発覚した朝日体育大の大麻事件をご存知ですよね。あの事件で逮捕された学生に、大麻を売りつけていたのが、井坂なんです」

「えっ!」4人は、声を揃えて驚いた。

「あの事件に、井坂君が関係してたんですか? しかし、なぜ井坂君は、大麻を売ったりしてたんですか?」明日香が尋ねた。

「それは、まだわかりません。ただ岡本真里菜さんも、井坂の大麻密売になんらかの形でかかわっていたのではないかと、みています。そこで、その辺の事情をご存知ならば、お聴かせ願いたいと、今日、お邪魔した次第です」


「真里菜も、大麻にかかわってたんですか?」ミニコバが、横から口を挟んだ。

「いえ、直接かかわってはいなかったと思いますが、井坂が売人をしていたことは、知っていたのではないかと、推測しているだけです……」竹内が答えた。

「そういえば……。これは、真里菜さんと仲よしの1年の女の子が、いってたことですが、最近の真里菜さんは、元気がなく、塞ぎこんでいるように見えたというんです。

 事情を尋ねてみると、学費や生活費を稼ぐため懸命にバイトしてた井坂君が、ひと月ぐらい前、突然やめたようなんです。ところが、バイトをやめたにもかかわらず、井坂君の金まわりがよくなったみたいで、真里菜さんは、井坂君がなにか危ないことをしてるんじゃないかと、とても心配してたようです」


「その女の子とは、誰ですか?」

「1年の栗原千佳さんです。真里菜さんの事件後、すぐに警察の事情聴取を受けたって、いってました」

 竹内は、隣に座っていた田中に目配せをした。

 田中は、手帳をまくり始めたが、すぐに手をとめ、「自分が話を聴きました」と、竹内に小声で話した。

「その栗原千佳さんに、お会いすることは、できませんか?」

「ちょっと、待ってください」といいながら、明日香は、麻衣子に小声でなにか囁いた。


 麻衣子は立ちあがり、本棚の空いたスペースに突っこんであった鞄からスマートフォンをとり出し、素早く操作してなにかを確認した。

「あるわ」という麻衣子の返事に、明日香が「じゃあ、お願い」と答えると、麻衣子は、もの凄い速さでメールを打ち始め、あっという間に送信した。その手際よさにふたりの刑事が、目を丸くして見つめていた。

「今、メール、打ちました。まだ大学にいたら、ここにくるように伝えましたから……」麻衣子は、ふたりの刑事にいった。

 しばらく重苦しい沈黙が続いたが、数分後、麻衣子のスマートフォンが震えた。

「まだ大学にいました。すぐ、くるそうです!」


「……そうですか。岡本さんは、大麻のことはひと言も、話していませんでしたか」

 部室にやってきた千佳から話を聴いた竹内が、残念そうに呟いた。

「ええ、真里菜は、なにかに感づいてたようですが、宏治さんが大麻にかかわっていることなど、ひと言もいってませんでした」千佳が、念を押すようにいった。

「でも、井坂がなにか割のいい仕事をしていたことには、真里菜さんは、気づいていたのですよね?」竹内が確認した。

「ええ、あれだけ夜昼問わずバイトをしてたのを、急にやめたものですから……。真里菜は、とても心配してました」


「真里菜さんのお母さんの話では、真里菜さんは、井坂と結婚することを望んでいたとおっしゃっていましたが……?」今度は、田中が千佳に尋ねた。

「はい、真里菜はそのつもりでした。宏治さんと結婚することは、子供の頃からの夢だと……。気弱なところのある宏治さんには、自分がそばについてないと、ダメなんだともいってましたから、宏治さんのことが大好きなんだなと……。

 真里菜から宏治さんの話を聞かされるたびに、真里菜のことが羨ましく思いました。私にも、こんなにも愛せる素敵な男の人が、できたらいいのにと……」


「刑事さん!」突然、片瀬が声をあげた。

「刑事さんたちは、岡本が大麻事件に巻きこまれて殺されたと、考えてるんですか?」

「いえ、そこまでは……。ただ岡本さんは、井坂が大麻にかかわってることを知り、それをやめさせようとしたんじゃないかと思われます。まだ確信はありませんが……」

「そうやとすると、岡本は、井坂に大麻を売らせていた野郎に殺されたんやないですか?」

「そのように推測することも可能です。しかしまだ、大麻の密売については、詳細が明らかになっていませんので、今のところは、なんともいえません」竹内は、議論を避けようとした。


 竹内は、田中を促して立ちあがり、「今日は、突然押しかけて申しわけありませんでした。われわれは、これで失礼します」といって、退去しようとした。

 背をむけた竹内に明日香が問いかけた。

「刑事さん、捜査に進展があれば、教えていただけませんか? どうしても真相を知りたいんです」

「ええ、すべてが明らかになったときは、必ず!」振り返って答えた竹内は、足早に部室を出ていった。



 刑事たちが帰ったあと、千佳は、今回の事件とは無関係であると思うが、真里菜の事件の数日前、陣内准教授と真里菜がいい争っていたのを目撃したことを、ふと思い出し、それを口にした。

「それって、いつのことなの?」明日香が尋ねた。

「確か、事件の数日前だったと思います。授業が終わって教室から出たとき、ちょうど陣内先生が通りかかったんです。そしたら、真里菜が、ちょっと待ってて、といって、陣内先生を呼びとめ、なにか話してたようです。

 それが先生に対する言葉遣いじゃなくて、非難するようないい方で……。近寄るわけにもいかないので、なにを話してるのか、詳しくはわかりませんでしたが、とても険悪な雰囲気でした」

「陣内センセがねえ……。岡本は、陣内センセの授業、とってたんかいな?」片瀬が千佳に尋ねた。

「いいえ。授業はとってません。ふたりの話は数分で終わったというか、陣内先生が逃げるように立ち去ってしまったんです。戻ってきた真里菜の様子がおかしいので、どうしたのか、聞いてみたんですが、真里菜は、なにもいいませんでした」


「それから、どうしたの?」今度は、麻衣子が尋ねた。

「真里菜のことが心配で、このままほうっておくわけにもいかないので……。二食にしょくの喫茶に誘いました」

 『二食』とは、第二学生食堂の略称。城北大学の第二学生食堂には、喫茶コーナーが併設されている。

「真里菜は、なにも話したくない様子でしたが、興奮が収まるにつれ、落ちついてきたのか、少しずつ事情を話してくれました。宏治さんと陣内先生との間で、なにかトラブルがあったようで、それを陣内先生に抗議しようとしたみたいでした」

「井坂君と陣内先生との間に、なにがあったの?」井坂と陣内のトラブルと聞いて、明日香が身を乗り出した。


「詳しい事情は、話してくれませんでしたが……。なんでも、宏治さんが、陣内先生に利用されてるような口振りでした。そのことで真里菜は、陣内先生のことをかなり恨んでいるようで、『人間のくず』というような言葉が、真里菜の口から出たときは、とても驚きました」

「人間の屑ってか?」片瀬が大袈裟に復唱した。

「確かに、そのようにいいました。とても真里菜が口に出す言葉とは思えず、信じられませんでしたが……」千佳自身も、自信なさそうな表情をして答えた。


「もしかして、井坂の大麻事件に陣内先生が絡んでるんじゃないの?」これまで口を閉ざしていたミニコバが発言した。

「おっ、お前! 陣内センセが、井坂に大麻の密売させてたんやって、いいたいんか?」片瀬がミニコバに詰め寄った。

「その可能性、あるんじゃない。陣内先生がこっそりと自宅で大麻を栽培していたとか……、ね」

「ちょっと待ってよ。陣内先生は大学の准教授よ。しかも法学部の……。大麻が禁制品であることは充分承知しているはずだし、それなのに、教え子を使って、大学のキャンパスで密売させてたとは、とても考えられないわよ」明日香がむきになって反論した。


「常識的にはそうだけど……。でも、陣内先生って、変わったところがあるし、クールでなにを考えているかわからないところもあるから、もしかすると、もしかするかもよ」ミニコバが真面目な顔つきでいった。

「そうよね、可能性はなくはないわね。あの先生なら」麻衣子も同調した。

「大麻の密売の元締めが、この大学の准教授? もしこれがほんまやったら、大騒ぎになるなぁ」片瀬も同意した口振りだった。


「で、どないする? さっきの刑事さんにこのこと、話そうか?」

「ちょっと待ってよ。陣内先生の件は、まったく推測にすぎないじゃない。万一無関係だったら、どうするのよ。警察に話すのは、もう少し待ってからにしない?」

「僕も、その方がいいと思うよ。ほとんど憶測の域を出てないからね」ミニコバが明日香に賛同した。

「それもそうやなぁ。大麻の件は、警察もまだ全部調べきれておらんからな……。しばらく様子見ようか?」

「うん」と、明日香、麻衣子、ミニコバの3人が頷き、千佳にも陣内准教授のことは口外しないように頼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る