月見コーラ

 中秋の名月


 秋の中頃の名月、こう分解してみればかなり安直であるが、一年で一番美しい満月になる日だということは確かである。団子を捏ねてススキを生け、秋の涼風の運ぶ風流を肴に団子を摘む。どこかで見た、伝統的とされる月見の楽しみ方。

 今日はまさにその“中秋の名月”の日である。


「276円になります。袋は必要でしょうか」

「大丈夫です」

 回転式拳銃の弾倉のような、外側に6つとその中心に1つ硬貨の収納スペースのあるコインケースから276円ちょうどになるように硬貨を取り出し、カルトンに並べる。

「276円丁度ですね、レシートは」

「大丈夫です」

「ありがとうございました」


「帰るよ」

「んー」

 小説の立ち読みをしていた叶夢に声をかけてコンビニを後にする。秋も前半の、まだ残暑の強いこの頃と言えども夜に半袖で過ごせばそよ風とて少し肌寒く感じる。

 幸運にも今日の夜空は晴れている。まさに月見日和とでも言うべきか、道路沿いを歩く道を見上げれば、ぽつぽつと白い光の粒が浮かんでいた。

「あの時ほどじゃないけどキレイだね」

 叶夢がぽつりと呟く。

 あの時、については心当たりが多く存在していて皆目見当がつかないが、その心当たり全てに照らし合わせてみても叶夢の言う通り、この星空は“キレイ”であるのだが、“綺麗”が出るほどのものではなかった。

 帰り道を行く歩幅は心なしか狭い。自然と歩調を叶夢に合わせているのかもしれなかったが、別に歩きづらいわけでもなくそのままのペースを維持する。

 2人の間に会話は無い。車の通過音、通り過ぎる民家から漏れ出す談笑とテレビの音声、それに混じる虫の声に支配された2人の空間。それらによる支配を打ち破ったのは当然ながら叶夢であった。

「アンタが高二の時のこと覚えてる?」



 9月10日の19時を回った頃の事、駅から自宅へと帰る途中に見上げた月は絵に描いたような白い正円、時々雲間に隠れては精緻に整った輪郭をぼかす様は風雅と言わずして何と言う。

 帰ってからも部屋の電気を付けずに窓から月を眺めた後は網戸を介して十字に切り取られた月の光を楽しむ。


「アレ買ってきてくれた?」

「悪いけどコンビニで売ってなかった」

 背後から声をかけられる。トートバッグから小袋を2つ取り出して片方を声のした方、布団に寝転んでいた叶夢に向かって放り投げる。

「おっ、何気に美味しいやつじゃん。ありがと」

「どうも。それよりちゃんと冷やしてる?」

「もちろん」

 そう言い叶夢は部屋から出ていき、戻ってくると片手に缶コーラを2缶携えていた。もちろんキンキンに冷えたコーラだ。

「んじゃ、先出とくから早く着替えておいで」

「はーい」


 叶夢は窓を開けると室外機にコーラと買ってきた物を並べ、次に出窓にある小さなスペースによじのぼり、窓枠を乗り越えて屋根へと降りる。棟瓦に跨がり姿勢を安定させる。

 着替え終わると叶夢に倣い窓枠を越えて棟瓦に腰掛けて月を見上げる。月との間には雲ひとつ無く、ただただ漠然と僅かばかりの星の散りばめられた空が広がっていた。

 窓の下に屋根が少しだけ伸びている我が家だからこそできる特別な月見会場。そして運の良いことに両親は家を出払っており、バレれば言わずもがな大目玉を食らうであろうこの行為を咎める人間はいない。

 心ゆくまで満月を楽しんで下さい、と言わんばかりの夜である。


「「乾杯」」

 缶の縁を当てると頼りない音とともに少量のコーラが口から溢れて溝を半分ほど満たす。

 口に流れ込むコーラは名月の夜という事も相まっていつもとは違う、何か特別な美味しさが広がった、訳でもなく残念ながら普段通りのおいしさであった。

 次に学校からの帰りに買ってきた、団子代わりの白い鯛焼きの封を切り、頭へ齧り付く。たまに食べるコンビニスイーツは想像よりも美味しく、モチモチとした生地を破って溢れるカスタードの過剰な甘みを生地の優しい風味と飲み込んだ後のコーラで流し込む。最後に残った尻尾は生地を楽しむことができるため、デザートのデザートとして最高である。

 食べ終わって少しの余韻に浸る。

 改めて月を見上げると兎が餅をついていた。ある人は蟹と、またある人は女性の横顔と、地域によって様々な模様を表す月の海は星座と同様にあれやこれやと自ずと想像を膨らませてくれる。


「月が綺麗ですね」

 叶夢から発せられた言葉を頭の中で反芻し、数秒遅れてその言葉の衝撃に思わず叶夢の方向を振り向く。その際に勢い余って危うく屋根から落ちそうになるがなんとか持ち堪える。

 叶夢はロマンチストで表現できるような人間ではない。過去に夜の海や雰囲気漂う喫茶店などへと2人で行った事があるのだが、その実を言えば海へ行く際は深夜に叩き起こされ、喫茶店へはテスト期間中にもかかわらず連行された。

 そんな人間からロマンチックの代表格であるあの言葉が発せられたのだ。振り向いた直後に叶夢と目が合う、ここまで驚かれるのは流石に予想外だったようできょとんとした顔でこちらを見ていた。時間にして数秒目が合うと、叶夢は月の浮かんだ瞳を細め、にいっと満面の笑顔を浮かべる。つられてこちらも口角が上がる。

「そう言えるほどアンタが好きって事だよ」

「そりゃどうも」

「……ホントにこーゆーなの見ると簡単な感想しか出てこないよね」

「だね」

 ふふっ、と叶夢が微笑を漏らす。たいして可笑しい会話でもなかったにも関わらずにだ。何故だかは分からないがつられて笑えてくる。特別な雰囲気の放つ魔法に当てられたのか、不思議な高揚感が感情のダイヤルを狂わせる。

「? この音……マズい、帰ってきた! 早く戻って!」

 虫の音と工場の可動音に混じって聞き馴染みのあるエンジン音が耳に入る、それは両親が帰ってきてしまったことを意味する。

 叶夢を半ば押し込めるような形で部屋に入れてから自らも部屋へと飛び込む。両親の車が家の前に来る頃には2人とも撤退を済ませ、バレていないことを必死に祈っていた。

 結局、何も言われることなく十数分の月見は無事に終わった。



「あー、アレね。屋根登ってコーラ飲んでってしたやつでしょ? すごい楽しかったよね」

「そう。で、今日はあの時と同じ、コーラと白い鯛焼きで乾杯でしょ?」

「だね。そういえばコーラ冷やしてる? 流石にぬるいコーラは勘弁だからね?」

「あっ」

 察する。叶夢はコーラを冷やすのを完全に忘れている。明日の月も今日の月もそれほど変わらないように見えるかもしれないが、わざわざ“中秋の名月”と銘打たれているこの日だということと、あの日の再現をしようと言うのであれば冷えた缶コーラは不可欠である。

「自販機にあるかな」

「あるといいね」

 袋を軽く振って叶夢に当てると若干申し訳なさそうな感じでごめんね、と言う叶夢を放っておいて道端の自販機に目を凝らす。

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