16.猫、友達を作る

 重たい瞼を持ち上げると、もう夕刻だった。空が綺麗なピンク色に染まっている。

 ぼくは眠りこけているマシロのお腹の上で、入念に背中を伸ばした。そして顔を洗っている途中で、ふと思い出す。

 そういえば、イチノジの黄色い水に浸けた幻石、どうなっているだろう。


 ぼくは作業場の隅に置いておいたバケツを覗いた。するとなんと、黄色くて変なにおいのした水が、無味無臭の透明な真水に変わっているではないか。

 逆に透明だった【幻石】には、青く色が付いている。


 ぼくはバケツから幻石を取り出して、作業台に載せてみた。作業台には鑑定機能が付いているので、載せればすぐに物の名前や性質がでてくる。


 果たして作業台の表面のパネルには、【水幻石】と表示された。


「すごい! イチノジの言ってたことはほんとだったんだ!」


 嬉しさでセンチメンタルな気持ちも吹っ飛んでしまった。ぼくは、今度はもっと大量の幻石を取り出してバケツに放り込む。

 これで水幻石を大量生産できるぞ! と張り切り、井戸からバケツにじょぼじょぼ水を汲んだのだが――――――。


「あれ?」


 ――――――ポンプの口から出てきた水は、昨日と違って黄色くもなければ、変なにおいもしなかった。


 そういえば朝、井戸の底に下りたときも、湧き水の色は透明で、においも何も気にならなかった。ということはあの時点で、水は元の普通の水に戻っていたのだ。

 【イモリ酒】というものは、どうやらイチノジがいないと生成されないらしい。


「なんだよ」


 ぼくは井戸の石積みを背にしてへたり込み、愚痴をこぼす。


「折角苦労して井戸を作ったのに、手に入れた水幻石は一個だけ。ハチノジもイチノジも挨拶もしないで勝手にいなくなっちゃうし、こんなのってないよ。ひどいよ、あいつら」


 ぼくは沈みゆく太陽に向けて、好き勝手不平をぶちまけた。すると――――――。


「挨拶ならしたぞ。おまえらが幾ら呼びかけても一向に起きず、気持ちよさそうに眠りこけてるのが悪い」


 ――――――返事は背後から降ってきた。朗らかな、笑い混じりの声で。

 びっくりして振り返ると、お腹の赤い黒イモリが、目を眇めてこちらを見ていた。


「わたくし達はあれで一日まるまる待ったのです。もしかしてネムちゃん、今日が一緒にご飯を食べた日の翌日だと思っているのです? でしたら大きな間違いなのです。あれからもう三日経っているのです。マシロさんは相変わらずよく眠るのです。マシロさんの息の宿ったネムちゃんも、仕方のないこととは思いますが」


 屋根の柱を伝って、今度は赤いヤモリが下りてくる。


「イチノジ! ハチノジ! ……どうしてここに?」


 嬉しさと驚き混じりにそう聞くと、イチノジはやれやれと肩を竦めた。


「おまえが呼んだんだろうが。俺等を」

「え?」

「井戸に向けて何度も叫んでたろう? ハチノジー、イチノジーって。この井戸は俺の耳であり、俺の別荘であり、俺の道なのさ。井戸に落とされた声は俺のもとにも届くんだ。だから【井戸渡り】を使ってやって来た。些か時間がかかったのは許せ。俺はハチやマシロとは違いのろまなのだ」

「わたくしは【家渡り】を使って。とはいえ、わたくしはしるべを聴覚とは結び付けられないのです。イチさんは凄いのです」

「じゃあ……じゃあ……この井戸に向かって呼びかければ、イチノジもハチノジも、いつでも来てくれるってこと?」


 ぼくが期待を込めて尋ねると、イチノジは目を閉じて天を仰いだ。イモリの姿でそんな仕草をされると、なかなか面白おかしい。


「全く、猫ってのはどいつもこいつも我が侭なのかねえ。俺達だって毎日暇してるわけじゃないし、一族を纏め里を守るためにやることだってあるし、おまえの気まぐれでしょっちゅう呼び出されるのは敵わんよ。ここに来るのだって楽じゃねーんだ」

「今日は特別、ネムちゃんがあんまり悲しそうな声で泣くものだから、改めて挨拶に来たのです」

「ぼく泣いてないよ」

「よく言うぜ。ただまあ、困ったことがあれば井戸に呼びかけるがいいさ。っていうか普通に、マシロの飯食いにちょくちょく来るつもりではあるしな。おまえほんと、いいもん作ったよ」

「イチさんは優しいのです。わたくしもマシロさんとネムちゃんのところに続く“道”ができて嬉しいのです」


 二人の言ってることはよく分からないことも多かったけれど、二人はこれからも会いに来てくれるらしい。それが分かっただけでもぼくは満足だった。


「ふたりとも、“ともだち”?」


 イチノジとハチノジは、長い尻尾をふりふりと揺らした。


「当たり前だろ」

「当然なのです」

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