第111話 日本では……(21)
「金杉洋子さん、鍵を開けていただけませんか? そうでなければこのまま扉を破壊し、強制執行することになります」
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり来てなんですか? それに、あの子は今学校に行っています! 今はいません! また来てください!」
取り乱した洋子のヒステリックな声がインターホン越しに聞こえてくる。
「そうはいきません。鍵を開けてください」
「そんな勝手な!」
ブツッっという音と共にインターホンからの応答が無くなるが、すぐさま国税局の職員はインターホンを鳴らす。
だが洋子からの応答はなかった。
国税局の職員はもう一度インターホンを鳴らすが、やはり応答はない。
「仕方ない。破壊開錠の準備を」
「はい」
職員たちが鍵を破壊する準備に入ろうとすると、集団の後ろから制服姿の朱里が声をかけてきた。
「あのっ! すみません! 通してください」
「あ、住人の方ですか? お騒がせしてすみません」
「いえ。すみません」
朱里は職員たちの間を通って自分の部屋の前に行き、鍵を取り出した。
「あ……」
「すみません。もしや、茂手内朱里さんですか?」
「えっ? ……そうですけど」
朱里は突然自分の名前を呼ばれ、一気に警戒心を
「我々は国税局の者です。茂手内朱里さんの脱税の件で、強制査察に来ました」
「え? だつ……ぜい?」
朱里はキョトンとした表情で見つめ返した。
「こちらが裁判所の令状です。この意味はわかりますか?」
朱里は尚も何を言っているのか理解できていないようで、困惑した表情のまま首を横に振った。
「これは茂手内さんが所得があったにもかかわらず、確定申告をしなかったので、その実態を強制的に調べて良いと裁判所が許可したものです」
「え? しょとく? かくてい……しんこく? ってなんですか?」
「茂手内さんは去年、かなりのお金を稼ぎましたよね?」
「へっ? なんですか? それ?」
まるで心当たりがないらしく、朱里はただひたすら困惑している様子だ。
「……一切ご存じないと? 郵便局の口座をお持ちですよね?」
「それは持っています」
「その口座に度々入金があるのですが?」
「え? そんなわけないです。その口座は、亡くなった兄が私たちのためにって残してくれた遺産が入っているだけのはずです」
「ですが……」
「それに、今はおじさんとおばさんが通帳を持っていて、どこにしまってあるのかも知りません。だから私は兄が亡くなってから一度も残高を見たことはありません」
すると職員たちは複雑な表情で顔を見合わせた。
「茂手内さん、中で詳しくお話しましょう。鍵を開けていただけますね?」
「……わかりました」
朱里は困惑した様子ながらも、ドアの鍵を開けた。
「茂手内さん、中へ」
「はい……」
朱里は職員の男と共に室内へと入り、職員たちがその後からぞろぞろと続く。そして朱里たちがリビングに到着すると、椅子に座っていた洋子が乱暴に立ち上がり、職員たちにヒステリックに怒鳴り散らし始めた。
「ちょっと! 勝手に入らないで! 出ていって!」
「奥さん、我々は裁判所の許可を得ています。静かにしてください。それと、我々の許可なく物を動かさないでください」
「出ていけっていってるでしょ!」
よりヒートアップした洋子はさらにヒステリックに叫ぶが、職員たちは気にした様子もなく次々と室内を物色していく。
「あ、おばさん……」
声をかけられ、ようやく朱里の姿に気付いた洋子は般若のような表情で朱里を睨みつけた。
「ちょっと! 何勝手にこんな連中入れてるのよ! お前!」
そう叫びながら洋子は朱里に駆け寄り、頬に思い切りビンタをした。室内にバチンという鈍い音が響く。
あまりのことに朱里は茫然自失し、その場にへたり込んだ。
「お前!」
「奥さん!」
洋子は朱里に追い打ちを加えようとしたが、職員たちが間に割って入り、洋子を引き剥がす。
「ちょっと! 放しなさい! 放せ!」
暴れる洋子だが、職員の男性が三人がかりでそれを抑え込む。
「大丈夫?」
三十代くらいの女性職員が朱里にそっと寄り添うと、朱里は目に涙をためつつも小さく
そんな朱里を尻目に、令状を提示した職員はスマートフォンを取り出すとどこかに電話を掛けた。
「はい。私です。公務執行妨害だけでなく、暴行の現行犯もです。よろしくお願いします」
そう話して電話を切ると、すぐにインターホンが鳴り、すぐさま二人の男性警官と一人の女性警官が入ってきた。
だが洋子はそれにも気付かず、なんとか職員を振りほどこうと叫び声を上げている。
「警察です。あなたを公務執行妨害と暴行の現行犯で逮捕します」
男性警官の一人が警察手帳を見せながらそう告げると、ようやく冷静になったらしい洋子の顔がさぁっと青ざめていく。
「あ……こ、これは……」
「署までご同行願います」
「そ、その……ち、違うんです」
「お話は署で伺いますので」
「そ、それだけは……」
「手錠を使いたくありませんので、ご同行願えますね?」
「……はい」
ようやく観念したのか、洋子はそう答えるとそのまま二人の男性警官に連れられて出ていった。残った一人の女性警官は国税局の職員から話を聞くと、朱里に対して優しく声をかける。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
「あぁ、痛いよね?」
女性警官は心配そうに語りかける。だが朱里はまだショックを受けているのか、呆然とした様子だ。
「ちょっと腫れちゃってるから、冷やしたほうがいいよ。自分でできる」
「……」
「しょうがないな。ちょっと氷とビニール袋とタオル、遣わせてもらうけどいい?」
朱里はぼうっとしたまま、小さく頷いた。すると女性警官はスーパーで配られている透明のビニールに氷と水を入れ、それをタオルで包むと朱里の頬に押し当てた。
「ひゃっ?」
「冷たかった? ごめんね。でも早く冷やしたほうがいいから」
「……あ、ありがとうございます」
こうして女性警官は朱里が落ち着くまで腫れた頬を冷やし、その間に職員たちは着々と室内の査察を行うのだった。
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ものすごくどうでもいい話ですが、本話を執筆しているときに誤変換で「ようやく冷製になった洋子」と出てきて、つい噴き出してしまいました(笑)
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