一章 かかしと妖精④
「ねぇ、あなた名前は?」
妖精はもてあましぎみに長い足を組んで、腕組みし、御者台の背もたれにもたれかかっている。ふんぞり返っていると言っていい。あくせく馬を
妖精はめんどくさそうに、ちらりとアンを見た。
「聞いてどうする」
「だってあなたのこと、どう呼べばいいかわからないじゃない」
「トムでもサムでも、人間流の好きな名前で呼べばいい」
妖精を使役する時は通常、使役者が妖精に名前をつけるものだ。しかしアンは、それがいやだった。自分の本当の名前を呼ばれないのは、
「わたしだったら、自分の本当の名前で呼んでもらいたいわ。あなたも、そうじゃないの? 勝手に名前をつけて呼ぶなんて、したくないの。だから、あなたの名前を教えて」
「どう呼ばれようが、関係ない。くだらないことを
妖精は、そっぽを向く。アンは彼の横顔をちろりと見て言った。
「じゃ、カラスって呼ぶけど?」
さすがに妖精も、ものすごくいやそうな顔をしてアンを見た。
「かかしの仕返しか?」
「そうよ。カラスさん」
妖精は
「シャル・フェン・シャル」
「それが名前?」
訊くと、頷いた。アンは微笑んだ。
「綺麗な名前ね。カラスより、ずっと
「全部が名だ。人間のような、
「そうなの? でもシャル・フェン・シャルって長すぎるから……、とりあえずシャルって呼ぶけど。それでいい?」
「好きなようにと、言ったはずだ。おまえは、俺の使役者だ」
「まあ……そうだよね」
あらためて妖精の口から言われると、気持ちのよいものではなかった。自分は
アンが操る箱形馬車は、レジントンの町を抜けた。ブラディ
ブラディ街道に近づいたのを感じながら、アンは口を開いた。
「わたし、護衛をしてもらうために、シャルを買った。けど一つ、約束する。ブラディ街道を抜けて無事にルイストンに
それを聞き、シャルは
「俺を解放すると言ってるのか?」
「そうよ」
するとシャルは
「金貨で買った妖精を、
「おめでたいってのは、失礼ね。わたしはただ、人間は、妖精の友達になれると思ってるの。友達になれるかもしれない人を使役するなんて、いやなの。わたしは
「友達? なれるわけがない」
冷えた言葉に、アンはため息をついた。
「そうかもしれないけど……。これはただ、ママとわたしの理想。でも理想だ、夢だって
「それほどのかかし頭なら、その馬鹿さ加減を、ルイストンに到着したら証明しろ」
「かかしって呼ぶなって言ったでしょう!?」
アンの平手が飛んだが、シャルはそれを軽くかわした。アンは
「あなた、そこまで馬鹿にしてるわたしに、なんで自分を買えなんて言ったの。わたしなら、馬鹿にしている相手に使役されるなんて、まっぴらごめんよ」
「人間なんぞ、どれも同じだ。それなら
「……なんだか……あなたと話してたら、とことん気分が
シャルが売れ残っていたわけが、よくわかった。
護衛にこれほど悪態をつかれたのでは、守られている方もたまったものじゃない。
アンは前方に、石ころの多い、
車輪が石ころを
空の色は
まばらな林はあるが、土地が
ブラディ街道沿いには、村や町が存在しない。しかし街道が
管理といっても、
一つは、年に一度、街道が植物に
二つめは、旅人が野営するための、
ブラディ街道は危険だが、それでも街道として機能しているのは、州公がこの二つのことを実行しているおかげだった。
アンは王国全土の
王国西部
宿砦は、石を積んだ高い
要するに旅人は
林に囲まれて建つ宿砦に、アンは馬車を乗り入れた。そして鉄の
半年ぶりに馬車に揺られると、さすがに
御者台の下に押しこんである、なめし
「あなたの
さらに
夕食は旅の先々を考えて、
アンは毛布にくるまると、林檎を
シャルはアンから少し
今夜は満月だった。月光が、シャルの顔を照らしていた。
月光で洗われた
背にある羽も、
シャルの背にある羽は、もぎ取られたものと
妖精の背にある羽は、温かいのだろうか。冷たいのだろうか。
「妖精の羽って、
訊きながら、手を
はっと手を引くと、シャルの
「触れるな。おまえの手にあるもの以外は、俺のものだ」
その冷たい
「ごめん。わたし、
妖精にとって、羽は命の源。人間にとっての、心臓と同じ。他人の心臓を握り、命令をきかなければ心臓を握りつぶすと
アンがやっていることは、そういうことだ。妖精から見れば、
そっとため息をつく。
──こんなこと、やだな。
こんな
例えばもし、彼と友達になれれば? そうすれば、彼を
「ねぇ、シャル。提案なんだけど」
アンは少し頭を起こした。
「昼間も言ったけど、わたしたち、友達になってみない?」
「
切って捨てるように答えると、シャルは顔を
アンはがっかりして、頭を毛布につける。
──すぐには、無理かもね。でも誠意を持って接してれば、いつかわかってくれるような気もするし。それにしても、何を考えて月なんか見てるんだろう? 綺麗な目をしてる……。
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