第10話 密談

 雨がガラス窓を叩いている。この季節には珍しい天候ではないが、陰鬱であることこの上ない。ただでさえ空模様がこうであるのに、テーブルの向かいに座るこの男のなおさらに陰鬱であることよ。


 とは言え、いまは小異を捨てて大同につくべきときであり、人柄の好き嫌いなど考えている場合ではない。ラマチルス男爵ボイディア・カンドラスの影響力は端倪たんげいすべからざるものがあるのだ、何としても我らの仲間になってもらわなくてはならぬ。


 三か月。それまで帝国内で誰も知らなかったような社交界の額縁の陰に隠れていたかのごとき貧乏男爵家が、代替わりをした途端、たった三か月であれよあれよと言う間に話題の中心へと成り上がった。その凄まじい勢いを自陣に迎え入れたいと画策する貴族は少なくない。


 中でも最近退潮いちじるしい保守穏健派がしきりに秋波を寄せているらしい。あんな老人連中にこの男をかっさらわれることなどあってはならぬ。いかなる手を用いても我らの力とせねば。


「ボイディア卿。きみのことだ、いまさらくどくどと説明などする必要はないと思う。我らと共に帝国の未来のために歩んでもらえないだろうか」


 椅子に座るボイディアは年齢的には青年と呼ぶべき年頃のはずなのだが、まるで人生を達観した老人の雰囲気を身にまとう。誰が見てもせすぎと言っていい、まさに骨と皮だけのその外見も印象に拍車をかけている。


 だが目は。ギラギラと燃えるように輝くその目だけは、野望に溢れているであろう心の内を映し出していた。この目を見たとき確信したのだ、彼は我らのために身を投げうつであろうと。


 ボイディアはしばし沈黙した後、用心深さ故だろうか、ほんの少したどたどしい口調でゆっくりと話し始めた。


「先日、シャナン王国に送った使節が盗賊に襲撃されましたが、公式使節団に見せかけたあれは皆様の仕業だったのですね、ラビア卿」


「おお、ご明察だボイディア卿。盗賊の襲撃は想定外だったが、おかげでシャナンに圧力をかける口実ができたのは幸い。辺境領主のリアマール侯爵であるグリムナント家がいま矢面に立たされている。揺さぶりをかける絶好の機会なのだ」


 だがこれにボイディアは小さく首を振った。


「シャナンに揺さぶりをかけるなら、グリムナントは足場にもなりません。それより警戒すべきなのは、グリムナント領内にハースガルド公爵家の屋敷があることです」


「ハースガルド? 古の大戦の英雄の子孫か。グリムナント領に屋敷を構えているということは、自分の領地を持っていないのだろうか。だが公爵、世が世なら王位継承権を争うような家格であろう、領地がないとも思えぬが」


「ハースガルド家の領地は小さな村単位であちこちに飛び地がありますが、まとまった領地はすべて王国に返上しているのです。また用意された公職も返上し、公職に就かない暇人貴族としても知られております」


「そんなハースガルド家を警戒せよと言うのかね? あまり意味を感じないのだが」


 私の言葉にボイディアは笑みを浮かべながら小さく首を振る。まるでできの悪い生徒に注意をする教師であるかのように。


「ラビア卿、本質を見誤ってはなりません。真に警戒すべきは爵位や財力ではないのです。皆様の前に立ちはだからんとする者は、相手の名声におびえたりはいたしません。その勇気と決断力こそが何よりも厄介。まずはその者を見つめ、次いでその者に手を貸す勢力を見定めることです」


「う、うむ。では、その見定めるために我らに協力いただけるのだろうか、ボイディア卿は」


「ええ、もちろん」


 ボイディアは大きくうなずくと、目の前に置かれた茶のカップに静かに触れた。


「そのつもりもなしに参上したりはいたしませんから」



◇ ◇ ◇



 四頭立ての黒い馬車は伯爵ラビア・コンネルの屋敷を離れた。ああ、これでようやくつまらない我慢をせずに済む。


「よく我慢をしたな、レンズ」


 向かいに座るボイディアの大将にそう言われると、嬉しいやらくすぐったいやら。


「大将のためだからね。じゃなきゃあんな気色の悪いヤツら、皆殺しにしてたところだ」


「おまえは本当に貴族が嫌いだな」


「大っ嫌いだよ。大将がもし本当の貴族だったらぶっ殺してる」


「偽物の貴族で心底よかったと思うよ」


 がりがりに痩せた大将が笑みを浮かべる。それが本心かどうかは知らないが、うちにとっては本当のことだ。大将の言葉は本物で、真実で、正義。うちはそれに従うだけ。


「だけどいいのか大将、あんなアホどもの味方になって」


 大将は苦笑をしてみせたが、それはあいつらが本当にアホだと思っているからだろう。


「レンズから見てもアホに思えるか」


「思えるね。自分たちが送った使節団が盗賊に襲われたことをもっけの幸いと喜んでるけど、その盗賊を差し向けたのが大将だってまったく気付いてないんだぜ。頭ん中に脳みそ入ってないんだろうな」


「そんなアホどもが権力を握っている。それは利用するこちらとしては願ったりかなったりだ」


 それはその通りなのだろう。だがうちはこう思うのだ、大将が皇帝をぶっ殺してその座に就けばいいのにと。少なくとも大将にはその力も器もあるのだから。


 そんな考えがうちの顔に出ていたのだろうか、大将はまた苦笑を浮かべた。


「物事には順序があり段階がある。そうそう世の中思い通りには行かないさ」


「そんなもんかねえ」


「ああ、そんなものだ。だからレンズ、おまえにはまだしばらくの間、その見かけ通り可憐かれんな少女騎士を演じてもらわなきゃならない。苦労をかけるな」


「面倒くせえなあ。さっさと帝国乗っ取ってくれよ、頼むぜ大将」


 馬車の外にはまだ雨が続いている。いつか血の雨を降らせてやりたい、大将のために。その日が来るのを、うちは待っている。

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