第8話 村長ガナン・リメレ
用心深さは感じるが、必ずしも敵意に満ちている訳ではない。古びた小ぶりの屋敷の前に立つガナン・リメレ村長はそう見えた。
大貴族である領主グリムナント侯爵家を向こうに回しながら二十五年も村人を結束させ続けている辣腕政治家だが、ぎらついた指導者意識のようなものは感じられない。それどころか物静かな宗教者の趣さえある。
少し曲がり気味の腰の後ろに両手を回し、力強く角ばったしわだらけの顔に申し訳程度の笑みを浮かべて、ガナン村長は馬から降りた私に小さく頭を下げた。
「これはこれは公爵閣下、まさかこんなボロ家の老人をたずねて来られるとは驚きですな」
「無沙汰をしている。家内の葬儀に参列いただいたとき以来だから三年ぶりか」
「そうなりますかな。どうされます、家の中に入られますか。茶も出せませぬし片付いてもおりませぬが」
「できれば家の中で話させていただけるとありがたい」
「ではこちらへ」
私は馬の手綱を屋敷前の馬立に繋ぎ、老人の後について扉の中に入った。
「共連れもなしに一人でお越しになるとは、無謀なお方だ」
何本もヒビの入った古いテーブルを挟んで座った私に、村長は呆れたように言った。
「この村には貴族に対して良くない感情を持っている者が少なからずおります。危険だとは考えなかったのですか」
実のところ考えなかった訳ではない。だがもしもこの行動で私に危険が及ぶようなら、あのタクミ・カワヤが何か忠告したはずだという思いが心の隅にある。しかしそれは口にしない方が良かろう。
「今日は少々無茶な願いをしに来たのでな、その程度の危険は甘んじて受けねば不公平だろう」
「ほう、その無茶なお願いとは」
こちらの言葉をどれだけ真に受けたのかは不明だが、ガナン村長は疑う様子も見せずに話の続きをうながした。
「単刀直入に言えば、領主グリムナントとの確執を解消してもらいたい」
「それは無理ですな」
「何故」
「簡単に申し上げれば、ご領主がいまの公爵閣下のように村にお越しになって、その頭を下げるのであれば話も聞きましょう。それ以外では話になりませぬ。この年寄りが承諾しても村の者たちが納得いたしますまい」
頑なで取り付く島もないかに思えるが、これは想定された返答である。
「だがな村長、この村と領主が反目し合っていても何の得にもならなければ、誰も幸せにはならんだろう」
「損得の問題ではございません。人としての誇りの問題でございます」
「二十五年前の代官の非道については私も聞き及んでいる。その件について領主が非難されるのは当然と言えるだろう。ただ、その非道を知らぬ若い世代までがその非難に縛り付けられねばならぬのは話が違うのではないか」
二十五年前グリムナント侯爵家から派遣された徴税代官は、領主の威光をかさに着て女子供に乱暴狼藉を働いた。死んだ娘は五人に上るという。これに怒ったガナン村長が村人を組織し代官所を襲撃、徹底的に破壊した上に代官を馬車に詰め込んでグリムナント家まで送り付けた。代官は命こそ助かったものの、全身骨折で二度と立ち上がることができなかったらしい。
「公爵閣下のお言葉は道理にかなっておられます」
村長は言う。
「ですが人は道理のみでは生きられないのです。怒りも憎しみもまた人の営みの一つ、いかに道理に外れようともそれを無視はできませぬ」
「誇りの上に憎しみをまとうというのか」
「左様」
「その誇りと憎しみが村人の命を奪ってもか」
村長の眉がピクリと動いた。
「……何ですと」
「村長は六人兄弟だったな」
「左様。しかしそれが」
「その末の弟ジャンゴが先日、我が屋敷の離れを訪れた。いまうちの離れには占い師が住みついていてな、それを頼ってきたのだ。何でも娘の結婚相手が見つからずに困っているという」
弟の行動が意外だったのだろう、村長は目を大きく見開いて息を飲んだ。
「リーアのことですな、確かにそれはワシめも気にはかけておりましたが」
「リーアの結婚相手が見つからない理由は簡単な話だった。占い師によれば好きな男がいるらしい」
「それは初耳。どこの誰でございましょう」
「街で診療所を開いているアイヴァンという医師だ」
しかし村長の様子からは、その名を聞いた覚えがないことはありありと見て取れた。
「存じませんな」
「まだ若い男でな。私も調べてみたのだが、評判はいいらしい。ただし、リーアの恋の相手としては一つ問題を抱えている」
「と申しますと」
「アイヴァンは領主の遠縁に当たるのだ」
ガナン村長は一瞬愕然とした顔を見せ、そしてすぐにムッとした表情をこちらに向ける。
「そのアイヴァンという男を認めよとおっしゃるのですか」
「身内可愛さに特例を認めろと言うつもりはない。だがこれはきっかけになるのではないか。すべての物事には始まりがあれば終わりも必ずある。そして終わりを決断するのに必要なのは、誇りでも憎しみでもない。勇気だ」
私が立ち上がってもガナン村長は立たなかった。
「今日はこれで失礼する。何かを強要するつもりはないし、すぐに決断しろとも言わない。だが考える価値はあるはずだ。後は任せる」
屋敷の表に出ると、困惑の表情を浮かべた村人たちが遠巻きに眺めていた。私が馬に乗り屋敷を離れるまで、誰一人口を開かないまま。
◇ ◇ ◇
「こう申し上げるのも何なのですが」
夕食の薄暗いテーブルで、タクミ・カワヤは呆れたように言う。
「
「おまえは危険だとも何とも言わなかったではないか」
指を突き付ける私の言葉に、占い師はまったく予想外だと言わんばかりの顔を見せた。
「旦那様、僕がそうそう何から何まで占っている訳がないでしょう」
「お、お、おまえというヤツはぁっ!」
もう信用せんぞ。占い師など金輪際、二度と信用せん!
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