考察と機会

第50話

 早朝に発った川辺へ再び戻ってくる頃には、日は既にトーヴァの山頂に寄り添う程まで傾いていた。

 先行していたラウエルが真っ先に川を渡る。抱えていた荷物を置いて敷布を広げると、意識のないゲルディークをその上に横たえる。容態を診るうちに、遅れていたトレンスキーとアンティもようやく川辺へとたどり着いた。


 遠巻きに様子をうかがうトレンスキーに気づくと、ラウエルは普段と変わらない淡々とした声で言った。

「息はあるし、傷ももうない。心配はなさそうなのだ」

「……そう、か」

 答える声はややかすれていた。ラウエルは立ち上がるとトレンスキーに言った。

「君も普段以上に術を使ったのだし、少し気を休めた方が良いのだ」

 トレンスキーは頷くと、重たげな足取りで昨夜残した焚き火の跡に寄った。力なく腰を下ろした横にアンティが近づく。


師匠せんせい……」

 小さな声と共に、左頬にひやりとしたとしたものを当てられた。見ればアンティが濡らした布を手にこちらを見ている。乾いた血を拭ってくれたらしい。

「ああ、ありがとうアンティ」

 ぎこちなく笑みを浮かべたものの、トレンスキーはすぐに目を伏せた。

「すまない。お主を危険に遭わせることはしないと言っておったのに、こんなことになってしまって」

「そんなことは……」

 続く言葉は見つけられなかった。


 うつむく二人の側にラウエルがやってくる。その両手には枯れ枝の束を大量に抱えていた。膝をつき、風向きを確かめると、ゆっくりとした手つきで枝を組んでゆく。焚き火にも四精術しせいじゅつを使うことが多かった旅の中ではあまり見ない作業だった。


「……あれは、何故意識を失ったのだ?」

 石を擦って着火させた後、種火の具合を見つめながらラウエルが尋ねた。

「……分からぬ」

 ややあって、トレンスキーが小さく答える。

「何かの声が聴こえると湖に耳を傾けていたら、急に加護の石さえ捨てて飛び出しおった。そこにサリエートが姿を現して、それで……」

「君たちには異変はなかったのだ?」

「妙に頭に響いてくる声ではあったが、特には。あやつ、ワシらに比べて格段に耳が良いからのう」


 それきり会話が途切れる。

 しばらくしてラウエルはその場から立ち上がった。再び枝を取りに行くのだろう。トレンスキーは無言のまま、ゆるりと燃える火をぼんやりと見つめていた。


師匠せんせい

 隣に座っていたアンティが戸惑いながら口を開いた。

「何じゃ、アンティ?」

「その、ゲルディさんは、……あの茨は」


 何と言ったらいいのかアンティは言葉に迷う。その様子を見てトレンスキーが困ったように眉を寄せた。

「それに関しても驚かせてしまったな。まあ、あれについては、ワシも説明に困るのじゃが……」

 トレンスキーはずっと身につけたままだった右腕の篭手を外すと両腕に抱きかかえた。


「四精術を用いるにあたって、四精術師しせいじゅつしにはどうしても避けねばならぬ弱点がある。分かるか、アンティ?」

 トレンスキーに問われたアンティは軽く目を伏せた後で答えた。

四精石しせいせきがなくなることと、トフカ語を唱えるための声が損なわれること、ですか?」

「そうじゃな。術師は常にそれらの事態に用心し、もしもの時に備えねばならぬ。……それを、あやつなりに考えて選んだ手段が”彼女”じゃ」

「”彼女”?」

「ゲルディークはな、その身に四精術で作った植物を飼っておる。……いや、違うかのう」


 トレンスキーは一つ息を吐くと複雑な視線を横たわるゲルディークに向けた。


「あやつは自分が作り上げた植物に、自身の身体を苗床として捧げている。故にその命は”彼女”によって守られ、生かされているらしい。いわばあやつの身そのものが、自身の四精術の成果ということじゃ」

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