第49話

 握った火精石かせいせきが熱を帯びる。篭手から真っ直ぐに飛んだ火球は茨に当たると、それ以上の生長を抑えるようにつる全体を包み込んだ。


 茨が戸惑ったように大きく揺れた。

 四精術しせいじゅつで作られた火は、野に生える夏草にまで延焼することはなかった。その勢いは穏やかで、まるで屋内で静かに揺れる燭台しょくだいの灯りのように、心なだめる柔らかさで棘を抑え込んでゆく。

 トレンスキーがそろりと近づきながら祈るように呟く。

「頼む、ゲルディーク。止まってくれ……!」


 その足音に反応したのか、急に火の中から数本の蔓が伸び出してトレンスキーに向かってきた。一瞬の出来事にトレンスキーの対処が遅れる。

 灰茶の外套がいとうの上をぐるりと茨が伝う。細く見えても招来獣しょうらいじゅうを捕らえ貫くことのできる強度だ。振りほどこうとすれば外套越しに鋭い棘が肌に触れた。


「……ぃ、っ!」

 トレンスキーが引きつった息をこぼす。このままキツネモドキたちと同じようにくびられるのでは、という想像に固く身を強ばらせた。


 しかし、わずかな逡巡しゅんじゅんの後で茨はトレンスキーからゆるりと離れていった。離れる間際、棘の先がかすめるようにその左頬に触れてゆく。茨はすぐに追いかけてきた四精術の火に包まれると地面に落ちて燃え尽きた。

(助かった、か……?)

 目を見開いたままトレンスキーが胸を押さえる。荒い動悸を押さえつけながら灰と消える茨の中心へ視線を向けた。

 震える息をのみこむと、トレンスキーは倒れているゲルディークへ向かって足早に駆け寄った。 


「……ゲルディーク、生きておるか!?」

 夏草の上に両膝をつき、顔を寄せてその容態を確かめる。

 仰向けに倒れる顔は血の気が引いた土気色をしていた。しかし息はある。首筋に受けたであろう傷は塞がっており、着衣にも周辺の草の上にも血痕は全く残っていなかった。


 ほっと胸をなで下ろしたトレンスキーは白山羊に向けて合図を送る。

 トレンスキーの側まで寄った白山羊は、背に乗せていたアンティを下ろすと人の姿へと戻った。


「……ラウエル、頼む。ゲルディークを運んでやってほしい」

 座りこんだトレンスキーが疲労のにじむ声で言った。

 意識のないゲルディークを淡々と見下ろしたラウエルは、目を伏せると無言でその体を抱え上げた。

 アンティに手を借りて立ち上がったトレンスキーは苦い表情でアーシャ湖を振り返る。


 サリエートの姿は見えなかった。

 静けさを取り戻した湖には再びもやがかかりはじめていた。湖の周辺に降りる霜に加えて、周囲には先ほどの戦闘でできた氷の大地が閑散と広がっている。巻き込まれた招来獣たちは氷漬けになったくらいでは消えはしない。氷が溶ければやがて活動を再開するだろう。


師匠せんせい……」

「一度、撤退じゃ」


 空はいつの間にか薄い雲に覆われ、ぼんやりと輪郭を知らせる日は中天をやや越えた位置に見えた。力なく空を仰いだトレンスキーの横顔をアンティが見上げる。

 ほつれた髪の間から見える左頬からは、わずかに血がにじんでいた。

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