慈悲と怒り
名指しされたマリスはがくがくと身体を震わせながら必死に笑みを浮かべている。
「な、なんのことだか……」
「私は翼公着任に際してアルヴァ王国側にいくつか要望を出している。そのうちの一つが、魔力を持つ女性を側仕えとして登用したいというものだった」
ぐっとマリスが呻き声を飲み込んだ。
話題の方向が自らを指したのを察して、コーディリアは引き寄せられるように顔を上げる。
「この国のみならず強い魔力を有する存在は減少傾向にあるが、それゆえに所在を知り保護する責務が我々神鳥の一族にはある。何故なら一族の者は一定量の魔力を有する者と番わなければ血を繋ぐことができないという制約があるからだ」
ざわめきがまた大きくなったのは、婚姻や子を成すための制約という、歪んだ形ながらもこの国に似通った結婚相手の条件の話題が出たからだ。だからアルグフェオスの小さなため息はコーディリア以外には聞き逃されてしまう。
「アルヴァ王国を含むこの圏域では、長らく翼公が不在だったことで多くの魔力保持者が見逃されてきた状況だった。もちろん魔力保持者がこの国で人としての自由と権利を保障されていたなら口出しするつもりはなかった。最も強い魔力の持ち主が王位に就き、伴侶もまた強い魔力を有する者に限られるという慣例は、他国の例もあって大きな問題にはならない」
安堵しかけた人々は「だが」と続く言葉にあったかすかな怒りを感じ取ってびくりと身を竦めた。
「だが立太子の際、他の魔力を有する王族や関係者を秘密裏に殺害し続けたのはアルヴァ王家の罪。権力を振りかざし、魔力を有する他人の妻や夫を強奪し、逆らう者には行き過ぎた罰を与え、ときには命を奪ったことは重犯と言える」
心当たりがない者は誰一人としていなかった。この国はそのようにして、ときには自らの一族や家も罪を重ねて続いてきたのだから。
静まり返った場で、アルグフェオスが再びマリスに向き直る気配が大きく響いて感じられた。
「王太子マリス。私は名代を通じて君に尋ねている。当時君の婚約者であったコーディリア・エルジュヴィタ伯爵令嬢は果たして不当な扱いを受けている状況にないだろうか、と。治めるべき圏域下で暮らす魔力保持者は私の手の者の調査で把握していた。その筆頭がコーディリア・エルジュヴィタだ。それに君は何と返事をしたか覚えているか?」
マリスは何も言えない。言わせないと、アルグフェオスはうっすら笑みを浮かべる。
「私は覚えている。君は『王太子の婚約者として恵まれた状況にあり、決して不当な状況にあらず。不遇な目に遭うこともない』と回答を寄越した。問題があれば保護するつもりが、そうではないと君は言った。そこに『あの事件』が起こった。これも忘れてしまったかな? コーディリア・エルジュヴィタが反逆罪に問われて幽閉された後、逃亡した件だ」
事実のみを口にしているのに、そこはかとない恐ろしさが背筋を伝う。問い詰められているわけではないコーディリアですら忙しなく呼吸してしまうのだから、相対しているマリスはいますぐ逃げ出したいに違いない。
「何故恵まれた状況にあるはずの王太子の婚約者がそのようなことをしたのか。疑問を覚えて当然だとは思わないか?」
アルグフェオスは微笑んでいる。
言葉には出さないが、彼はすでに『コーディリア・エルジュヴィタ』が反逆に至った理由を調査し、寵愛を受ける愛人の陰に追いやられる不遇な状況にあったという真相に辿りついているのだった。そうしてマリスの「恵まれた状況にある」という回答が虚偽であったことを糾弾している。
「マリス、君の偽証後の行動も怪しいと言わざるを得ない。逃亡したコーディリア・エルジュヴィタとの婚約解消を宣言した後、反逆罪に問うために行方を探していたようだが、その間君は魔力を持つ女性たちの名簿を寄越して早急に側仕えを選ぶよう私の名代に働きかけていたね。まるで私がコーディリアに辿り着くことを阻んでいるかのようだった。彼女が自らの状況や国内の歪んだ在り方を語ることを恐れたか。それとも彼女を側仕えに選ばせまいと考えたのか」
コーディリアは彼が最初からいまに至るまで怒っているのだと理解した。
穏やかさと微笑の裏側にはいつからか煮えたぎるような怒りがある。立場上決して声を荒げることはないけれど、できるならこの場にいる全員を力でねじ伏せてやりたいと焦れている、そんな気配が滲み始める。
ふと目が合った。
初めて目の当たりにする彼の本気の怒りは、自覚なくコーディリアを動揺させていたらしい。一瞬絡んだ視線に自らの頑なさをも糾弾されている気がしてわずかに顔を背けると、アルグフェオスはふっと小さく笑った。コーディリアの稚気を笑ったようでも、感情を昂らせたことへの自嘲でもあったように感じられた。
「……まあ、詳細な取り調べは後日としよう。取り調べ中に他方から別の訴えがあるかもしれない。ここ数十年に行われた裁判や獄中の罪人たちの審判を改めて行う必要もあるし、新たに罪に問わねばならない者もいるだろう」
青い瞳に見回されて数人が恐怖で白くなった顔を俯かせた。
「以上、三つの主な罪について抗弁することはあるだろうか?」
声はない。ひそりと物音すらしなかった。
――翼公側の完全勝利、だった。
しかしここに至って大人しく従えるならこの国はここまで混迷を極めていない。
「……っ、まだだ! まだ終わっていないっ!」
髪を振り乱したマリスがコーディリアを指す。
「裁判を行っていたのはこちらが先だ! こちらの審判が優先される! コーディリアは死刑、死刑だ!」
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