第十話 ・まるでラスボスのようだ
突如発狂したセバスをなんとか落ち着かせ、私達は白湯をすすっていた。
ちなみに湯呑は私のお手製である。
ふふん、出来る女は違うのだ。
「ふふ、落ち着いたかしら」
「……ええ、もう大丈夫です」
顔色は悪いが、口調などはいつも通りの平静なものに戻っている。
もう発狂する心配はないだろう。と、一旦は安心していたんだけど。
「お嬢様は私をどうするおつもりなのですか? 何故私を助けたのです。……拷問するおつもりですね。覚悟は出来ています。どうかお気の済むまでご堪能くださいぃ!」
相変わらずセバスはナーバスだ。
「はぁ、それはちょっとないんじゃないかな。言っとくけど、私があなたを助けたのは純粋な善意だからね」
「嘘だ! お嬢様に限って『純粋な善意』などあるはずがないッ!」
くそ、この野郎ぶん殴ってやろうか。
いや落ち着け、ご老人には誠意以て根気強い対応で臨ばねばなるまい。
「いいえ、私にだって優しさぐらいあるのよ」
「嘘だ、うそだうそだ。だって、だってお嬢様はァ……くうぅぅ」
幼児退行化現象か、これまた厄介だな。私の専門外である。
今更気がついたが、私は基本的に戦闘にしか能がない。セバスの介護は早々に専門家の方に任せたほうがいい。なに、この世界には魔術だってあるんだ。きっとまだ間に合うさ。
セバスの手を優しく握ってやる。
私が触れた瞬間ビクンって震えたのは少々傷つくが、今は気にしないでおこう。
「うん、私は優しくなんかないかも知れない。
だけど、あなたを救いたいって思う気持ちに嘘はない。これは傲慢な上から目線の物言いかも知れない。それでも私はあなたを助けたし、あなたが苦しんでいるなら助けてあげたいの。……あなたは、何をそんなに気に病んでいるのかな? あなたの気持ちを話してくれるかしら」
「うぐぅ、ヒグ私は、私はぁーー」
それからたくさんの事を話した。
ぶっちゃけ、意味不明だった。
セバスが泣きじゃくりながら、捲し立てるように話すのもだから九割以上の言葉は聞き取れなかったし、聞き返せるような雰囲気でもなかったのだ。
私はそれに対して、『ごめんね』『セバスは悪くない』『辛かったね』『もう大丈夫だよ』を巧に使い分け乗り切った。
セバスはもう言う事はないのか、今は私の手に縋りつくように蹲っている。彼の嗚咽が断続的に続き、やがてポツリポツリと落ち着いた様子で語り出した。
「……お嬢様は変わってしまいました」
「ええ、そうかもね。でも変わらない人間なんかいないわ」
「なぜそこまで、冷静でいられるのですか? なぜそこまで冷酷でいられるのですか?」
何を言ってるんだコイツは、私ほど熱血漢な乙女など他にはいないだろうに。
まぁ、いいや適当に答えとこう。
「必要だからよ」
「必要、アレは必要な犠牲だったというのですか!?」
アレってなんだろ? スレイプニルの事あたりかな、そうだとしたら随分とふてぶてしい奴だ。元々はセバスのせいで犠牲となったというのに……。
いやいや、セバスを責めてはいけない。
セバスは、おじいちゃんなんだもんね。
思えばセバスには今まで随分と世話になってきた。恩返しというもの難だが、おおらかな気持ちで対応していこう。
「そう、必要だったのよ。片方を助ければ片方が死ぬ、ならより大切な方をとるべきだとは思わないかしら?」
「民の命より大切なものとは、いったいなんだというのですか!」
タミ? スレイプニルに名前を付けていたのだろうか。
順当に考えれば、スレイプニルのタミちゃんを見捨てたのを怒ってるんだろう。
いや、やっぱりおかしいだろ。
その場合セバスが怒るのは流石に理不尽すぎる……。
しかし、このままでは拙いな、また暴れだしかねない空気が漂って来ている。
とりあえず、セバスが何を怒っているかは知らないが、天秤にかけようもない壮大な物を提示すれば落ち着くだろう。こうゆう時は内容よりも勢いが重要視されるのだ、これをメラビアンの法則と言う(誤用)。
「“世界よ!”」
「ーーッ! 世界を救うというのですか、そんなデタラメ信じられるわけ……」
「いいや救うね、私は救って見せる。世界は今死にゆく定めにあるの、でも私はソレを受け入れるつもりはない。他の誰がなんと言おうと、私は世界を救わなければならない。その為にはアレは必要な犠牲だったの。お願い分かって、私はセバスに嫌われたくはない」
アレとかタミがなんなのかは知らないが、基本的に嘘はついていない。セバスの表情を盗み見ると、なんだか迷っているようだ……いけるか?
「お嬢様は本当に変わってしまいました。昔のお嬢様ならそんな事は言わなかった」
地獄だなこりゃ。
この無限ループを抜け出すには、いったい何通りパターンを試せばいいのやら。
「私は変わることも悪くないと思う。停滞し続けるよりかはずっといい。
……それに、そう言うセバスこそ随分と変わってしまったわね。でも今のあなたを私は否定はしないし、責めもしない。セバスがいくら変わってしまおうが、セバスはセバスだから、私は絶対にあなたを見捨てたりはしない」
「お嬢様、もうしわけございませんでした。わたしは、わたしはうっぅ、ぅ……」
あ~また泣き出しちゃった。暫くの間泣き叫び、徐々に弱々しい嗚咽へと変わっていった。これまた、前回の焼き回しである。
しかし、私はセバスが変わって(ぼけて)しまっても見捨てたり何かしない! と、決意新たにしている間に彼は寝てしまったらしい。今はスヤスヤと、寝息を立てている。
泣き疲れて眠るとか「子供か!」と、頭を叩きたくなったが自重しておいた。
とりあえず今日のところは、私も眠っておこう。
私はもう疲れたよ、セバスぅ。
ーーーー
セバスは、自分の気持ちを懺悔にも近い形で吐露した。それは、まともな言葉にも成ってはいなかった上に、セバスの精神状態は錯乱しており支離滅裂でもあっただろう。
しかし、精一杯自分の気持ちをメルルに伝えようとしたのは本当の事である。
そして、メルルは優しくセバスの気持ちに答えたのであった。
ーー私は知っていたのです。お嬢様が魔物相手とはいえ虐殺行為を行っていた事を知っていたのです。
『ごめんね』
何故、謝るのか? やはり後ろめたい事が、あったのかをセバスは問いただした。
ーー邪術ですね。やはりお嬢様は邪術に手を染めていたのですね?
『辛かったね』
ーー辛い? 何が辛いというのですか。
『もう大丈夫だよ』
しかし、大丈夫だと言うメルルの表情は辛そうなものであった。
そしてセバスは、ある答えを導き出すと胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
思えばメルルは、生来心優しい少女であった。どんな理由があったかは知らないが、他者を殺める事に何も感じない筈が無かったのである。
それをセバスは、急激な変化ばかりに気を取られ気にも止めてはいなかったのだ。
ーー私は、お嬢様の苦しみを思慮にもかけずいました。従者失格ですね……。
『セバスは悪くない』
その言葉はセバスの心を溶かすには十分なものがあった。
彼女はこの段に来て、愚かな自分を許そうと言うのだ。
ーー私をお許しになるのですか、私は取り返しのつかない事をしたというのに。
『辛かったね?』
本当に辛かったのは、メルルの方だろう。
それなのに、それでいても、彼女は他者を気遣う心を忘れてはいなかったのである。
しかし、なら何故。
心優しいメルルは民を犠牲にしてまで、自身の評価を高めたかったのだろう。
その疑問は、深まるばかりで答えは見えてこない。
先程は、失念していた疑問。そして、これは魔物の虐殺行為とも関わりのある事だ。
ーーお嬢様は国啄みを使ってまで、何を求めていたと言うのですか?
『ごめんね』
彼女は答えを教えてはくれなかった。
言い訳はしないということだろうか? しかし、言葉にしなければ伝わらない事もある。
せめて、自分にだけは理由を話して欲しかった。何ら助けになれるとも思えない。それでも、教えて欲しかった。
彼女は民の命すら犠牲にしなければならない、修羅の道を一人で歩もうというのだ。
セバスは溢れる思いを堪えきれず、もう言葉を紡ぐ事など出来なかった。
泣き疲れ、ある程度気持ちが落ち着いた時、ポツリと呟きを漏らした。
「……お嬢様は変わってしまいました」
本当に変わってしまった。
セバスの知るメルルという少女は、人の庇護下でしか生きられないような儚い少女であった。
「ええ、そうかもね。でも変わらない人間なんかいないわ」
「なぜそこまで、冷静でいられるのですか? なぜそこまで冷酷でいられるのですか?」
メルルは自身の変化を受け入れているようだ。
しかし何故彼女が、こうも平淡でいられるのかセバスは理解できないでいた。
セバスの問いに対して、メルルは当たり前の事を言うかのように返した。
「必要だからよ」
彼女は必要だと言う。
しかし、その言葉がセバスの琴線を再度刺激する。
「そう、必要だったのよ。片方を助ければ片方が死ぬ、ならより大切な方をとるべきだとは思わないかしら?」
「民の命より大切なものとは、いったいなんだというのですか!」
今度こそ答えてもらう。
ごまかしや曖昧な言葉では、駄目なのだ。
どんな理由であろうと、メルルのその口から聞けなければ意味がないのだ。
セバスの心からの叫びは、想像もし得なかった言葉で返される。
「“世界よ!”」
世界、世界と言ったのかこの少女は、世界を天秤にかけるほどの境地にいるというのか? セバスはとてもじゃないが、メルルの言葉を信じる事が出来なかった。
それも仕方の無いことであろう。突然世界などを引き合いに出されても、納得出来るわけがないのだ。
しかし、メルルのこの言葉はセバスの勢いを削ぐには十分なものであった。
彼女は有無を言わせぬ勢いを以て、自分の正当性を主張する。
世界は滅び行く定めにある。自分が世界を救わなければならない。その為には民の犠牲すら仕方が無かったと、言うのである。
どこまでも傲慢で、おこがましいメルルの言葉にセバスは返す言葉を持っていなかった。
彼はただ、変わってしまった少女に感傷的な気持ちをぶり返し、前と同じような呟きを繰り返すばかり。
「お嬢様は本当に変わってしまいました。昔のお嬢様ならそんな事は言わなかった」
するとメルルは、不意に真理を口にした。
少なくともセバスにはそう思えた。
「私は変わることも悪くないと思う。停滞し続けるよりかはずっといい。
……それに、そう言うセバスこそ随分と変わってしまったわね。でも今のあなたを私は否定はしないし、責めもしない。セバスがいくら変わってしまおうが、セバスはセバスだから、私は絶対にあなたを見捨てたりはしない」
メルルはセバスが変わってしまったと言う。
確かに、その通であった。
なぜなら彼は彼女を殺そうとしたのである。
昔のセバスなら、こんな解決方法は思いつきもしなかったであろう。
しかし、メルルは彼がいくら変わろうと絶対に見捨てないと言うのだ。
『いくら変わってしまおうが、セバスはセバスだから』なら、逆も然り。いくら変わってしまおうが、メルルはメルルなのだ。
今一度、彼女の姿を老いた瞳に映すと、セバスの瞳から自然に涙が溢れ出してきた。
先程までの冷え切った悲痛な涙などではなく、ソレは心の奥底より溢れ出す暖かい涙である。
(ああ、何故こんなにも近くのものが見えていなかったのだろう……)
彼女の格好はボロボロであった。
ソレはセバスを身を呈してセバスを守ったからにほかならない。
彼女の衣服は袖がなくなっていた。
それもそのはずである。
なぜなら、彼女の袖はセバスの右足を治療するために使われているのだから。
(確かに、お嬢様は変わってしまった。しかし根本は変わってはいない、優しい少女のままなのだ)
セバスが、その答えに辿り着いた時彼を今日最大の感情の奔流が押し流して行く。彼はその奔流に決して抗うことなく、年甲斐もなく思うままに泣きじゃくった。
泣いているにも関わらず、その表情にはどこか暖かいものがあったように見えた。
主人に娘を重ねた哀れな老人は、巡り巡って遠回りを繰り返しながらに、漸く救われたのである。
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