・悪魔に憑かれし者




 その日の朝食は、妙に暗い雰囲気に満ちていた。


 原因は簡単なことである。


 いつも元気で明るいニーナがほとんど口を開かなかったからだ。




 その様子を不審に思った、執事見習いの青年トーマスは、軽い冗談を交えつつその理由について問いかけて見ることにした。




「おいおい、ニーナ。今日はやけに元気がねえじゃねえか 、もしかして、アレの日か?」


「……違う、そんなんじゃない」




 トーマスのセクハラ発言に、いつものニーナなら顔を真っ赤に染めながら怒りをあらわにするのだが、今日の彼女は軽く頭を振って、ぼそぼそとそれを否定するだけであった。




これは本格的に様子がおかしいなと、トーマスはニーナを心配する。




「ほんとにどうしたよお前、風邪でもひいたのか? なら今日はもう無理せずに休んでもいいんだぜ? なぁに、お前の分の仕事なら俺が代わりになんとか……」


「違う、私見たの、見てしまったの」


「はぁ? 見たって一体何をーー」




 ーー曰く、メルル・S・ヴェルロードは狂っている。




  ニーナによるとメルルは姿見の前で己の裸体に興奮している変態だと、いやあれは変態などと生易しい者ではない。


 生贄に陵辱の限りを尽くす悪魔の表情であったと。いつ自分も悪魔の餌食にされるかわかったものじゃないと。




「いや、ニーナ。お前が何を見たかは知らないが、それは流石に考えすぎだろう……。ほら、お嬢様も年頃なわけだし自分の身体を眺めるぐらい」




「違う! あれはそんな生易しいものじゃなっかった。それに私気がついたの、お嬢様は急に元気になったでしょう? そう死んだような眠りから目覚めてから、急に元気になった! それからお嬢様は変わってしまったの、目覚めてからのお嬢様は私の胸元やお尻ばかりを見つめてくる。はじめは私も気のせいだろうと思っていたわ、でも違う。 舐め回すようにいやらしい目つきで私を見るの、まるで獲物の品定めでもするかのようにね! きっとあの日悪魔が取り憑いたのよ、そうに違いないわ!」




「落ち着けよ、わかったからとりあえず落ち着け。


 それにお嬢様に悪魔だなんて、相手が俺だったから良かったものの……下手したら異端審問ものだぞ、そんなことも分からないなんて、お前はきっと疲れてるんだ。


 一回、思いっきり寝て疲れを取れば元通りだ。おかしな盲信もすぐに晴れて元通りになるさ、きっと大丈夫だから今日はもう休め」




「違う、大丈夫じゃない!  私はあなたを心配して言っているのよトーマス!」


「違わない! いいから休め! 今のお前は見ていられない」




 様々な言葉をまくし立て、必死の形相でメルルは悪魔であると訴え掛けるニーナだが、トーマスには聞き入れてはもらえなかった。それどころか彼女は寝室に無理やり押し込まれてしまう。




 勿論トーマスとしても、ニーナの並々ならぬ様子から、これはただ事ではないと感じ取っていたのだが、 彼女の主張を認めるわけには行かなかった。




 まず、ニーナの使う表現は流石に過剰であり、彼女の様子は明らかに冷静さを欠いていた。つまり彼女は、所謂疑心暗鬼と呼ばれる状態ではないかと思ったからだ。


 人間誰しもナーバスになることもある。


 そんな時はなんでも疑って掛かりたくなるものだ。尤も、悪魔は少々言い過ぎではあるが。




 次にメルルの立場である。




 彼女が自分達の主であるのは勿論のことだが、更に彼女の後ろには神聖オリシオン教会がついている。これは過去にメルルの回復は神の奇跡以外にありえないとした教会が、彼女の回復を敬虔なオリシオン信徒に神が授けた奇跡であると認めたからだと言われている。




 しかし、教会側と上位貴族は癒着しており、ヴェルロード伯爵が娘の名に泊を付ける為に息をかけたのではないか? という黒い噂も耳にするのだが事実は何も変わらない。




 メルルはそう遠くない内に“奇跡の神子”として祝福の儀式を行うことが確定している。そんな彼女に対して、悪魔などと発言することは教会を否定するということであり、異端者として異端者審問にかけられかねない危険な発言である。




 だからこそトーマスは、ニーナの言葉を絶対に肯定するわけにはいかなかったのだ。




「はぁー。やれやれ、ほんとアイツは」


「アイツって誰のことかしら?」


「え? あぁ、メルルお嬢様」




 独り言のつもりで漏らした言葉に思わぬ返答があったので、一瞬反応が遅れてしまうトーマスであったが、すぐに居所を正すと説明をはじめる。




 勿論余計な事は、話さないつもりである。




「ニーナのことですよ。


 アイツが朝からしんどそうにして いたので俺が心配して今日は休んでろっていたんですけどね。アイツったら『私は大丈夫だからサボってなんていられない!』なんて言いやがるんですよ真っ青な顔でね、変にこじらされても大変だから寝室に押し込んでやりましたよ。はははっ」




「まぁ、それは大変ね。後でお見舞いにでも行こうかしら ?」


「そ、それはやめといたほうがいいですよ。風邪をお嬢様 に移されでもしたら大変ですし」


「うーん、それもそうね。変に騒ぎ立てたりしてもニーナも迷惑でしょうし……」




 内心トーマスは冷や汗を流す。


 今のニーナにはとてもじゃないが、メルルを会わすことなど出来はしない。


 残念そうに眉尻を下げるメルルに、それにしてもやはりニーナは考えすぎだとトーマスは思う。




(やっぱり、ただの心優しい可愛い女の子じゃないか)




「そういえば、お嬢様はこれからどちらに向かおうと?」


「ああ、ちょと外にでも遊びに行こうかなと思ってね」


「そうゆうことなら俺もついていきますよ」


「えー、別にいいわよ。それに私は一人で遊びたいの!」


「そういうわけにはいきませんよ、この辺にも低レベルとはいえ魔物も出てくるんですからね」


「もぅー、子供扱いして! まぁ、いいわ。それじゃあ行きましょうか」




 メルルは非常に聡い子供だ。


 また、どこか達観していて超然とした雰囲気を醸し出している。


 昔からその片鱗は見せていたのだが、 最近は特にそう感じさせられる。




 そう、あの長い眠りから目覚めた日から。




 そんな聡いメルルであるが、たまに今のように年相応にぐずってみせる。しかし、だからこそ、トーマスはメルルの行動が心の中で引っ掛かるのだ。


 メルルは基本的にすぐに折れる。


 駄々をこねて、大人を困らせるようなことはほとんどない。




 分別を弁えているということだろか?




  いや、違うように思う。


 メルルの様子からは、意識して子供らしく振舞おうとしているように感じられる節が間見えるのだ。




 まるで、本当の自分を隠そうとしているかのようにーー




(いや、やめよう。俺までニーナに影響されたか? 俺だけでもお嬢様を色眼鏡を通して見ないようにしなければ……あれ? お嬢様がいない!)




「くそ、やられたな。一人で危険なとこまで行っていなければいいんだけどな」




 一人愚痴をこぼしながらトーマスはメルルの捜索を始める。


 大声を出して呼びかけたりはしない。


 メルルのこの行動は自分に対する悪戯であり、自分が必死になればなるほどメルルを助長させる可能性があるからだ。




 それに、トーマスには勝算があった。メルルは確かに賢いが所詮は幼い少女、簡単に見つけられるだろうと彼は思っていた。




「俺はこれでも隠れんぼは得意だったしな」




 しかし、森は彼の想像以上に広く深かった。




 なかなか見つけられず途方に暮れるトーマス。そんな彼があるものを見つける。それは、土を掘り返した跡、よく見れば所々土が掘り返してあり、ずっと先の方まで点々と続いている。




 これは何かあると当たりをつけた彼はその跡を辿って行くと……。




(いた、お嬢様だ。さては物置小屋のスコップが無くなっていたのもお嬢様の仕業だな。このじゃじゃ馬娘め!)




 そこで、すぐに声をかければ良かったものを、トーマスはメルルの悪戯に対する意趣返しを思い付いてしまう。


 彼は息を殺して、極力足音を立てないようにメルルに近づかずいて行く。


 メルルはそんなトーマスに微塵も気がついてないようで、黙々と何らかの作業を続けている。




(ん? 作業……一体お嬢様は何をしているんだろう)




 言い知れぬ違和感がトーマスの頭に過ぎる。




 そう、まるで作業だ。




 先程からメルルは一切笑ってはいないのだ。幼い子供が遊んでいるのにも関わらず、一切の活気というものが無い。




 恐る恐る気がつかれないように、メルルの表情を盗み見るとそこには……。




「ーーッ!」




 メルルの表情には一切の感情が無かった。




 その大きな赤い瞳は光沢が消え失せ、まるでこの世の絶望を体現しているようであった。




『悪魔が取り憑いたのよ』リーナの言葉がトーマスの頭を過ぎる。




 ーー何をしている、何を何を、一体お嬢様は何をしているんだ!?




 先程からメルルは石を退けては、そこを石で叩いている。




 何故?




 その答えにトーマスがたどり着いた時、彼を猛烈な吐き気が襲う。




(あぁぁ、む、虫を潰してやがる。それも、石で叩いてから磨り潰すように入念に……)




 子供が戯れに虫を殺すことも多々あることだろう。


 だが、その幼さ故の残酷さとは、メルルのそれは一線を画す。


 とんでもないことである。




 ただ淡々と、メルルは虫を計画的に仕留めていくのだ。そこには弱者をいたぶる愉悦も、他の命を奪うことによる背徳感も存在してはいない。


 まるで、他者の命を奪う事そのものが目的であるかのような、メルルの様子に底知れぬ狂気を感じたトーマスは全身の皮膚が泡立つ感覚を覚えた。




 メルルが間違った方向に喜びを感じ、道を誤ろうとしているのであればどんなに良かったかとトーマスは思った。


 それならば大人が叱ってやり道を正してやればそれで済む。




 だが、彼女は違う、もうそんな次元はとうに過ぎ去ってしまっているのだろうと、容易に想像することが出来た。




 それからもメルルの虐殺行為は続いていく、やがて近くに石がなくなると、今度はスコップを手に取りザクザクと木の根元を掘り返していく。




(くそ、今度は地中に潜む幼虫達を狙うつもりか! この悪魔めッ!)




 根元を掘り返すこと数分、突然メルルの体がブルりと震える。


 すると、彼女は天を仰ぎ見てからその感情のない顔を綻ばす。


 先程までの無感動から一転、その表情に浮かび上がるのは歓喜の色。




「やった! 上がった。LVUP! KITAAAAAAAAAAAッ!!」




(ヒィ! 掘られる!)




 トーマスは、スコップを片手に突然奇声を上げるメルルの姿に戦慄する。彼は自分がスコップで、ミンチになるまで滅多刺しにされる姿を幻視したのだ。




 彼は今すぐにでもこの場から逃げ出したかったが、完全に腰の抜けてしまった彼は逃げ出すことすら出来ない。




 もう自分も虫けらのようにスコップで嬲り殺しにされるのを待つしかないのだろうかと、諦めかけていた頃に救いの手が差し伸ばされる。




 ーー『フォレストトータス』温厚で基本的に人畜無害な亀に似た魔物であるが、その背に生える植物類には強力な毒素を持ち、刺激を与えれば周囲に猛毒を撒き散らす。




 偶然にもそのフォレストトータスが近くを通りがかったのである。


 メルルは確認をするかのような仕草で、自身の手のひらを数度開閉する動作を繰り返し値踏みするかのように獲物を見据えると、




「よし、殺るか! ヒャッハー、経験値をよこせぇ!」




 そう奇声を上げながらフォレストトータスに向けて走り出したメルルを、トーマスはただ見送ることしかできなかった、そして呟く。




「いかれてやがる……。お嬢様は狂っている!」











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