・ヴェルロード家の異端児
創造主オリシオンが創りし世界、エルズランドにて彼女は生を受ける。
『メルル・S・ヴェルロード』
彼女は約五百年前、この世界に降り立った勇者ロイが残した国。ベルフト王国の名門貴族ヴェルロード家に生まれる。
しかし、彼女の人生の始まりは数々の不幸を背負ったものであった。
希な事例ではあるものの、胎児のうちから既に膨大な魔力を持っている者がいる。メルルはその希な存在の一人であった。特にメルルの場合、妊娠三ヶ月めの頃には、既に魔力がはっきりと観測できるほどであり、これほどの事例は歴史的に見ても数える程度しか知られていない。そんなメルルに、誰が期待を寄せずにいられようか? ヴェルロード伯爵を中心に親戚縁者、果ては国王まで、多くの者が彼女の誕生に期待を寄せた。
これがメルルの不幸の始まりであった。
胎児は無意識の内に魔力を放出し、形のない魔術を使うという。しかし、無意識故の愚かしさ、補給も限度もまるで考えられてはいない。
……吸魔症という症状が存在する。高い魔術適正を持つ胎児を身籠った女性が陥る症状で、まだ魔力を生成する力の弱い胎児が、体内の魔力を満たそうと、母体から魔力を吸い上げてしまうことが原因で発症する。
これにかかった女性は常に魔力が不足した状態になり、徐々に衰弱していき酷い時には、出産の負担に耐え切れず死亡してしまう可能性すらある危険な症状だ。
メルルの母もまた吸魔症に悩まされ、メルルの出産には大変なリスクがつきまとった。しかし、子供……高い魔力を持つ子供は国の宝である。魔力とは人が持ち得る最大の武器であり、優秀な魔術士を抱える国はそれだけ発言力を増し繁栄の道を歩む。その上に、魔術の才能は遺伝する。
優秀な魔術士になる高い可能性を持つ赤子の誕生を、みすみす逃そうなどと思う者は一人もおらず、出産に反対する者は一人も存在しなかった。また、メルルの母もその道に殉じようと覚悟を決めていた。
そして、母の命を犠牲とし皆の期待を一身に受け、メルルが誕生した。
ーー曰く、出来損ない。期待外れ。コイツのせいで私が恥をかいた。これが当時、生まれて間もないメルルに対して、ヴェルロード伯が口にした言葉である。
メルルが生まれてから、いくつかのことが判明した。
メルルは非常に高い魔術適正を秘めており、将来は歴史に名を残せる程の大魔術士になることだろう。ただし、将来があるのならば……。
メルルは生まれつき身体の色素が薄く、極度の虚弱体質であった。所謂アルビノ体質と呼ばれるものだ。また、その身は生まれながらに病魔に蝕まれ、いつ死んでもおかしくない程の病弱さ。
無論ヴェルロード伯爵とて、方々に出来うる限りの手は尽くした。
しかし、全ては無駄であった。
国一番の医者は言った、メルルは
どうしようも無かった、メルルは助かることはない。そう悟ったヴェルロード伯爵は、彼女を酷く疎んじた。
やがて、彼女の姿が視界に映ることすらも嫌った伯爵は、療病を理由にヴェルロード領でも一番の辺境にある別荘地に追いやるのであった。
当時メルル、三歳と四ヶ月。言葉を理解し始めて間もない彼女には、物事の真意など見えてはいなかっただろう。
まだ幼いメルルに本当の事を話すわけにもいかず。従者はメルルの父がいかに彼女を心配し苦心して本家から送り出したかを、まだ幼い少女にも理解しやすいよう丁寧に何度も語りかけた。
そして、メルルは自分の身を案ずる父の優しい言葉を信じ、儚げに笑うだけであったという。
ああ、不幸なメルル。彼女は辺境の屋敷で部屋に引篭り、ただ本を読みふける。彼女は英雄達が巨大な悪から、囚われの姫君を救い出す。そんな英雄譚を特に好んで読んでいた。彼女自身も奇跡でも起こらない限り助からないということを、薄々ながら理解していたのだろう。
いつか、お伽話のように自分も救われる、そう信じることぐらいしかできなかった。
こうしてメルルは僅かな従者に囲まれて、ひっそりと息を引き取ることだろうと彼女の境遇を知る者達は思っていた。
そんな哀れなメルルに変化が訪れたのは、七つを数える歳のある日のこと。普段から大人しく声を荒げることもないメルルが、喉をからさんばかりの絶叫を上げ、もがき苦しみ。
そして、急に深い眠りについたある日のこと。
屋敷に勤める従者たちは死んだように眠るメルルの姿に、ついに来る日が来たかと諦観の思いで見守っていたが、そうはならなかった。
三日三晩の深い眠りについた後、メルルは目を覚ます。
少なからずメルルの生い立ちに同情していた屋敷の者たちは皆、彼女の無事を喜んだ。
これからの、恐怖と苦悩に満ちた日々を知る由も無く。
ーーメルルの住まう屋敷で働くメイドであるニーナは、一日の業務を終え、彼女の当番である施錠の確認のために魔力灯の明かりを頼りにし、屋敷の巡回をしていた。
その日一日の疲れに、あまり意味があるとも思えない作業、彼女の表情は酷く気怠気だ。
(こんな、辺鄙なところに建つ屋敷に好き好んで入る賊もいないでしょうに。そもそも、どうせ鍵もかかっているだろうし)
そんなことを考えつつも、欠伸を噛み殺しきちんと施錠の確認をこなしているのを見るにニーナも根は、真面目なのだろう。しかし、今日ばかりはその真面目さが仇となった。
「ーーデュフ」
「ひっ!」
施錠の確認もそろそろ終わりに差し掛かった頃、不気味な笑い声がニーナの耳を打つ、それに対して思わず短い悲鳴を上げてしまった。キョロキョロと辺りを見渡し、誰もいないことを確認するとホッと一息、どうやら声の主は近くにはいないらしい。
(誰かしら? 笑ってるのかな……こんな夜更けに?)
不審に思った彼女は、恐る恐る笑い声の聞こえる方向に進んでいく。
「デュフ、デュフフフフフフフフ」
ニーナが歩みを進めるにつれ、次第に大きくなる不気味な笑い声、その声から伝わってくる劣情の色に、彼女は身を震わせながらも歩みを進めていく。
そうしてニーナは不気味な笑い声の発信源を突き止める。
どうやらこの不気味な笑い声はメルルの部屋から聞こえてくるようだ。
ニーナは、好奇心から慎重に部屋の扉を薄く開く、
そこで彼女が見たものは……月明かりを頼りに、姿見の前で自身の身体を撫で回すメルルの姿であった。
メルルの赤い瞳は光彩を欠き、焦点が合っておらず、狂気に満ち満ちている。その表情は恍惚の色を浮かべ、涎を滴り落としながら笑うその姿は、まだ幼い少女のものとはとても思えなかった。ニーナの中から言い知れない恐怖が湧き上がる。
「ヒッ!……」
ニーナは必死に震える両手で、自分の口を塞ぎ悲鳴が漏れるのを防ぐ。幸いにもメルルは、自分の情事に集中しているようで、ニーナの存在には全く気がついてはいない様子だ。すぐにニーナは踵を返し、その場を後にする。
自分の部屋に戻ったニーナは強く自分の身体を抱きしめながら、毛布に包まり震えて過ごした。
瞼を閉じればメルルの狂相が浮かび上がる。
ガチガチと奥歯が音を鳴らす。
夜明けまでの長い時間。
早く朝になれ、早く、早くと、頭の中で何度も繰り返す。
やがて訪れる夜明け、それまでの時間が永遠にも感じられた。
そんなある日のこと、
この日から彼女達の平穏な日常は狂い始めた。
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