第二章 人ならざるものとの出会い

第5話 みずの意思①

「……うぅ」


 また、おそってくる悪夢を見て目を覚ましてしまったミモルは、横になっているのも辛くてベッドから起き出しました。

 寝間着のままベランダへ出ると、昼間の喧噪けんそうから解き放たれた夕方の風が、体を洗ってくれるような気がします。ふいに、エルネアがその手を取りました。


「どうしたの? えっ、何?」


 ぎゅっと引き寄せられて部屋に戻ると、寝間着を脱がされ始めたので、ミモルは目を白黒させました。数少ない服の一つを上からすっぽりと被せられたところで、エルネアがふっと笑います。


「目が覚めた? なら、気分転換しましょう?」


 カーテンが勢いよく開け放たれ、エルネアの背中から普段は隠されている翼が現れます。

 ふわりと足が宙に浮いたかと思うと、見る間に町がどんどん小さく遠くなり、二人は北に広がる森へと移動しました。


「こんなところへ来て、どうするの?」


 もう日も暮れてしまいます。そんな時間に森へ入ることの危険性を、ミモルは良く知っていました。毒を持った植物や、闇を徘徊はいかいする獣の前に、人はあまりに非力です。

 それなのに、エルネアは笑顔で「大丈夫よ」と微笑ほほえみました。


「さ、ここからは少し歩きましょう」


 木々を分け入って進むうちに、水の流れる音が聞こえてきます。しかし、近づくにつれ、川にしては違和感があることに気付いたのでした。


「もしかして、滝……?」


 ずっと深い森で暮らしていたミモルは、今まで滝というものを実際に見たことはありませんでした。ルアナが趣味しゅみで集めた本を読んで、そういうものがあると知っているだけです。


 高所から一気に滑り落ちる水の勢いとはどれほどのものなのか、興味がないと言えば嘘になります。一方で、本には雄大な滝の圧倒的な力が描かれていて、少し怖くもありました。


「小規模のものだから大丈夫よ、決してあなたを傷つけたりしないから」


 エルネアの笑顔には確信がありました。先に立ち、尖った葉や枝をよけてミモルに道を示しながら、優しく手招きます。


「わ……」


 緑の海を抜け、開けた場所に出た途端とたん、ミモルは言葉にならない声をもらしました。そこにあったのは、どうどうと唸りをあげる圧巻な風景などではなく、もっと神秘的な光景です。


 滝といっても本当に小さく、大人の背の2倍ほどの低さです。木々の合間を縫って降りてくる月の光を浴び、水飛沫みずしぶきがきらきらと輝いています。


「湧き水が流れて落ちてくるの。川に流れ込む前に、ほら」


 川辺に咲く赤い花の群れの向こうには、小さな泉が見えました。

 近寄ってのぞくと、澄んだ青がどこまでも続いて、底のほうで暗い闇と混ざり合っています。泉の大きさからすれば、信じられない深さです。

 ピチョン……。


「誰!?」


 水音に反応するより早く、エルネアが鋭く言い放ちました。ミモルを後ろに下がらせます。


『そう、いきり立つことはない。危害を加えたりはしない』


 小さいが、良く通る声でした。それを聞き、エルネアは安堵したように緊張を解きます。どうやら敵ではみたいです。少女は声を張りました。


「あなたは、誰? どうして」

『泉の底から声がするのか、と聞きたいのか?』


 薄暗い中、何かがほの明るく光を発しました。水がうねりながら立ち上り、それが静かに収まると、人の姿が現れます。向こうが透けるところを除けば、美しい女性に見えました。

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