第3話 二つのとびら②

 言いながらぐっと抱き寄せられ、ミモルも慌てて腕を回してその身にしがみつきます。説明などなくても、何が起こるのかくらいは想像が付きました。軽い羽ばたきの音と巻き起こる風に、思わず目蓋まぶたを強く閉じたのでした。


 数秒とたないうちに、体に馴染なじんだ空気を感じて、怖々目を開くと、そこは地面ではありませんでした。

「わっ」

「大丈夫?」


 いつの間にあの白い世界を脱したのか、緑や黄色や赤に彩られた森が眼下に広がっています。二人はエルネアの翼で空中に浮かんでいました。

 こんな高さから落ちたら、人間の体はひとたまりもありません。恐怖からしがみつく手に力がこもり、体がこわばります。


「空は初めてよね。でも、安心して」


 いつも遊び回っている広場や、近くの村の家並みがオモチャのように見えます。エルネアは少し高さを落とし、ミモル達の家へ向かって移動し始めました。


「な、何あれ」


 異変にはすぐに感付きました。家へ近づくほど、晴れていた空に雲が目立ち、大地をうように黒いきりが立ちこめてきています。嫌な匂いをかいだようにエルネアが顔をしかめ、呟きました。


「……障気しょうきね」

「しょうき?」

けがれた空気のことよ。触れたら危険なの」

「えっ、どうしてそんなものが」


 ミモルは驚きの声をあげました。自分達は『儀式』を行っていただけです。そして成功し、こうしてエルネアをびました。

 だから一瞬だけ、自分のせいかといぶかしみましたが、目の前の美しい天使を見る限り、そんな恐ろしい事が起きようとは思えません。


「ねぇ、ダリアは? 同じ『儀式』をしたはずなの!」


 だとすれば、残る可能性はもう一つです。霧は、木々の間をうようにどんどん風下へと流れていきます。

 その先、少し離れた場所には小さな村が点在していました。親しく付き合いがある村ではありませんでしたが、ルアナの手伝いで行ったことは何度かあります。


「……きっと、地の底とつながってしまったのね」

「地の底……?」

「私達が住んでいる世界とは反対の、悪魔が住んでいる世界よ」


 二つの世界は性質も距離も大きくかけ離れていますが、肉体によらない心の世界であるという点では似ているのだと、エルネアは説明してくれました。

 その口振りからして、良くない場所であるのは明らかです。


「どちらもこの地上からはすぐ近くにるの。だから、天との扉を開こうとした人間が、まれに地への扉を開いてしまうことがある」

「エルは、ダリアがその場所への扉を開いたっていうの?」


 まだ良く理解できているとはいえません。ただ、あってはならないことが起きたのだという実感が、じわじわとわきあがってきました。


「ミモルちゃん、あれを!」


 言われるままに真下を見下ろすと、広場からドス黒いモヤがどんどん吹き出してきています。


「ふふ……」

「だれ? 誰かいるの?」


 どこかから響く陰湿いんしつな笑い声に、ミモルはぎょっとしてエルネアの腕の中で更に身を固くします。しかし見回しても姿はありません。

 収まらない笑いは楽しくて仕方ないという、暗い喜びを帯びていました。きっと、あのモヤの中にいるのでしょう、不敵に笑う何者かが――。

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