親交
7
眠気も吹き飛ぶような青空が窓の外に広がっている。
「今日もいい天気」
ここ最近の関東は連日の快晴だった。朝から強い日差しが照りつけ、だいたい十時を回るころには気温が三〇度を超える。真昼にもなれば病院の駐車場の地面は目玉焼きを作れるほど熱くなるのだ。
夏といえば、プールや花火など楽しいイベントが多い季節だが、基本的に病院から出られない今年の私にとって、それらの風物詩はあまり縁のないものだった。夏の訪れに浮かれる俗世から隔離されていることには、少し寂しさを感じてしまう。
しかし、今の私にはそれを差し引いても有り余るような楽しみがあった。
朝食と身支度を済ませた私は、母に昨日持ってきてもらったある物を脇に抱える。
外出の前に、部屋の向かいでクロスワードパズルに興じている志田さんに一声掛けた。
「友達のところに行ってきます」
「ふふ、元気ねえ。いってらっしゃい」
「いってきます!」
私は病室を出て、廊下の反対側に向かって歩き出した。
ナースステーションの前を通ったとき、中にいた安野さんと目が合った。口パクで何かを言われる。たぶん『ほどほどにね』とかだろう。私は親指を立てて笑顔で応えた。
ほどなくして目当ての病室に着く。ネームプレートに書かれている名前の読み方は、この前本人から教えてもらってばっちり覚えた。
ドアをノックして病室に入る。部屋には一人、上半身を起こしてベッドに座っている美しい少女がいた。
「よっ」
片手を掲げて挨拶する。私の姿を認めた彼女は、部屋の置時計で時間を確認すると呆れて肩を竦めた。
「来るの早すぎでしょ」
「早く会いたくてさ」
「馬鹿じゃないの」
彼女らしいつれない返し。だがそこに出会ったばかりの頃みたいな
「元気?」
英語の教科書にでも載っていそうな陳腐な問い掛けだが、病人ゆえそれなりに高い確率で体調が悪い私たちにとって、これは大事な意味を持つ確認作業なのである。
「今日は調子がいいわ。あなたは?」
「私もばっちし」
「そう。いいことね」
お互い特に問題なし。そんな確認結果に彼女――萩原早苗は、芸術品めいた造形に涼しげな笑みを浮かべるのであった。
一週間前のあの日。
泣きじゃくる早苗の涙が止まったあと、私は彼女とたくさん話をした。私たちはお互いのことをほとんど何も知らなかった。出身。住んでいる場所。家族構成。誕生日。血液型。趣味。好きな食べ物。そういった情報の空白を、会話を通して片っ端から埋めていった。私たちは性格も物の考え方もあまり似ていないが、不思議とすぐに意気投合した。
その日から、私の入院生活は変わった。
まず、退屈がかなり解消された。何もすることがない時間ができたとき、以前は無為に過ごすしかなかった。だが今は早苗が話し相手になってくれる。定期検診の面倒くささだとか病院食の内容などといった何でもないようなことも、友達がいれば面白い話の種になるのだ。テレビを観るのだって、一人より二人の方があれこれ言い合えて何倍も楽しいのである。
また、入院生活の不安が和らいだことも大きい。入院が決まったとき私は、それこそ早苗が体験してきたみたいに、孤独に病と向き合う日々を送ることになるのだと思っていた。しかし早苗の存在によって私は、他にも病気に立ち向かっている仲間がいるのだという心強さを得られたのである。
私も早苗も検診や投薬があるし、体調の悪い日だってあるので、四六時中一緒にいるわけではない。日によっては顔を合わせないこともある。だがどんなに短くとも、早苗と過ごす時間は私に確かな元気を与えてくれるのであった。
早苗と友達になって早くも一週間が経つ。その間に私は早苗についてたくさんのことを知った。その中で重要な事柄が二つあった。
一つ目は、早苗の人となりである。
出会ってすぐ険悪な関係になってから仲直りするまで、私は毒舌で嫌味たらしい早苗しか知らなかった。それは友達を作りたくなかった早苗が当初、私を近づけさせないため意図的に自分のイメージを悪くしていたからだ――と思っていた。
だが彼女と友達になって私は理解した。早苗の捻くれた性格は彼女本人の性質だったのだ。私を遠ざける必要がなくなったので当たりの強さはマイルドになったものの、早苗の悪口や皮肉は相変わらずそれなりの頻度で耳にしていた。綺麗な花には棘がある、という言葉を連想したのは内緒である。
だがそのことについて、私は特に気分を害したりはしてない。きっとこれも早苗が人付き合いに慣れていないがゆえのことだろうし、一時は絶交の危機すらあったことを思えば、それが汚い言葉だろうと彼女が口を利いてくれるだけで私は嬉しいのである。偏屈な性格だが、それも早苗らしさだと受け止めるつもりだ。
そしてもう一つは、早苗の病気についてだ。
早苗は病気は小児脳腫瘍というものだった。脳腫瘍は読んで字の通り頭の中に腫瘍が発生する病気で、主な症状は頭痛や吐き気、重いものだと運動障害や意識障害などが挙げられる。
脳腫瘍には、腫瘍の発生箇所や発生要因、良性か悪性かなどの要素によって様々な種類があり、それによって治療法も異なるらしい。手術によって腫瘍を摘出する手術療法。放射線を用いて腫瘍を取り除く放射線療法。薬物を投与・服用する化学療法。この三軸の治療方針を適宜選択あるいは組み合わせて、治療を行うのだそうだ。
早苗の場合、病気が判明した時点で腫瘍が広範囲に点在しており、その一部は外科手術での摘出に大きな危険が伴う位置にあった。そのため、最初に手術で可能な限り腫瘍を除去した後、残りの腫瘍は化学療法での根絶を目指すという治療方針を取っている。残りの腫瘍への対処に化学療法が選ばれた理由は、放射線治療は子供の脳への負担が大きいからだという。
外科手術で大方の腫瘍は摘出済み、と聞くと、早苗の病気の治療は既に大部分が終わっていて、ゴールも見えているかのように思える。だが実際には、手術で取り除けなかった腫瘍の治療が非常に難航しているらしい。薬の効き目が弱く、腫瘍の成長を食い止めるので精一杯というのが現状のようだ。
そういう経緯で早苗は五年前から、薬による治療を受けながら終わりの見えない入院を続けている。その間とても苦しい思いをしてきたのは、以前早苗の口から語られたとおりだ。
早苗から病気の話を聞いて、私は決意した。闘病生活において私が早苗を心の支えにしているように、私も早苗の心の支えになるんだ、と。いくらがんばっても私に早苗の病気は治せないけれど、つらいときに寄り添って励ますくらいはできる。
それが彼女の友達になった私の役目だと思ったのである。
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