第7話 知人に化けた悪霊を見破る方法



 クローゼットの中からは独特のアンモニア臭が漂っている。


「う、ああ…いっそ殺せ……。やだ、死にたくない。お婆ちゃんになってお布団の上で眠るように死んでいきたい……」


 ついでに情緒がおかしい。

 いつも強気で俺に対して結構攻撃的なことを言うギャル娘な会田の精神がぽっきり折れていた。

 いやまあ、俺もホラー嫌いなんで気持ちは分からんでもないけど。

 というかこれどう考えても俺のせいだ。あのハサミ男のゲームを思い出す。隠れてるのにそこを開けられて見つかるとか、どうあがいても絶望しかない。


「暗いところにかくれていれば、助かるとでも思ってたのに……」

「あー、会田? とりあえず、俺だ。寺島辰巳だ」

「……寺、島? えっ、あっ、う、ウサギは……?」

「俺が来た時にはいなかったけど」


 まだ頭が回っていないのか、会田は硬直してしまう。

 しばらくしてからようやく現状を理解したのか、大きく息を吐いた。


「た、助かったぁ……」

「ってことは、近くにいたのか? それにしては気配も殺気も感じられないな……」

「あっ、寺島って殺気とか感じ取れちゃう派なんだ?」


 そりゃそうだろ。

会田は何故か妙な顔で俺のことを見てくる。


「ヨミたちは」

「分かんない。あたし、途中で転んじゃって。置いてかれた」

「え、本当に?」

「……ごめん。たぶんはぐれたことに気付いてない。嫌な言い方しちゃった」

「そっか。まあ、ウサギのキグルミに追われてたなら戻るのも難しいだろうし」


 となるとすぐに追った方がいいだろう。

 あの三人だとなにかあったらひとたまりもない。 


「俺はヨミたちを探して合流するつもりだ。会田はどうする?」

「ついてく。ここで待ってるなんて絶対耐えらんない」

「その気持ちすごい分かる。ぶっちゃけ俺も一人とかムリ」

 

 あれです。

たぶん一人で探索自体は出来るんだけど、ホラー嫌いには精神的にキツイ

 誰かを守らなきゃ、って状況は厄介なように見えるが、俺にとってむしろ有難いのだ。


「いこう、悪霊どもに襲われる前に」

『了解、行クヨ相棒』

「……悪霊ならあんたの肩にいるんだけど」


 なんか慣れてしまったけど、そういや月代も悪霊側だった。

 でもいいんだ。この子いるとちょっと恐怖が和らぐから。


『ソウ言エバ小娘、下着替エナクテ、イイノカ?』

「……替えなんてある訳ないじゃん。洗いたいけどこんなとこの水は使いたくないし」


 俺が踏み込んだら確実に殺されるぞな案件だ。

 平静な態度を崩さないように心がける。


「さ、さて。じゃあヨミらが、逃げた道をたどりつつ一階に降りようか」

「え? なんで一階?」

「あっちには部長がいるし。逃げながら、たぶん最初の地下を調べるって目的には沿おうとする、んじゃないかな」

「あぁ……」


 あれで責任感の強いお人だ。

 怯えて動けないなら途中で拾えると思うし。

 ひとまず俺達は警戒しながら廊下を歩く。悲しいかな、地の底から響くような亡者の声にも慣れてしまった。

 会田は小刻みに震えながら腕に引っ付き、なにか物音がたつ度にびくりと反応している。俺もだいたい同じです。


「隠れて」


 曲がり角に辿り着くと、俺は会田を背に庇いつつ壁に張り付く。

 角から覗き込むと、ウサギのキグルミが周囲を見回していた。


「ひぃ……」


 涙目で悲鳴を上げそうになる会田の口をふさぎ、キグルミの様子を観察する。

 どうする、ここでカタを付けるか?

 流氣発勁が悪霊にも効くのは確認済み。ただし、あのキグルミを倒し切れるかどうかは別だ。

お師匠ならともかく、俺が発勁を打つには足でしっかり地面を噛み、基本の正しい姿勢を維持する必要がある。奥伝を習得したとはいえ、応用するにはまだ鍛錬が足りていないのだ。

 挑んで無様に返り討ち、ではシャレにならない。

 戦うか、やり過ごすか。悩んでいると、急にウサギのキグルミは姿を消した。


「……っ?!」


 俺は構えて周囲に意識を飛ばす。

 視界のうちにも、背後にもいない。会田は安堵の息を吐いていたが、俺は遠くなった気配に焦りを覚える。


「やばいな」

「なんで? 助かったじゃん」

「あのウサギ、ほんとにホラーの怪人なんだ。たぶんあれは鬼ごっこの鬼役が持ってる、単距離ワープだ」

「……つまり?」

「俺らの周りにいないってことは、ヨミたちを追ったかもって話」


しかもどれだけ距離を離しても意味がないと証明されてしまった。

 はやく合流しないと取り返しがつかなくなる。


「悪い、会田。走るぞ」

「う、うん」


 いつもなら俺に暴言くらい吐きそうなもんだけど、この状況だからか素直に従ってくれた。

 音がたつのも承知の上で俺達は速度を速める。しばらくすると、廊下の先に人影が見えた。


「て、寺島」

「分かってる」


 足を止めて腰を落とし、襲撃に備える。

 薄暗い廊下をゆっくり歩いてきた人物は、見慣れた───俺の幼馴染である比良坂暦の顔をしていた。


「たっちゃん、大丈夫だった?!」

「ヨミこそ、無事だった? 部長たちは?」

「うん私は。たっちゃんが心配だったから、部長たちには隠れて待ってもらってるよ」


 俺の顔を見るや否や、ヨミがほっと息を吐いて近付いてくる。

 悪霊ではないと知り間も安心したようだ。


「つぇぁ!」

「ふがぁあぁぁぁ?!」


 なので俺はヨミの顔面目掛けて足刀を打ち込んだ。

 さらに距離を詰め顎に掌底、膝に前蹴り、とどめに水月を貫くように“からくら蹴り”をくれてやる。

 ヨミのカラダは吹き飛ばされて、勢いよく近くの壁にぶち当たった。


「………………えええええええええ?!」


 混乱した会田が思い切り声を上げる。

 まあ、傍から見たらとんでもない暴挙だよね。


「てらっ、あ、あんた、なにやっての?! 死ぬ、比良坂死んじゃうってあれ?!」

「落ち着いて。よく見ろって」


 壁に背を預け倒れ込んだヨミのカラダがどろどろと溶けていく。

 それはすぐに蒸発していき、一分も経たないうちに全てが消え去った。


「なに、あれ……」

「分からないけど、“化けて騙す”のは幽霊の専売特許じゃないか?」

「そりゃそうだけどさぁ。てか、なんであんた気付いたの。や、やっぱりアレ? あ、愛の……」


 ふっ、と俺はどや顔で応える。


「人間は骨格構造上、歩くにしろ止まるにしろ、自然な動きってものがある。でもあいつは、水風船で作った人形みたいに全身の連動が不自然だった。見もまた武の技の一つなんだ」

「そこは“比良坂はそんなこと言わない”的な理由じゃない、とあの子が可哀そうだと思う」

『相棒、ワリト馬鹿ダネ』


 鍛錬の成果を披露したのに、女の子達はなんでか呆れたような目を向けてくる。げせぬ。

 ……まあでも、見がなくてもあれがヨミでないことは簡単に分かった。

 この状況で俺が心配なんて理由で単独行動する奴が、彼女であるはずがないのだ。



【比良坂暦side】


 

 私とたっちゃんは幼馴染で、小学校から高校までずっと一緒だ。

 だから彼のことはよく知っている。

 本質的にはビビりの事なかれ主義で、思い込みが激しい。

 そんなたっちゃんが武術に傾倒したのは、間違いなく私の為だった。

 いざという時にヨミを守りたい。彼ははっきりとそう口にして、古武術の鍛錬を繰り返した。わりに強そうに見えないのは、そもそも我の強い性格ではないからだろう。


 強くなった後もたっちゃんは変わらない。

 からあげが大好きで、一個でお茶碗一杯のご飯を食べる。

 ゲームでは勝っても負けても楽しんで、意外と少女マンガが好き。

 同じ布団で寝るときは、緊張でガチガチになってしまう。

自分が馬鹿にされても怒らないくせして、私が泣いてたらすぐに飛び出す。

そうだ。彼が体を張る時は、いつだって背中に誰かがいた。


 そういうたっちゃんだから私は大好きだし、婚約者として寄り添いたいと思う。

 だけどこの心霊ホテルで離ればなれになっても、彼のもとに向かおうとは思わなかった。

 部長と文城先輩。二人を見捨て動くなんて、寺島辰巳が大切にしてくれた比良坂暦じゃない。

 私は彼を慕っている。だからって、傍に行くだけが全てじゃない。

 たっちゃんなら大丈夫。なら私は彼の行動を邪魔しないよう、そして彼の助けとなれるよう精一杯考えて実行する。

 好きというのは、つまりそういうことだろう。


「うう、もうやだぁ……」

「なんだよ。なんでこんなことに」


 二人とも怯え切っている。

対抗策がない以上、ウサギのキグルミに追いつかれた時点で私達は死ぬ。だから必死になって逃げて、向かった先が一階の事務室だった。

エレベーターが動かない状態で地下に向かうためにはマスターキーが必要。これを先んじて確保するのが今の私にできることだ。


「会田さん……」


 でも、私も冷静ではなかったのかもしれない。

 会田さんとはぐれたことに気付けなかった。戻りたかったが背後に迫るウサギをどうにかする術はない。

加えて二階にいたはずのウサギのキグルミは一階の廊下をうろうろしていた。

 追いつかれた? それとも、ホラゲーよろしく瞬間移動してきた?

 分からないが、とりあえず鍵を閉めた事務室内には入ってこられないらしい。

 私達は事務室に辿り着いたはいいが出ることができず、籠城する羽目になっていた。


「華夜さんは、無事でしょうか」

「無事なわけねえだろ。俺らも、どうせ。くそっ、ふざけんなよ……」


 文城先輩はもう助かるという希望を抱けていない。

 怖いのがダメな久地部長も、精神的にかなりまいっている。

 このままでは地下に向かうのは難しい。



 ──ガァン! ガァン!



 その時、誰かが事務室の扉を強く叩いた。

 突然のことに全員が体を震わせる。

 ガンガンと乱雑に、そいつは扉を叩き続ける。


「あ、ああ……」


 部長が怯えて涙を流している。文城先輩に至っては、私達の後ろに隠れてしまった。

 扉を叩く手は休まらない。強い音を聞くたびに心が削られていくようだ。

 しばらくして、ぴたりとそれが止まった。


『……ヨミ、そこにいる?』


 話しかけてきた声は、たっちゃんのものだった。


「た、たっちゃん……?」

『とりあえず、ウサギのキグルミを追っ払ったんだ。中に入れてくれるか?』


 それを聞くと部長は一転笑顔になった。


「よ、よかった。今開けますね、寺島君」


 でも私はそれを止める。


「暦さん? あの、どうしたんですか」

「部長。落ち着いてください。あれが、本当にたっちゃんか、まだ確認が取れていないです」

「な、なにを言っているの? 寺島君が、ウサギさんをどうにかして助けに来てくれたんだよ」


 私が比較的冷静に行動できるのは、たっちゃんが助けてくれると信じているし、もしダメでも一緒に死ねるなら嬉しいからだ。


『開けてくれよぉ、なあぁ、ヨミぃ。一緒に、還ろうぜぇぇ』

「はやく、開けないと、て、寺島君。待ってて」

「だから駄目ですって! あんなの、どう考えても妖しいじゃないですか!」


 だけどそうではない部長の精神はもう限界が近い。

 恐怖に晒され過ぎて、ちゃんとした思考が出来ていなかった。

 このままじゃ、私達は。

 いやな想像がよぎった時、


『ゴハァァァァッァア?!』


 物凄い打撃音と、声の主の悲鳴が聞こえた。

 急なことに反応が出来ずにいると、再び扉がノックされる。

 

『おぉい、誰かいますか?』


 また、たっちゃんの声だった。

 部長は状況の変化についてこれていない。


「……たっちゃん?」

『ヨミ?! よかった、無事か!』


 声は先程よりもまともに聞こえるが、実際の正体は不明。

 なら確かめないといけない。

 正確に、彼がたっちゃんだと証明できる方法。正直気は進まないが、私はソレを実行した。


「……うう。ごめん、たっちゃん。私、文城先輩に襲われて。ムリヤリ、処女を……」


 扉の外が静まり返った。

 短く長い間を置いて、震える声が問いかけてくる。


『ヨミ。文城はそこにいるのか? お前が、望んだんじゃないんだな?』

「うん……いる。あのクソ野郎は、たっちゃんがいないのをいいことに、私を」

『そうか。……桧木流古武術奥伝・承の位』

「あ、だいじょぶたっちゃん。今開ける」


 これで確信が持てた。

 外にいるのは間違いなく、幼い頃からずっと一緒にいたたっちゃんだ。

 鍵をはずすと、ぎぃと嫌な音を立てながら扉が開いた。


「文城貞夫ぉ……! ウサギのキグルミの前に、俺がてめぇをぶち殺してやらぁ……!」


 悪霊なんかよりもよほど恐ろしい形相をしたたっちゃんがそこにはいた。





【寺島辰巳side】


「オラァ、クソ野郎! 生まれてきたこと後悔するまで殴り飛ばしたうえ全部の骨折って関節増やすぞゴミがぁ!」

「ひぃ、ひぃぅいぅ。ちが、ちがいますっ! 許してください、俺はそんなことしてないんですよ寺島さまぁ……?!」


 はい、事務室にやってきた寺島辰巳です。

 ヨミが文城クソ野郎に犯されたと聞き、怒りのままに踏み込むと部長も文城も焦燥した様子だった。

 なにこれ、とヨミに聞けばどうやら俺に化けた悪霊が扉を叩いたとのこと。

 先程の扉越しのやりとりは、俺の本人確認のためだったのだという。


「じゃあ、文城にっていうのは」

「心配かけてゴメン、嘘なの。ああやって言えば、たっちゃんなら扉ぶち壊してでも入ってくるでしょ? それに有り得ないけど、もしも私が望んで体を許したなら、涙を呑んで幸せを祈ってくれる」


 見事にヨミの予測通りの動きをしたらしい。

 別に悔しくないぞ。自分を理解してくれる人がいるのは、とても幸せなことだと思う。

 あ、ちゃんと文城先輩には頭掴んで「ごめんね? いや、タダの嘘でよかったよ」と謝っておいたよ。

 先輩は笑顔で泣きながら快く許してくれた。なので今後もヨミに手を出すことはないだろう。


「でもよかった。色んな意味でヨミが無事で」

「大丈夫だよ。本当に襲われたなら、舌を噛んで死ぬから。ほらぎゅー」

「そんなことしたら後追いするからな」


 お互いの無事を喜び、ぎゅーっと抱き合う。

 ヨミがいてくれる。その幸福を噛み締めていると、会田が「ほんとに、こいつは……」と溜息を吐いていた。


「寺島君、華夜さん。えと、月代さんも。無事でよかったです」

「部長も」

「はい。で、でもですね。ちょっと、そういうのは、また後にしていただけると……」


 再会の抱擁に照れて顔を赤くする久地部長。

 よくよく考えてみれば、みんなの前で抱き合うのはほんのちょっと恥ずかしいかもしれない。


「あ、ああ。すみません。確かに、今はそんな状況ではありませんでした」

「たっちゃん、地下に行く鍵は確保したよ。褒めて褒めて」

「さすがヨミ、頼れるしカワイイ。それじゃあ」

「うん」


 合流した俺達は、改めて地下へと向かう。

 美奈鳥月夜の父が近付いてはいけないとモノがなんなのか、確かめるために。






『アハァ……☆』


 なのに廊下を出た瞬間、鉈を振り下ろすウサギのキグルミ。

 俺は咄嗟にヤツの水月を狙って、右肩で体当たりをかました。


「たっちゃん?!」


 追撃。腕を鞭のようにしならせて顔面を打つ。

 しかしあんまり効果がない。キグルミのせいか、そもそも存在として格上なのか。軽い打撃はほとんど通っていなかった。

 さらにこいつは、今までの傾向として近くにいる弱く無防備な者を狙う。


「ヨミ、距離をとれ! 月代、みんなを頼めるか!?」

『任セロ、相棒。月ニ代ワッテ……』

「今はそういうネタはいらないからね?! というか君、その頃生きてないはずですよね?!」


 俺は一旦退き、腰を落として構える。

 単距離ワープができるこいつは非常に厄介だ。

 隠れてやりすごしても追い払っても意味がない。子のキグルミがいる状態で地下に行くの訳にはいかなかった。

 

「いくぞウサギ野郎、再戦だ」


 だからこいつは、今ここで倒す。


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