第6話 発勁


 ウサギのキグルミの目がヨミたちを捉えた。

 けれど副部長の生首蜘蛛が行く手を遮っている。

 このままでは救援もままならない。


「あああああああああああああああああああ?!」


 ウサギの圧に負けて、文城先輩が走り出した。

 続けて会田も背を向けた。恐怖からの行動だ、連携がとれておらず二人とも勝手に逃げているだけだ。


「ヨミも逃げろ! すぐ追いつく!」

「分かった!」


 一瞬のためらいもなく、ヨミは部長を促し逃げの一手を選んでくれた。

 ウサギのキグルミの動きは決して早くない。全力で逃げればなんとかなる、と信じたい。

  

『あはあ、あああ、ああ』


 安堵する暇もなく生首蜘蛛が動く。

 八本の節足は移動にしか使われない。だが人の速度を軽く凌駕しているうえに、壁も天井も関係なく這ってくる。

 武術はあくまでも対人の技法。ここまで縦横無尽に駆け回る敵を相手取るのは慣れていない。

 だけど泣き言はなしだ。

 苦手だろうが河野副部長だろうが、迅速にこいつを倒さなくては。


「ふぅぅぅぅぅ」


 溜気勁。

力を溜めて、生首蜘蛛を迎え撃つ。

 天井からの落下突進。これは防げない。最小限の動作で躱し、着地の瞬間を狙う。

 だけど前足四本が邪魔をする。

 俺はそれを両腕でさばく。数の足りなさは回転率でどうにかする。

 異形との乱打戦。拳打と爪の応酬を維持しながら、少しずつ距離を詰めていく。

 無謀は承知の上だがとにかく今は時間がない。こいつを、さっさと倒す。


「……武術において、気はあくまでも体内においてのみ働くもの。だけど桧木流の奥伝には、特別な技がある」


 起の位・溜気勁は丹田に気を溜め、そこから体の各部に気を送ることで膂力を増したり防御を固くする。

 名称こそ違えど、通常の武術でも似たような技はある。

 だけど承の位は違う。


「流氣発勁。丹田に溜めた状態で練りに練った気を掌に集中。相手に押し付けた状態から一気に開放する」


 溜気勁が収束の極みなら流氣発勁は流動の極み。

 気を体外に放出、暴れ狂う気の流れに指向性を与え攻撃へと変える業だ。

 奥伝の二段階目まで晒すのは、試し打ちの意味もある。

 威力で言えば俺の技の中でも上位の一手。これが悪霊どもに効くのなら、ウサギのキグルミに対する決め手となり得るはずだ。

 

 だが発勁は隙が大きい。

 一度足を止めなくては打てない以上、安易に使えば逆に危機を招く。

 だからこそ効果の薄い乱打を続ける。軽い打撃を何度も打ち込むのは相手の体勢を崩すためだ。。

 しかし八本の足と軽快な動き、生首蜘蛛は決定的な隙を見せてはくれない。

 こうしている間にもウサギのキグルミはヨミたちに迫っている。このままじゃ手遅れになる。


 ───床を這うように、長い黒髪が忍び寄る。


 焦りのせいか、ここに至るまで俺は気付けなかった。

 伸びる黒髪が絡みつく……俺ではなく、生首蜘蛛に。


『フフン』


 月代が援護をしてくれたようだ。

 どういうつもりかは分からない。

 だが、この隙は有難く頂く。

 ぐっと腰を落とし、足の裏で接地面を噛む。腰の回転と上体の連動、その流れに丹田に溜めた気を乗せる。

 地面が揺れるかと思うほどの踏み込み。掌底が敵に直撃した刹那、氾濫する川の流れのように暴れる気を前面に放出する。


 桧木流古武術奥伝・承の位“流氣発勁”


 ただの打撃ではない。気の奔流が爆発的に威力を高める。

 いかに異形とは言え、この一撃には耐えられなかったらしい。トラックにはねられたような勢いで生首蜘蛛は吹っ飛ばされた。

 そのまま地面を転がると、殺虫剤を噴霧された虫のようにもがき、体から煙のような白いモヤが噴き出す。

 サイズこそ違えど顔は河野副部長だ。思うところがないわけではなかった。

 それでも感傷で仕損じるような真似はしたくない。苦しみ悶える蜘蛛の最期を確認してから、俺は構えを解いた。


「効いた……。これで、ウサギ相手も少し期待ができるな。っと、月代、援護助かった」

『エへへ、私モ中々ヤルデショウ?』

「ああ。結構いい感じのコンビプレイだったよ」

『コンビプレイ……トテモ、素晴ラシイ響キ。アナタ、名前ハナンダッタッケ?』

「俺? 寺島辰巳だよ」

『辰巳……ウン、辰巳。私達、スゴカッタ?』

「すごかったすごかった」

『ヒヒ、コンナノ初メテ……』


 ぼっちを極めて幽霊になった月代は嬉しそうにしている。

 悪霊なんだけど微妙に憎めないのが辛い。

 とりあえず、当面の危機は去った。あとは急いでヨミたちと合流しないといけない。







 会田華夜はギャル風の格好をしているが、そういった友人がいる訳ではない。

 もともと彼女は高校デビューで今のような姿になっただけで中学時代は大人しい女の子だった。

 変わろうとしたきっかけも些細なもので、高校を機に地味な自分をどうにかしたいというだけ。

 だからといって本物のギャルに混じる勇気もなく、比較的大人しい生徒が多い映像研究部に所属した。


 そこが映画撮影より動画配信に傾いていたのは彼女にとって幸いだった。

 配信で人気者になれば、教室の隅っこで過ごした情けない中学生時代を払拭できるような気になっていた。

 心霊スポットで恐怖動画という企画も別にホラー趣味がある訳ではなく、単に自己顕示欲の結果だった。

 それを今は心底後悔している。


 廃墟の廊下を走る。

 背後からは鉈を持ったウサギのキグルミが追いかけてくる。

 文城先輩は一人で逃げた。部長や比良坂も足が速く、少しずつ距離が空き始めている。

 何よりこの状況で唯一化物とやりあえる寺島を、あの場に置き去りにしてしまった。

 

「あっ……?」


 注意せず薄暗がりを走ったせいで、華夜は何かにつまずいた。

 バランスを崩し、そのまま無様に転んでしまう。


「はっ、あ……ま、待って部長、ひ、比良坂……。やだ、まってよ」


 か細い声では届かない。ヨミ達は気付かずに駆けて行ってしまった。

 床を確認して華夜は後悔した。彼女が足を取られたのは、切断された誰かの腕だった。

 

「ひぃ?!」


 恐ろしさから声を上げたのは失敗だった。

 

 ────ひた、ひた。


 ウサギのキグルミが、こちらに向かってくる。

 もう走っても逃げられない。華夜は近くの部屋に飛び込んだ。

 しかし不運は途切れない。鍵が壊れており、今から廊下に出て違う部屋に移る余裕はなかった。


「やだ、ど、どこか。か、隠れなきゃ」

 

 ウサギのキグルミに見つかる前に。

 シャワールームは、ダメだ。比良坂が長い黒髪に拘束されたのを覚えている。

 トイレはただそれだけで怖い。

 あとはベッドの下? それとも。


「あ……」


 目についたクローゼットに身を隠す。

 ひたひた。

 キグルミが、部屋に入ってきた。華夜は息を殺し身をかがめて、早くどこかに行ってくださいとひたすらに祈る。

 けれど、ひた、ひた、足音はむしろ近付いていた。


『アハ、アァハァ……☆』


 おぞましい声が聞こえた。クローゼットの扉に遮られても、聞こえるくらいの距離にいる。

 心臓が口から飛び出そうだ。もしやり直せるなら、絶対にこんなところに撮影なんてこない。

 パパとママに会いたい。もうギャルの格好なんてやめて教室の隅っこにいる。

 だから許してください。お願いします。

 

 目を瞑って、ただただキグルミがいなくなるのを待つ。

 しばらくすると足音が聞こえなくなった。

 そこからさらに待つが静かなまま。もう、どこかへ行ったのだろうか。

 そう思いながら華夜は動けなかった。


 ……ぎぃ…………


 しかしそう上手くはいかなかったらしい。

 どこかへ行ったのではなく、立ち止まっていただけ。

 外から誰かがクローゼットの扉を開けようとしている。

 華夜は、恐怖で頭が真っ白になった。

 

ああ、死ぬ。無様に殺される。

ここで死体になり、美奈鳥月代や河野副部長のように、化物の仲間入りをするのだ。 


 絶望にあとからあとから涙が零れてくる。

 そうして、クローゼットが、完全に開かれた。



 



 ヨミたちに合流するため後を追っていた俺は、途中で扉が開けっ放しになっている部屋を見つけた。

 今までこんなことはなかった。

 不思議に思い部屋に入ると、何となく人の気配がある。

 そこで目についたクローゼットの扉を開くと。


「ひっ、ひっ、たふけてぇ……」


 顔を真っ赤にしてプルプル震えながら涙目でおもらししてるギャル娘が入っていました。



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