第十三章:夢/スクラッド=ル=ディア
14年前、私はサメスティス王国の第五区画で生まれた。
王宮魔術師「ウィザード・マーキュリー」の娘だった私は、本来であれば王国で魔術師としての教育を受けるはずだった。
しかし、当時戦時中だったが故、両親は世論に反対し、王国から遠く離れた田舎町に預けられて育つことになった。
両親は私に、魔術師になってほしくなどなかったのだ。
私は普通の人間として生きた。学校に通い、友達を作った。
「ルディア、あれ見せて!」
「任せて!ういしょ…」
私は昔から、得意な体質を持っていた。右目の色を銀色に変えられるのだ。
「すごーい!かっこいい!」
「でしょ?」
預け先の両親にはやめなさいと言われたけれど、私はとても気に入っていた。
それから数年後、この村に連絡が届いた。
いいや、この村だけではない。世界中に届けられた通信がある。
惑星王「THE-SUN」は伝えた。
「我らが伝説、ウィザード・マーキュリーは戦場に散り、戦線は突破された。これより大規模な幻想種の侵攻が始まる。各地域の住民たちは、直ちに王国へと非難するように」
それは、死刑宣告だった。
王国から遠く離れたこの村は、今から急ごうとも手遅れだ。
次の日。
村は消滅する。
私を残して。
「ああ、ああああああ」
右目が今までにない反応を示していた。
痛い。
何かが這い出てこようとしている。
銀色の何かが。
死の物質、水銀。
身を守るために自動で発動された水銀魔術は、これまで蓄えられてきた水銀を使い果たして幻想種を殲滅した。
だが全てが終わったあと、私はひとりになった。
何も持たずにひとりだった私。あの徹底抗戦は、ただ私の寿命を数日伸ばすことしかできなかった。
「おや、こんなところに女の子が。乗っていくかい?こんな粗末な二輪駆動しかないが」
私を救ってくれたのは、黒いコートの仮面の男だった。
鳥の躯を身に着けた男は私を二輪駆動車に乗せて、王国に向かって走り出した。
「私のお父さん、死んでしまったの」
「そうか。それで、君はどうする?」
「え?」
「君は、生きたくないのか?」
私は、生きたい、と言った。
「なら、行くしかない」
「どこへ?」
「僕たちの向かうべき場所へ」
「どこなの?」
「…さあ」
私は彼と共に、私の生まれた国、サメスティス王国へと向かった。
王国には彼の家があった。決して広いとは言えない、お世辞にも綺麗とは言えない家だった。
「ものおきみたいね」
「そんなあ」
彼の名前は、オズといった。
これはあとから知ったことだが、彼はこの世界に現存する唯一の魔法使いだったそうだ。その名は世界中に知られ、世界を超えて他の世界でも、「魔法使いの代名詞」としてその名が知られているとか。
彼は私をひとりで育てた。
「そうだな。これからひとりで生きていくことを考えると、魔術は覚えておいた方がいいだろう。学校に行きなさい、ルディア。私よりも教えるのが上手い人がごまんといるはずだよ」
「オズは魔術が使えるの?」
「使えるけど、教えるのがうまいわけじゃない。あ、ただこれだけは覚えておきなさい」
オズは人差し指を立てて言った。
「自分が絶対で在り続けること。世界に呑まれて自分を見失わないように、自分の中の真実を見つけなさい」
「うーん…わかった」
「本当に分かった?」
「うん、わかった」
私は魔術学校に通うことになった。
私はウィザード・マーキュリーの娘。その才能もあってか、頂点に上り詰めるのは難しいことではなかった。無論、簡単でもなかったわけだが。
しかし、ある時点で私は気づかれてしまった。
「水銀は生物に対して強い毒性を持つ」
「水銀魔術?何それ」
「目から出るの?ヤバくない?」
私は家に帰ってから、そのことをオズに伝えた。
「水銀魔術が怖い?」
「うん。みんなが私を怖いっていうの。私もそうよ、私も怖い」
「なるほど。私も水銀についていろいろ調べてみよう。安心して。味方ならここにいるとも」
オズはいつも私の味方だった。
「どうしてオズは私に優しくしてくれるの?」
「理由か。何かしらあることに変わりはないんだろうが、私自身もよく分からない。ただ、己の中にある基本的な本能に基づいているだけだ」
オズは学者脳だった。考えることが好きらしいけれども、何を考えているのかはさっぱり分からない。
でも、どこかで私を気遣ってくれている。そういう人だ。
「成績は良いんだろう?もちろん成績が全てではないが…この先どうする?」
「国家試験を受けて王徒軍に入る」
「そうか。父親の跡を継ぐのか」
「うん」
「それじゃあ、私もようやく手を貸せる」
「え?」
その日から、オズは私の信頼する親代わりから、戦いの師匠に変わった。
一日一回、彼と手を合わせる。
雨の日も風の日も、体調が悪くても、嫌なことがあっても。
「私よりも強いものなんて、世の中にいくらでもあります。私に勝てないのでは、何にも勝てませんよ」
そして、それから二年が経過したのち。
私は無事、王徒軍に入った。
「オズ、私やったわよ」
「さすがです。おめでとう」
彼はいつも鳥の躯をつけていたから、表情は分からなかった。でもそのときは確かに、笑っているように感じた。
「オズ」
「どうしたの?」
「私から、あなたに伝えなければいけないことがあります」
それは、突然の告白だった。
私にとって、受け入れ難い宣告だった。
「オズは、いなくなるの?」
「はい。私は魔法使い。私にしかできないことがあるんです。だから、そのためにここを去ります。そして一生、ここに戻ってくることはない」
「そんなの嫌だよ」
「ルディア。これは私の使命なんです。どうか」
私を見守ってくれる人は、どこに行ってしまうの?
私は誰を頼ればいいの?
「自分を信じるのですよ、ルディア。最後に頼れるのは、自分だけなのです」
私は王徒軍に入り、戦いに明け暮れた。
迫り来る幻想種の大群。持ち前の水銀魔術と最高水準の基本魔術を組み合わせて、どれくらいか経った日。
私は最強の称号を手に入れていた。
15歳、史上最年少の「ウィザード・マーキュリー」が誕生した瞬間だった。
「貴殿にウィザード・マーキュリーの名を授ける」
「はい。この国の為に、誠心誠意努めてまいります」
私はウィザード・マーキュリー、王徒軍魔術大隊長。
名をスクラッド=ル=ディア。
この世界で最も強く、最も孤独な魔術師だ。
家に帰る。オズと私の家だ。
あの日から、オズと口がきけなくなってしまっていた。
交わすのは挨拶くらいで、それ以外はもう数年間何も話していない。
同じ屋根の下なのに。
近づくほど、遠ざかっていく気がして。
その日私は、ウィザード・マーキュリーの称号を得たことを、オズに伝えに行く予定だった。
「緊張する…」
久しぶりに話すのだ。なんだか恥ずかしい。
ドアをノックする。
「…………」
返事はない。寝ているのだろうか。じゃあまた明日で…。
いや、叩き起こしてでも伝えてやるぞ。
私はドアを開けた。
鍵は開いていた。
「珍しい」
いや、おかしい。
オズは倒れていた。
「オズ!」
「申し訳ない、私は“追われている”のでしたね…」
私は知らなかった。
彼は世界で唯一の魔法使い。多くの魔術師からその身を狙われていることを。
そしてそれでいて彼は、私というただひとりの人間を救うために、魔術師の国サメスティスに住み、育て、そこで魔術の研究を重ねていた。
常にその命を狙われていたことに、そのときに初めて気づいた。
私は愚かだ。
「久しぶりに戦ったものですから、ついやりすぎてしまいました」
「ばか、なんでオズがやられてるのよ。魔法使いなのに」
「魔法使いは“弱い”んですよ。世界にひとりしか、いませんからね…」
まだ人が来る。
「魔術師の追っ手です。ルディア、お願いがあります。私を殺してください」
「いやよ、どうせ『ウィザード・マーキュリーになったであろうあなたが、魔術師と戦うのは立場上良くない』とか言うんでしょ?」
「あれ、算段丸見えですか…賢くなりましたね」
「うるさい。私、ここであなたを守る」
「まさか、そんなことをすれば…」
「称号なんかどうでもいいわ」
「……ルディア、そこの机の上に置いてある本は、私の水銀魔術についての研究が記されているものです。あとで、読んでおいてくださいね」
「分かった。ほら、行ってよ。オズには、与えられた使命があるんでしょ?」
敵はもうすぐそこだ。
私は声色を変えて、できるだけ大きい声で言った。
「オズさん、先に行ってください!"あなた"にしかできないこと、まだたくさんあります!」
「……君も、大人になったな」
そして彼は姿を消した。
「どれどれ、読んでみましょうか。えっと…」
私は適当にページをめくる。
― 水銀は-39℃で融解するといわれているが、此処はその限りでない。―
ええ、と声を上げる。
「何言ってるか分からないんだけど…まあ、いつかは役に立つかもしれないし、覚えておこうかな」
「どこにいる、魔法使い…と、あなたは。ウィザード・マーキュリー」
「私の師匠がお世話になったみたいね」
「師匠…まさか、魔法使いの仲間か?ウィザード・マーキュリーといえど、秘密裏な魔法使いとの接触は国王への反逆とみなされる。さあ、共に玉座へ、ウィザード・マーキュリー」
後ろにも何人か続いている。
仕方がない、と私はため息をつく。
強がったはいいものの、これからどうするかは考えていなかった。
私の恩返しは既に終わった。ならばもう、今の世界に未練はない。
「盛り上げておきましょうか。王様も、ちゃんとその目で確かめられるようにね」
私はそこで死んだ。
自らの命を糧に、最大規模の魔力爆発を起こして、私は散った。
「…………君も同じだな」
あそこに立っているのは…。
「もう一度、チャンスを」
あなたは。
ドレス……さ……。
目を覚ました。
「起きたね」
社長の部屋か。
「よかった。まだ休んでもらっていいよ。私たちのほうで、諸々は解決しようと動いているところだ」
「未紅…」
当然だが、彼女の姿は、どこにもなかった。
― とある施設内にて ―
私は新たな仲間として、この委員会に招き入れられた。
「メンバーを紹介するわ。まず、あなたについていった男がアスターク。鎖の能力者」
アスタークは、長身で全身に鎖を巻いた変態。表情も完全に狂人のそれだ。
「あそこの車いすの青年はスイーパー。痕跡処理の能力者」
黒髪の制服の青年。車いすに座っている。
「あのご老人がジャニクルム。資金調達専門。封印の能力者」
腰の曲がったご老人がひとり。
「で、いかにも強そうないかつい男がうちの技術顧問」
「今はTREE SPIDERの解読に忙しい。そちら側に手を貸すことはできない」
不愛想で屈強なのが技術顧問…と。
「それで、あたしはちゃんと言われたとおりにやってきたわよ。あの魔術師は確実に死んだか、二度と戦えないほどの傷を負ったはずよ」
「ええ。そうね。約束通り、加々野椎奈は開放する。もちろんあなたも。でもその前に、やっておかなければいけないことがある」
「え?」
「最後の幻想種捕獲よ。次が最後、全ての幻想種が野生から消える」
「それを手伝えって?」
「手伝う必要はないわ。見ているだけでもいい」
「分かったわよ。その代わり、先に椎奈の身柄だけは」
「それはできない。最後の作戦中、あなたが掌を反すかも」
どこまでも狡猾な女だ。
「ついていくわ」
「それでよろしい」
最後の幻想種の出現場所は、不幸にも宇気比町だった。
これじゃあ、彼女たちとの邂逅は不可避。
「早めに終わらせて帰りましょう」
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