行方知れずの私
秋月カナリア
第1話 恭子1
「迷子?」
ぼんやりとしていた。
駅の建物を背にして、人混みを眺めていた。いや、最初は眺めていたのだけど、そのうちただ目を開けているだけになっていた。
頭の片隅に昨夜の騒がしさが残っていて、それが今目の前にある現実を侵食しようとしてきている。
まず自分に声がかけられたということ。そしてその単語が迷子であるということ。
それらを理解するのに時間がかかった。
目の前に人が立っている。
ロールアップしたデニムの裾から、綺麗に日焼けした肌がのぞいていた。
顔を上げる。
目の前には男性が立っていた。
二十代だと思った。
背が高い。
色の淡い茶髪。
甘い顔立ち。
その取り合わせでもチャラチャラしているようには見えない。
奇跡的なバランスで爽やかさが勝っている。
シャツにデニムというファッションも清潔感があった。
ナンパだと理解するまでに、さらに時間がかかった。いつもなら声をかけられても聞こえないふりをするのに、ぼんやりしていたせいで反応してしまった。
私は無言で、視線を足元にそらす。
「まー、なりたくてなったなら別に良いけど。でも、先人から言わせてもらうなら、その道は進まないこと」
「え?」
視線を男性に戻してしまった。男性はどちらかというと冷たい目でこちらを見ている。
「道じゃない? 橋とか、崖とか」
俺の場合はバスだけど、と男性は続けた。
「あの」
どうやらナンパではないらしいと、ようやく思い至る。頭の回転が遅い。舌打ちしたくなったけれど、品がないからやめる。
「もし知らずに今の状態になってるなら、悪いことは言わないから選択はしないこと」
「洗濯?」
「チューズ、セレクト」
「ああ」
疲労感が増した。座り込んでしまう。急に何も聞こえなくなった。しばらく腕の間に顔を埋める。そのうち、街のざわめきが蘇ってきたから顔を上げた。腕が冷たい。見ると、男性が水のペットボトルを当てている。私は思わず手に取った。
「それ飲んで」
「ありがとう」
蓋を開けようとするが、力が入らなかった。不思議だ。私がなかなか開けられなかったので、男性がかわりに開けてくれた。
「ありがとう」
再びお礼を言った。男性は「ん」と返しただけだった。
水を一口飲む。すると、喉が渇いていたことに気づいた。だから、二口めは一気に半分ほど飲んだ。
冷たさが喉から胃に落ちていく感覚がした。頭が少しだけすっきりした。
「俺はもう行かなきゃだから。大丈夫?」
「はい」
立ち上がろうとすると男性が助けてくれる。
「きみは高校生?」
「はい」
「なら、やっぱりならないほうが良いよ。どんな事情があるかわからないけど」
なる? なるとは?
「だから、その道は進まないこと。あと、血液を見ても口にはしないこと。栄養にはならないし吐くから。美味しくもない。衛生的にもよくないし」
血液の話を聞いて、気分が悪くなりそうだった。口にすることなんてないだろう。
目を閉じてしまう。
「ねえ、聞いてる? きみ吸血鬼になりかけてるんだよ」
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