若い者には、負けんぞ

高山長治

前編


焼酎のお湯割りで酔いが回る関口が、飲み仲間の二宮に語りかけた。

「俺、今度大学に入ったんだ」

「なんだって、本当かよ。大学って、若い頃通った大学か?」

「いいや、四年生の大学ではない」

「それじゃなんだよ、どんな大学なんだ?」

 唐突な話に困惑する二宮だが、それでも関口は、通い始めた「いきがい大学」の入学動機を語り始めた。

「じつはな、この大学に入ろうと思ったのは、……赫々云々。と、言うことなんだよ。まあ、入ったからには一生懸命勉学に励むつもりだがな」

しばし聞き及ぶ二宮が、感心し頷いた。

「そうか、そう言うことだったのか。しかし、お前もいい歳こいてよくやるよな。感心するぜ。俺なんか、とてもそんな気持ち起きねえし、いまさら大学へ行って勉強しようなんて思わんよ」

そんな会話が、居酒屋の片隅で交わされていた。過日、関口がそのことをついと思い出し、あらためて入学に至った経緯を反芻していた。

俺はひょんなことで、また大学生になった。唐突な話だが事実であり、六十三歳の新入学生だ。と言うのも、二月のある朝、新聞を読もうと広げたら、広告チラシがパラッと落ちた。その時、生徒募集の広告に目が留まった。

「うんにゃ?」と、拾い上げ見ると、(財)いきいき埼玉主催の平成二十三年度「彩の国いきがい大学」の生徒募集であった。どんなものかと目を通すと、入学条件が埼玉県在住の六十歳以上の方とある以外に、特段の条件がない。「おお、該当するじゃねえか。それに試験がない」と、ろくに考えもせずFAXで申込みをしたが、運よくと言うか、やはり入試もなく合格した。

そんなことで、この四月に南浦和にある「さいたま市文化センター」で、いきがい大学全学園の合同入学式があった。この大学、二年制課程の学園と一年制課程の学園がある。なんと埼玉県下に八学園あり、俺は生徒数百二十六名の一年制課程の川越学園の生徒となった。一班から十班に区分し、それぞれ十二名から十三名で編成されている。さらに一学期の始業式の時気がついたのだが、男女共学で女性が六割、男性が四割と、オバタリアン軍団が幅を利かすなか、ジジイ連(男性)も負けじと背伸びをする光景が窺えた。

ところで、俺には孫娘がいる。同様に四月から幼稚園に通い始めた。支度をしている時の目の輝きがなんとも可愛らしい。それに幼稚園に着くと先生に迎えられ「先生おはよう、皆さんおはよう」と挨拶し、保育の始めと終わりに歌を唄うらしい。

そんな話を孫娘から聞いて、はたと気づいた。

ううん、待てよ。俺たちだって朝終礼時に「四季の歌」と「今日の日はさようなら」を唄うことになっているじゃないか。なんだこりゃ、幼稚園児と同じか? そう言えば学園の規律でも、名札の着用、学生証携帯、欠席届提出義務等々ある。「おいおい、これじゃ中・高生と同じだぜ」と、小馬鹿にするなとへつらい漏らすが、それでも愚直に受け入れ従うことにした。顔写真入りではないが、名札はストラップ付のケースに入れ首からぶら下げる有様だ。

それにしても、大学へ通うのは何年ぶりだろうかと、思い起せば四分の一世紀どころか、四十年ぶりの学園生活となる。随分経ったなと、若き頃が思い出され懐かしい限りであるが、思いもよらぬ展開へと進んだことに、自身少々気負い気味だ。さてはて、これからどんなアクシデント、いや学生生活が始まることやら……。

そんなこんなで、ほぼ毎週一回の授業日には川越学園へと通い授業を受け、その後クラブ活動に精を出す。さらに、生徒が主体となった学生自治会活動にも専念し、七月に入り我ら一班十二名の仲間とも交流が深まり親しくなった。

つい先日の親睦を兼ねる校外授業の一環として、埼玉県民活動総合センターでの宿泊学習研修では大いに盛り上がったが、もちろん硬い授業も行われた。その時の講義の一部を紹介しよう。武蔵野大学医学部教授による、大脳皮質や海馬がどうたらの、「脳科学に学ぶ」と言う高尚なものだった。

シニアの頭には難しい内容だが、要は俺たち生徒に対するボケ防止の講義のようだ。まあ、有り難い話で神妙に聞き入るが、どうも難しすぎてと言うか、日頃考えたことがない専門的、且つ、高等な内容ゆえ只々頷くばかりで、はたしてボケ防止に役立つのかと、講義中は神妙な面持ちで聞き入るばかりだった。それに八月は一丁前に夏休みがあり、二学期の九月からの学習スケジュールでは、悪質商法対策、地域の伝統文化、遺言と相続、認知症に関する知識等多彩な授業が組まれている。

何と言うことはない、「俺たちが、これから必要になることばかりだ」と、少々納得しつつも、「呆けたら役に立たんじゃないのか?」と軽口を叩くも、それなればと意固地になり、年甲斐もなく頑張ろうと決意を新たにする。

さらに十月の学園祭、若い世代との交流、そして十二月には公開学習、それに必須のクラブ活動(俺は、考えもなく書道部に入部した)、学生自治会活動として我が班はオオトリ(年度末)の卒業懇談会を受け持つことになった。

それと話しはまったく変わるが、学び舎は通常大学のような自前の校舎がなく、川越市民会館の一室が教室である。それも、ほぼ毎週の木曜日に会議室を借りる俄か教室で、三つの会議室をぶち抜き、百二十六名の生徒が机をならべ椅子を置き教室に充てる。これらの作業も、当然学生が当番制でやることになる。

それはさておき、大学の目的が「社会参加による生き甲斐を高め、卒業後地域活動のリーダーとして活躍する」とあるが勝手に解釈というか、まったく違う乗りで我ら一班の趣を、「出会い、ふれあい、新入生、老若男女が集う、川越学園同期生。入学動機、新たな経験、初心貫徹。見知らぬ同士が語り合い、戸惑い、慣れ、絆の友情を深耕する。と言葉の羅列。求めるものはなんだろう。どんな言葉で繋がるか。身体はシニアでも心はまさしく新入生。はて、一年かけてどんな形になるか楽しみだ。皆で考え、皆で行動し、皆で築いてゆこう」とした。大学の求める卒業後のあるべき姿とは、似ても似つかぬ行動を一年かけて行おうとする姿勢が、果たして許されるのかは少々疑問だが、そこはシニアの大人の世界。回りまわれば、いずれ大学の目的に叶う日も来るであろうと目をつぶって貰うことにした。

そして年が明ければ三学期が始まり、少々大袈裟だが、川越学園での学生生活の集大成へと進み、三月には卒業することとなる。一班の仲間とは離ればなれになるわけだが、その時、互いに誓い合うに違いない。

「いつかどこかで、また一緒に学べたらいいね」と。さらに「堅苦しくなくていいんだ。絆が結べて、何時でも何処でも気軽に集い語り合える仲間が持てたらな」って、真面目くさった顔の仲間が肩を叩きながら言うだろう。

はてさて、これからどうなることやら。年甲斐もなくと言ったらそれまでだが、とにかくこの歳で新しきことにチャレンジすることとなった。ところで入学動機と言えば、じっくり考え慎重に検討して、いきがい大学の一年生になったわけではない。それゆえ少々心もとないが、そんな躊躇っている場合じゃない。なにせもう始まっちまったんだからな。「とにかく、やるっきゃないじゃないか」と、昔風にいえば「褌を引き締めて頑張ろう」と、密かに後付けで心に決めた。

それに蛇足だが、俺は一班の班長、自治会理事と卒業懇談会の実行委員長を兼務することに相成った。これまた結構忙しそうな予感がする。

これじゃ当分、呆けている暇はねえわな……。と、心内で図らずも、これから一年間は呆けずにいられるだろうと、安堵しているところでもある。

それで、旧知の山仲間の二宮と久々に会った時に、居酒屋の片隅でお湯割り焼酎を飲みながら、関口が近況報告とばかりに紹介し、ゆるりとグラスを傾け煙草を燻らながら雑談していたんだ。





川越学園での学生生活も、冬の寒さが和らぎ新芽が吹き出す三月の卒業懇談会を終え、昨年の四月に入学式を行なった「さいたま市文化センター」での合同卒業式で、無事学園生活にピリオドを打った。

思えば、入学した当初に憶測した通り、結構忙しい日々を送った。通学は一週間に一度の木曜日だけだったが、班内活動のことや、学生自治会で請け負った一班担当の卒業懇談会。それは九班の仲間と一緒に催すものだが、あれやこれやと授業日以外にも自宅で考えたりもした。特に、卒業懇談会の打ち合わせでは、一班と九班の班長、副班長の計四人が集まり仔細を協議し取り決めたりと、結構大変だった。それこそ四人とも真剣な表情で、取り組む姿勢は、若き頃を彷彿させるものだった。今思い起せば、六十過ぎのシニアが固い頭で、よくもまあ頑張ったものだと、我ながら感心している。

事前に自宅で協議内容を検討しまとめていたのであろう、関口が口角泡を飛ばし説明し始めた。卒業懇談会の四人での打ち合わせの時にである。もちろん、授業日ではなく川越駅西口の近くにあるレストラン「カズト」でだ。それも開店直後の十時から。卒業懇談会は、最後の授業として行われる。それに向かって佳境に入っていた頃だった。

「やはり皆の心に残るものにしなければならんな。在り来りの懇談会じゃインパクトに欠ける。だから、今まで積み上げてきたものに、なにかこれというものが追加できるといいんだがな」と、関口が九班班長の田所に求めた。

すると、田所が眉間に皺を浮かべて応じた。

「どうかな、そう言われればこのままじゃつまらんと言うか、今ひとつ刺激がないし平凡なんだよな。どうですか、石田さん」

案もなくそのまま振られて、なにか思い当たるのか一班副班長の石田が提案した。

「そうね、私考えていたんだけれど、懇談会のフィナーレの時に一班と九班全員で向かい合い、両手でアーチを作って、そこを卒業生全員にくぐらせ送り出すのはどうかしら。司会進行を私がやるでしょ、最後にタイミングを計って仕掛けたら、皆びっくりするんじゃない。それで、さらに歌を添えるのよ。『今日の日はさようなら』なんかどうかしら。授業の終礼で唄っていたやつ。あれ、流しながらやったら効果満点じゃない」

立ち上がり、両手をかざして唄いだした。

「いつまでも絶えることなく、友達でいよう。あすの日を夢見て、希望の道を。今日の日はさようなら、また逢う日まで。……伝々」そして、皆に問うた。

「どうかしら、こんな仕掛けでは?」

すると、九班副班長の清水が女性の立場から賛同した。

「いいんじゃない、奇抜なアイディアだわ。三十五期の仲間は約六割が女性だよ、女心には染み入るし、記憶に残ると思うわ。こんな演出されたら嬉しいんじゃないかしら。むしろじんと来て胸がきゅんとなり、若き頃の恋心のように感動するんじゃないかしら」

少々興奮気味に語った。

それを聞き、田所が躊躇いがちに応じた。

「ううん、女心ってそんなものかな。男の俺には手でアーチを作って唄うなんて、ちょっと照れるよな。それにオバタリアンやジジイ連が、いまさらそれで感動するかな」

すると、石田が口を尖らせた。

「なに言っているのよ、いい歳こいて照れるなんて。若い子ならまだしも。六十を過ぎた男がさ。それとジジイ連はともかく、六十代の女性だって感動すれば胸がきゅんとなるのよ!」

「まあまあ、石田さん。そこまで言うことないよ。女性の場合はそうとしても、同じ男性として庇うわけじゃないけど、俺なんかダンディーに振る舞うことから言えば、恥ずかしさという点では、田所さんにある種同感するね」

関口が田所の肩を持った。

石田が呆れ顔で貶す。

「まあまあ二人とも情けない連中ね。どうなの、私の提案に賛同するのしないの。どっちなのよ!」

そこまで強気に出られ、関口が石田の顔色を窺いながら賛同した。

「アイディアは奇抜でいいと思う。女性陣が賛成するなら、この際俺も恥ずかしさを抑えてやってみるよ」

「そうでしょ、絶対受けるわよ。ばっちりだわ」と、石田が頷いた。

「それじゃ、執行部としてはプログラムに組み込んでいこうか。ねえ、田所さんいいでしょ」と関口が結論を出し、田所に振った。

「ええ、関口さんが了解するなら、私も賛成しますよ」と、仕方なさそうに了解した。

結局、後日一、九班全員の打ち合わせ会議で提案したところ、女性たちはもちろんのこと、意外と男性からも賛成の手が上がり、正式に組み入れることとなった。

それを懇談会のフィナーレに実施したところ、大いに感激され盛り上がった。女性陣の中には涙する者も見かけられ、それを見た俺など、つい胸に迫るものを感じたくらいだから、卒業する仲間全員に深く心に刻めたのではないかと、遅ればせながら積極的に提案してくれた石田さんに感謝している。

まあ、今になれば、いろいろなことが思い起される。

一班の中でもあった。あれは、そうだ学園祭での一班の出し物の件だった。どの班でもそうだが、なにをやるか話し合いが行われるが、率先して意見を述べる者がでない。班を代表して演技が出来る者がいれば別だが、一班の中ではそのような者がいなかった。それであれやこれやと意見が出たが、一本化することが出来ずにいた。

そんな中で数日たったある日に、猪倉さんから俺の携帯電話に着信があった。

「もしもし関口さん、猪倉です。今石田さんと学園祭の一班の出し物のことで話しあっていたところなんです」

「ええ、学園祭の出し物?」と、意外と返事した。

「そうなんです。それで石田さんの提案で、『ドリフのいい湯だな』を唄って踊ることにしたんです。どうでしょうか?」

「そうですか。それって一班全員でやるんですよね?」

「もちろん、そうです」

「それじゃ、皆唄うことはできても、踊るとなるとどうですかね」

「それは大丈夫、石田さんの知り合いで、川越学園の卒業生の方に教えて貰えることになっているんです。それじゃ、ちょっと石田さんに代わりますね」

「はい」返事をし待つと、石田が出た。

「関口さん、石田です。今猪倉さんが説明した通りでどうかしら。振付の方は任せて、先輩が今度学園に来て教えてくれるから。これでいきましょうよ、ねえ、関口さん!」

「いいんじゃないですか。ただ、全員参加ですから、皆の意見とか賛同を得なければならないですよね。今度の授業日の昼休みに提案してみますか」

「そうね、そうしましょ。これは絶対に受けると思うわよ、間違いないって。それで出し物のあらすじを、私が考えておきますから」

乗り気の石田に、関口が「そうして下さい」と告げ、電話を切った。

その後、心内で呟く。

石田さんもなかなか積極的でいい。それに、猪倉さんが一緒だったなんてやるじゃないか。二人とも意気込みがあっていいな。

そう納得しつつ、早速一班内での連絡事項をまとめていた。積極的に意見を聞き、一班の仲間に伝え意見の集約を図り、全員のモチベーションを高めて、仲間意識が向上し結束が図れると思うと、関口は班長として学園祭の一班の出し物に対する、石田さんや猪倉さんの取り組む熱意を生かすべきだと思った。

そして授業日の朝、一班の仲間全員に学園祭のことで打ち合わせたいことがあると、昼休みに話し合うことで合意を得た。皆も考えていたのか、いい案が浮かばなかったのか、昼休みに石田さんたちの案を提案すると、反対する者は出ず合意を得た。

それからだ、石田さんが先頭に立ち、先輩の指導を受け「いい湯だな」の歌と踊りの猛練習が始まった。さらに、これだけではと欲張り小倉さんから、舟木和夫の「高校三年生」を歌として加えようと提案があった。そしてさらに乗り、たまたま佐々木さんが昔ギターを弾いていたこともあり、演目の始めにソロでギターを弾くことで合意した。

あれもこれもと欲張ったせいか、持ち時間をオーバーするのではないかと危惧されたが、なんとか持ち時間に収まり、学園祭当日の観客席で鑑賞する学生仲間の受けもよく、一班全員が恥ずかしさをかなぐり捨てて演ずることができ、心に残る学園祭となった。シニアの我々には、いまさらこんなことをすることに、当初は戸惑いと気恥ずかしさが充満していたが、年甲斐もなく皆真剣に取り組んだせいか、久々の充実感を味わった。というか、学園祭終了後の皆の顔に清々しさが漂っていた。

その時の一班全員の顔が鮮明に目に浮かぶ。石田、海原、小倉、猪倉、瀬川、山中、坂下、それと佐竹、戸田、佐々木、田畑。それぞれが練習の賜物か、恥も外聞もなく演技していた。まるで幼稚園児といってははばかるが、小学生並みの頑張りようだ。とても六十歳すぎのシニアとは感じさせないチームワークのよさで歌や踊りが展開されていたが、これぞ築かれた絆そのものだった。





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