絶滅したヘリウム

苦贅幸成

第1話

 2026年の統計。1961年以降初めて、年間で最も多く採られた自殺手段が縊首ではなくなる。代わりに、ガス等吸入による酸素欠乏症が年間で最も多く採られた自殺手段となった。全体の自殺者数も過去最高となった。

 その結果を受け法律の改定が行われ、吸入することによって死に至る可能性があるガス類の個人への販売が禁止される。それらが扱えるのは認可された会社や団体だけになり、風船用の高純度ヘリウムガス等のエンターテイメントへの使用件数は減少した。

 法律が改定されて以降、一般の個人が購入できる風船用のヘリウムガスは全て酸素が混ぜられている。吸い込んでも死ぬリスクが無いからだ。

 2027年の統計では、2025年以前と同じく縊首が最も多く採られた自殺手段となった。尚、全体の自殺者数は前年と比べてほぼ同数の横ばいに留まった。


 2029年、夏。現在。


「上がります。お疲れ様です」

 定時になったので帰ると園長に伝える。

「うん、おつかれさまー」

 事務所から、今日は裏口からではなくあえて表口から園内に出た。まだ日差しはキツかった。眼前には観覧車が見える。伽藍堂のまま回っている。

 その足で倉庫に向かう。表口から出たのはその方が倉庫に近かったからだ。遊園地内の疎らな客さん達を横目に歩きながら、倉庫に着いた。鍵は勤務時間中に開けておいた。

 中には入り、背負っていたリュックサックにヘリウムガスのボンベを一本詰めて、倉庫から抜け出した。そのまま駐車場の車まで走る。もう止まれないし、止まる気もない。緊張と暑さで汗が洪水を起こしている。このまま熱中症で死んでしまいそうな勢いだ。でも、自宅のベットで死にたいからまだ踏ん張る。

 アスファルトを踏み締めながら、車のところまで来た。あとは自宅に着いたら実行するだけだ。車の中は外の体感二百倍は暑かった。あまりの暑さと走った疲れで眩暈がしてきた。目を瞑り、ゆっくり深呼吸しながら十秒数える。一旦心を無にして、秒数のカウントだけに集中する。前職の時からやっていた、ストレスのリセット法だ。勝手に十秒休憩と呼んでいる。


 一瞬、瞼の裏が暗黒になる。


 目を開くと、自宅の中だった。車の座席ではなく、リビングのソファーだった。部屋の中はエアコンが効いていて涼しい。つい十秒前まで駐車場の車の中だったはずだったはずなのに何故か、自宅の中にいる。窓から差し込むはずの光はなく、外も暗かった。咄嗟に背中を確認する。リュックサックはそのまま背負っていた。だが、肝心のヘリウムガスのボンベがない。

 一体どういうことなのか。何故一瞬にして自宅に着いたのか。何故ヘリウムガスのボンベがなくなったのか。記憶が混濁しているのだろうか。それとも、先ほどまで見ていたものは夢だったのだろうか。何一つとして分からない。

 目は妙に冴えていたが、一旦眠ることにした。体はしっかり疲れていたし、考えても考えても答えが出る気配がなく、只々頭も疲れていくだけだった。着替えてベッドに横になる。そういえば、あんなに汗をかいていたのに今はシャワーを浴びて乾かしたあとみたいに体はきれいだった。それも、考えても仕方がないことなのかもしれない。なるべく心を無にするよう努める。徐々に、徐々に頭も眠たくなる。眠りに落ちる感覚があった。

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絶滅したヘリウム 苦贅幸成 @kuzeikousei4

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