24.武蔵国分寺にて②

 はじめから人間たちの手で解決できるとは考えておらず、聖を高尾山の天狗一派に加える計画を進めていたのだと考えれば色々なことが腑に落ちる。聖はいま親元を離れている。家出や失踪で処理しやすい。

 やはりこの男は信用できない。

「帰ります」

「待ってください」

 この場を立ち去ろうとする聖の腕を千歳が掴む。振り払えない。この細い腕のどこにこんな力があるのだろうか。恐ろしさに声をあげようとしたら、もう片方の手で口を塞がれた。強く押さえつけられたわけではないのになぜか声が出せない。

「安心して、危害を加えるつもりはないから」

 千歳の声がずいぶんと遠くから聞こえてくる。雨が身体にあたる感覚もわからなくなってきた。意識が朦朧としてきて今にも落ちそうになった時、

「聖くん!」

 力強い声がした。聞き覚えのある声で一気に意識が回復した。声がした方をみると立ち去ったはずのリュウが走ってやってきた。リュウは一人ではなく、男子高校生を3人連れてきていた。あっという間に傍にきて、聖を千歳から引き離した。

「今なにか聖くんにしようとしました?」

 千歳を睨みつける。千歳が答えずにいるとリュウは続ける。

「あなたが千歳さんですか?」

 千歳が目を見開く。

「どうして」

 知っているのか、と問う前にリュウが答える。

「レオ——仙川怜央せんがわれおから話を聞いていたので」

「話を信じたのですか?」

「信じてはいなかったんですが、レオはわけの分からない嘘をつくやつじゃないんで何かあるなと思ってました」

「信頼されているんですね仙川くんは」

 千歳はリュウの後方をみる。その視線の先には3人の高校生がいる。

「家が近い塾仲間だよ、これから行くとこだったんだ」

 その発言は聖に向けたもので、安心させようとする口調だった。千歳は分が悪いと判断したのか、諦めたようにはぁとため息をつく。

「聖くん、今日のところはこれで……」

 その時、空が光った。光ったと知覚した刹那、耳をつんざく爆発音が至近距離で響く。


 聖もリュウもその友人たちも何が起きたか分からず、あたりをキョロキョロ見渡していた。やがてリュウの友人の1人が「あれ」と震える声で指差す。指の先には大きな木があり、幹に裂け目ができていて、そこから覗ける幹の内側がオレンジ色に燃えていた。

「雷が落ちたみたいですね」

 抑揚のない声で千歳が言った。高校生たちは呆然として動けない。

「雨も強くなってきましたから、火事になる恐れはないと思いますが、今の音を聞きつけて人が来るかも知れない。私はここを離れます」

「あの千歳さん」

 聖は声を抑えて呼びかける。

「これも妖怪の仕業ですかね」

「おそらくね」

「千歳さんはもともと僕たちに期待していなかったみたいですけれど、もし僕たちで妖怪を見つけることができたら問題解決なんですよね?」

 聖の目をじっとみてから力強く言った。

「そうです。言っておきますけれど私自身は聖くんに期待していますよ。ただ君のことをよく知らない見廻みまわり隊の頭領とうりょうたちは、私ほどは信用していない」

「いつまでですか?」

「いつまで、とは?」

「いつまでだったら待ってもらえますか? もし僕がダメだったら次の候補を探すんでしょう? 天狗に引き渡す代償を」

「おそらくそうなるでしょうね」

 千歳はもう誤魔化す気はないようだ。

「期限はすでに過ぎていたのですが、半月ほどは待ってもらえるよう取り計らってみます」

 少しの間、誰も口を開かなかった。リュウが友人たちに声をかけると、彼らはリュウを残して去っていった。

「あいつらは塾に行った。俺は聖くんを武蔵野亭まで送っていくよ。もう暗いし、聞きたいこともあるし」

 リュウはちらっと千歳を一瞥してから「行こう」と聖を促す。聖は申し出を断ることができず歩き出す。

「聖くん」

 呼び止められ振り向く。

「私が君のことを信じているのは本当です。今日話してますます頼もしく感じました。力に加えて頭も良いし、思っていたより意思も強そうだ。だからどうかお願いします」


 ***


 雨脚はだいぶ弱まってきたが、ずぶ濡れの上、5月とは思えないくらい寒いので、リュウを武蔵野亭の中に入れた。今は誰もいない。

「想像していたより綺麗じゃん。突風で店の備品が損壊したからしばらくは使えないって飛田先生から聞いたんで、どんなひどい状態かと思ってた」

 たしかに朝出た時とは全然違って、窓ガラス部分以外はほぼ元通りに見えた。遥がかなり頑張ってくれたのだろう。 

「お茶いれますね」

「いいよ、気が張ってたんだろ。俺がいれるよ。コーヒーかカフェラテでいいか?」

「すみません、じゃあコーヒーで」

「よし、ちょっと待っててくれ」

 リュウは手際よく、お湯を沸かしながら戸棚の中のコーヒー豆を挽き始めた。落ち着く音だ。

「これ俺たち用に取り置きしている豆だから、ちょっと店の味と違うよ」

 人見知りの聖はこれまでリュウとは積極的に接点を持とうとしなかったけれど、そんな自分をこの人は当然のように助けてくれた。

「あの、桜ヶ丘先輩。いまさらですけど、塾行く途中だったんですよね?」

「ん、ああまあ。でも一回くらい平気だよ。俺、こう見えて学校でも塾でも真面目に勉強しているから何とかなる。それにあのまま塾行っても、気になって集中できないよ」

 リュウはどこまでも気さくだ。

「本当にありがとうございました」

「気にすんな。でも事情は聞かせてくれよな。レオから聞いた話と今日見たことだけじゃ全体が理解できないから」

 ここまで巻き込んでしまって、話さないわけにはいかない。

 コーヒーを抽出している間に聖はコップを二つ用意すると、リュウが慌てて声をかけてきた。

「あ、ごめん言い忘れてた。今レオにも声かけて、来られるみたいだからここに呼んでいいかな?」

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