エピローグ ふたりはそれから

 紅葉鮮やかな山々の間。

 未舗装の林道を、ドイツ製のコンパクトなSUVがガッホガッホと走っていく。その運転席にはサングラスの下満面の笑みを浮かべた瑞稀が、助手席にはアシストバーを握り青ざめた顔をした柴田が収まっていた。


「すっげー林道!!」

「アッ!! 横! 崖!!!! もっと丁寧に走って、ねえ!!!!」


 ガードレールのない未舗装林道で、助手席側が崖になっている。車幅に対して道の幅員は十分足りてはいるが、生殺与奪の全てを瑞稀に委ねた柴田の心境は穏やかでない。


「ワッハハハ!! この車は四駆だぞ!」

「ングゥッ!! それは千と千尋で神隠しなやヤツ!! イ゛ッ!! 死ぬ!!!!」

「ワハハ!」


 タイヤが弾いた石が車体の底を叩く音に負けじと瑞稀が笑う。彼女は怯える柴田を目の端に捉えると悪い笑みを浮かべ、パドルシフトでギアを一段落としアクセルを一層踏み込んだ。するとエンジンがうなりをあげ、二人の背中をシートに押し付ける。


「ねえなんで君いっかい事故ってんのにこんな運転できんのねえ!?」

「えっなんか言った?」


 瑞稀はサングラスをずらし、キョトンとした顔を柴田に向けた。


「バカッ前見ろよバカ!」

「えへへへへぇ!」


 売り言葉に買い言葉。騒がしい二人を乗せた車はたくましい走りで山道を征く。


 そうして崖に面した隘路を抜けると、木々に囲まれた比較的穏やかな道になった。そこからさらに進むと、道端にこの先キャンプ場という旨の看板が立っているのを瑞稀が見つけた。


「あっあれじゃない、キャンプ場」


 彼女がハンドルに置いた手で指差す。


「マジでこの道から行けたんだ……」

「ねーびっくり」


 柴田は久方ぶりの舗装路に嘆息して「わざわざこのルート通る必要あった?」と疑問を呈した。それに対し瑞稀は「SUVだし、山じゃん。走ってみたいじゃん、オフロード」と返す。


「さいですか……」


 この数分間ですっかり窶れた様子の柴田は、勝手に肺から出てきた空気が声になったような弱々しさでそう言うと力なくうな垂れた。


 そうこうしている間に、瑞稀の愛車は駐車場に滑り込みエンジンを停止した。二人は特に合図もなく車を降りると、瑞稀は管理棟に受付に、柴田は荷下ろしを始める。


 なお、罰として瑞稀はキャンプ道具を満載したカートをテントサイトまで運ばされた。

 テントサイトまではところどころ緩やかな上り坂になっていたり、なかなか平坦な道のりではない。大汗をかきつつカートを引っ張る瑞稀を眺めて柴田は言う。


「なんか鉱山で働いてた児童労働者みたい」

「あんまりだ! 鬼! 鬼畜!!」

「こりゃ帰りもかぁ〜?」

「ごめんて! もうしないからぁ!!」


 そして柴田が「ここら辺でいいべ」と場所を決めると、瑞稀はカートからベンチタイプのアウトドアチェアを引っ張り出し、どっかとそれに身を任せた。

 チェアに腰を下ろし荒い息を整えた彼女は、精根尽き果てたという感じだ。彼女はスポーツタオルで汗をぬぐうと、荷物をカートから下ろしている柴田へ声をかけた。


「それじゃあ、設営はお任せしますぜ大将」


 足を投げ出す姿勢で、二人がけのチェアを独占する瑞稀を見て柴田は笑う。罰とはいえ、荷物運びの大役を全うしたのだ。今度は柴田が体を動かす番だろう。


「ただ、俺このテント張るの初めてだから、あんま期待せんといて」

「ええー」

「ソロばっかだったからデカいテントは専門外なの」

「ああ〜。……たしかに股間のテントもソロサイズだもんな、きみ」


 腕組みをした瑞稀が、わざとらしくゆっくりと視線を柴田の股間へ向ける。


「……逆に聞くけど股間のテントが複数人用レベルってどうなのよ」


 呆れ顔の柴田が、テントを収納袋から取り出す手を休めつつ切り返した。


「それは……鮫さんかな……」

「……鮫さんはなあ、二本付いてるからな、勝てねえわ」


 なお、鮫のソレ自体も別に複数人プレイ用でそうなっている訳ではないことをここに明記しておきたい。



 ****



 大ぶりな焚き火台を前に、ベンチ型のアウトドアチェアに並んで座る二人。山々に囲まれたキャンプ場は濃い夜の帳に覆われている。その所々で、ランタンや焚き火の明かりがぽつねんと浮かび上がる、幻想的な景色が広がっていた。


「そういやさ、会社の書類とか、名前書くやつあるじゃん」


 瑞稀が、リラックスした声で呟く。


「あるなぁ。細々こまごまと」


 火にかけていたケトルを手に取りながら柴田が頷く。彼は一度チタン製のマグカップへウイスキーを適量入れると、そこにお湯を注いだ。


「んふふー。苗字をって書くの変な感じするねー」

「ん。そうなあ……やっぱ寂しかったりする?」

「……ほんの少しね。でもまあ、車ですぐだし、実家」

「そう。ならよかった」


 瑞稀は、左手の薬指に嵌った指輪の輪郭を愛おしげに確かめた。彼女の頬はすっかり赤く染まり、その表情は満ち足りたように緩んでいる。裕司はそれを横目で眺めながら、お湯で割ったウイスキーをチビチビと楽しむ。彼もまた、この時間を愛おしく感じていた。


 二人の眼前では、葫蘆加工の施されたケトルが湯気を噴き出している。時折薪が弾け、火の粉が夜空へ吸い込まれていく。その火の粉を、瑞稀は目で追った。

 すこし姿勢が変わって冷気を感じたのか、彼女は小さなくしゃみをした。山の季節はせっかちだ。吐く息は白く染まりつつある。


「……寒い?」


 裕司が心配そうに問いかける。


「ちょーっと肌寒いかな?」


 顔を赤くした瑞稀が、緩みきった笑顔で頷く。


「ん。ほれ」


 裕司は肩に羽織っていたブランケットを広げ、瑞稀を誘う。


「えへへえ」

「……酒弱くなったなあ」


 彼女は猫のように彼の元へすり寄り、もにゃもにゃと口を開いた。


「身長も伸びるかと思ったら止まったしねぇ」

「そうだな」

「肝臓だけ男に戻らないかな」

「それは……どうなんだ……?」


 同じブランケットにすっぽりと収まった瑞稀の頭を、ゆっくりと撫でる。すると彼女はくすぐったそうに目を細め、彼の背中へ腕を回しさらに密着した。


「ま、身分相応ってやつかな!」


 幸福を噛み締めながら彼女はそう嘯く。


「なーんか違くね、それ」

「気にすんなって」


 同じ家に帰るようになった二人。

 同じ車で出かけ、たまにはバイクに二人乗り。

 同じ器から料理を分け合い、そして夜には一枚の布団で眠りにつくのだ。

 しっかり二人分の酸いも甘いも嚙み分わけて。

 

 ふたりはそれから。


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